第一話 四人だけのオンラインゲーム
五月の始め。花芳中学校の花壇には、美しいバラの花が咲き誇っていた。
そんなバラよりも真っ赤なリボンを蝶々の形に結び、結ったポニーテールを跳ねさせた小夜莉は、秋人が来るのを今か今かと待ち望んでいる。
廊下で仁王立ちをする小夜莉を見た杏子は、窓から小さく顔を出し、おずおずと小夜莉に声をかけた。
「ねえ、小夜莉ちゃん。まだ怒ってるの?」
「当たり前よ! 昨日はあと一歩の所で逃げられたんだから……あんこが遅いから悪いのよ」
「あんずこですけど私べつに悪くないモン。ストーカーの方が社会的に悪いモン」
花芳中学校に入学して一ヶ月。相変わらず名前を覚えてくれない小夜莉に、口を尖らせた杏子は、少し膨れた面を向けながら自身の名前を強調して言った。
しかし、そんな杏子のささやかな抵抗も、残念ながら小夜莉には届きそうにない。
「今日こそはびしっと言ってやるんだか――あっ! 来たわね秋人! 遅いわよ!」
小夜莉は登校してきた秋人と拓哉を見つけると、勢いよく指を差し、大声で叫んだ。
「げ、またかよ……毎朝毎朝、あいつもしつこいな……」
「モテる男は辛いね。秋人ってば羨ましいなぁ」
まったく羨ましそうしていない拓哉を横目に舌打ちした秋人は、足取りの重いまま教室へと向かっていく。
「秋人! あんたまた部活サボったでしょう!」
「ああ、もう! 朝からキーキーうるせぇな!」
「うるさいとは何よ、うるさいとは!」
登校して早々、秋人と小夜莉は人目もはばからず口喧嘩を始めてしまう。
そんな二人を無視した拓哉は、教室に入ると爽やかにクラスの生徒たちに挨拶をした。
「みんなおはよー」
拓哉の登場にクラスの女子たちが一瞬にして色めき立つ。容姿端麗、頭脳明晰、スポーツ万能と三拍子揃った拓哉の事を、嫌いになる女子はいない。
女子の視線が一点に集中する中、目前を通り過ぎる拓哉に瞳を向けた杏子は、大きな双眸をぱちぱちとさせながら、恥ずかしそうに拓哉に声を掛けた。
「お、おはよう……速水くん」
「あ、おはよー。えっと、篠冷さん、だっけ?」
「う、うん。篠冷……杏子です」
「ごめんね、このクラス人数多くてさ、まだみんなの顔と名前が一致していないんだ」
「き、気にしないで速水君。覚えてくれただけで嬉しいから……」
拓哉との会話が成立した杏子は、顔を真っ赤にさせて目を伏せると、肩の長さまでぴったりと揃えられたショートボブの髪を何度も手で正し、喜びを隠そうと震える唇を噛み締めるが、すぐに秋人と小夜莉の大きな声が響き渡り、思わず我にと返ってしまう。
「だーかーらー! なんで剣道部のお前が、サッカー部の俺が部活をサボったのを怒るんだよ! お前関係ないじゃん、余計なお世話だっつーの!」
「うるさいわね! 注意するのはクラス委員長として当然の責任でしょ!」
教室中に届く大きな声だったが、クラスの生徒たちは、そんな光景も既に見慣れた様子で、誰も気に留める者はいなかった。
「なんだ、二人ともまだやってたんだ。夫婦喧嘩」
「ふ、夫婦喧嘩? 速水君……あの二人って……その、つ、つ、付き合ってるの?」
「ううん、秋人とこよちゃんは小さい頃ずっと同じ道場に通ってたんだ。事あるごとにどうでもいいことで喧嘩ばっかりしてね、毎日飽きずに夫婦喧嘩みたいなものなんだ」
「そ、そうなんだ……」
教室の扉から二人を覗き込んだ拓哉と杏子は、呆れた様子で眺めていた。
「っていうか、昨日あそこにいたってことは、お前も剣道部さぼってんじゃねぇのかよ!」
「そ、それは……き、昨日は用事があって、たまたま部活を休んだのよ! そうよねあんこ!?」
慌てた小夜莉は杏子の方へ向くと、話を合わせようと苦し紛れのウインクを投げかけた。
「用事……といえば用事なのかな。ストーカ――もごっ!」
「あんこちゃぁん……余計な事は、言わなくていいのよぉ……?」
「こよりちゃ……わたし……あんずこ……く、くるしい」
一瞬にして距離を詰め、杏子の口を塞いだ小夜莉だったが、チャイムが鳴ると同時、思い出したように時計を確認する。
「ったく、もうホームルームの時間かよ。今日も朝から怒鳴られて気分が盛らねーぜ……」
秋人がぶつぶつと愚痴を言いながら教室に入ると、小夜莉も何事もなかったかのように、秋人の後に続いた。
「あれ? 喧嘩、終わっちゃった」
「二人にとっては、あれが日常会話みたいなものなんだよ。さーて、今日も一日頑張ろうかな」
「ふぅん……ヘンなの」
席へと戻る拓哉を見送りながら、杏子は不思議そうに首を傾げていた。
昼休み。購買で買ったパンをぶら提げ、秋人と拓哉は中庭に向かっていた。
「はー、今日も授業はツマンネーなぁ。なぁ拓哉、学校終わったらゲーセン行かね?」
「ゲーセンって……秋人、今日も部活サボるの? またこよちゃんに怒られるよ」
「大丈夫だって、今日からフィールドエクシオン2のアイランドVerが稼動するんだぜ!」
「へぇ、もうアップデート来るんだ? 新機体追加の情報もあったし、それは行くしかないね」
「おっし、決まり! 学校終わったらソッコーで行こうぜ!」
昼休み、同時刻。はなよし食堂では小夜莉と杏子も食事の時間を迎えていた。
「小夜莉ちゃん。今日も稲垣君のストーカーするの?」
「だ、か、ら! ストーカーじゃないって言ってるでしょ。何回言ったらわかるのよあんこ。私は秋人の事が放っておけないだけよ。委員長として」
「小夜莉ちゃんこそ、何回言ったらわかるの。わたしはあ、ん、こ、じゃなくてあ、ん、ず、こ、ですぅ!」
「いいじゃん。あんこのほうがかわいくて。あんぱんみたい」
「全然よくないんですけどぉ……」
小夜莉があんぱんを頬張りながら笑うと、杏子はがっかりした様子でパスタを巻いた。
「それよりあんこ、今日はどうする?」
「どうするって、ついてくるかってこと? もちろん行くよ。わたし書記だもん」
「あんたも変わってるわね、私が委員長であんこが書記だからって、別にずっと行動を共にしなくてもいいのよ? あ、もしかして、毎日暇だったり?」
「あ……うん。わたし帰宅部だし……友達とかいないし……」
「そうなの? みんなあんこって呼んでるじゃない。誰かが付けてくれたあだ名じゃないの?」
「ううん……実は性格が暗いから……小学校の時、暗子って呼ばれてたの。だから、あんこ」
悲しそうに言った杏子のパスタを巻く手が止まった。
転勤の多い家庭に育った杏子が、花芳町にやってきたのは九歳の頃だった。
いつかはまた転校してしまう、そんな思いや内気な性格も重なり、杏子はずっと友達が出来ずにいた。
それを心配した両親は杏子の為に定住する事を決めてくれたが、クラスの生徒に声を掛けるのもままならず、杏子は暗い日々を送っていた。
いつしか杏子は暗子と呼ばれ、中学生を迎えた今でも、一部の生徒が杏子をあだ名で呼び、深い意味も知らずに「あんこ」と呼ぶ者も少なくない。」
「ありゃー、そうなんだ。でもあんた暗いかな? 私といる時、結構明るいと思うんだけど」
「それは小夜莉ちゃんが明るいから、わたしも明るくなれるんだと思う。わたし小夜莉ちゃんといると楽しいから……だから……迷惑じゃなければ、一緒にいてもいい?」
杏子は恥ずかしそうに顔を上げると、巻き過ぎたパスタを更に巻きながら小夜莉に訊いた。
「迷惑だなんて思ってないよ、っていうか私たち、もう友達でしょ」
「と、ともだち? わたし、小夜莉ちゃんと友達?」
「うん」
小夜莉は当然だとばかりに返事をしたので、杏子は思わず小夜莉に抱きついた。
「うわぁぁん! ありがとう小夜莉ちゃん! わたし初めて友達が出来て嬉しい!」
「な、何よ、泣くことないじゃない。いちいち気にしなくていいって! あんこ!」
「あ……あんこじゃないですぅ……」
富士山のように形作られたパスタだったが、、杏子のショックと共にフォークが転がり落ち、パスタは瓦礫のように崩れてしまった。
「よーし、それじゃあ今日も二人で共同戦線ね! 今日こそは絶対に捕まえてやるんだから!」
「こ、小夜莉ちゃん……なんだか楽しんでない?」
「あーあ。やっぱり新Ver人気だな。ちょっと行くのが遅かったぜ」
