02 迷宮津波~小動物ナメんな~
コツリ、コツリと薄明るい石畳に硬い足音を響かせつつ、これまでに数多くの探索者たちの命を呑み込んできたのだろう回廊を往く。
状況は第一学年最後の年間集大成。実技・迷宮探索の実戦訓練。
その記念すべき第一日目の……第一歩。
試験内容は「二名以上の人数にてパーティを組み、迷宮第一階層を探索する」こと……、言葉の上ではたったそれだけだ。
見事この試験を通れば晴れて二学年に進級。来期から第二階層より先を探索することが許される。
だがもし「不合格」の烙印を押されれば、シビアに「死亡」扱いを受け、追試もなにもなく一年をやり直す羽目に陥る。
また、その後一年間の墓参りが義務付けられ、『自分の名前が刻まれた墓標』の清掃を強制され、落第者の中には心折られて中途退学するものも少なくはないらしい。
つまり、足りない者から脱落し、半端な者は消えていく。それがこの「迷宮探索」という世界の現実というわけだ。
少しばかりリスクがキツく思えるが、実際に命を落としてしまう前にその覚悟を問おうという、卒業させることより生徒の命を優先するべきと判断を下した学園側の方針なのだとされている。なによりこの試験は、冗談抜きに毎年少なくない死亡者が頻出する、死への入り口とも呼べるかなりエゲツない代物。
実際、まだ入ったばかりの入り口付近だというのに、俺自身も初心者の例外にはなれそうになく、緊張に胸が高鳴る。
ここから先に進めば冗談抜きに命を落としかねないのだと思えば、それも当然の反応なのかもしれない。
迷宮の奥からは時を同じくして迷宮内へと足を踏み入れることとなった「同級生」たちが発する、「わーわー」「きゃーきゃー」と暴れまわる、けたたましい叫び声。
先行する彼ら、彼女らの体験するそれぞれの物語がダンジョンの奥から間断なく響いて鼓膜を震わせ、握り締める拳を緊張と汗で滑らせてくる。
……そう、同級生、なのだ。
時は樹球星歴0863年の三月。
事は探索者養成学園、その第一学年における最後の進級試験。
最低合格ラインは「生き残ること」ただそれだけ。言わずもがなにこの学園、かなりの勢いでぶっ飛んでいる。
おもわず「ごくり」と鳴るのどと、前方から吹きすさぶ、叫声混じりの臆病風に立ちすくむ脚を戒める意味を込め、ふところから取り出した「面」を長めの前髪を後ろへと掻き上げて顔に押し付け、後頭部に抑えのゴムバンドをまわして固定する。
「……なあリヒトよォ、オメェ本気でそれ被って行く気か?」
すっかり忘れかけていたが、最後に我がパーティを紹介しようと思う。
とりあえず、俺の名前はリヒト。特に名乗れるような姓はない。
職種は主に体術を駆使して戦う格闘系。その中でもちょっと風変わりな、「格闘系例外」と呼ばれる学年通しても頭ひとつ飛び抜けてしまった問題児の一人。……もちろん好きで問題児になったわけじゃないが。
「……覚悟はしてるけどさ……、やっぱりダメかな?」
身に纏う防具は「耐熱素材の軍手」に「黒皮のロングコート・フード付き」……。それと、顔にはスマイルフェイスの「硬質仮面」を身につけている。もちろん、フードはしっかりと目深に降ろした状態を維持。
仕方のないこととは言え、はっきり言って怪しさ爆裂。我が事ながらこの格好で夜道を歩いたら、問答無用で通報されても文句は言えないなと思ってるぐらいだ。
「……ま、せいぜい気ィつけろや。……味方に」
「――ぐはっ!?」
最後にぼそりと漏らされた一言により精神に少なくない量のダメージを受けるが……、まあ、こればっかりは本当に仕方ない。好きでこんな恰好をしているわけではなく、問題を解決するためにがんばったら新たな問題が発生したという、ただそれだけの話なのだから!
