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現代ファンタジー的日常生活  作者: パンダらの箱
今日の魔女は掃除機で飛ぶ、編
8/36

第八話「早すぎる諦め」

 そうして、ついにその時はやってきました。

 先を見ると、夥しい数の爆弾群が途切れている地点が、ようやく見えてきたのです。

 そこを抜ければ、後はもう爆弾に悩まされる事もありません。

 ロボット型の子は、一足先にこの爆弾ゾーンを抜けだしているようでした。

 私もすぐに追い付かねばなりません。

 そんな私の心と呼応するように、キャットさんも前足で前を示しながら叫びます。


「よしッ! 今だアプリっ! れっつごーっ!」

「う、うんっ!」


 爆弾の群れを抜け、一面の真っ青な空が視界を覆うと同時、私は制御部位のブーストボタンを押しました。

 グンっと背中を押されるような感覚と共に、私のクーちゃんは加速します。

 残念ながらブーストによる加速は速度に上限があるため、地上の時のようにずっと加速し続けるといった事は出来ません。しかしながら平均よりも少し速いぐらいの速度は出せるので、前に居るのが並大抵の相手ならば簡単に距離を縮める事が出来るのです。

 私の前には、ロボット型の子を含めて、三、四人の飛行する影が見えました。ロボット型以外は全てスティック型掃除機です。

 それ以外の人は、どうやらだいぶ先に行ってしまったようです。

 まあ、普通は爆弾ゾーンを抜けたら加速しますよね。その気持ちはわかります。ともなれば、今残っているのは最高速度や加速力に乏しい人達、という解釈で概ね正しいはずです。

 特にロボット型なんかは、あまり速度は出ないという前評判までありましたしね。ならば、あれが全力の加速である可能性もありそうです。

 私がブーストを用いれば、どんどん距離は縮まってく程度の速度です。という事は、現段階では私の方が速いという事になります。そう考えれば、追い付けない相手では無いはずです。

 都合良く、前のスティック型の方々が、私に向けて攻撃魔法を放ってくれました。

 球体となった電気の塊とドリル状に固められた水の塊が、一斉に私の方へと向かってきます。これは好機です。

 私は、慣れもあってか、難なくクーちゃんの吸引口に攻撃魔法を吸いこませます。これで更に長い時間、ブーストが使える事になるでしょう。

 このようにして、私はロボット型との距離を縮めて行きました。

 順当に距離は縮まっていきます。このままでいけば、問題無く抜き去る事が出来るでしょう。

 私が吸引している所を見たスティック型の人達が、もう二度と私に向けて攻撃を放ってくれなくなった……というアクシデントはありましたが、まあ少しでも吸えたので良しとします。

 キャニスター型がマイナーなのが活きた結果ですね。

 私は、少し気分が高揚し、身体が熱を帯びてくるのを自覚していました。


「……もしかしたら、このまま、簡単に抜かせるかもしれないね……」


 思えば、この時の私は少し調子に乗っていたのだと思います。

 無理だと思っていたレースで、ここまで順調に進む事が出来たのです。

 それは多少天狗になっても、なかなか仕方のない事だとは思いませんでしょうか。

 今までも色々とありましたが最終的には何とかやってこられたので、これから先も順調にいけると信じても罰は当たらないはずです。

 ですが、現実は非情でした。

 キャットさんが先ほどまでとは打って変わった冷静な声で、いきなり恐ろしい事を口走ってしまったのです。


「イヤ。考えてもみなよアプリ、あのプラエルディウムに乗る少女の魔法は何だい? そして、君はどんどんあの子に近づいていっているんだ。油断は禁物だよ。グリップを握る手に力を込めて、前を見るべきだ。彼女は、君が攻撃を吸っている間も、こちらに意識すらも向けていなかった。

 でも、今は違う。なんたって、そろそろ彼女の射程距離圏内に入るのだからね……」

「……えっ?」


 私の意識は、急速に現実へと引き戻されます。

 夢心地だった気分は霧散され、代わりに重苦しい不安感が胸中を満たしていきました。

 キャットさんの言葉が本当ならば、これは洒落にならない事態です。

 そして、こういう熟練者の予想は、得てしてかなりの確率で当たる物なのです。

 私よりも少し先を行くロボット型の女の子に、ほんの少しの変化が現れました。

 その女の子が、ゆうらりと、首を傾けて私の方に視線を向けてきたのです。それからその小さな唇を動かし、何かを呟きました。

 現代では魔法を使う前に、自分で設定したパスワードを口にする必要があります。それどころではないので詳細は省きますが、とにかく今、女の子が口にしたのは十中八九それです。

