第三話「出だしから、詰む!」
今時の箒レースは凄い物です。
というのも、魔法技術の発展+科学技術の導入によって、乗り物自体の性能が飛躍的に上昇したのです。
最初は、ただの箒を魔法で操作するだけだったらしいこのレースですが、いつの間にか箒は自立飛行するようになってしまいました。
魔鉱、という物があります。これは特殊な鉱石で、簡単に説明すれば「魔法を使える鉱石」となります。
魔鉱からは、魔法を使うのに必要不可欠な“魔力”が自然と溢れ出るようになっているのです。そして、これを特定の組み合わせで用いる事により、それだけで魔法を発動させられる「マジックアイテム」を作る事が出来るのです。
とまあ、その魔鉱技術と科学技術は、最近一つになりつつあります。
わたくし、アプリ・アクセルハートは、残念ながらそちらの専攻ではないの詳しい説明は出来ません。
けれども流石の私だって「ようは魔法の力を持つマジックアイテムに科学技術がプラスされる事によって、なんか凄い物が出来てしまった」という事だけはわかっています。
その凄まじいまでの技術進化は、箒にも大きな影響を与えました。箒は、魔鉱と機械をどんどん組みこまれていった結果、完全に元の原型を無くしてしまいました。そして、最終的に行き着いたのが、偶然にも“掃除機”という形状だったのです。
最近では“掃除用の掃除機”と“レース用の掃除機”が別個に売られているぐらいですよ。まあ、箒の時も同じような売り方だったそうですが、こちとら知ったこっちゃありません。
とにかく時代は進み、技術は進化して、こういう形に収まったのです。
どんな進化じゃーい、と思いますよね?
私もそう思います。どんな進化じゃい。
けれども、まあそうなってしまった物は仕方がありません。それに、もう二度と箒レースに参加する予定の無い私には、ほとんど関係の無い事なのです。
ちなみに、今日はついに箒レース開催の日です。
もちろん私も、自らに取り憑いた悪霊を成仏させるため、これに参加する羽目になりました。
そんな私の気分は曇りに曇っていました。
「はーっ……やだなぁ」
「少女……いやアプリよ! そう悲観する事は無い! 僕がついている! 勝てるさっ! 絶対にね!」
「や、そういう話じゃなくて……」
私の肩に乗っている黒猫型の悪霊さんは、相も変わらず人の話を聞いてくれません。
それにしても、こんなに分かりやすい形で悪霊と一緒に居るというのに、今の今まで誰もその件に触れてくれませんでした。
今回、町役場前に集められた選手達の人数は、相当なものです。
町役場は、薄汚れた巨大な豆腐に、とりあえず窓と自動ドアをつけただけのような、とても寂しい建物です。
ですが、その前に展開している駐車場は広く、そこには大勢の人が集まっていました。
ええ、本当に老若男女様々な参加者達が集まっているのです。
ちなみに、私の住んでいる地方は「戦争時代に人間の領土だった」という過去があるせいか、あまり魔族の参加者は見られません。居たとしても、人間に近い見た目の魔族ぐらいです。
それにしても、これだけ人が居るのなら、他にも霊視可能な人も絶対に居るはずです。
なのに誰も何も突っ込んでくれないあたり、もしかしたらこの悪霊……キャットさんは、私の使い魔か何かだと勘違いされているのではないか、とさえも思えます。
ですが私の悲観の理由は、それとは全く関係ありません。
むしろ、もっと大きな問題がありました。
私は、羨望の眼差しで、他の参加者の乗る掃除機に視線を巡らせます。
「みんな……すごそうなの乗ってるなぁ……格好いいなぁ……いいなあ……」
最近の掃除機は、本来の目的である清掃すらも忘れさせる程、どれも洗練された格好良いデザインとなっていました。
一口に掃除機、とは言っても様々な種類があります。
まず目についたのは、大半の人が持っている「スティック型」の掃除機でした。
掃除機のパーツは主に、吸引口の先端に取り付ける「ヘッド」と、長さを調節するための「伸縮管」と、電源のオンオフや強弱の切り替えを行うための「制御部位」と、持ち手となる「グリップ」と、モーターや配線などの重要機器が詰まった「本体」の五つとなっております。
掃除用掃除機には「伸縮管」の代わりにパイプが使われる事もありますが、レース用掃除機は全て「伸縮管」で統一されています。レースをする分では長さが調節出来た方が便利ですもんね。
ヘッドの形状はT字型の物が多く、本体には必ず排気孔がつけられています。また、掃除機のタイプによってホースがついたりつかなかったりします。
