第四話「ダンジョン突入」
グリムがここに来てからだいぶ時間が経過し、遂に太陽が沈んだ。
夏の夜特有の涼しげな清々しい空気を肺いっぱいに吸い込んで、グリムは地面に敷いたビニールシートの上に倒れこむ。アルミは空中を漂いながら何か考え事をしているようだったので無理に話しかけないようにし、彼は今日が星が多いなと思いながらゆっくりと目を閉じた。
「ちくしょー。寝心地悪いぜまったくー」
「……ごめん。ちょっと配慮に欠けてたよ……」
彼らは未だに木々生い茂る安全地帯を出られずにいた。
いや、正確には一度出るところまでは行ったのだ。
安全地帯の先には周囲を背の高い岩に挟まれた土の道があり、そこを進むところまでもいったのである。
そして、その先にある二つの分かれ道までも確認しているのだ。アルミ曰く、片方の道は危険だという事で、そうでない方の道を選んで進むところまでも行ったのである。
しかし、それでもその先に進む事は不可能だった。
「まさか、あんなに魔物がいるなんてなぁ……軽く十体はいたぞ……」
「ごめんね。あそこは普段通らないから、あんな事になってるの知らなくて……」
道の先には滝がある開けた岩場となっており、そこには多くの魔物が闊歩していたのだ。それもアルミ曰く、フェルルなんか比べ物にならないレベルの魔物ばかりがたくさん居たのだ。大きな蜂型の魔物に、鍵の束のような姿をしていた魔物、人間よりも一回り大きな蛇型の魔物、それに真夏なのにも関わらず雪だるま型の魔物すらも居た。
それでも強さの度合いを今一つ理解出来ないグリムは「よくわからないからRPGで喩えて」と問うてみたところ、アルミから「そのあーるぴーじーっていうのはよくわからないけど、とにかく全員フェルルの五倍ぐらいは強いよ」と言われたのだ。つまりフェルルがレベル五くらいで倒せる敵だとしたら、さっきのは最低でも二十ぐらいはないと辛いぐらいそうだ。これはもう流石の彼も進むのを諦めた。フェルル一体にすら殺されかけたグリムならば、進めば間違いなく死んでいただろう。
それに、先ほどのようにアルミがまた居なくなるかも知れなかったので、ここで進むのをやめようという彼女の提案は彼にとってもありがたいものであった。
夜になると魔物は更に活発になるようなので、比較的安全な朝に行動しようという事になり、彼らは少し戻って安全地帯で一晩を明かす事となったのだ。
「あー、こんな事ならもっとお菓子持ってくれば良かった。やべぇよもう帰りてー」
「ご、ごめんなさい……」
「ま、これで嘆いてても結局は体力の消耗を促すだけだよな……しゃーねー思って諦めっか」
グリムの手持ちは首にかけるタイプの水筒と、鞄に詰めておいた若干の菓子類ぐらいである。一応タオルは入っているが、これで何をしろという話だ。水筒の中身も、途中途中で何気に飲んでいるので、もう残り半分程度である。なかなか停滞している状態だ。
彼はもう全身で不満を表現し、半ば投げやりな表情でごろごろ転がり回る。
今日はもうすることも残っていないので、本当に暇で暇で仕方がないのだ。だいいち彼は先ほどのバスから降りる時に起きたばっかりなので、こんな早くに眠れるわけがなかった。
あまりにも退屈だったので、彼は気分を紛らわせるためにアルミに話しかける事にした。
――――さて、どうするか。
グリムはそこまで会話を好んでするタイプでもなかったので、正直な話、話せる話題の数はそんなに多くは無い。しかも相手は妖精種である。どういう話題が良いのかもわからない。
結局、グリムは少し考えた後に、かなり踏み込んだ質問をしてみる事にした。
「ねえ」
「えっ、何?」
「アルミさんさ、何か隠してない? バスの事故の事とか……」
口にした瞬間、グリムは激しく後悔する。
気晴らしのための会話のつもりだったのに、よりにもよってこんなに気の紛れない話題を選んでしまった事に後悔したのだ。とはいえ、前から気になっていた疑問が何となく漏れ出てしまったわけでもあるので、まあこの際だしと気持ちを切り替える。
ただし、アルミの方はあまり気乗りしなさそうな表情であった。
「それは、どういう意味かな……?」
「いや、例えばバスの天井に穴があいてた事とかさ、そもそも事故が起きた事とかさ、あと、バスの原型が留まっているのに死人が出てる事とかさ、いっぱい変なとこあるのに全スルーしてたじゃんか。それって、単に気付かなかったとかじゃなさそうだなと思ってさ」