 その証拠に、女の子の身体から薄い水色の光が放たれていました。魔力です。これはいけません。

 直後。

 やはり女の子の周囲を囲むように、紫色の棘が生成されました。球体状の簡易保護障壁を覆う勢いで、その棘は複数生成されていました。ハリネズミか何かのようです。

 これはどう考えても、先ほど見せた全方位針魔法攻撃の予兆です。

 私は、目を見開いて、クーちゃんのヘッドを前に構えました。


「ひ、ひぃっ!」


 それから数秒後。

 女の子から再度水色の光が放たれ、その光が収まると同時に、紫色の棘が全て射出されてしまいました。

 全方位に向けた、半透明の棘による弾幕攻撃です。その紫色は私の視界を瞬く間に覆い尽くします。

 その容赦ない攻撃のせいで、私の涙の分泌量はどんどん増えていきます。洒落になりません。

 それから、私は全力で動きました。

 掃除機のヘッドをブンブン振り回し、とにかく自分に棘が当たらぬよう頑張りました。心臓が跳ねます。意識が飛びそうになります。細かい事が何もわからなくなってきます。

 ですが、とにかくグリップを思い切り動かしました。

 必死でした。半ば無意識で、ブーストボタンを再度押してブースト状態を解除し、それから出力調整ボタンを再度押して出力を「弱」にし、可能な限りの減速を計りました。

 我ながら神業です。攻撃を防ぎつつ減速すればほとんどダメージを受けなくて済むのでは、という咄嗟の判断でした。

 これを、上級者ではなく素人の私がやってのけたといのは、本当に我ながら凄まじいと思います。

 世間では、これを火事場の何とやらと言うのでしょう。非常に良い勉強になりました。

 兎にも角にもこうして――――


「ふーっ! ふーっ! ふーっ! や、やった……!」


 ――――私は、涙でくしゃくしゃになりつつも、何とか魔法攻撃をしのぎ切りました。

 本当、自分でもよくやったなと思います。

 信じられない達成感です。

 減速したせいで距離が離れてしまったロボット型の方からは、何故か痛いぐらいの視線を感じるような気がしますが、それはきっと気のせいだと思う事にします。

 もう疲れてしまいました。もう嫌です。やっぱり無理でした。帰りたいです。

 私は、結局攻撃を防いだだけで、抜き去るなんて大それた事は出来なかったのです。

 そんな私を、キャットさんは明るい声で褒め称えてくれました。


「よくやったアプリ! まさか簡易保護障壁に何のダメージも無いなんて信じられないよ! 君には本当に素質があるのかもしれないね! もっとも、ヘッドの方はもうダメみたいだけどね……」

「え?」


 キャットさんの言葉を受け、私は即座にクーちゃんのヘッドを確認しました。


「あ、あああ……っ!」


 元々、吸引口側に立派なローラーを携えていたはずのT字型ヘッドは、見るも無残な姿に変わり果ててしまっていました。あり得ません。

 今の攻撃による損傷でしょう。あのロボット型とは異なり、私の簡易保護障壁は掃除機本体までもを守ってくれません。あくまで守られているのは私の身体だけなのです。

 だからクーちゃんは普通に傷つきます。クーちゃんのT字型ヘッドは、あらゆる部分がひび割れ、あらゆる場所に穴が開きまくっていました。

 私は、そんなクーちゃんの痛ましい姿に、湧きあがってくる絶望感を隠しきれませんでした。

 ここでヘッドローラーに壊れてもらっては困るのです。

 何故なら、こうなってしまえば再び地上に舞い戻った時、前以上に安定性に欠けるようになるのは必須なのですから。

 車でいえば、もう前輪が壊れてしまったも同然のダメージなのです。

 私は、今自分の置かれている状況を顧みて、ただただ情けない嗚咽を漏らします。


「う……うううううう……! うううううううう……! これは、これはいくらなんでも酷いよ……!」

「フゥム、これは確かに痛いね。だけども安心したまえアプリ、まだ手はある! それに、いくらこうなったとはいえ凄いじゃないか! あの攻撃は放射状に広がるものだったから、本来ならば、ヘッドを構えて接近した方が防ぎやすかったはずだ。本当なら範囲吸引によって、全身を守れる位置まで接近するだけで良かったんだ。