さて、気を取り直して残るもう一人のメンバーを紹介しようと思う。
さっきからとても痛烈なお言葉で俺の心を抉りにえぐってくれた、赤毛のオオカミくんな彼がまさにその一人。
彼の名はゼル。正しくはゼルキュール・アーネス。俺は短くゼルと呼んでいる。
種族は一目その姿を目にすれば、もはや改めて訊く必要もなさそうなぐらいに犬系の獣人種。
職種は剣使い――と、言っても、使う得物が大剣系のため、大剣使いと呼ばれている。
見た目凶悪な彼はしかし、中身は意外と気のイイヤツだったりする。……少なくとも、こんなワケアリな俺に好んで付き合ってくれるぐらいには稀有でありがたい友人だ。
「……よし、それじゃあ行こうか」
「おォよ。頼むぜ『青銅の大剣』!」
彼の呼び声に応じて、その右手の甲に記された文字列が薄く発光し、記載された文字列が消えていく代わりに一振りの剣が生み出されていく。
彼の手の中に顕れ、振り払われるそれは、彼が名を呼んだ通りに青銅製の大剣だ。
「来い。『双拳回転刃』!」
そして俺も俺で、軍手の奥にくぐもった光を輝かせつつ、両の拳に回転刃付きで機械仕掛けの鋼鉄製手甲を召還する。
ゼルの剣はともかく、俺の得物は使うとやたら激しく血やら火花やらが派手に飛び散る、破壊力ピカ一、しかし並みの防具ではまず活用不可能の残虐スプラッタ仕様。
ことのついでに回転速度を調節するレバーグリップを握りこみ、軽く回転させて左右ともに異常がないかを確認する。……うむ。試しは実にいつも通り。
・「ギュイギュイ」うるさい
・射程距離格闘並み
・見た目ヤバすぎ
の、三重苦だ。見よ。この破壊力の高さを補って余りあるデメリット。
この探索者養成学校に入学して早一年。
ちょっとしたワケアリで手に入れたのが、この厄介な騒音手甲だ。
そしてこの一年、ピーキー極まるこのリッパーを使いこなしてみせるべく、さんざ努力したその結果、ついた渾名は『殺戮道化』――最悪だ。
明らかに趣味の産物だよな、コレ。
「……よし」
いろいろよくはないけど、今この場に限っては一応よし!
敵は迷宮にはびこるモンスターたちと……、冷静さを失った同級生たち。
それぞれリッパーの回転を止めた俺と、実体化させた両刃剣を背中に背負った鞘の中に放り込んだゼルの二人で、先に迷宮に潜った同級生たちの後を追って大回廊の道を往く。
「ま、実戦ありの肝試しみたいなもんだよな、コレ」
「下手すると本当に死ぬんだけどね」
なんともお気楽に言ってのける彼に苦笑しながら応じる。
大量の学生を受け容れるためにと拡張された、幅六メートルはある入り口を通り抜け、同じ幅のある大回廊を二人連れ立って歩く。
まるで夜半の校舎か研究所のように薄暗い回廊の光源は、足元でぼんやりと発光する敷石と、天井付近に点在する、これまたぼんやりとしか発光しない水晶体のみ。
ギリギリで明かりを必要としない、しかし「用意しておかないと後で困りますよ?」とだれかに言われているかのような気配を感じずにはいられない。……「迷宮の声を聞け」などとは、昔の人はよく言ったモノだ。
「……リヒト、右からなんか来んぜ?」
コツコツと足音の響く石造りの迷宮を往くこと一分。
犬系獣種の嗅覚がなにかを察知したらしく、彼が親指で指し示す先には大回廊と交わる形で通常の回廊――十字路となっており、その指摘された右へと続く横道から顔を出したのは一匹の小さな獣。
「……一角イタチ」