「それは……その。グリ君、事故にあったばっかりだったから、そんなに込み入った事を聞いちゃ悪いかなと思って……」
「別に俺は」
真顔で答える。
言葉通り、グリムは事故に遭った事などあまり気に留めてはいない。確かに人が沢山死に、自分自身も一歩間違えれば死ぬような状況ではあった。
しかし、たったそれだけの話なのである。故にグリムは揺らがない。
だが、アルミはそんなグリムの反応に納得がいかなかったようで、目を細めて言葉を紡ぐ。
「……最初から薄々思ってたけど、随分と冷静なんだね。クラスメイトが死んで、ショックじゃ無かったの?」
「いや死体キモかったし、間違いなく平気では無いぞ」
「そうじゃなくて、もっと悲しいとか、ショックだったとか、無いの? 自分の命だって危なかったんだよ?」
「何言ってんだ。生き物はいつか死ぬもんだろ。そんな当たり前の事に一喜一憂してられっか。もっとも、死体は何か気持ち悪いから苦手だけどな」
「そう……」
アルミは何故か悲しそうな顔をして下を向いた。どうしてそんな表情をするのか、グリムにはそれが理解出来ない。
何はともあれ、彼はそんな話をしたくて声をかけたわけではない。これ以上話を逸らされても困るだけだ。
だから、ひとまず会話の流れを修正する事にする。
「つーかそんな話じゃなくてよ。俺が聞きたいのは、アルミさんが何を隠してるんだって話だ。話逸らさないでくれよ」
「……ごめん。そういうつもりは無かったんだよ。でも、事故に関してはさっき言った通り、グリ君に言うのが申し訳ないと思っただけだよ」
「本当にそれだけなのか?」
これは一見、追及の言葉だ。
しかし実際にアルミの言葉の真偽を確かめる事は、グリムにはとても出来ない。彼の容量の小さな脳味噌では不可能なのだ。
だから、この一言は更なる追求などでは無く、ただ単に会話を打ち切るためのものである。
グリムの予定では、ここで「本当にそれだけだよ」という一言を貰って会話終了、後は雑談か寝るだけにするつもりであった。
しかし、そんな予定とは異なり、アルミが妙に決心を固めたような表情で近寄ってきて話を続けようとしてくる。
「……ごめんね。ちょっとだけ、嘘をついてた」
「えっ?」
「何かを知ってるだとか、隠してただとか、そういうのじゃないけど、一つだけ心当たりがあるのを言わなかった、っていうのはあるの……」
「マジかよ……」
まさかの会話続行である。
聞いた本人が一番驚いていた。まさか、本当に何か知っているなんて思ってもみなかったので、正直困惑しているのだ。
だが、何はともあれこれは収穫である。
これで何らかの情報を得られるのは強みだ。いざという時、生き残れる可能性がぐっと高まるのだから。グリムの期待は高まる一方だ。
アルミは、相も変わらず真剣な表情のまま続ける。
「グリ君は、リーパーって名前の魔族、知ってる?」
それは唐突な話題であった。
魔族には複数の種族が存在し、それぞれ個々の呼称が存在する。
しかし、グリムは「リーパー」という名前の魔族に心当たりなど無かった。
心当たりがあるとすれば、全く関係ないであろう一つの事実。
「なんだ突然、俺の旧姓呼びやがって」
リーパー、というのはグリムの旧姓であった。
が、やはり話と何の関係も無かったようで、アルミは首を横に振って言葉を続ける。
「ううん。そうじゃなくて種族名。大戦の時に随分活躍した魔族の一種なんだけど……」
「じゃあ知らないな」
「そっか、ならまずその説明から始めるけど、そのリーパーっていうのは鎌を持ってる事で有名な魔族なの……」
それからアルミが語った内容は、要約すると「リーパーという魔族は謎だらけ」というものであった。
人間と魔族は大戦をやめ、今は和解して共存している。しかし、全ての魔族が人間と生活を共にしているわけではない。未だ、人間と関わろうとしない種族も幾つかあるぐらいだ。
リーパーは「どちらかと言えば、そういう類の魔物」である。
というのも、リーパーは世界大戦の時に活躍した魔族であるが、大戦後の消息が不明なままなのだ。大戦が終わり、多くの強力な魔族が相応の立場についたのにも関わらず、強力な魔族であるはずのリーパーは忽然と表舞台から姿を消してしまったのである。
またリーパー自体の情報もかなり少なく、実際に見た者の証言すらも曖昧なようだ。例えば使う武器の大きさが噂によって一定しなかったり、半透明のコートを纏っているため顔が確認出来ないとも言われている。