「結構並んでたね、あの調子じゃ、順番が回ってくるのは随分後になりそうかも」
人で溢れるいつものゲームセンターを出た秋人と拓哉は、仕方なく帰宅の途についていた。
「どうする秋人。こっち方向だと來來館近いけど、今日も食べてく?」
「昨日行ったからなぁ。二日続けて千円の出費は痛いぜ……小遣い貰ったばっかだし、フィールドエクシオン用にも、金おいとかなきゃだしな」
「それじゃあ大人しく帰りますか。ゲームなら家でオンゲにする? 無課金でレア率落ちるけど、暇つぶしにはなりそうだよ」
「ティアマトーオンラインか? あれクソ重いから俺ん家のPCじゃフリーズするんだよな」
「そっか。うーん、これなら部活行ってた方がよかったのかもね」
「激しく同意盛りだぜ。はあ、なんか気分の盛ってくる遊びでもないかなあ……」
人混み賑わう花芳駅前。肩を落として歩く二人の後を、怪しい少女たちが追っていた。
「ゲームセンターにいないと思ったら、こんなところにいたのね……って、あんこどこいった?」
「小夜莉ちゃーん。おまたせー」
駅前のコンビ二から出てきた杏子は、笑顔で袋の中のアイスクリームを小夜莉に見せつけた。
「ちょっと、どこいってたのよ。見失っちゃうじゃない!」
「えへへー。はい、小夜莉ちゃんはバニラ味ね、あたしは抹茶にしたの。尾行にはコンビニ飯が必須だって、月曜ドラマ『相方・シーズン3』でやってたんだ」
「なるほど。気が利くわね、あんこ!」
「こより部長刑事、わたしはあんずこ巡査であります!」
敬礼する杏子からアイスを受け取った小夜莉は、透明のプラスチックスプーンを取り出し、バス停の看板に身を隠しながら、妙な構えでバニラをひと掬いにした。
「って……なんでこんな食べにくい物買って来たのよ……」
「だって棒のはすぐ溶けちゃうんだモン。わたし食べるの遅いから」
「私は早いわ」
文句を言いつつもアイスを口に入れた小夜莉は、満面の笑みを浮かべ、嬉しそうに言った。
「あんこ、一口交換しよ。抹茶も食べてみたい」
「えへへ、いいよお」
駅前の大通りを過ぎ、橋を渡って商店街へ入った秋人と拓哉は、何をする訳でもなく、町を歩いていた。
それを追う小夜莉と杏子は、食べ終わったアイスクリームカップを公園のゴミ箱へ捨てると、車の陰からうどん屋の看板へと渡り、昨日と同じ電柱に辿り着いた。
そして再び、聞き覚えのある台詞が聴こえる。
「ぼっちゃん、ゲームは好きか?」
姿勢を屈め、幼稚園児に声を掛けた五十嵐は、母親には目もくれず、子供に協力を求めていた。
「ちょっと、子供に変なこと言わないで下さい!」
「ママー、ぼくげーむやりたい。だめー?」
「駄目です。見てはいけません! さぁ、帰るわよケンちゃん!」
母親に叱られ、今日も勧誘に失敗した五十嵐は、青い空を見上げ、深いため息をついている。
「なんだあのじじい、まだ将棋の相手見つかってないのか?」
「昨今は地域コミュニティも薄れてるからねぇ、近所付き合いとかも無いんじゃないかな」
「ふーん。なんかかわいそうだな。まぁ俺たちにはカンケー無いけど」
昨日と同じ裏通り。長い白壁を平行線に、二人は三丁目の大通りへと向かっていた。
「おお、お前たちは昨日の二人組み! なあ、ゲームして行かんか?」
見覚えのある顔を見つけた五十嵐は、少し嬉しそうに二人に声を掛けた。
「悪いけどパスパス。俺たち家に帰るとこなんだ、将棋してる暇なんてないぜ」
「ではそういうわけなので。おじいさん、将棋の相手、見つかるといいですね」
拓哉の言葉に、五十嵐は不思議そうに首を傾げた。
「将棋? はて、なんの話じゃ……それよりどうじゃ、将棋より面白いゲームがあるんじゃが、やっていかんか?」
「ん? 将棋じゃないのか? 将棋より面白いって……あ、もしかして囲碁とか?」
「そうだ、きっと囲碁だね。昼間にケーブルテレビで囲碁の番組やってたよ。今は将棋より囲碁の方が、お年寄りの間では熱いのかもしれないね」
拓哉は日曜日の昼間に放送している『囲碁時お昼時』を思い出したが、どちらにせよ秋人の興味が湧く事は無かった。
「まあ両方パスだなー。さっさと帰ろうぜ、拓哉」
「まてお前たち! そ、そうじゃ、腹は減っておらんか? そういえば今から來來館の出前を取るところじゃった! あーそうじゃったそうじゃった、どうだ、よかったら食っていかんか?」
「え、來來館?」
慌てて口走った五十嵐の來來館という言葉に、秋人はすかさず反応する。
「なるほど。おじいさん、來來館を餌に囲碁の相手をしてもらおうという魂胆ですね」
拓哉が感心した様子で頷くと、秋人は顎に手を当て、今日のメニューを思い浮かべていた。
「木曜日はプレミアムBセットの唐揚が絶好調盛り盛りキャンペーンなんだよな……うぅむ、これは盛りチャンスだぜ」
「秋人、それ以前に、食べ物に釣られて怪しい大人にほいほい付いて行っていいの?」
「いいんじゃネ? 介護の一環ってことで。俺たちは來來館のプレミアム食えるし、じじいは囲碁の相手が見つかるし、お互いプラスじゃん! どうせ帰ってもする事無いしな……いいぜ、じじい。取引成立だ! 俺がいくらでも相手をしてやる!」
「本当か! そうかそうか、ならば好きな物を頼んでくれ! 全部ワシのおごりじゃ!」
「へへ、やったぜ!」
来來館で話が纏まった秋人と五十嵐は、あっという間に屋敷の中へと消えていってしまった。
「あれれ、小夜莉ちゃん。二人とも家の中に入って行っちゃったよ?」
「怪しい……すっごく怪しいわ」
電柱の陰に隠れた小夜莉と杏子を、不思議そうに子供が眺めていたが、母親は子供の目を覆うと、無言でその場を後にした。
「うん。そうだね。私たちもかなり怪しいけどね……」
秋人と拓哉が屋敷の門をくぐると、目の前には小さな日本庭園が広がっていた。
そこには昭和の赴きある古い日本建築の屋敷が佇み。雨どいは歪み、古井戸には蔦が絡んでいたが、どこか心が安らぐ、落ち着いた雰囲気を醸し出している。
「でっかい家だな……こんなとこ、はじめて来たぜ……」
「秋人、あそこに蔵があるよ。なんだか江戸時代みたいだね」
二人が驚いた様子で辺りを見回していると、五十嵐は屋敷の中で手を招いている。
玄関には高級そうな壷が飾られ、壁には大きな日本画が掛けられていた。二人は恐る恐る家に上がると、早々と縁側を歩く五十嵐の後ろを、遅れないように慌てて付いて行った。
「お前たち、ここがワシの部屋じゃ」
一番奥の部屋には、毛筆でシステムルームと書かれた半紙が張られていた。五十嵐は勿体つけたように頷くと、障子に手を掛け、勢いよく戸を引いた。
「うっわ、なんだこれ! スッゲェェェェェ!」
「これは……! おじいさん、一体何者なんですか!?」
部屋に入った二人の目の前には、和室には似つかわしくない異様な光景が広がっていた。
四つの部屋の襖は全て取り払われ、巨大な空間となった大部屋には十台以上の最新パソコンが並べられていた。壁には七十インチの巨大なモニターが設置され、床に散乱した複数のタブレットには様々な映像が映し出されている。
その異質な空間の中で、特に二人が驚いたのは巨大な白い機械の存在だった。
「これって……病院にある、なんとかスキャンってやつだよな?」
「うん、確かにCTスキャンだ。父さんが人間ドックの時にこんなのに入ってたよ」
二人が眺めていると、五十嵐は軽快にキーボードを叩き、CTスキャンを稼動させた。
「CTで情報を読み取りデータを抽出する。その後、脳からの信号と個体データを同期させ、仮想世界での個を確立させる。仮想現実という言葉を聞いたことは無いか? ワシが行うのはそれの更なる上を行くシステム。大規模多人数同時参加型仮想現実オンライン(VRMMO)じゃ。まぁ大規模というほどの人数はおらんがの……」
「いや……もう何言ってるかわかんねぇよ……」
「確かに難しいね」
「ふむ、そうか。まぁいい、まずは試してみることじゃ。お前たち、名前を教えてくれ」
「名前……えっと、俺は稲垣秋人で、こっちは速水拓哉」
「あきと……たくや……と。よし、次はCTで身体情報をスキャンじゃ」
「ええっ! この中に入るのかよ!?」