出てきたそれは、額に一本の角を生やした真っ白な毛並みのイタチ型モンスター。ホーン・フェレットと呼ばれるそれは、顔を出した途端にこちらに気付き、「シュー」と威嚇の呼気を吐き出してきた。
「アレ倒すと女連中にイヤミ言われそーでイヤなんだよなー」
「言ってる場合じゃない! 仲間を呼ばれる前に――」
みなまで言わずに飛び出し、拳を振り上げてリッパーに歯車たちが奏でる高速回転刃の大音響を歌わせつつ、距離を詰めた俺が右の拳を大上段から叩き落す。
「――ッ」
だが振り下ろした回転刃は「キュキュイ」と鳴いて跳ねた件の小動物に回避され、固い石畳を削ってその振動を拳に跳ね返してくる。
この場に出てきた以上、アレは敵だ。そして「可愛いくて殺せませんでした」なんて言い訳は絶対に通用しない。むしろその場で落第確定だ。
さらに付け加えるなら、やつら獣系のモンスターには危機に際して仲間を呼びつける習性を持つ種族が少なからず存在する。無論、今相対しているホーン・フェレットがそのひとつ。
数が少ないと油断して戦っていたが最後、気がついたら取り囲まれて大ピンチ、なんてこともよくある話なのだ。
そしてたった一匹で通路に出てきたことから考えても、あれは十中八九巡回役。いわゆる歩く警笛というヤツだろう。
と、なれば話は早い。さっさと片付けないとマズイことになりかねない。
しかし危険度百点満点な機械音とともに振り下ろされた俺の拳は、やはりその恐怖感からか全力でフェレットに遠慮され、俺はファーストアタックに失敗。――だが、
「仕方ねェか! 恨むなよフェレ公!」
即座に追撃をかけてくれた相方が、抜き放った両刃剣を避けられるのを承知の上で肩の上から回避先の石畳にたたき付け、その周囲に激しい衝撃波を撒き散らす。
重量系武器の戦闘スキル『衝撃』だ。
渾身の一撃を放つとともに一瞬だけ周囲にいるすべてを敵、味方を問わずスタンさせる大技だ。ちなみに使用者の筋力ないし気迫の向上によって衝撃の効果範囲は拡張する技だったりする。
「――かァッッ~~~~! ……てェ~~~~ッ!!」
しかしまあ、……うん。リバウンド痛そうだよね。どう見ても。
やはりその代償として相当にしびれが走ったようで、剣を取り落として身悶えているためまったく格好はついていないのだが。
……とはいえ、この機を逃す手はない。
腕の健康にはとても悪そうな技を撃ち放って身悶えるゼルの背を追い抜き、同じくその衝撃を受けてスタン状態に陥ったホーン・フェレット目掛けて再度叩き落しの拳を振り下ろし、「キュキッ」と最期の鳴き声を上げる小さな身体を、今度こそ回転刃でひき潰す。
小動物の血と肉片が弾け跳び……、
…………しばらくは鬱になりそうなイヤぁな感触が……。
いや、相手がモンスターだって、頭ではわかっちゃいるはずなんだけどね。
「言ってもムダかもしんねェけど、あんま気にすんなよ?」
「……うん。わかってる。相手はモンスターだし。
この死体だって十分も放っておけば勝手に消えるし。……わかっちゃいるはずなんだけどなぁ……」
そう、わかっちゃいるのだ、わかっちゃ。
今倒したこのフェレットだって、しばらくして魔力が枯渇すれば迷宮に分解されて呑まれて消える。
しかしやはり理屈と感情は別問題、慣れるまではなにごとも苦行ということなんだろう。
……他のグループの動向が微妙に気になるところだな。――特に女子同士で組んだグループなんかはコレ、大丈夫なんだろうか?