この「スティック型」の場合は、ホースがついていない物がほとんどです。加え、伸縮管がついていない場合もあります。
これは縦長のコンパクトなデザインの掃除機で、具体的にはT字型ヘッドのすぐ上に、小型化した楕円体状の本体が取り付けられており、そこから上に真っ直ぐ伸縮管とグリップが伸びている、という形状をしていました。物によっては伸縮管とグリップの代わりに、細長いグリップスティックが付けられています。どちらにせよグリップのすぐ傍には、操作しやすいようにか制御部位がくっついていました。
……まあ平たい話が、細長い立てかけ型の掃除機というわけです。
そして本体の下半分は、クリアパーツによって構成されていました。正確には別パーツ扱いなのですが、見た感じの印象のみで判断するのであれば、やはり本体の一部がクリアパーツになっているように見えます。これは、本来の掃除用掃除機であれば「ダストカップ」というゴミを収集する場所なのですが、現在、その中には銀色の塊が見え隠れしていました。
あの銀色の塊は補助魔法自動発動用ユニットです。この補助ユニットは魔鉱で作られていまして、掃除機の稼働に合わせて安全に空を飛ぶための魔法を自動発動してくれる、という優れ物なのです。主に、重力制御魔法や、高空域での呼吸用空気の生成魔法に加え、風圧衝撃緩衝用簡易障壁の生成魔法などを自動的に発動してくれます。お陰で、生身で空を飛んでも人は平気でいられるのです。
レース用の掃除機は、紙パックやダストカップを入れる箇所に、そういった特殊補助ユニットを入れるのが主となっているのです。
そんな最新技術の塊に、私は思い切り目を輝かせました。
少年心、というよりは単純に羨ましかったのです。だっていかにも新しい、という感じがするじゃあないですか。
「スティック型……いいなぁ……」
しかも見た限り全部コードレスです。“私の”とは大違いです。
スティック型は、全体的に洗練されているデザインで、多くの人がこれに跨って空を飛ぶ事になります。
操作性が従来までの箒と大差ない事から、これが最も人気のあるタイプとなっております。このスティック型は、別名「競技用掃除機」とも呼ばれており、レースの際に用いられるのはこれが殆どです。
今や、国内の企業も海外の企業も、このスティック型の商品開発に力を入れています。やはり一番人気ですからね。
クリアパーツなどを用いたスタイリッシュなデザインや、実際に動かした時の操作性の高さなどが、主な人気の秘訣であると私は考えます。飛んでいる時の姿も、なかなか様になりますしね。
私の心は、羨望と憧れで埋め尽くされます。
けれども、キャットさんはそれを快く思わなかったらしく、珍しく不機嫌そうな声を放ちました。
「フン……僕は気に食わないねぇ。あんな格好つけの掃除機なんて、なんだか拘りが感じられないよ。せめて改造ぐらいはしないと。もっと独創性がある方が僕としては好みだね。たとえば、ほら、あれとか」
私の肩に乗る黒猫さんは、前足でとある掃除機を指し示します。
そこにあったのは、ジャージを着た体躯の良いお兄さんの手に持たれた、手持ち型の小さな掃除機でした。
先ほどのスティック型を、可能な限り小型化したようなデザインの代物です。もっと言うのであればT字型ヘッドに直接、小型化された本体がつけられ、そこにグリップが足されただけのような小さな掃除機です。
……つまりは手持ちサイズの小型掃除機です。
もっとも本体部分には、先ほどのスティック型と同じように小型ダストボックスが付けられているため、一応、それなりのサイズはある事にはあるとも言えます。ですがまあ、それでも他と比べれば、圧倒的に小型であると言えるサイズでしょう。しかもコードレスです。
あれは「ハンディ型」と呼ばれるものです。
小さいので使用者の身体との接地面積が少なく、物によって全然デザインが異なるため、一般的に上級者向けとされている掃除機です。扱いにくい代わりに、慣れると相当アクロバティックな運動性を発揮出来るそうです。道理で、小慣れてそうな人しか持っていないと思いましたよ。
それと本体重量がかなり軽いので、掃除機を操作するための念動魔法を阻害することなく、他よりも素早い動きが実現出来るのだそうです。言ってしまえば、小回りのきく機動力特化の掃除機というわけなのですよ。
これも確かに競技用として用いられる事もあるそうですが、本当に少数派であると聞いた事があります。