「心配するな。特殊な改造はしておるが、病院にあるCTと何も変わらん。ほれ、身体検査だと思ってさっさと入れ」
五十嵐は半ば無理矢理に秋人をCTに押し込むと、ボタンを押してスキャンを開始する。
「おい、じじい! 何か変な実験に付き合わされるんじゃないだろうな!」
「変な実験とはなんじゃ! れっきとしたオンラインゲームじゃわい!」
「へ? オンラインゲーム? 普通はパソコンとかでするゲームだろ、マジで怪し盛りじゃん!」
「ほれ、文句を言わずにスキャンが終わったらこっちへこい。そこのベッドに横になるんじゃ」
五十嵐は慣れた手つきでタブレットを操作すると、秋人の健康状態を確認しながら両手の指先に線を繋いだ。そして一言添え、実行のボタンを押下す。
「さあ行って来い、UFOの世界へ」
その瞬間。僅かに両手の指に電気が走ると、秋人は眠るように意識を失った。
極彩色の光の群れが目の前を通り過ぎ、視線の先にはコネクトの文字が薄く点滅していた。
まるで夢を見ているかのような曖昧な感覚。瞳を動かす事は出来ても、体はまるで言う事をきかない。そこにあるのは光が通り過ぎていく様と、感じた事のない浮遊感だった。
「なんだ、この感覚……」
秋人は明滅する文字を見つめながら、ただ時が経過するのを待つだけだった。一体自分に何が起こっているのか、そう考えを巡らせた瞬間、突然目の前が明るくなった。
「え……なんだ……どこだよ、ここ……」
秋人が降り立ったのは、大自然に囲まれた広大な大地だった。
見上げると青空が広がり、雲が流れていく先には山々が連なっていた。緩やかな風に揺れる木々、漂う草花の香り。小川は湖へと繋がり、湖面に波紋を響かせる。
耳を澄ませて鳥の鳴き声を探り、わざと歩いて土の感触を確かめた。いつの間に外へ出てしまったのだろうか。秋人が辺りを見渡していると、聞き覚えのある声が聴こえた。
「――秋人!」
「あ、拓哉……か。ここはどこなんだ……俺たち家の中にいたよな?」
「うん、僕もさっき指に線を繋がれて、眠くなったかと思ったら、いつのまにかここにいたんだ」
二人は顔を合わせると、互いの姿を確認した。服装は変わらず制服のまま、取れかけたシャツのボタンもそのままで、ポケットには先ほど両替をした小銭も入っていた。
額に手を当てると熱を感じたが、夢かと思い頬をつねると、不思議と痛みは感じない。
「夢……なのか?」
『さてお前たち。あまり説明をしていなかったな。まずはどうじゃ、そっちの世界は』
そうこうしていると、突然空から五十嵐の声が響き渡った。
「空から声? そっちの世界?」
『おっと、これを忘れておった。ほれ、送るぞ』
「へ? 送る?」
秋人は訳も分からず動揺していると、空から二足の靴が降り、頭に直撃した。
「げふっ! な、なんだよいきなり!」
『お前たちの靴じゃ。一緒にスキャンするのを忘れておったわい』
「なんだよ! そっちの世界とかスキャンとか! 全然意味ワカンネーぞ、じじい!」
『じゃから説明すると言うておろうが、落ち着いて聞かんか。まったく最近の若いもんは、カルシウム不足か? 肉ばかりではなく魚も食わんか魚を、お前たち、イワシは好きか?』
「イワシの話はどうでもいいんだよ! さっさと説明しろ、くそじじい!」
『さっきから怒ってばっかりじゃな……まあよいわ。では説明してやろう。まずお前たちのいる世界は、ワシが作った仮想現実の世界。まぁ簡単に言うとゲームの世界に入ったって事じゃ』
「ゲームの中?」
『そうじゃ、CTスキャンはゲーム内で使用するアバターを作成する為の手順じゃ。両指の先に繋いだ線から脳の信号を受け取り、アバターとの情報を共有しておる』
「マジかよ……じゃあ俺たちは今、オンラインゲームの世界にいるのか」
『そういうことじゃ。実際の体はさっきの部屋で眠っておる』
「じじいの言ってたゲームって囲碁じゃなかったのかよ……でもゲームの中に入れるなんてスゲェ! なんか気分が超盛ってきた!」
「こんな技術、NASAでも作れないよ。おじいさんって何者?」
『ほっほっほ。ワシはゲームを作りたいだけのただの年寄りじゃよ』
「スゲー! スゲー! 拓哉、これフィールドエクシオンより全然面白そうじゃん!」
「うん、確かに!」
『気に入ってくれて何よりじゃわい。よし、説明だけでは面白くなかろうに。今から最初の敵を出してやろう。お前たち二人で倒して見せてくれ』
「おおっ、早速バトルか! いいねぇ、やってやるぜ!」
五十嵐がキーを叩くと、どこからともなく軽快な音楽が流れ出し、木陰からゼリー状の物体が二人の前に飛び出した。
『レベル1のモンスター。ゼリーちゃんじゃ』
青く揺れる不気味な物体。二つの瞳はゼリーが揺れるたびに歪な形を残すが、妙に長い睫が愛らしさも感じさせている。
「よし、行くぜ!」
秋人は拳を握り締めると、ゼリーちゃんに向かって突進した。
突き出した拳は見事ゼリーちゃんに命中。だが、ゼリーちゃんは秋人の拳をその弾力で簡単に弾き返し、頭上にダメージ0を表示させた。
「あ……れ?」
秋人は再び腕を構えると、今度は何度も拳を突き出し、連続パンチをお見舞いする。
「オラァ! 食らえゼリー野郎!」
しかし頭上に浮かぶのはダメージ0の文字だけで、時々白抜き文字でミスの表示が出るという、ひどい有様だった。
「嘘だろ? 全然ダメージ与えらんねー!」
『なんじゃ秋人、お前ひょっとして弱いのか?』
「なんだとクソじじい! このゼリーの方がおかしいんじゃないか!?」
「秋人! 僕が行く!」
一度ゼリーちゃんから離れた秋人に変わり、今度は拓哉が戦いを挑んだ。
「フンッ!」
軽快なステップで一瞬にして距離を詰めた拓哉は、短い呼吸でショートブローをゼリーちゃんの額(らしき部分)に当て、続ける右フックでわき腹(らしき場所)を狙い撃った。
鮮やかな二段攻撃。拓哉は小さい頃ボクシングジムに通っていたので、格闘に関しては僅かながらの心得がある。
ゼリーちゃんの頭上に浮かんだダメージは1。あれ程までの連続攻撃でも、雀の涙のような攻撃力だった。
「なるほどこいつ……確かに出来るッ!」
軽快なステップで元の位置に戻った拓哉は、秋人を見ると小さく首を横に振った。
「拓哉の攻撃でも無理なのか……クソッ!」
『あ、そうじゃ忘れておった。ゼリー系は打撃に強いんじゃった、素手で戦う相手ではないぞ』
五十嵐は思い出したように言うと、キーボードから手を離し、手近にあったコントローラーを掴み、スタートボタンを押した。
すると、二人とゼリーちゃんの間には一時停止の文字が浮かび、ゼリーちゃんはぴたりと動きを止めてしまった。
『ちょいと待ってくれ、何か武器になりそうな物を探してくるわい』
五十嵐は二人をそのまま放置すると、のれんを潜り台所へと向かっていく。
「はあ? なんだよ、ゲーム自体ストップさせるなんて反則だろコレ……」
「見てよ秋人、このゼリー動きは止まってるけど頭は伸びるよ、はは。おもしろいなあ」
拓哉は時間が止まったのをいい事に、ゼリーに近付いて頭の頂点を伸ばして遊んでいた。
『すまんすまん、待たせたなお前たち。武器を送ってやるから受け取ってくれ』
台所から戻った五十嵐は、デザート用の小さなフォークとナイフをCTの中に置くと、コントローラーを握り締め、一時停止を解除した。
「送った……って、どこから出てくるんだ?」
『秋人、お前の頭上に落ちてくる筈じゃ。とりあえず避けてくれ』
「は?」
秋人が見上げると、空で光が輝いた。そして次の瞬間、落ちてきたフォークは秋人の鼻先をかすめ、綺麗に地面へと突き刺さる。
「――っぶねー!! なんで俺めがけて落ちてくるんだよクソじじい!」
『すまんのー。指定座標の計算は面倒でな、プレイヤーの座標に合わせるのが楽なんじゃ』
「楽とかって問題じゃネーだろ! 刺さったらどうすんだよ。死ぬぞ俺! 俺死ぬぞ!」
『大丈夫じゃ。ライフが0になれば、自動的にこっちに戻ってくる。そうしたらまたすぐに送ってやるわい。ガハハハ!』
「なんだよそれ、ぜんっぜん緊張感ないんだけど……って、しかもこれ、ただのフォークじゃん」
秋人は渋々フォークを地面から引き抜くと、納得いかない様子でフォークを構えてみせた。