 だけど君はあえてそれをしなかった! あえてヘッドを振り回す形で対処した! しかも出力を下げているから吸引力も低下しているというのに! これは凄いよ! その魅せるプレイは熟練者でも難しいだろうね! いや、本当に良い物を見せてもらった!」

「ふぇっ!?」


 おっと、変な声が出てしまいました。

 ですが、それも仕方のない事でしょう。

 私が咄嗟に身を守るために減速したという行為が、実は全くの無駄だったどころか逆効果とまで言われたのですから。それは動揺の一つでも無いとおかしいでしょう。

 私は、顔を真っ赤にしながら叫びました。


「な、なななななな……なんで言ってくれなかったの!!!!?」

「え、何がだい?」

「あれを防ぐのには近づかなきゃダメって事! 私、下がっちゃったよっ!」

「ええっ? わざとじゃあなかったのかい!?」

「そんなわけないよっ! もー! どうしてこうなるのっ! ヤダもうかーえーるー!」

「君はそんなに自宅が好きなのかい、良い事だ。帰る場所があって、そこを強く望むというのはね。だけど、今は目の前に集中だ! さあ、再度ブーストだ!」

「ううう……」


 頼まれると弱いです。

 結局、私がここで渋った所で、後で困るのは私自身なのです。

 キャットさんが成仏してくれなければ、なんかこう生活が落ち着かないのです。だから、さっさと消えてもらうためにも、私は何としてでもこのレースを進まなければいけないのです。

 私は震える手で、グリップ付近の制御部位にある「ブースト」ボタンを、カチリと押しました。

 またしてもガタン、とした加速が始まり、ロボット型との距離が縮まっていきます。それから出力調整ボタンを再度押し、出力を弱から強へと戻します。これで速度は元通りです。

 改めて状況を見てみると、先ほどの攻撃で落とされた人が相当居たようです。

 そのせいか、このあたりには私とロボット型に乗る女の子しか見当たりませんでした。

 いくらなんでも脱落し過ぎです。他の参加者さん達は、何とかならなかったのでしょうか。


「いや、アプリ。あの魔法には何らかのガード対策が為されている、と考えるのが自然だよ。何せ二つもスロットを使った大魔法なんだ。上級魔法クラスの威力はあるね。あれは絶対」

「上級!? そんなの専門職についた大人でも難しいのに……どうして……?」

「それはわからない。けど、それと闘うぐらいの気持ちでいかないと、多分負けてしまうよ。ここから先は一対一の真剣勝負だ。もっとも、君には僕がついているけどね!」

「ううう……やるしか、ないのかな……」


 私は、半ば泣きそうになりつつも前を見ます。

 すると、最悪な事に目と目があってしまいました。

 誰と? 決まっているでしょう。

 私の前を行く、ロボット型の女の子とですよ。

 女の子の目は、一見ぼーっとしているようにも見えました。

 ですが、それにしてはやけに無機質でした。何というか、感情の色が見えないのです。

 そんな機械的な目に見られ、私はゾッとしてしまいます。思わず「ひっ!」という声を漏らしてしまいました。

 とても同じ人間とは思えません。

 実際、何らかの魔族である可能性も否めませんし、ベゼちゃんのように血縁者に魔族がいるという可能性だって考えられます。だとすれば、先ほどまでの凄まじい魔法攻撃にも納得がいきます。