この「ホーン・フェレット」というモンスター。ペット――子供用の召還獣として飼われていることもそれなりになくはないのだ。
その飼っていた人間にとって、これほどひどい試練はちょっと他にないだろう。本当にトラウマを植えつけるのが目的のようなイヤな試験だ。
などと思いながら、やはり「なんとなく」そのまま右の通路に入る気にもなれず、わざわざ遠回りしてフェレットがやってきた道とは逆――十字路を左の方へと道を曲がり、
「…………」「…………」
その先に見えた小部屋に転がる、六匹ほどのフェレットの死体と、血とはまた違う――たぶん涙らしき水滴の跡を確認して、本当に、ほんっと~に気分が鬱になる。
迷宮に潜り、剣を振るうとはこういうことだと見せ付けられているようで、いまさらながら本当にひどい「実技試験」だと心から思う。
正直なところ、はたして「魔物使い」とはどのような精神性をもっていればやっていける職業なのだろうと疑問に思ってしまうところだ。
まあ、キレイごとだけで財宝が手に入るほどダンジョンは甘くないとわかってはいるのだが。
「……わかっちゃいるんだけどなぁ……」
とはいえ、そんな感傷すらも許してはくれないほどに、この「迷宮」というものは甘くない。
部屋に備え付けの宝箱を確認しようとゴソゴソ漁っていたところ、「それ」はやってきた。
それは、獣の叫びだ。
「――ィィィッ」と高周波めいた鳴き声が辺りに響き渡り、迷宮内の空気がより緊迫感に満ちたものに挿げ代わったかのような気配が充満し始めた。
…どこかでホーン・フェレットが仲間を呼んだらしい。
「……だれかしくじりやがったな……」
「……まあ、一度だけ――」
言い切る前に再び「――ィィィッ」と響き渡る鳴き声。
「――んげっ!?」
「チィッ! どこのアホだ、クソったれ!」
文句の声もそこそこに、二人連れ立って部屋を飛び出し出口に向かってひた走る。
フェレットが仲間を呼んだぐらいでなにをそんなに慌てているのかと思うかもしれないが……、その考えは甘い。甘すぎる。
今起こった現象は『輪唱』と呼ばれる、迷宮内での死亡原因のトップ3に入る最重要警戒事項のそのひとつ。
たかがフェレット。単一で仲間を呼ばれたところで痛くも痒くもない。それは確かだ。
だがしかし、複数のパーティが同時に同フロアで戦闘を行い、連続して仲間を呼ばせてしまった場合はその限りではなくなる。
単一のパーティが戦闘に陥り、仲間を呼ばせただけなら「だれか助けて!」という意味合いで事象が完結するので対処さえできればそれほど問題はない。
だが、複数のパーティが同時に戦闘に陥り、まったく別の位置で『輪唱』させてしまった場合は彼らの危機意識が一気に跳ね上がり、
「――ィィィッ」 「――ィィィッ」
「――ィィィッ」 「――ィィィッ」
……と、まあ、こうなる。
危機認識最大。総力を挙げて問題に対処せよという大号令。まあ、要するに、「全員集合」の叫びだ。
その呼び声は別の階層からも連鎖して上がってしまい、応じるすべてのモンスターが最初に上がった一声目指してひた走る。
…………ンごごごごごごごごごごごごごごごごごごごご……!!
……その津波、人呼んで「モンスターパニック」。
迷宮内での死亡率第一位の要因とも恐れられる、最悪のモンスタートラップだ。
これに遭遇した場合の対処法はただひとつ。
「その階層から大至急離脱するのみ……!」
実際、「どこからこんなに現れた!?」と言いたくなるほどにモンスターたちがあふれ返り、フロア一帯をまるごと覆い尽くす。
ちなみに第一階層で発生した場合は入り口からも「ドバッ」と雪崩てしまうのが、この「モンスターパニック」の恐ろしいところだ。
相手が小動物だからといってナメてはいけない。文字通りに命に関わる。
走りながら剣を背中の鞘に納め直した相方とともに出口に向かってひた走る。
やがて最初にホーン・フェレットと遭遇した十字路を確認。
そこを本来まっすぐに進んでいた道から、先行していた他のパーティのメンバーたちが我先にと一気に駆け抜けていく。
ほとんどあっという間の出来事だったが、その見えただれもが手ぶらだったように思えたのは……。
「……そうか。武器は『リセット』しとくのもアリだったんだ!」
「いまさらやってられっかよ! 走れ走れ!」
この状況。今はさすがにのんびりやってる余裕はない。『リセット』について再考察するのはとりあえず後回しだ。
駆け抜けるままに十字路を全力で急カーブ。
だというのに、そのタイミングで先ほどの集団から遅れていたと思しき最後のパーティが十字路に入り込んできて、ものの見事に衝突。
女性二人のそのパーティを男二人のこちらのパーティが弾いてしまい、尻餅をつかせた上、一瞬だがほとんど通せんぼの状態になってしまった。
遠く大回廊の先にはフェレットの大群。すぐさま助け起こそうと手を差し出して試みたのだが、その相手の女子生徒は俺の顔を見るなり、まるで幽霊にでも遭遇したかのような、明らかに恐怖と推察される表情に顔をゆがめており、
目元を潤ませた彼女。
尻餅をつくその手が閃いて手の甲が輝き、
彼女の武器と思われるその「拳銃」を、
俺の額に――、
『……ま、せいぜい気ィつけろや。……味方に』
――タァァァンッ!
………死んだ……?