「うーん、まあいいか……」
ゼリーちゃんは体を上下に揺らすと、二人を睨みつけ、攻撃の態勢を整えている。
「秋人! 気をつけて!」
拓哉もナイフを地面から引き抜くと、距離を保ちながら秋人へ注意を促した。
「いくぜ!」
秋人が走り出すと、ゼリーちゃんは二人に向けてゼリーの塊を吐き出した。拓哉は素早くそれをかわしたが、秋人は僅かに反応が遅れ右手にゼリーを受けてしまう。
秋人の頭上には緑色のダメージ表示が浮かんだが、不思議と痛みは無かった。しかし秋人の呼吸は僅かに乱れ、疲労感に襲われる。
『ゼリーちゃんお得意のスタミナ消費攻撃じゃ、受けすぎると動けなくなってしまうぞ』
「ちっ、負けるかよ!」
秋人は乱暴にゼリーを引き剥がすと、フォークを握り直してゼリーちゃんを一突きにした。
浮かんだダメージ表示は5。ゼリーちゃんは苦しむように体を左右に捻り、秋人は手応えを感じた。だが、フォークはゼリーちゃんの体の中に飲み込まれてしまう。
「秋人! 体の真ん中にある丸い部分がコアだと思う、僕が切り裂くからそこを狙って!」
拓哉はゼリーちゃんの後方に回りこみ、素早くナイフで切りつけた。四方にはゼリーが飛び散り、ゼリーちゃんの体は大きく震える。
「押し込め、秋人!」
「うぉぉぉぉぉぉ! 気合盛っていくぜぇぇぇぇぇぇ!」
秋人はゼリーちゃんに向けて走り出すと、大地を蹴って空へ飛び、体に刺さったフォークめがけてシュートを放った。
「必殺! イナズマァァァシュートォォォォー!!」
秋人の叫び声と共に、激しい閃光が轟いた。一撃がフォークをコアへと押し込むと、ゼリーちゃんの頭上に、赤文字でクリティカルの表示が浮かび上がった。
コアを破壊されたゼリーちゃんは、形を維持する事が出来なくなると、ゼリーをぽろぽろと崩して弾け飛び、七色の虹になって消えていく。
「やったー! 倒したぞ!」
軽快な音楽はファンファーレへと変わり、画面にはコングラッチュレーションの文字が躍った。
リザルト画面には討伐評価が示され、経験値とコインの獲得と共に、秋人と拓哉のレベルが2に上がった事を伝えていた。
『うむ! よくやったぞ二人とも』
五十嵐が手を叩いて喜ぶと、拍手の音がゲームの世界にまで届いていた。
「最初の雑魚敵を倒すだけでもこれかよ、かなり疲れるな……」
「ははっ、確かに。でもナイスファイトだったよ、秋人」
「へへっ、お前もな!」
拓哉が親指を立てると、秋人も拳を握って突き出した。
「でも最後の攻撃はすごかったね。いつのまに必殺技なんて覚えたの?」
「なんとなくイナズマシュートって叫んでみたんだ。ほら、俺部活の時たまに言うじゃん」
「あれか! キーパーに止められてばっかりで、今までシュート入ったの見たこと無いけど」
「う、うるせ」
秋人は恥ずかしそうに制服の埃を払うと、五十嵐も声を揃えて笑い声を上げた。
『はっはっは。最後の雷はワシのサービスじゃ。お前の攻撃に合わせてエフェクト表示をさせたんじゃが、中々いい演出じゃったろ? そうじゃ、つでいにイナズマシュートをお前のスキルにしてやろう。レベルが上がって覚えたという設定じゃ。うむ、それがいい』
「なんだよ設定って……勝手に作っていいのか?」
『何を言うか、これはワシの作ったゲームじゃぞ。といっても……作成段階なんじゃが』
「作成段階? このゲーム、完成してねぇの?」
五十嵐は返事をする変わりにキーを叩くと、二人の目の前にいくつもの映像を展開させた。
『世界設定、マップ、物語、モンスター、NPCなど基本的な物は完成しておるんじゃが、武器、魔法、スキル、その他の細かい部分がまだ未完成なんじゃ。完成を進めたいのは山々なんじゃが、キチンと物語が進むかどうかも心配でな……それでお前たちに、冒険が進められるか試してもらったんじゃ』
拓哉が見た画面には作成途中のリストが並んでいた。要修正とチェックされた項目も多く、それはお世辞にも、完成しているとは言えないような内容だ。
「それって、いわゆるデバッグってことですか?」
『その通りじゃ。机上の計算じゃ中々上手くいかんものでな。そこで実際に世界を体感し、動作チェックをしてくれる者を探しておったんじゃ。ワシ自身がそちらに入る事も考えたんじゃが、中と外の両方を行き来するのは大変でな……以前は孫に頼んでやってもらってたんじゃが、その孫もゲームに飽きてしもうての……』
「それで、俺たちに声を掛けたのか」
『そういえば自己紹介がまだじゃったな。ワシは五十嵐義雄。これでも昔は、有名なゲーム開発者でな。ドラゴンハンターファンタジアというゲームを知っておるか?』
その名を聞いた秋人は目を爛々と輝かせた。DHFは十作のシリーズを出す大ヒット作品で、ゲームをする者なら知らぬ者はいないという超有名なタイトルだったからだ。
「マジか! 俺、去年ドラファンⅨ買ったぜ! あれはかなり面白かったなぁ……名作だぜ」
『おお、そうかそうか。ワシは開発者としてはⅣまでしか関わっておらんが、まだ続いておったのか。今の子供たちにも愛されているとは、なんだか嬉しいのぉ』
「Ⅳというと、まだレトロゲームが全盛だった頃ですか。おじいさん、実はすごい人だったんですね……でもどうして、こんな家の中でゲーム開発を? それだけすごい人なら、もっとスタッフを集めて、本格的にゲーム作成が出来るんじゃ?」
『確かにな……じゃがこのゲームはワシの夢なんじゃ。商売として考えると、どうしても他の者の意見も取り入れねばならん。これは、ワシの思った通りに、思ったままに作りたいんじゃ。そして必ず、人々の為に完成させねばならん……』
「人々の為?」
五十嵐の声が少し曇っていることに気付いた秋人だったが、五十嵐は直ぐに気を取り直すと、ゲームの感想を訊いた。
『で、どうじゃった、ゲームの方は?』
「最初は変な感じだったけど、実際に戦ってる感じはスゲーと思う。体感型RPGなんて面白いぜ!。あ、でも来來館の出前は忘れんなよ! 一応それと取引なんだからな」
『わかったわかった! 後でちゃんと頼んでやるわい』
「へへっ。よし、それで次は何をすればいいんだ?」
『では街に向かってくれ、ドラゴンを倒すために、王との謁見を済ませるのじゃ』
「おお、冒険の始まりって感じじゃん! よっし、盛ってきたぜぇぇぇ!」
秋人たちがゲーム世界にいる間も、小夜莉と杏子は相変わらず電柱の陰に潜んでいた。
「怪しい、怪しいわ。絶対に怪しい!」
「確かに怪しいよぉ、小夜莉ちゃんってば、絶好調ストーカー継続中ですよ」
「絶好調じゃないわよ! どうなってるか、まったくわかんないんだから……」
「ストーカーの部分は、もう否定もしないんだね……」
杏子は半ば諦めた様子で小夜莉を見つめると、ため息をついて塀を見上げた。
「あんこ、あんたはどう思う? 怪しいと思わない?」
「うーん、あんずこ的にも怪しいとは思うけど。知り合いの家とかじゃないの? 小夜莉ちゃんの秘密日記には、何も書いていない?」
「秋人とは長い付き合いだけど、三丁目のお屋敷なんて聞いた事もないわ。でも、このままじゃ埒が明かないわよね……よし、それなら」
「それなら?」
小夜莉は日記をしまうと、目を輝かせながら杏子の方に向き直った。
「突撃するわよ! あんこ!」
「ええっ!? や、やだよ! 行きたくないよ! あんずこだよぉぉー!」
「ぐずぐず言わない! 道を切り開くには自分自身の力が大切だって、お父さんも言ってたわ! ここでやらなきゃ誰がやる!」
「使い所まちがってるよぉ! ストーカーの次は住居侵入だなんて、あたしお嫁に行けないぃぃ」
「結婚は十六歳になるまで出来ないから大丈夫! さあ、ぐずぐずしない!」
「いやぁぁぁぁぁっ!」
どこか楽しそうな小夜莉を見た杏子は、一緒に付いてきたことを今更ながらに後悔した。
「勇者よ、よくぞきてくれた。アルベンス大陸を救うのはお主しかおらぬ」
そんなありきたりな台詞から始まった王様との会話。街に入った秋人と拓哉は、五十嵐の言葉通り王城へ向かうと、さっそく王との謁見を始めていた。
最初は王様という存在に緊張した二人であったが、長々と進む会話を朝礼時の校長先生と重ねると、すぐに王様との話に飽きてしまった。