 兎にも角にも、これで視線は交差してしまいました。

 これはもう、一対一の抜かし合いが始まる、という解釈で良いのでしょうか。


「アプリ。さっきも言った通り、勝算はあるんだ。だから、落ちついて行ってくれ!」


 キャットさんが何か言っています。

 私の心は、もうそれどころじゃないのですがね。

 けれどもキャットさんは言葉を続けていきました。

 そしてその続く言葉は、私の意識を現実へと連れ戻すのにそれはもう充分過ぎる効力を発揮してくれました。


「君は、あの少女を一度でも抜かせばいい。そうすれば、勝てる」

「え?」


 またしても驚いてしまいます。

 ですが、これは無理もないでしょう。

 普通、レースという物は、抜いたら抜かれる心配をする物のはずです。

 私自身、レースにはあまり興味がありませんので、これはただの偏見なのかもしれません。

 しかし、普通に考えても「一度抜けば大丈夫」というのはおかしいでしょう。向こうも同じくこちらを抜かし返してくるはずなのですから。

 私は、キャットさんの言葉をとても信じられませんでした。


「そんなわけ――――」

「あるのさ。まあ、だから君は抜かす事だけを考えてくれよ。オーケー?」

「う、うぅん……わかっ、た……」


 どの道、抜かない事には何も始まりません。

 私は気持ちを固め、どうにも頼りないキャットさんの言葉に縋りながら、どんどんロボット型との距離を詰めて行きます。

 速度ならば私のクーちゃんの方が上です。ブースト持続時間はまだまだ余裕があります。

 つまり、このまま前進しているだけで距離は詰められるのです。

 あのトゲトゲ攻撃は未だに恐ろしいですが、それも「接近して吸う」という一応の攻略法が見当たったので、私に以前ほどの恐怖心はありません。

 私は、前を力強く見据え、出来る限り勇ましい気持ちを奮い立たせます。

 それから距離は縮まり、私は、またしても女の子の射程圏内に入ってしまいました。私の鼓動がどんどん加速していきます。やはり、恐怖に対する肉体の反応をコントロールするのは難しいですよね。どうにも怯えを隠しきれません。

 私は、攻撃が来たらすぐにヘッドを構えられるよう、グリップを思いっきり握りしめます。いくらボロボロになったヘッドといえども、吸引口自体が無くなったわけではありません。これで攻撃を防ぐ事は可能なのです。

 ……さあ! いつでも……ど、どうぞ……!

 私は、心の中で情けなく叫び、前方のロボット型に座る背を見据えました。

 けれども、いくら待った所で、何故だか向こうから攻撃が放たれる事はありませんでした。

 どうしてだろう。私がそんな疑問を抱くと同時、お馴染みキャットさんの解説が始まりました。


「フゥム。どうやらアプリ。さっき攻撃を防いだ時、君があえて前進しなかったのは正解だったかもしれないよ」

「ど、どういうこと……?」

「経験上、僕にはわかる。あのロボット型の少女は、明らかに君を警戒している! これはチャンスだっ!」

「えっ……? け、警戒?」

「考えてもみなよ。今まで多くの敵を葬ってきた自分の大魔法を、いきなり難しい方法で全部防がれたのだよ? しかも魔法防御とかじゃあなくて、単純に掃除機性能と身体能力だけで、だ。その上、乗っているのは新型とはかけ離れたキャニスター型ときたものだ。そんな今の君は、相手からどう見られていると思う?」

「え? えぇぇと……うーん……」


 どうでしょう。私は自分を客観視するのは苦手なので、上手く答えられません。

 やはり今時キャニスター型に乗るぐらいなので、何も知らない本当の初心者、でしょうか。

 それとも全てを知った上で、あえてこういった機種を好んでいる変わり者、でしょうか。

 そもそもキャニスター型はマイナーなので、自分の知らない機体に乗っている人、でしょうか。

 わかりません。

 私が答えあぐねていると、キャットさんがわりとすぐに回答を明かしてくれました。


「正解は、未知の強敵、だよ。もっとも僕の想像混じりだけれどもね。でも、恐らくはこれで正しいはずだ。経験上、ね」

「未知……? どうして、私が……」

「あの子の挙動を追っていると、どうもマニュアル臭い動きなのだよ。固いというか。経験上、あの手のタイプに直感や感性で飛ぶ乗り手はいなかった。加え、これまでの少女の動きからその性格を予想してみた結果、一つの結論が導き出された。

 そう! きっとあの少女は、理屈で考えて掃除機マシンを操作するタイプのはずだ。これで七割八割は正しいはずだ!

 だから僕達のような、とびきりのイレギュラーには弱いのさ。他には居ないキャニスター型、攻撃を防ぐのにあえて容易な方法をとらない不可思議さ、それでいながら結果的に攻撃を防ぎきる実力の高さ……これだけ見せつけられれば、誰だって警戒するさ。

 もしかしたらあの子、吸引された魔法が出力増加のための燃料に使われているとは思っていないかもね。いつかどこかで反撃されるかも、とか考えている可能性も否めない! あの大魔法は消費も高そうだし、温存している可能性もある! どのみち攻撃を仕掛けてこないってことは、それなりの理由があるって事さ! ならばチャンスだよ! よし、アプリ!」

