プロローグ
「お前たち、ゲームは好きか?」
花芳町四丁目。閑静な住宅街にある屋敷の前で、老人が二人の子供に声を掛けた。
「え? なんだよ突然」
声を掛けられたのは、花芳中学校に通う十三歳の少年、稲垣秋人と、同じクラスで幼馴染の速水拓哉だ。
今年で七十二歳になる五十嵐義雄は、ふさふさの白い髭を撫でながら、秋人と拓哉に詰め寄ると、再び同じ言葉を口にする。
「ゲームは好きか?」
シワだらけの水色シャツに、膝部分が破れたベージュのチノパン。ピシッと糊の利いた白衣を纏った五十嵐は、眼鏡に太陽の光を反射させながら、二人を見下ろしている。
「ゲームは好きだけど……なんか用?」
部活をサボった帰宅の途中。いつもと違う帰り道を選んだのが間違いだったのか、秋人と拓哉は変な老人に掴まったと、面倒そうに視線を返していた。
「うちでゲームでも、やって行かんか?」
突然の怪しい勧誘に、二人は呆れた様子で訝しげに老人を見上げていたが、五十嵐は仁王立ちのまま二人を眺め続けている。
そんな老人たちの様子を、電柱の影から探る二人の女の子がいた。
「ねぇ、見てあんこ。秋人たち……なんだか怪しくない?」
「怪しいのは私たちだよぉ……電柱に隠れて尾行だなんて、小夜莉ちゃんストーカーみたい。それと、私はあんこじゃなくてあんずこですぅ」
「ストーカーだなんて失礼ね! 私は委員長としてあの二人を更正させなきゃいけないの!」
「更正って言ったって、部活サボってるだけだよ?」
電柱に隠れる二人の少女は、秋人たちと同じクラスの御月小夜莉と篠冷杏子だった。
自信に溢れる勝気な小夜莉に対し、杏子はおどおどとして、どこか内気な印象だ。
「今日も部活サボってると思ったら、こんな所で寄り道なんてして……よし、記録よ。三時五十五分、今日はゲームセンターに行かず、お屋敷の前で何やら怪しい行動――っと」
小夜莉は電柱に身を重ねながら、クマが描かれたピンクの日記帳に、現在の様子を事細かに書き連ねると、杏子は人目を気にした様子で、きょろきょろと辺りを見回した。
「あいつら動くみたい!」
小夜莉が慌てて日記をしまうと、杏子もおそるおそる電柱から顔を出す。
「なんだよゲームって。囲碁か将棋か知らねぇけど、ゲームは敬老会にでも行ってやってくれよ。俺たち今から來來館でプレミアムAセットを食べに行くんだ。今日は水曜日限定のチャーハン盛り盛りキャンペーンでさ、盛り日を見逃す訳にはいかないんだ。じゃあそういうわけで、さいならー」
「おじいさん、失礼しますね」
秋人は片腕を振って軽く別れを告げると、拓哉は深々と丁寧に頭を下げていた。
「あ、待たんか! ゲームと言うのは将棋では――」
五十嵐は二人を引き止めようとしたが、秋人と拓哉は聞く耳を持たず、早々にその場から立ち去ってしまう。
それを見た小夜莉は、待ってましたとばかりに電柱の影から飛び出した。
「動いた! 行くわよあんこ、今日は逃がさないんだから!」
「ま、待ってよ小夜莉ちゃん! それに私はあんずこですぅ!」
小夜莉は小さく唇を舐めて走り出すと、杏子は泣き出しそうな顔で小夜莉の後に続く。
「こらー! あんたたち、また部活サボったわねーー!」
小夜莉の声に気付いた秋人は、姿を見るなり苦い表情を浮かべ、またかとばかりに大きく息を吐いた。
「うげっ、こよりじゃん……逃げるぞ拓哉! あいつ足早いから、気合盛ってかないと、すぐに追いつかれちまう! 掴まったらプレミアム計画がおじゃんだぜ!」
「おじゃん了解。三十六計逃げるに如かずってやつだね。追われる身は辛い辛い」
小夜莉の姿を確認した秋人と拓哉は、顔を見合わせて頷くと、一目散に逃げ出した。
「ああ、お譲ちゃん。ゲームは好きか?」
「――ごめんなさーい! 今急いでるんで! ほらぁ、あんこ早く早く! 逃げられるわよ!」
「だからあんずこだってばぁ!」
五十嵐は通り過ぎる小夜莉にも声を掛けるが、まったく相手にされず軽くあしらわれてしまう。
「こら秋人! 待ちなさーいっ!」
「うぅ……小夜莉ちゃんってば足速いよぉ!」
五十嵐は表通りへと消えていく四人の子供たちを残念そうに見送ると、深いため息をついて、髭をなぞった。
「ふむ……中々掴まらんモンじゃのぉ」
下校時間を過ぎた夕暮れ時。五十嵐は玄関の扉に手を掛け、空を見上げて静かに呟いた。
「さて、気を取り直して作業を進めるかの。オンラインゲームを作るのも楽じゃないわい」
五十嵐義雄。齢七十二歳にして、オンラインゲーム開発者。
ゲームの作成は果てしなく長い。完成するのが先か、老い先短くくたばるのが先か。
協力者が見つかるかどうかは、未だ不明だった。