「うー、王様話なげー……なあじじい、もう外出てもいい? 早く街を見てみたいんだけど」
『ダメじゃ! ちゃんと話を聞いてから外にでるんじゃ』
「はーあ、面白そうかと思ったけど、実際に話を聞くのって結構メンドーだな……」
「まあまあ、終わったら来來館が待っているんだし、ちゃんとゲームを進めてあげようよ」
隣で真面目な事を言う拓哉だったが、相手がNPCなのをいい事に、絨毯の上で座り込むと、手櫛で髪を直しながら暇そうに王様を見上げていた。
「お前……ゲームとはいえ、それはそれでひどいぜ……」
ようやく王様との会話を終えた二人は、さっそく街へと繰り出した。
中世ヨーロッパを思わせる街並みは美しく、まるで外国へ来たような気分を味わっていた。
城から街へ続く橋を渡ると、先ほどは挨拶程度だった城の兵士も「勇者さま、どうかお気をつけて」と言葉を変え、物語が進行している様を感じさせる。
城下町はさほど広く無かったが、民家も多く、武器屋、道具屋、宿屋など、ロールプレイングゲームらしい建物も各所に点在し、まずは街を探索しろという五十嵐の言葉に従い、二人は一番近い民家へと足を踏み入れた。
「今日もいい天気だね! 絶好の洗濯日和になりそうだわ」
無断で家に入られたのにも関わらず、主婦らしきNPCは秋人と拓哉に笑顔を向けた。
「え? ああ、そうか。会話すればいいんだな。えっと、いい天気ですね」
主婦は笑顔を絶やさず返答を待ち続け、秋人が話しかけると表情を変えて再び声を発した。
「でも、こうも天気が続くと、アクラナ湖が干上がらないか心配だわ」
すると、会話条件を満たしたのか、ニュークリップという文字がNPCの頭上に浮かんだ。
「お、アクラナ湖の情報を得たって事か? ふーん、こうやって情報を集めるのか」
『うむ、いい調子じゃ。湖の情報をゲットしたようじゃな。しかしアクラナ湖はレベル五十以上推奨のクエストじゃ。今は無視して構わん』
「はあ? こんなとこにレベル五十クエストなんて配置するなよ……間違えて進めたら即アウトじゃん。なんかバランス悪くね?」
『すまんすまん、隠しイベントのNPCなんじゃが、まだ位置が決まっておらんでな。とりあえずそこにおいたんじゃ』
「とりあえずって……まあいいや、次行ってみようぜ拓哉」
秋人が民家から出ようとすると、五十嵐は驚いた様子で、すかさず二人を止めた。
『おいおい、待たんかお前たち。何をしておる、さっさと壷を割らんか』
「へ?」
『民家でする事と言ったら、会話と捜索じゃろうて。壷の中には三コインが入っておるぞ』
五十嵐の思わぬ勧めに驚いた二人だったが、ゲームではよくあることだと頷いてしまう。
「そ、そうか。確かにゲームじゃタンスあさったりするけど、実際にやるとなると、結構ワイルドだな。まあいいって言うなら遠慮なく……」
秋人と拓哉は大きな壷を持ち上げ、豪快に壁に投げつけた。壷が割れるとコイン獲得の文字が浮かび、三メダルを入手したというテキストが流れていく。
「うはっ、これ爽快だな。壷割ったのはじめてかも」
「確かに。現実でやると怒られるもんね。あはは」
主婦は家の壷が割られたにも関わらず「また来なよ」と笑ったので、二人は僅かに罪悪感を感じてしまったが、数秒経つと壷のオブジェクトは復活し、何事も無かったかのように同じ場所に収まったので、妙な安心感に包まれた。。
続いて向かったのは武器屋だった。先程はなんとか戦闘に勝利したが、武器が無ければ話にならない。所持するコインは少ないが、何かあればと二人は密かに期待を抱いていた。
「らっしゃい! アルベンス大陸で一・二を争う鍛冶職人ったぁオレ様のことよ! 存分に見ていってくれ!」
豪快に笑った武器屋の主人の後ろには、様々な武器や防具が飾られていた。
白金の輝きを見せるロング・ソード、獅子の彫刻が施された鉄の盾、全身を覆う騎士の甲冑。中には一人では持ち上げる事も困難な、二メートルを越えるランスも展示されている。
「おおっ! スッゲー!」
「おう勇者さまよ、何が欲しいんだ?」
自信満々の武器屋の主人は、二人に購入リストのウインドウを開いてくれた。
しかしそこに表示されていたのは、どこにでも落ちていそうな木の枝だけで、主人の言葉とは裏腹なお粗末な内容となっている。
「うぉい! クソじじい! 武器が全然無いぞ、これじゃあ装備買えないじゃんか!」
『だから武器はまだ作っておらんと言ったろうが……そのうち作成するから待ってくれ』
「待つったって、また素手でゼリーちゃんと戦えって言うのか?」
『まあ、そうじゃな』
「んだよそれ……全然おもしろくねーんだけど。せっかく入手したコインも意味ないじゃん。まさか木の枝を買えって言わねーよな」
『コインの使い道なら他にもあるぞ。街の中心にある噴水にコインを投げ込むんじゃ』
「噴水? なんだよ、水ん中に投げてお祈りでもしろってか?」
『まあ、黙ってやってみろ』
街の中心部に向かった二人は、五十嵐の言う通りコインを噴水の中に投げ込んだ。
すると噴水は勢いを増し、水の流れと共に青い色の輝きを放出させていく。青光が二人の体を包むと、みるみるうちにオーラのエフェクトへと変化し特殊効果を発動させる。
『アルベンス女神の祝福じゃ、一時間の間、十パーセントの祝福効果が得られる』
まるで新たな力を授かった物語の主人公のように、二人は青く輝くオーラを身に纏っていた。
「スゲェ! なんだか力が溢れてくる気がする! そういえばステータスってどう見るんだ?」
『宙を指でなぞってみろ。五本の指先で画面を開くようにフリックさせるんじゃ』
「おお、これか……」
秋人が言われた通りに宙をなぞると、ステータスウインドウが開かれ、いくつものアイコンが所狭しと並べられた。単純なコマンドを想像していたが、五十以上のアイコンが連なり、とてもすぐには覚えれないような数のシステムが表示されている。
秋人は何を触っていいか分からず呆然としていたが、拓哉は興味深く各種アイコンに触れ、詳しい内容を自分なり確認していた。
「かなり複雑なシステムを構成しているんですね。メディカルレコード……EBMカテゴリ……ICDへのリンク? これらは医学用語か何かですか……?」
『ふむ、賢い子じゃな。確かに医学に関連する項目じゃが、今は不要なシステムじゃ。すまんがそれらの項目は伏せて置こう。今はゲームを楽しんでくれ』
五十嵐は申し訳なさそうにタブレッを叩くと、五十以上もあったアイコンを十個にまで減少させた。
『これでよし。お前たち、一番上のアイコンを押してみるんじゃ。ステータスが表示されるぞ』
「オッケー。お、これが俺のステータスか……LIFE7、SP6、ATK3、DEF4……ってなんだこりゃ、俺ヨエー! 拓哉はどうだ?」
「僕もそう変わらないね。あ、INTは15だ。後ろの(+1)が祝福の効果なのかな?」
『うむ。秋人はステータス全て一桁のようじゃから、祝福の効果は無しみたいじゃな』
「なんだって!? それじゃあ強くなった気がしたのは?」
『単なる気のせいじゃ』
「マジか、テンション盛ってたのにただの勘違いかよ……」
「秋人、INT値低いねぇ。一しか無いよ」
『初期ステータスは実際の身体能力によって判定されておるからの。陸上選手じゃとSPDが高くなり、格闘家なら必然的にATKが高くなる。INTは頭脳、知識の判定からくるんじゃが、お主は小学生レベル程度の知力ってことのようじゃの』
「なんだとクソじじい! 誰が小学生レベルだって!? もっぺん言ってみやがれ!」
『人にはそれぞれ長所と短所がある。レベルが上がれば上昇を見せる能力もあるじゃろうて』
「でもどうすんだよ、装備も無しにまたモンスター倒しに行くわけ? こんなんじゃレベル上がってもラスボスなんて倒せないぜ?」
秋人は不服そうに文句を言うと、五十嵐は必要無いとばかりに言葉を投げ捨てた。
『別に倒さんでもいい。まずは世界が構成されているかを知りたいからな』
「まあ、デバック目的ならそうですよね」
五十嵐がゲームクリアの必要が無いことを伝えると、秋人の気分は一瞬にして落ち込んでしまった。見たこともない世界、初めての体験。これがゲームというのなら、最後まで攻略してみたいと思っていた。