「な、何?」

「―――次のコーナーで、勝負をかけよう」


 キャットさんは真剣な声で、私の今後の方針を決めてくれます。

 それはありがたい事です。何せ、私は初心者なので、仕掛けるタイミングも何も分かった物ではないのです。

 だから、それを教えていただけるのは、本当にありがたい事なのです。

 しかし、私は湧きあがってくる疑問を抑えきれませんでした。


「ええっと……コーナーって何?」

「平たく言えば、曲がるところだね」

「ううん、それはわかるけどそうじゃなくて……ここは空、だよね……?」

「そうだが、空にもコーナーぐらいあるさ。ほら、進路ガイドを見るのだー!」

「あ、うん……」


 すっかり忘れていました。

 このレースの空中コースには、赤い半透明の矢印が浮かんでいるのです。それは、これから先の進路を示すガイドとなっています。

 私は、他の方々についていく形で進んできたので、それの存在をすっかりと忘れていたのでした。

 こうしてはいられません。私は、ロボット型よりも先にある、遠くの空へと視線を向けます。すると、赤い矢印が浮かんでいるのが見えました。

 私達の進路を塞ぐように立ちふさがるその大きな矢印は、右方向を向いています。

 どうやら、ここから先に右カーブがあるようです。それから矢印の示す先を見てみると、そこにはもう一つの矢印がありました。それも同じく、右方向を示しています。

 あれに沿って曲がれ、という事なのでしょう。確かに、矢印一つでは分かりにくいですものね。

 キャットさんの言うコーナーとは、あれの事でしょう。

 余談ですが、コーナーの先にはいくつかの人影が見えました。他の参加者でしょう。あの影はショルダー型でしょうか。


「な、なるほどね……でも勝負をかけるって、一体どうすればいいの……?」

「どんな掃除機マシンでも、曲がる時は必ず減速する。それがほんの微量だったとしてもね。少なくとも、直線より曲がる時の方が速いというのはそうそうあり得ない。そして、絶対にインコースを取れるとは限らない……つまり」

「待って! インコースも何も、ここには車線なんて無いよね……? それに、なるべく内側で曲がりたいんだったら、できるだけ早いタイミングで曲がればいいだけじゃないの?」

「フッフッフ、みんなそう思うけれども、そう甘くはないのがこのレースさ。実は、空のコースにあるコーナーは、得てして風が荒れる地帯に設置される事が多くてね。上手く風に乗れる場所を選んで曲がらないと、すごく減速してしまうんだ」

「……な、なるほど……でもその風っていうのは、どうやってわかるの……?」


 掃除機レースの際、私達は安全のために“簡易保護障壁”という見えないバリアーをその身に纏っています。

 ですが、これがあるせいで私達は空を飛んでいても「風」を感じる事が出来ません。

 だから私が今被っている魔女帽子はなびきすらもせず、私は地上に居る時と同じ感覚で言葉を話せるのです。

 これがある以上は、風を感じ取ることなど不可能です。何も感じないのですから、把握しようが無いのです。

 私は、お餅のようにぷくーっと疑問を膨らませていきます。

 ……それにしても、我ながらなんでしょうかこの表現。ぷくーって何ですか。ぷくーって。つい少し笑いそうになってしまいます。あはは。

 なお、この疑問に対する答えは、実に長ったらしい物でした。


「確かに簡易保護障壁があるから、君自身は風を感じ取る事が出来ないだろう。けれども掃除機マシンは別さ。君が手に持っているグリップがあるだろう?

 そこから伝わる感触は、常に変化しているはずだ。もっとも身体保護によって、あまり強い負担は伝わらないようにはなっているけどね。それでも、風による掃除機マシンの揺れを把握する事ならば可能なはずだ!

 そうして皆、理想のラインを探しつつ曲がるわけさ。前置きが長くなったけれども、そのライン取りの際にインやアウトの概念が生まれるというわけさ。確かに、空に車線は無い。でも、ここが絶好! というライン取りの概念は存在する。故に、インやアウトの概念もあるわけなのさ。

 いくら曲がりやすい地点があったとしても、それが進路ガイドぎりぎりの位置だったら、あまり大きなアドバンテージにはならないだろう? 大きく外回りの曲がりになるからね。だから、皆なるべく早い位置で曲がり、インを取ろうと考えるわけだよ。わかったかい?」

「は、はあ。まあ……ちなみに、ロボット型の方は風なんて感じなさそうだけど……」

「あれは半自動思念操作型だからね。掃除機マシンのAIが自動的にいくつか曲がりやすい位置を自動算出し、乗り手にその情報を伝えるんだ。普段はただの思念操作オンリーなのだけれどね。コーナーの時はそういう補助機能が発動する。