どうやら、キャットさんはこういったマイノリティーに対し、よくわからない浪漫を感じる猫だったようです。
ですが、私の気持ちとしては「ふーん」という想いしか湧きあがってきませんでした。いや、嫌いなわけではないのですが、特に興味を引かれるような代物では無いと思ったのです。
むしろその傍に居た、機械のような厚い円盤を持った女の子の方が、比較的気になるぐらいです。
その一見ショートカットにも見える女の子の背中では、三つ編みで一本に纏められた髪が、まるで猫か何かの尻尾のように揺れています。そんな彼女の表情は、まるで遠くを見ているかのように虚ろでした。なんかぼーっとしているように見えます。やけにぶかぶかな服装が、その印象を増長しているようにも感じますね。
そんな女の子の手に持たれている、あの機械的な厚い円盤は、最新の「ロボット型」掃除機です。
ノートパソコン程度のサイズの円盤は、ふちの部分が黒く、上面が銀色となっていました。その上面には制御部位がつけられています。ロボット型は、そんなシンプルなデザインが一つの魅力となっている掃除機です。
本来の掃除用では、自動的に動いて掃除を行ってくれる、というのがこのロボット型です。しかし、レース用ではなかなか違う機能を見せてくれます。
レース用のロボット型は、魔法による操作補助機能の充実や、最新の電子制御により挙動を安定させる機能の実装など、様々な付随効果が見られる代物なのです。その上、あの女の子が持っている物は最新機種です。CM曰く、よく止まり、よく曲がる、というのがキャッチフレーズの商品だそうです。しかもコードレスです。
けれども、やはり他の掃除機と比べると安定し過ぎていてスピードに欠ける、という評価を受けているのもまた事実です。
長所と短所がはっきりと分かれている最新型掃除機。これは最近、家電店やスポーツ店でよく見かけられるので、比較的私の興味を引くような物でした。
このロボット型掃除機も、周囲を見回せばちらほらと見つかりました。やはり人気のようです。
けれども私が見た限りでは、ぼーっとしている女の子が持っている機種が一番高価な品であり、そのせいか彼女は周囲の視線を多少なりとも集めていました。流石、国産最高峰の技術機は扱いが違います。
そんな中、私は劣等感を隠しきれずにいました。
「それに比べて……私のは……」
「あれ? アプリじゃない! こんな所で何してんの?」
突然、私の耳に甲高い声が届けられます。
この声には聞きおぼえがあります。故に私は、つい反射的に身ぶるいしてしまいました。
もし私の想像が正しければ、これは最悪の遭遇という事になります。
私は、万が一の可能性に賭けながら、そーっと声のする方向に目を向けます。
すると、そこには灰と黄に彩られたスティック型掃除機を持った、いかにも性格の悪そうな小さな女の子が立っていました。服装は、ショートパンツと胸に巻いた布一枚のみ、という露出の多いものです。両手には指抜きグローブがはめられています。
その短い髪は黒いリボンによって両サイドで縛られていて、それが何とも言えぬ可愛らしさを演出しています。
こんな見た目の少女を、私はたった一人しか知り得ません。
嫌な想像、大当たりです。
私の眉は、計らずとも八の字を描いてしまいました。
「こ、こんにちは……ベゼちゃん」
「ん。で、アンタはこんな所で何してるわけ? まさか、このあたしの応援に来たわけじゃないでしょうね?」
そう自信満々に言い放つこの子は、私と同じクラスのいじめっ子です。もっと具体的に言えば、私をいじめている女の子です。
名前を、ベゼ・スパイトフルと言います。
ベゼちゃんは、まだ十三歳だというのに二つも飛び級して、私のクラスに居座っている同級生です。
つまり、私は年下の女の子にいじめられているという事になるのです。まあ、何とも情けない話で。
休み時間に延々と嫌味を言われ続けたり、大事なプリントを奪取されて追い回す羽目になったり、体育の時間にやたらと無理を言われたり、本当に色々な事をされてきました。辛かったです。辛いです。
そんな相手に遭遇してしまい、私の心は更に落ち込んでしまいます。
その上、今は見られたくない物もあるのです。これが落ち込まずにいられますか。
しかし、ベゼちゃんはそんな私の気持ちを無視して、いつも通りの早口で、どんどん好き勝手な事を言ってくれます。
「もしかしてアンタ参加者? それにしてはコスプレみたいな格好よね? 何? その年にもなって迷子なの? まさか……ね」