実は、リーパーという魔族の実態は戦争が終わった今でも謎に包まれているのだ。本来であれば、都市伝説的な存在であると揶揄されても不思議ではないだろう。
しかしながら、それにしては真実味を帯び過ぎているため、一種の伝説として語り継がれているというわけだ。
グリムはそういった事実を初めて知ったため、素直に納得していた。
「なるほどな。でも今の話、事故と何か関係があるのか?」
リーパーの話は、確かにミステリーとしては面白みがあった。
けれどもグリムには、それが今の状況とどう繋がるのかがまるで理解できない。
だが、妖精種はえらく真剣な顔で告げる。
「実は、あるんだよ」
「へえ」
グリムは驚きつつも、やはり急にそんな事を言われても実感がわかないとしか思えなかった。
大戦時代にあった伝説、そんな話と現代を繋げられてもただ混乱するだけである。少しも現実味を帯びていない上に唐突なので、どうしてもまともに話を理解できないのであった。
アルミは真剣な表情で続ける。
「さっき話した通り、確かにリーパーは表舞台から姿を消したよ。でも、今は水面下で何かをしようとしてるっていう“陰謀論”が昔ちょこっとだけ流行った事があるんだ」
「これまた酷い言いがかりだな。証拠はあるのかよ」
ようは正体のわからない存在に対し、好き勝手に憶測して噂を立てているだけである。
これで証拠も何も無ければ、えらく無責任な噂だ。
しかし、アルミは「証拠は無かったよ」と溜息を吐いた。
「だから、その時はみんな馬鹿らしいと相手にもしてなかったんだ。だけど、実はここ数年で、今回と似たような乗り物系の事故が多発しててね。それが全部意図的に起こされたかのような惨状で、誰かが“リーパーの仕業だ”って突然言い出したの」
かつて大戦時代に存在していた魔族が引き起こす、事故に見せかけた殺人。
アルミの話した内容はそれであった。
だが、やはりグリムとしては実感がわかず、つい淡泊な反応となる。
「へー。そんで、それこそ証拠とかはあったのか?」
「証拠というか、リーパーに関する大戦の資料っていうのがあってね。リーパーが戦った後の現場と、事故の現場を照らし合わせてみたら、不気味なぐらい共通点があったの」
「へえ。それは予想外だな」
グリムの予想ではもっと言いがかり的な理由だと思っていたので、そういった根拠がきちんと用意されているのは意外であった。
根拠として提示されるのが“大戦時代の資料”というのなら、確かに説得力は存在する。そうなればリーパーが水面下で動いているという説も、それなりの真実味を帯びたと言っていい。
けれど、それにしても若干カルト的過ぎないかと、グリムは少しだけ呆れていた。
だいたいにして、今を生きる魔族が好き好んでそんな事をするのだろうかという疑問がまず浮かぶ。そんな事をしたとしても、彼らにはメリットなんて何一つ無いはずなのに、だ。
しかし、アルミの口調からしてこれを信じている人はそれなりに多そうである。
「特徴はいくつかあってね。まず、侵入のためなのか、ターゲットにされた乗りものには必ず大きな穴があくの。次に、死体に付着している血の量が何故か少なくて、後は、客観的に見れば明らかに事故なのにどう見ても殺されたとしか思えない死体がある事。それと、空気が湿っている事も特徴かな」
「わお、見事に今回のとも綺麗に一致してんな」
「うん……だから、最初に見た時はびっくりしたんだよ」
伝説の存在であるはずのリーパーが引き起こした、事故に見せかけた殺人。
もしその噂が本当だとすれば、今回のバス事故の犯人も“リーパー”の仕業という事になる。
無論、そうする事によって生じるメリットは不明だ。しかしながら相手は伝説である。どんな常識を振り翳すのかもわからないのだ。そんな相手の動機を探ることなど、この段階ではまず不可能だろう。
そもそもにして、この噂が本当かどうかも曖昧なままだ。
リーパーの噂を利用した、ただの魔法使用殺人かもしれない。
結論として、これは一つの可能性に過ぎないという事である。
アルミは、ここで表情を崩して軽く笑って見せた。
「結局は、都市伝説みたいなものだからって事で言わなかったの」
「なるほどな。でも、思ってたよりはずっと根拠あってびっくりだ」
「でしょ。だからどうしてか真剣になっちゃって……ごめんね」
「いや、別に謝る事は無いだろ」
言いつつ、グリムは頭の中では全く別の事を考えていた。
今言われたリーパーの殺害現場の状態、それにもの凄い既視感を感じていたのだ。