 ま、僕達とは事情が違うって話だね。こっちは向こうとは違って、きちんと風を読まなければならないんだ。わかった?」

「う。うん……」


 何とか、形だけならば理解出来ました。

 けれども頭が少し痛みました。知恵熱によるダメージが私の脳を襲います。

 兎にも角にも、掃除機から伝わる感覚を頼りに、曲がりやすい位置を見つければ良いのですよね。

 だいたいわかりました。無理だと言う事が。


「って無理だよ! 私、風なんかわかんない! 感触って言われても! はじめてだからっ!」

「そうか……僕とした事がうっかりしていた。ウウム……ならば勝負をかけるのはもう少し後にするとして……まずはあのロボット型と同じラインを取ろう!」

「……あのロボット型の子に、ついていけばいいって事?」

「その通りだね! それで感覚を掴もう! おっと、もうそろそろ無駄話もしていられないね!」

「えっ!? ちょっとぉ!?」


 私の返事を待つことなく、ついに状況が動き始めました。

 私の前を行くロボット型掃除機が、いきなり右側に進路を変更したのです。それは緩やかな方向転換などではなく、カクン、と機敏に角度を変えるような動きでした。

 実に鮮やかな方向転換です。ロボット型の挙動は安定しています。流石、AI制御の最新型は違いますね。

 ですが、私も彼女の背を追わねばありません。

 私は、念のためブーストを止め、出力を弱にします。それから、ゆっくりと右側に体重をかけ、ハンドルを右側に引っ張っていきます。こうする事により、機体は緩やかに右を向いていきます。

 これで、慎重に慎重に向きを変えていくのです。

 前を行くあの子と比べ、何ともまあ残念極まりない動きですよね。ええ、自分でもわかっています。

 それでも、やらねばならぬのです。そう、格好悪くても、やらなければいけないのです。

 ですが、それもなかなか上手くはいきませんでした。


「あっ、アプリ! それは行き過ぎだ! もうちょっと左に戻してくれ!」

「ひ、左!? ええと……こう?」

「今度は左に偏っている! また今度は右!」

「うううう!!! やっぱりこんなのいきなり無理だよぉ!」

「大丈夫! 出来るさ!」

「な、何を根拠にぃ!?」


 私は、左右に揺れながら角度を調節していきます。

 ちなみにその間、ロボット型との距離はどんどん離れていきました。

 当然です。私はスピードを最低にして、ライン取りに手間取っているのですから。

 これは速度に差が出るのは当然でしょう。

 私は、焦りつつも、全力で角度調節に意識を割きます。


「お願いっ! 曲がってえええええええええ!!!!」

「おっ! 安定してきた! いいぞ! このままだ! 良しっ!」


 どうやら理想のラインに到達出来たようです。

 キャットさんの言う通り、クーちゃんの動きにあった違和感が消えました。

 あとは前のロボット型の動きに合わせ、少しずつ角度を調節していくのみです。

 私は、ほんの少しの達成感と共に、体感時間的にはかなり長いカーブを曲がっていきます。その間も、角度が乱れる事は多々あり、そのたびにロボット型との距離は広がっていきました。