確かにベゼちゃんの指摘する通り、私の格好は些かコスプレのようでした。
焦げ茶色の魔女帽子に、橙色のワンピース。その上には、焦げ茶色のカーディガンを纏っています。ご丁寧に、両手には焦げ茶色のグローブまでもがはめられています。
キャットさんは、これに加えてマントまで付けようと言っていましたが、それは流石にレースの時邪魔になってしまうので却下しました。しかし、それを抜きにしても十二分に変な格好です。
これではまるで、ハロウィンの時の魔女のようです。いや、好きでやってるのではないのですよ。
その上、私の腰元には、焦げ茶色のウェストポーチのようなものが付けられています。収納部分に相当する部位はやけに機械的で、身体に巻くベルトの素材も頑丈そうなものです。
これは、私がこのレースに参加するにあたって、必要不可欠なものなのです。
けれども、コードレス掃除機を用いるベゼちゃんに、その意味はわからなかったようです。
その代わり、ベゼちゃんが私の足元を見て、ある物に気が付いてしまいました。
そう。私の足元にある掃除機が、ついにベゼちゃんに見られてしまったのです。
「……って、アンタやっぱり参加者……!? いや、それにしても、その掃除機は……! えっ!? アンタ本気でそれで出るつもりなの? 正気!? うそでしょ!? 信じらんない!」
「うう……おっしゃるとおりで……」
私の掃除機は、なんと前時代的なキャニスター型でした。
ヘッドと本体が伸縮管とホースで繋がれており、本体には二つの車輪がつけられているという、掃除をする際には最もポピュラーな掃除機ですよ。ホースの先にはグリップがつけられており、そのすぐ傍には制御部位がくっついております。実にスタンダードなデザインです。
「掃除機」と言われて、多くの人が浮かべるデザインはこのキャニスター型となる事でしょう。
私のこのキャニスター型掃除機は、全体的に茜色で彩られています。まあ、そこに関しては私も許容範囲内です。
ですが、最新のクリアパーツを利用したような近未来的デザインではなく、むしろ前時代的な古めかしいデザインとなっているのです。本体のデザインは実にシンプルで、遠目で見れば、大きな楕円形のプラスチックの塊にしか見えません。装飾性、ゼロです。そうなのです。これは古いデザインの掃除機なのです。
しかも微妙に薄汚れています。当然ですよ。
これは、キャットさんが私に指示を出して作らせた、特殊改造掃除機なのですから。
その上、なんと驚いた事に、これは廃品になった掃除用掃除機を改造して作られたものなのです。
これは、キャットさんが生前使っていた掃除機を再現させたものだそうですが、それにしても酷い格好悪さです。時代が滲みでています。ていうかキャットさんはいつ生まれなのでしょう。
何にしてもキャットさんの指示は複雑で、ここに至るまでの間、私はずっとこの掃除機とにらめっこしていました。一応、あまりにも細かかったり複雑な部分は、キャットさんが私の身体を操作して補助してくれました。これに関しましては合意の上なので犯罪にはなりません。
とは言っても、やはり大半の作業は私の手によるものでした。本当に辛かったです。
そのせいで、キャットさんの生前の活躍でも調べようと思っていた予定が、完全に台無しになってしまいました。それぐらい余裕が無かったのです。掃除機の種類に関しても、全てキャットさんからの口頭説明でした。私は、何も調べる暇が無いぐらいに忙しかったのです。
一応、それでもインターネットで「キャット・ビビビビビエド」と検索をかける程度の暇ならあったのですが、そうした所で有益な情報は何も出てこなかったのです。やはりインターネットは信用できませんね。だから図書館にでも行ってじっくりと……と考えていたのですが、それも忙しいという理由で実行に移せませんでした。繰り返すようですが本当に忙しかったのです。
だからこそ完成した時の感動はひとしおでしたが、こうやっていざ会場に持ってくれば、同じタイプの掃除機を使っている人など全く居なかったのです。
私は知らなかったのです。キャニスター型は、一番レースに向かない掃除機だという事実を。
いや本当、知った時は相当ショックでしたよ。
それなのに、ベゼちゃんは親切丁寧に、いちいち言わんでもいい説明を始めてしまいました。
「あのねぇ。アンタは知らないのかもしれないけど、そのキャニスター型掃除機はレースに向かないの! 何でか分かる?