「……なんだよ、クリアするのが目的じゃないなら、こんなゲームやっても面白くないじゃん」
「でも来來館目当てなら、別にいいんじゃない?」
「そりゃそうだけどさ、せっかく面白そうなモン見つけたと思ったのになんか勿体ねぇよ。クリアしなくていいなんて、意味なくね?」
「まぁ確かにねぇ、でも貴重な経験が出来てよかったと思うよ」
「そうだな……そんじゃあ飯食って帰るか。明日は早めにゲーセン行って、席確保しようぜ」
二人は早々に見切りを付けると、ウインドウを開いてログアウトボタンを探し始めた。
『お、おいおい待っとくれ! まだ何もやっておらんじゃろうが!』
「何もっつてもなー、武器なし、魔法無し、スキル無しのゲームなんて面白くないしさ。ベータテスト以前の問題だよ。デバックなら、やっぱりちゃんとした人雇った方がよくね?」
『わ、わかった! それならとっておきの武器を出してやるから、もう少し遊んでいってくれ!』
「とっておきの武器?」
『テスト用として作成した特別な武器じゃ! 本来ならクリア特典として得られるんじゃが、それを出そう!』
「あのなぁ、いきなりそんな武器出したって無双状態じゃん。ゲームってのはコツコツレベル上げて、苦労して進むから面白いんだぜ? じじい本当にDHFの開発者かぁ? 基本忘れてんじゃね?」
『バカモーン! 基本など忘れておらん! ワシは必ずこれを世界一のゲームにする自信がある! じゃがそれにはお前たちの協力が必要なんじゃ。頼むからもう少しゲームをやっていってくれ! 体験者を見つけるのにもう三ヶ月近く掛かっておる……もうワシには、ワシには未来がないんじゃぁぁ、頼む、この通りじゃぁぁぁ!』
突然空に巨大な画面が表示されると、両手を合わせ懇願する五十嵐が映し出された。
「おじいさん呻ってるんだけど……どうする秋人」
「シラネー、とにかく面白くないし終わりにしようぜ。まあ、最後に武器ぐらいは見てくか。じじい、今のうちに出前頼んでおいてくれよ。オレはプレミアムのB、盛り盛りの超盛りで!」
「そうだね。じゃあ僕もプレミアムのB、あ、普通盛りでいいです」
『くぅぅぅ、なんと殺生な子供たちじゃ。じゃが仕方ない……取れるデータだけは取らせてもらうとしよう……とりあえずフィールドに出ておいてくれ……』
二人が街の外へ向かっていると、空からは黒電話のダイヤルを回す音が聴こえた。
『あーもしもし、三丁目の五十嵐じゃが、プレミアムのセットを三つ頼む。ああ、超盛りと普通盛りで、そうじゃな……ワシはギガ盛りにしようかのぉ』
「なんだよ、じじいも食うのか。しかもギガ盛りって始めて聞いたぜ」
「変なおじいさんだね。でもいいの秋人、未完成みたいだけど、このゲームかなりすごいよ?」
「確かになー、でもどうせやるなら未完成の神ゲーより、完成してるクソゲーだろ。クリア出来ないゲームなんて、どうにも魅力は感じないぜ」
二人が街の外へと到着すると、注文を終えた五十嵐が、上空の画面に姿を現した。
『よし、それじゃあ出してやる。最強の剣。ワールドブレイクソード(仮)じゃ』
「仮ってなんだよ……本当作りかけ感マックスだな」
『それではゆくぞ! 出でよアイテム召還!』
五十嵐が勢いよくエンターキーを押すと、辺りは暗闇に包まれ、二人の足元に青い魔方陣が浮かび上がった。
煌びやかな効果音が流れ、光の渦が交差する立体的な演出は美しく、秋人と拓哉は驚きの余り目を見開いてしまう。
しかし、アイテム召還の演出が終わっても、武器はいつまで経っても出現しなかった。二人が確認出来たのは、地面が不自然に盛り上がるという、謎の光景だけとなっている。
「……じじい、武器、出てこないんだけど」
『う……うむ。座標を間違えたみたいじゃ。最強の剣は地中三メートルの所に埋もれてしもうた……あの……すまんが……掘ってくれんかの……?』
「こんんんのクソじじい! 最後までなめてんのか! 最強の剣がなんで芋掘りみたいな状態なんだよ! やっぱりこれはクソゲーだ! クソじじいの作ったクソゲーだ!」
『なんじゃと!? これは世界に名を馳せる立派なゲームになると言うておろうが! VRMMOは世界に輝く大発明なんじゃぞ! フン! そんなこと言うならもうそこから出してやらん! 出前も三人分全部ワシが喰ってやる! 喰らい尽くしてやる!』
「はあ!? 取引しただろうがクソじじい! さっさとプレミアムを出しやがれってんだ!」
「なんだかなあ……二人とも子供みたいだ」
拓哉が呆れ、二人が子供のような喧嘩をしていると、突然インターホンの音が鳴り響いた。
『すみませーん、五十嵐さーん。新聞の集金でーす』
『なんじゃこんな忙しい時に……お前たち、少し待っとってくれ』
突然の訪問に、五十嵐は財布を握り締めて部屋を飛び出すと、五十嵐と入れ替わりに、縁側で寝ていた猫が部屋へと侵入した。
『ニャー』
「なんだ? 猫でもいるのか?」
一度鳴いた猫は机に飛び上がると、わがもの顔でキーボードの上を歩き始めた。
カタカタとキーボードが鳴り、落ちたマグカップが転がる音が聴こえる。秋人と拓哉は騒がしい部屋の様子を窺いながら、画面に写る猫を不安そうに眺めていた。
「おいおい、なんか猫暴れてんじゃね?」
「暴れてるねぇ。おーい猫ちゃーん、変なスイッチとか押さないでねー」
拓哉は半分冗談に叫んだが、猫は拓哉の言葉とは裏腹に、キーボードの上で背伸びをすると、後ろ足で力強くエンターキーを押してしまう。
「もしかして、猫踏んじゃった?」
「フラグ回収しちゃってるじゃん……」
すると突然、二人の正面にモンスター召還の陣が浮かび始めた。
赤い風が渦を巻き、黒い光が放射状に広がった。ゼリーちゃんの時とは違う緊迫感を誘うモンスター出現の音楽は、誰が聞いても理解出来る、ボスモンスターのそれだった。
大仰な白煙が舞い、派手なエフェクトが輝いた。そこに現れたのは、討伐推奨レベル二十、B級クエストモンスターである、ゼリーの王様ゼリーキングちゃんの姿だった。
「おいおい、なんかやばそうなの出てきたぞ……」
「確かにやばそうだね……頼りにしてるよ、イナズマシュート」
「勘弁してくれよ、あんなの倒せる訳ないだろ……うわ! なんか睨まれた!」
「そうだね、これはいわゆる、死に戻り確定だね」
部屋のスピーカーから聞こえる咆哮と悲鳴。
猫はそんな事など気にした様子もなく、モニターを眺めて小さく鳴いていた。
「こんにちは五十嵐さん、新聞の集金です」
玄関へ出た五十嵐が支払いを済ませていると、小夜莉はチャンスとばかりに塀を登り、瓦の上から杏子に手を差し出した。
「今しかないわ! 行くわよ、あんこ!」
「ほ、本当に行くのぉ!?」
杏子がおそるおそる手を伸ばすと、小夜莉はあっというまに杏子を塀の上に持ち上げる。それと同時に、屋敷の中から助けを求める声がした。
「――ぁぁぁぁっ! たぁぁぁすけてくれぇぇぇ!」
「秋人の声!? やっぱり怪しい事に巻き込まれたのね! 場所は――あそこだわ!」
気配を感じた小夜莉が土足で部屋の中に入ると、そこで異様な光景を目の当たりにした。
「秋人! って、なによこれ……」
勢いよく飛び込んだ小夜莉は、ベッドで眠る秋人と拓哉を発見したが、モニターの中で逃げ惑う二人の姿を見て困惑してしまった。
「一体どうなってるの……?」
「うぅ、小夜莉ちゃん。ここってば、すごく怪しいよぉ……」
「それより秋人たちを助けるのが先決だわ……秋人、私の声が聞こえる!?」
『え! なんで小夜莉の声が聴こえるんだ?』
眠っている秋人に声を掛けた小夜莉だったが、反応があったのはモニターの方からだった。
思わず画面を見入る二人だが、背後にはいつのまにか戻った五十嵐が立っている。
「なんじゃお前たち、どこから入ったんじゃ?」
「きゃー! 出たよ! 家の人が出たよ! しろひげもじゃみすおじいさんがでたよ! ごめんなさいごめんなさい。悪いのは全部小夜莉ちゃんなんですぅぅ!」
「こりゃミケ、部屋に入っちゃいかんじゃろう。ほら、どいたどいた」
五十嵐はミケを追い払うと、杏子を気にした様子も見せずにモニターを確認した。