――――ひとまずは記憶の片隅に留めておこう。
彼は、深く考えると頭が痛くなりそうだったのでなるべく思考しないようにし、ゆっくりとまた目を閉じる。
こういう時は眠るのが一番だ。
「……わり、なんか気ぃ晴れたし、もう寝るわ……」
「あ、うん。おやすみー……」
こうして気まずい空気のまま、グリムは眠る事にした。
とはいってもこの寝心地の悪さの中では、なかなか眠りにつく事は出来ず、ただひたすら長い無音の中をしばらく耐えなければいけない。彼はそれを仕方ないと思いつつも、しばらく続くその不快感にフラストレーションが溜まっていくのを感じていた。
そんな苦行が続く事数十分。彼はついに耐えきれなくなり、ぱちりと目を開けて上体を起こした。
「って、やっぱり寝られるかー!」
やはり眠れなかったグリムは、ひとまず退屈を紛らわせる何かが欲しいと思い周囲を見渡してみた。
しかし、ここは安全地帯の林だ。特に何かあるわけも無く、彼は非常に落胆する。
木々を利用して遊べるほど彼は野性児でも無く、だからといって考え事だけで時間を潰せるほど無気力でも無い。やはり何か暇をつぶせる物が無ければ駄目なのだ。それもある程度受動的な。
グリムは少し歪んではいるものの現代っ子である。だから彼がこういった思考を持つのも無理は無かった。
彼は、多少の苛立ちと共に、もっと真剣に周囲を見渡してみる。が、やはり何も無かった。
と、ここで彼は一つの事実にようやく気がつく。
「……あれ? アルミさん?」
またしてもアルミの姿が消えていた。
とはいえ前回とは異なり、今回は安全地帯での失踪だからまだ良い状況と言えた。
もしかしたらトイレか何処かに消えているかもしれない。彼女が出会った時に言った言葉から察するに、このあたりにはトイレが設置されているのだろう。ここで働いている者のための小さなトイレが。
ならば心配するだけ無駄である。グリムはため息を吐いて、再び倒れこんで天を仰いだ。空にはいくつもの星々が浮かんでいた。
――――ちょうどタイミング良く、赤い流れ星が空を駆けている。
珍しい色だ。グリムはそう思いつつも、その流れ星の軌跡を目で追った。それはグリム達が来た方向へと向かい、やがて見えなくなる。
そうだ。星を見ればいいのだと、彼は納得した。暇つぶしにはうってつけである。
「……いや、待てよ。この状況、果たしていいと言えるのか……?」
グリムの脳が珍しくきちんと機能する。
それは単純な思いつきだった。アルミが、もしこのまま戻ってこなかったらどうしようという不安からきた思考。
普段のグリムならば、面倒くさくなって即投げだすレベルの考えだ。けれども今回はそうもいかない。そこから思考がどんどん発展していったのだ。
アルミは先ほどグリムの元を離れ、後々になって助け出してくれた。助けてくれた以上、彼女に敵意は無いと判断しても平気である。だが、もしかしてそれは今回の布石だったのでは無いかと思えてきたのだ。
というのも一度窮地に追い込んで助ける事により、危なくなっても助けてもらえるという安心感を植え付け、次に本当に殺すという手段をとってくるかもしれないという考えだ。
もちろんそんな回りくどい事をするぐらいならば、最初の時点で見捨てて殺しているだろう。しかしながら、そんな定石めいた思考で油断し隙を見せる危険さを、グリムはきちんと熟知していた。何かと対峙する時、常識だけで物事を考えていると、相手の思わぬ思考によって窮地に立たされることもある。彼は身を持ってそれを知っているのだ。
だから、ここで安心は出来なかった。
「なんか嫌な予感してきた。よくよく考えたら、安全地帯だってアルミさんが勝手に言ってただけだしなー」
グリムは立ち上がる。
何だかんだで考え事だけでそれなりに時間は潰したわけだが、それでもアルミは帰ってこない。トイレにしては些か長すぎる。これはいよいよもって不信だ。
――――さて、どうするか。
グリムはこのまま移動すべきか、留まるべきかで逡巡する。
そして、ここから移動する事を選択した。しかし何処に行くべきか。
もしもアルミの発言が嘘偽りだとしたら、魔物が夜に活性化するという話も嘘と言う事になる。ならばまずは魔物の様子を確かめるのが先決だろう。グリムはそう結論を出した。
彼は、慎重に最低限の荷物をまとめ、試しに安全地帯と呼ばれたこの林の端まで移動してみる事にする。これでもしアルミが本当にトイレに行っていたとしたら酷い話になってしまうが、何も言わずに消えたのは向こうが先だ。