 最終的には、距離が開き過ぎてラインを真似る事が難しくなり、私のクーちゃんは風の抵抗によって減速する羽目になってしまいました。誠に遺憾であります。

 こうしてコーナーを抜ける頃には、ロボット型はもうだいぶ先へと行っていました。

 私の苦労は何だったのでしょう。


「もうっ、一息つく暇もないし……!」


 これはいけません。 

 私は、出力を強へと戻し、再度ブーストの方もかけて加速します。

 コーナーの先は直線です。直線ならば負けません。

 その証拠に、またどんどんロボット型との距離が縮まっていきます。

 それなりに長い直線でしたので、私は再度、ロボット型に追い付く事が出来ました。

 先ほどまでと同じく、ハリネズミ攻撃の射程距離圏内までの接近です。

 このまま追い抜かなければ、どこかで距離を縮められてしまうかもしれません。

 私は、焦燥感に駆られながらも、必死に前を見据えます。

 ですが、ここで嫌な物が見えてしまいました。


「げっ! ま、また曲がりなの……!? そんな……! しかも、これ……!」

「オオウ! これはまた面白いのが来たね! 大丈夫、さっきと同じ要領さ!」

「……な、わ、け、ないでしょーっ!!!!?」


 私達の前にあったのは、右斜め下を示す矢印でした。

 今度は三次元的カーブです。下って何ですか。どんな動きですか。

 信じられません。こんなのやってられませんよ全く。

 このコースを考えた人は、絶対初心者の事を考えていないでしょう。

 こんな鬼のようなコースがあって、果たして本当に許されるのでしょうか。私は許せません。

 もう本当に帰りたいです。どうして私がこんな目に遭わなければいけないのでしょう。最悪です。


「どうして降りる動きまであるの!? こんなの無理だよ……!」

「そりゃあ、空だからね。降りる動きの一つや二つあるさ! 大丈夫!」

「……ううう。いくら空でも、これは……ん、空……? そっか、私、今空の上に居るんだ……」


 私は今更ながら、自分が雲の上を飛んでいる、という事実をはっきりと認識しました。

 お空の上を飛んでいる、といえば聞こえはいいです。現実味が薄れるので。

 ですが、冷静に考えてみれば、いくら安全とはいえこの高さは非常に恐いです。そう、恐いのです。

 そこまで思い至った時、私の全身が一気に粟立ちました。


「そっか……そうだよね、ここ、空か……空だね……はは……」


 なんとも不思議な事に、突然、全身から血の気がひいてしまいました。

 なんだか急に恐くなってきました。身体が震えてきます。これは危険な香りです。

 これまでは必死だった事もあり、自分がかなり高い所にいる、という事実をまともに認識せずに済んでいました。どこか夢心地のような気分で、はっきりと現実を見ていなかったのです。

 けれども私は、この斜め「下」に降りるルートを見たせいで、その事実を再認識してしまったのです。

 高い所は恐い、それは人として当然の恐怖なのです。私の心に、その恐怖がついに君臨してしまいました。一度でも怯えるともう駄目です。恐怖は、瞬く間に私の全身を覆い尽くしていきます。ああ、これはいけません。本当に駄目です。

 歯がカチカチ鳴り始めました、視界が徐々にぼやけていきます。油断していれば、意識までもが彼方へ飛んでいきそうです。心臓が身体狭しと暴れまわり、悲痛な恐怖を訴え続けてきています。

 こうなってしまえば私はもう駄目なのです。


「アプリ!? なあアプリってば! 大丈夫かい!?」


 キャットさんの声が聞こえます。

 ……かなりうっすらと、ですが。

 その声が、何故だか今の私には、とても頼もしく聞こえてしまいました。

 だから、私は残る力を振り絞って声を発します。


「……た……助けて……もう無理……お願い、助けて……」

「えっ!? 急に!?」


 別にこのまま落ちた所で、私が死ぬわけではありません。

 しかし、これ以上飛び続けるというのが、私にはとても耐えられなかったのです。これはふと「死」について考えて、急に恐くなる感覚に似ています。

 あえて自覚しようとしない恐怖こそが、実は一番恐ろしい物なのです。瞬間的な恐怖よりも、よっぽど胸に来る物があります。

 忘れていました。私、高い所は駄目でした。

 最初、空に飛び立った時の爽快感が嘘のようです。もう、あの時のようにハイになる事は出来ません。申し訳ありませんが、私のレースはここでお終い、という形になってしまいます。

 私は、薄れゆく意識の中で全てを諦めました。死なないのに走馬灯さえ見えてきました。けれども現実から聞こえてくる微かな声が、辛うじて私の意識を繋ぎとめてしまいます。

 それは、やけに深刻そうなキャットさんの声でした。


「……というか。助けて、いいのかい? 僕がこの状況で助けて、本当にいいのかい?」


 私には、その言葉の意味が分かりませんでした。

 ですが、この状況をどうにかしてくれるのならば、もう頼む他ありません。


「……何でも……いいから……助けて……!」

「わかった。本当にいいのだね。じゃあ、助けるよ」


 急に、キャットさんの声が近くなったような錯覚がありました。

 その直後の事です。

 閉じかけていた私の両目が、ぱっちりと見開かれました。

 意識も、やけにはっきりとしました。浅い眠りから覚めたような気分です。

 私は、咄嗟に周囲を見回そうとしました。けれども首、いえ、身体が全く動きません。

 一体どうなってしまったのでしょう。

 私の困惑は大きくなるばかりです。

 そんな時でした。

 「私」の口が、勝手に動いて言葉を紡ぎました。


「ごめん、アプリ」


 ……え?