「なんじゃ、ゼリーキングちゃんと戦っておったのか?」
『猫が勝手に暴れて、いきなり出現したんだよ! じじい、さっさと助けてくれ! さっきからゼリーの攻撃で、べたべたして気持ち悪りぃぃ!』
「せっかくじゃ、対ボス戦のデータも欲しい。お前たちなんとか頑張ってくれ」
『ふざけんじゃねーぞくそじじい! それならせめて、なにか武器を出しやがれ!』
「武器といってもなぁ……武器……ぶき……お、そうじゃ」
『早くしてくれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ』
モニターから目を離した五十嵐は、小夜莉と杏子の方を向くと、少し悪戯に笑みを浮かべた。
「お前たち、ゲームは好きか? よかったら友達として助けに行ってはくれんかの」
「秋人がピンチなんですか!? わ、分かりました、行きます! すぐ行きます!」
小夜莉は秋人が苦戦している事を聞くと、疑うことなくゲームの中へ行く事を決める。
「ええっ! 小夜莉ちゃんダメだよ! 変なもじゃもじゃについて行っちゃ!」
「何言ってるのあんこ! 秋人のピンチなのよ!? 委員長としてほおってはおけないわ!」
「うぅ、ラブこよちゃんの勢いには、あんずこ勝てないですぅ……」
「行くわよ、あんこ!」
「はうぅぅぅぅぅっ」
「じじい! なんでもいいから早く武器を送ってくれ――」
秋人が叫んだその時、空に二つ、輝く光が見えた。
「――っきゃぁぁぁぁぁぁぁ!」
「武器か!? って、なんかデカイぞ……」
秋人が落下する物体を目視した瞬間、頭上からUFOにログインした小夜莉が降ってきた。
「ぶほっ! うおおおおおお、前がミエネー!!」
「きゃあああ! どこに顔突っ込んでのよバカ! エッチ! ヘンタイ!」
秋人は小夜莉のスカートの中に頭を入れたまま、覚束ない足取りでふらふらとしていた。
続いて落ちてきた杏子は、拓哉の座標に合わされていたが、拓哉は大きく腕を開くと、落ちてきた杏子をお姫様だっこで受け取り、優しい声で無事を確かめる。
「っと……大丈夫? あんこちゃん」
「は、はい……あ……あんずこですけど……もう、あんこでもいいです」
杏子が拓哉の腕の中で恥ずかしそうに体を委ねていると、スカートの中から顔を出した秋人が苦しそうに呼吸をした。
「ぷはっ! はぁはぁ……あー苦しかった」
「バカバカ! ヘンタイ! うわぁぁぁぁぁぁん!」
「お、おい泣くなよ……お前がいきなり落ちてきたんだろ!」
「びええええん! あきとのばかぁっ! ばかぁっ!」
泣き出してしまった小夜莉を前に、駆け寄った拓哉と杏子は、やれやれとばかりに秋人に目をやった。
「秋人、女の子を泣かしちゃだめだよ。ほら、優しくしてあげて」
「泣いてる女の子に優しくしない男の子なんてさいてーだよあきとくん」
「わ、わかったよ……なあこより、俺が悪かったよ、スカートの中見ちゃってさ……なんていうかその……あれだ、水玉のパンツ、結構かわいかったぜ?」
「うっさいわこのボケナスぅぅぅ!!」
「ぐはっ!」
わんわんと泣いていた小夜莉だったが、秋人の言葉に怒りを向けると、秋人のみぞおちへ強烈な一撃を放った。クリティカルのダメージ表示が浮かび、秋人の体力ゲージは一瞬にして赤に染まる。
「あちゃー、それはだめなやつだ」
「うん、それはだめだと思う」
赤い警告表示が小夜莉の頭上で点滅し『プレイヤーは直ちにPK行為を止めて下さい!』とシステムメッセージが表示された。しかし秋人と小夜莉は、お構い無しに、いつものように喧嘩を始めてしまった。
「蹴ることはねぇーだろ! だいたいお前が、俺の真上に落ちてくるのが悪いんじゃねぇか!」
「私に言われたってわかんな――きゃっ! 何あれ!?」
小夜莉は反論しようとしたが、秋人の背後から巨大な何かが迫って来るのを見つけた。
「いけね……ボス戦の真っ最中ってこと忘れてたぜ」
「ぼ、ボス戦?」
「ここはじじいの作ったゲームの世界なんだ、なんとかあれを倒してプレミアムを手に入れなきゃならねーんだけど、相当強そうでどうにもならないんだ」
『おーい、お前たち。今から武器を送るぞー、それでなんとか倒してみてくれ』
五十嵐は蔵の中から様々な道具を持ち出すと、CTに山積みにしてスキャンを開始した。
ばらばらと降ってくる道具の数々に、瀕死の秋人はそれを避けるのに必死になっていた。
「うわー、すごい数だね。これだけあればなんとかいけるかも」
拓哉は手近なクワを拾うと、麦藁帽子を被り、ハンドタオルを首に巻いてポーズを決める。
「装備! 農家スタイル! なんちゃって」
何となく装備した道具類だったが、拓哉のステータスは装備の分だけ数値が上昇していた。
「あ、ちょっと強くなった。危ないから、あんこちゃんもとりあえず何かつけようか」
「うん、やってみる」
続いて杏子が装備したのは、バケツ、熊手、そして拓哉と同じく麦藁帽子だった。
「えっと、し……潮干狩りスタイルっ!」
手に持ったバケツは、なぜか装備判定は兜に分類され、杏子の防御力は格段に上昇を見せた。
「いい感じ! あんこちゃん!」
共にステータスが上昇した二人であったが、ゼリーキングちゃんは、容赦なくゼリーの塊を杏子目掛けて吐き飛ばした。
「ぶへっ!」
見事顔面に命中した杏子は、装備の性能を生かす事無く、そのまま地面に倒れてしまう。
「あ、あんこちゃん!?」
「はうぅぅ……」
「やっぱりあんな装備じゃだめか。秋人ー、こよちゃーん。あとは任せたー」
「お、おい拓哉、うわっ!」
続けてゼリーの塊が秋人に向けて飛んできたが、小夜莉は秋人の襟を掴んで引くと、なんとか攻撃をかわさせる。
小夜莉はすぐに道具に視線を滑らせると、落ちていた木刀に目をつけた。
「とにかく、倒せばいいのよね……」
「小夜莉! 無理するなって!」
小夜莉は落ちていた木刀を拾うと、ゼリーキングちゃんに向け攻撃の構えを見せた。
「御月流剣術。とくと味わいなさい」
小夜莉のATK値は、初期ステータスの高さもさることながら、武器を装備したことにより、急激な上昇を見せていた。
『ほう、これだけの数値があれば、例え打撃とはいえ、ゼリー系のボスにダメージを与える事も出来るかもしれんな』
「タァァァァァッ!」
小夜莉はゼリー攻撃を素早くかわすと、一気に懐へ入り、力いっぱいに斬りつけた。
ゼリーの弾力で木刀は弾かれると思われたが、小夜莉の一撃は見事に決まり、水しぶきのようにゼリーを散らせながら、三十もの大ダメージを与えた。
「うぉ、あいつ強ええな! まるで剣士そのものだぜ!」
再びゼリーキングちゃんを斬りつけた小夜莉は、またもや大ダメージを叩き出したが、体についた小さなゼリーの塊が、小夜莉のスタミナを一気に奪ってしまう。
「くぅ……体が、思うように動かない……」
「ちっ、スタミナ消費効果か! 逃げろ、こより!」
慌てて手近にあった竹刀を掴んだ秋人は、動けなくなってしまった小夜莉の元へ走り出した。
ゼリーキングちゃんは体の一部を捩ってゼリーの棍棒を形成させると、小夜莉に向けて一気にそれを振り下ろす。
秋人は竹刀を構えると、ゼリーキングちゃんの攻撃をかろうじて受け止めることに成功した。
「あ……きと?」
「立つんだ小夜莉! 初心者の俺らじゃ勝ち目は無い、早くここから逃げるんだ!」
ゼリーキングちゃんは棍棒をさらに大きくすると、力任せに秋人たちを押し潰そうとした。
だがその時、スコップの先端がブーメランのように回転し、棍棒の根元を切断した。
「グォォォオオオオ」
ゼリーの棍棒は飛沫となって散り、ゼリーキングちゃんは苦しみの叫び声を上げる。
「秋人! こよちゃんの体に付いたゼリーを払うんだ!」
「拓哉か!? 助かった!」
棍棒を失ったゼリーキングちゃんは、小さくなった体を戻そうと、散ったゼリーを回収しようと、体を地面に伸ばし始めていた。
「大丈夫か小夜莉。このゼリーはスタミナを奪うから気をつけろ」
「秋人……助けてくれたんだ」
「当たり前だろ! それより小夜莉、どうやってあの怪物にダメージを与えたんだ?」
「えと……体の薄い部分を狙って攻撃したの、あのゼリー、動くたびに体を収縮させて、薄い部分と厚い部分が出来るみたいだったから」