グリムはそそくさと移動し、先ほどの滝のあるエリアに目を向ける。
すると、意外な光景がそこにあった。
「寝てる……?」
魔物達は地面に倒れこみ、胸のところを収縮させながら寝息らしき音を立てていた。どう見ても寝ている。
アルミは「夜中に魔物が凶暴になる」と言っていたのに、これは大きな矛盾点だ。
これにより、彼の中での不信感が一気に膨れ上がる。
「……これは、本気で身の危険を考えた方がいいかもな」
グリムは、さっき眠れなくて正解だったと考える。
あのまま寝ていたら何をされていたかわからなかったからだ。
もしかしたら安全地帯というのも真っ赤な嘘で、彼が寝ている間に魔物達を引き連れたアルミが現れ、彼を餌にするかもしれない可能性もある。そう考えると、もうグリムはさっきの場所には戻れなかった。
かといって、ここを進むのにはリスクもあった。彼が一歩踏み入れた瞬間、魔物達が一斉に目覚めて襲いかかってこないとも言えないからだ。
どうするか。少しだけ考え、すぐに結論を出す。
「そういえば、一ヶ所だけ、あの妖精種の関与してなさそうなとこがあるじゃねぇか」
それは、先ほどの分かれ道でアルミが危険だと言って行かせてくれなかった方の道だ。
グリムに行かせないようにしていたという事は、そこには彼女にとって何か都合の悪い物があるという可能性もある。それはつまり、ここから出るための何かがあると考えても不思議ではない。
そうなってくると話は早かった。
グリムは即座に身を翻し、道を引き返そうとする。
――――が、その際に木の枝を踏んでしまい、枝が折れる乾いた音が周囲に木霊した。
その瞬間、グリムが何をするよりも早く、状況が大きく動いた。
眠っていた“はずの”大きな蛇型の魔物が、ゆっくりと動いてグリムの方を見てきたのである。白い縞模様が、黒くて大きな蛇だ。そのサイズは、グリムの小さな身体を大きく上回っている。
グリムの胴体よりも太い身体、グリムを頭から呑み込めそうな巨大な口。そして琥珀色の眼。
そんな大きな大きな蛇型の“魔物”が、グリムの方をじっくりと見てしまったのである。とぐろを巻いた身体を徐々に伸ばしながら、グリムの方を無感情な眼で見てきたのだ。
グリムは、咄嗟の事実に思考を停止してしまった。
「……マジ、かよ」
アルミ曰く、フェルルよりも強力な魔物が“たった一体”目を覚ましたのである。
しかし、その一体に見られただけでグリムは動けなくなった。威圧されたのである。グリムと魔物の間には、それなりの距離が開いていた。けれども殺気は届くのだ。
その蛇型の魔物が放つ殺気は、フェルルとは比較にならない。
グリムは自らの軽率さを悔いた。
「……あーあ、やっちまった。せめて魔法さえ使えたら……」
そんな思いが胸中を埋め尽くす。
しかしそんな事を考えたところで、グリムの壊れた許可証が直るわけでもない。
もしも魔法を使えたら、この魔物にさえ勝てる。そんなグリムの自信も今は無意味なのだ。
グリムは本能的に理解していた。今、自分が立っている場所は蛇型の魔物からある程度は離れているが、それは何の気休めにもならないという事を。
魔物は魔法が使える、故に遠距離魔法を使われたらそれで終わりなのだ。もしくは素早い移動によって距離を詰められても終わりである。
グリムは静かに諦めようとした。
が、ここで蛇型の魔物が口を開く。
「貴様、人間カ?」
蛇型の魔物が喋ったのだ。それもやけに甲高い声で。
そのギャップに、グリムは言葉を失う。
だがすぐに気を取り直し、蛇型の魔物に対して言葉を投げかける。
「……えっ? 喋れる、のか……?」
グリムはいきなりの事態に混乱し、まともな質問を考える事すら出来なかった。
そんなグリムの反応に、蛇型の魔物は呆れたような気配を出しながら、ゆっくりと言葉を返してくる。
「何モ知ラナイヨウダナ、ナラバ“リーパー”ガ狙ッテイタ人間ノ“生キ残リ”トイウワケカ」
「リーパー……? いきなり、何を言っているんだ……?」
ここで我に返ったグリムは蛇型の魔物に疑問を投げかけた。
魔物が何を言っているのかよく理解できなかったからである。
そして出てきた『リーパー』という単語、これについても疑問は絶えない。
先ほどのアルミとの会話で登場した謎の魔族“リーパー”。
今回の事件の犯人である可能性が高い“リーパー”。
その名前が、ここに居る魔物の口から洩れたのだ。これは何かあると思わざるを得ないだろう。
……リーパーは実在する?