 私が、私の名前を呼んでいます。

 すみません。自分でも何を言いたいのかが、さっぱりわかりません。

 が、これは事実なのです。事実をそのまま記したら、こんな素っ頓狂な事になってしまったのです。

 私の混乱は頂点を極めます。

 ですが、「私」の肉体は勝手に言葉を続けていきます。


「一応、合意の上ではあるのだけれども、本来の君の意思を無視したのは事実だ。これがもし反則行為に該当するのであれば、僕たちのレースはここでお終いだろう。でも、今のところは平気そうだし、僕も久々に動けるみたいで少し嬉しい。だから、やれる所まではやるけど、いいかな?」


 ……この口調、キャットさんでしょうか?

 ここで、私は最悪の可能性に思い当たります。

 これは、もしかするともしかして……ですよ。

 私は、果てしなく広がる嫌な予感から、必死に目を背けようと努力します。

 しかし、そんな私に対し「私」は、あまり言って欲しくなかった事実を、呆気なくも簡単に言ってしまいました。


「ウゥム。どうやら事実を把握出来ていないようだね。なら説明しよう。――――僕は今、君に憑依している」


 ……ひょ、憑依ですってー!?


 いや、わかってはいましたが、いざこう言われるとなんか嫌です。

 私に乗り移ったキャットさんは、少し沈痛そうな声でこう続けました。


「そう、憑依だ。あの時、君の心に大きな隙が生まれたのでね、ついやってしまった。ここまで大きな心の隙でもないと、僕はほとんど表に出てこれないからね。いや、ほんと、つい出来心で……ほとんど乗っ取る形になって申し訳なかった! けれど、これで僕はあのロボット型と直接戦えるみたいだ。レース続行だ、アプリ! なに、君が立ち直れるのなら、すぐにこの身体は返すよ」


 ……さ、左様で御座いますか。

 前から思っていましたが、キャットさんは悪霊の癖に妙に紳士的ですよね。

 本当は悪霊ではないのかもしれません。もっとも、彼の言い分を信じるのならば、ですが。

 それにしても、一度も脅すような真似をしてきませんでしたし、今回も本当に律儀な態度を取ってきました。

 こうなってくると、何だか申し訳なくもなってきます。


 ……ごめんなさい。


 とりあえず心の声で謝っておきます。


「何を謝っているのかわからないけれど、とりあえず、僕があのロボット型とやりあってみてもいいかな?」


 ……あ、うん。それはもう、どうぞ。


 私は、身体を乗っ取られる事に不安感を覚えながらも、とにかく肯定の意を示します。

 流石に、どんな狡猾な悪霊でも、こんな場所で危ない真似は出来ないはずです。

 それにもう私には、キャットさんがとても悪い霊だとは思えなくなっていたのです。

 だからここは任せます。決して、楽がしたいだとか、無理から解放されただとか、そんな事は微塵も思っておりませんから。

 何はともあれ、私の肯定を受けたキャットさんは、普段の私からは想像出来ないような芯の通った声で、格好良くもこう言ってくれました。


「よし、わかった。さあて、共に行こうか! クーシェ・ドゥ・ソレイユ!」


 こうして、キャットさんはクーちゃんと共に、私達のレースを再開させてしまいました。

 心なしか、クーちゃんの挙動も安定しているかのようです。

 まあ、機体の名前を呼ぶのも、何だか私よりも様になっていましたしね。これが経験によって出せる貫禄なのでしょうか。

 今はまだ直線ですが、右斜め下へのカーブまでの距離は、後もう残り僅かしかありません。

 ですが、私はもう確信していました。

 この人が、この程度の障害で止まるわけが無い、という事を―――


「それじゃあ、勝ちに行こうじゃあないか」


 これは後で聞いた話ですが、今の「私」の笑顔は、いつもとは比較にならないぐらい輝いていたそうです。

おまけ



ロボット型に乗る少女の術

・針生成と針射出の二つ。

・生成系の魔法には既に存在する物を生成する「再現系」と、オリジナルの物質を作り出す「創作系」の二つが存在する。この少女の針は創作系。

・針は高密度のエネルギーのようなもので、貫通性能が備わっている。これを複数生成するのが第一の術。

・二つ目の術は、実は魔法で生成した物質を遠方へと飛ばすだけの術なので、生成物質で遠距離攻撃をされた際にカウンターで使用することもできる。

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