「そうだったのか……よし、それならいけるかもしれない。小夜莉、手伝ってくれ!」
「どうすれば?」
「昔、道場で師匠に挑んだ事があっただろ? 二人掛かりで攻撃したあの技を使うんだ」
「お父さんを倒した時の? でも、出来るかな……もう随分前だよ」
「大丈夫だ、俺とお前はずっと一緒に御月流剣術を学んだろ!」
「……うん。わかった、やってみる!」
小夜莉が立ち上がると、秋人は右に竹刀を構え、小夜莉は左に木刀を構えた。それぞれが足を一歩前に出すと、二人は視線を重ねて小さく頷いた。
「行くぞ」
同時に駆け出した二人は、ゼリーの棘を紙一重でかわし、左右に散って斬りつける。
弾けるゼリーの飛沫、二人は後方へと飛ぶが、すぐさま距離を詰め、次の攻撃を重ねた。
流れるような連続攻撃に、ゼリーキングちゃんは一方的にダメージを与えられていた。体力を示すゲージは緑色から黄色へと変わり、苦しみの雄たけびと共に更に減少をみせていく。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
「ハァァァァァァァァァァッ!」
二人の連続攻撃は速度を増し、最後の斬撃が交差した。
「とどめだ! スターブレイド――」
「――テンペスト!!」
秋人と小夜莉の声が揃い、同時に放った突きがゼリーキングちゃんのコアを貫いた。
一瞬にして体力ゲージは真っ赤に染まり、ゼリーキングちゃんは最後の咆哮を空へと向けた。弾けたゼリーの一つひとつが花火のように舞いあがり、美しい虹色が光を輝かせる。
呆然とそれをみていた秋人と小夜莉だったが、フィナーレの曲と共にリザルト画面が表示されると、顔を見合わせて抱き合い、嬉しそうに何度も飛び跳ねた。
「うぉぉぉ、倒したぞー!」
「やったー! 私たち勝ったのね!」
莫大な獲得経験値により、四人のレベルは一気に五まで上昇していた。
『おお、レベル二十のボスを倒しおった……これは中々に面白いデータが取れたわい!』
安堵する拓哉と杏子だったが、喜んでいる秋人と小夜莉を見つけると、悪戯に声を掛けた。
「ふぅ、やれやれだったね。二人の喧嘩も収まった事だし、なんとか一安心だよ」
「うん、そうだね。あんなに抱き合って、まるで本当の夫婦みたいだね」
二人の言葉に我に返った秋人と小夜莉は、慌てて相手を突き放した。
「だっ、抱き合ってなんてイネーよ! こいつが勝手にくっついてきたんだからな!」
「ばばばバカな事いわないでよっ! あんたがあたしに抱きついてきたんでしょうが!」
恥ずかしそうに顔を赤くした二人だったが、拓哉と杏子はにやにやと笑っていた。
「はいはい、ごちそうさまでした。でもすごい攻撃だね。名前はちょっと中二っぽかったけど」
「昔、師匠を倒す為に二人で編み出した必殺技なんだ。っていってもアニメの技なんだけどさ」
「あたし知ってる! 『ブレイドマスター・かっとび響』の必殺技だよね? ライバルの炎京太郎と一緒に、最後の敵を倒す為に二人で生み出した必殺技でしょー」
「そうそう、詳しいなあんこ。こうやって響が剣を構えるんだけど、炎と動きを合わせるのが難しい――って、うっわ、ゼリーのせいで制服がベトベトだ……」
揚々と竹刀を構える秋人だったが、改めて自分の姿を確認すると、ゼリーまみれのまま空を仰いだ。
「じじい、なんか拭く物ない? 体がゼリーだらけでスタミナが回復しねぇんだ」
『ふむ、ちょっと待っておれ。今タオルを持ってきてやる』
五十嵐の言葉の後、すぐに秋人の頭上にひらひらとタオルが降ってきたが、秋人は不服そうに顔を拭いて文句を言う。
「サンキュー……ん? なんかこのタオルごわごわするな。ちゃんと柔軟剤使ってんのか?」
「おじいさーん、私たちのタオルまだですかー?」
『すまーん、もうすこし待ってくれー』
「へへっ、じじいも気が回るじゃん。俺が一番最初なんてさ」
秋人が少し硬いタオルで顔を拭き終わると、それを見た小夜莉が奇異の目を向ける。
「……秋人、それってバスマットじゃないの?」
まさかの言葉に秋人が一瞬にして硬直した。確かにタオルにしては短く、形も違う。
『すまんな、タオルが足りんもんじゃから、とりあえず別ので代用したわい』
「なんだって!? くそじじい! バスマットなんて送りやがったのかコンチクショー!」
「バカモン! 洗ってはおらんが、昨日干し終わったとこじゃぞ! それに長年に渡って悩み続けた水虫も最近治ったところじゃ! 何も心配いらんじゃろうが!」
「洗えよ! ってか水虫治ったとか余計な情報入れてんじゃねぇぇぇぇ!」
秋人の叫び声と同じに、洗いたてのバスタオルが杏子と小夜莉の頭上に落ちてきた。
秋人はそれを羨ましそうに眺めると、バスマットを地面に捨て、小夜莉の元に近付いた。
「……小夜莉、お前のタオルちょっと貸せよ」
「やーよ。あんたもう拭いたじゃない」
「こんなんじゃ気持ち悪くてしょうがないだろー。な? 半分でいいからさ!」
「やーだー! さわらないで!」
一枚のタオルを奪い合う二人を見た拓哉と杏子は、またかとばかりにため息をついた。
「だめだよ秋人。貸して欲しいなら優しく頼まなきゃ。女の子には優しくする。基本だよ」
「うんうん、そうだよ秋人くん。女の子には優しくしなきゃ。誉めるのもいい方法だよ!」
拓哉と杏子が口を揃えて言うので、少し考えた秋人は真面目な顔を小夜莉に向けた。
「誉める、か……なるほど。あのさ……小夜莉」
「な……何よ。そんな顔したって貸してあげないんだから」
「お前、ブラジャーも水玉なんだな。結構似合ってるぜ? だからタオル貸してくれよ」
ゼリーで濡れた小夜莉のシャツは、体に張り付き、薄っすらと下着を透けさせていた。
「ほら、水も滴るいい女って言うじゃん。イイヨボタンがあればソッコーで押してたぜ!」
親指を立て、満面の笑みで言った秋人だったが、拓哉と杏子はすぐに頭を抱えてしまう。
「どこ見て言ってんのよこのボケナスーっ!!」
小夜莉の拳が頬に命中し、秋人のライフは0になってしまった。小夜莉の頭上には危険を示す赤いランプが回り、すごい勢いで警告メッセージが流れ出していく。
「バカ! バカ! あんたはさっきから何言ってんのよ! エッチ! スケベ! このヘンタイ!」
意識を失い抜け殻となった秋人の頭上では、復活可能待機時間がカウントされたが、小夜莉の容赦ない平手打ちが追い討ちを掛け、何度も体をびくつかせながら表示を霞ませていた。
「こよちゃんやめて! 秋人くんのライフはもうゼロよ!」
モニターの中で繰り広げられる惨状をよそに、五十嵐は膝の上のミケを撫でながら、ベッドで横になった秋人を眺めていた。
「――っは!」
秋人が目を覚ますと、テーブルの上に置かれた来來館のプレミアムセットが目に入った。
「お疲れさん。どうじゃった? ワシの作ったゲームは」
「ん……まぁ、結構面白かったぜ」
「そうか、それはよかった。無理矢理さそって悪かったの。また気が向いたら遊びに来てくれ」
五十嵐は少し寂しそうに言ったが、秋人は漂う湯気を見つめながら考えていた。
「なあじじい、武器が無いなら自分たちで持ってくるってのはアリか?」
「うん? どういうことじゃ」
「俺、面白い事考えついたんだ。武器が無いなら現実世界で調達してこようってな。CTでスキャンすれば、どんな物でもゲーム内に持ち込めるんだろ? マップやボスは完成してるんなら、装備さえこっちで用意すれば、クリアも可能なんじゃないか……って思ったんだ」
「可能ではあると思うが……それでもいいのか?」
「武器、道具、スキルなしの縛りプレイ。試練盛り盛りのVRMMORPGってのも悪くない!それにボスを倒せてなんか気分も盛ってきたしな!」
「そうか! やってくれるか!」
「このゲーム、俺が必ずクリアしてやる! あ、でもたまには来來館も頼んでくれよな?」
「勿論じゃとも!」
老齢のゲームクリエイター五十嵐義雄と、初心者プレーイヤー稲垣秋人は、来來館のプレミアムセットによって、強く絆が結ばれようとしていた。
花芳町の三丁目、無限に広がるオンライン世界の冒険は、まだ始まったばかりだった。