グリムは少し考えるが、その程度では答えなど出ない。
そのうえ更に、魔物の口から衝撃の事実が語られる。
「ソウカ、貴様ハ“リーパー”ノ餌ニ選バレタノダナ。ナラ良イ。ココノ魔物ガ起キヌウチニ行クガイイ。貴様ハ喰ワン」
喰わん、と言っているあたり、普段だったら人間だと認識した物でも食べるのであろうか。
グリムはそういった事を考え、その気持ち悪い生々しさに身を震わせる。
しかしながら、確かにここに留まっていて他の魔物が目を覚ますのは良くないだろう。
幸い、唯一起きたこの蛇型の魔物は温厚に接してきてくれているので、グリムはこれ以上状況が悪化する前に移動するのが吉と考えた。
「どういう事かわからんけど、とにかく見逃してくれるんだよな……?」
グリムのその疑問に、蛇型の魔物はコクリと頷いた。
それからグリムは動く。まだ聞きたい事や、解消されていない疑問は山積みだ。けれども複数の魔物が眠る場所の近くで長話できるほど、彼は肝が据わっているわけではなかった。
――――グリムの脳裏に三つの情報が追加される。
魔物は夜に眠る、しかし音で起きる魔物も居る、リーパーという単語が魔物の口から出た。ひとまずこれらの情報は脳内に叩きこまれる。
彼は急いで来た道を引き返し、分かれ道のところまで戻る。そして今度は逆のルートを選択し、まっすぐ続く土の道を走っていく。一応、安全地帯と呼ばれた場所は抜けているあたりなので、もし妖精種の話がそこだけ本当だったら相当危険である。だから、なるべく最短で駆けるようにしたのだ。
だが、グリムの心配に反して、走ってる間に魔物が襲いかかってくる事は無かった。それどころか、周囲の音は不気味なほど静けさを増し、足音以外の音が何も聞こえなかった。何かが潜んでいる気配すらも無い。これはあまりにも不自然だった。
「……やっぱり、安全地帯ってのは嘘なのか……? それとも……?」
そんな疑問を抱きながら、ひたすらに走る。
そうして走る事数分、彼はようやく開けた場所へと辿りつく。
そこは、相変わらず周囲を背の高い岩で囲まれているものの、さっきまでの道とは違い円形にくりぬかれているような形の場所だったので、それなりの広さがあった。
そして、その奥には洞窟の入り口のような場所が見えた。中は暗く、一切の光が無かった。
――――さて、どうするか。
「……これ、もう入るしかないパターンだよな……」
正直な話、他に選択肢が無かった。
妖精種を信じきれず、魔物の居た地帯を進む勇気の無かった彼は、もうここから先に進むしか無いのだ。
たった一人で、魔法も使えず、身体能力もそこまで高く無い彼だが、どうにかしてここを抜けるしかないのである。仮に魔物がいたとしてもだ。
彼は喉を鳴らし、その時に喉の渇きに気付く。咄嗟に水筒を咥え傾けるが、全部飲んでしまうのは流石に不味いと判断してほんの少しだけ残しておく。
それから深呼吸し、じっくりと無くした体力の補給をする。これから先、疲れて走れなくなって状態で魔物との遭遇もあり得るわけなので、出来る限り体力が戻ってから行動する必要があった。とはいっても、突然後ろから妖精種が追いかけてくる事もあり得るので、そこまで悠長にしてられないのも事実だ。
彼は、ある程度体力が戻った事を認識し、だいたいこれぐらいで大丈夫と判断して前へと進む。
暗い、洞窟の中へと。