キャニスター型は、乗りにくい、飛行性能が悪い、あと致命的にダサい! の、三拍子なの! 一時期はそのポピュラーさのせいか、ちらほら見られたみたいだけど……すぐに廃れたわ。はっきり言って時代遅れ。言ってみれば化石のような物よ? 多分、今時の掃除機乗りだったら、知らない人の方が多いと思うわ。それぐらい古くて使えないの。
それなのに何でアンタは、どうしてそんなダメ掃除機なんかに乗ろうとしてるの? 本当に何も知らなかったわけ? しかも、見るからに年代物じゃないの! そんなんじゃ、本当にビリ確定よ? わかってる?
あっ、しかもそれ、コードレスとかじゃないの!? じゃあもしかして腰につけてるの給電パック!? ダッサ! いくらなんでもダサすぎ!」
「うう……」
返す言葉もありません。
それどころか、全面的に同意する他ありません。
だけど、私だって、本当はもっとまともな掃除機に乗りたかったのです。
けれどもキャットさんが、これでいけこれでいけと本当にやかましかったのですよ。
これで断って、成仏してくれなかったら困るじゃあないですか。
だから、従う他無かったのです。わかって下さい。私は眼だけで必死に訴えます。
しかし、ベゼちゃんはまるでわかっていない顔で、またまたやかましい説明を再開させてしまいます。
「ていうか、その掃除機本当に大丈夫なの? 静音性とか絶対ないでしょ! それ何dbするの!? 絶対うっさいに決まってるけど!
しかも排気の清潔感も無さそうだし、その見た目だと最新技術も全く組みこめて無さそうだし、それなのにも関わらず重量も相当なものよね。この時点でもう酷過ぎる。だけど、やっぱり排気が最悪そうね! もう環境にまで被害を出すとか、本当に最悪な掃除機ね、それ! いっそ箒持ち出してくる方がまだマシ!」
ベゼちゃんはそこで言葉を切りました。
それから、今度は自分のスティック型掃除機を手に取り、私に見せつけてきます。
灰色のボディに、稲妻のような黄色が走るデザインの代物です。しかも海外大手メーカーのロゴまでついています。
ベゼちゃんのスティック型掃除機は、海外メーカーであるせいか、これまで見てきたものとは少々デザインが異なっていました。
T字型ヘッドから本体を挟まずに直接細長い伸縮管が伸び、その頂点にグリップがついているという形状なのです。
それから、通常以上に小型化された本体やダストカップが、グリップのすぐ傍に密集してつけられているため、伸縮管の細長さがより一層際立つ、というような独特の形状になっているのです。他の多くのスティック型が、本体とグリップの間に長さを補完するパーツを付けているのだとしたら、ベゼちゃんのスティック型は、ヘッドと本体の間に長さを補完するパーツを付けているという形になっております。
……言うなれば、ブラシと持ち手部分だけが機械化したモップ、というのが印象に近いです。
特に、円筒状の本体の下に直接つけられている、そのグリップの形状はかなり特徴的です。まるで銃のようなトリガー状となっているのです。引き金のような赤いボタンまで付けられています。あのボタンは、バイクでいうアクセルのようなものです。
あれは、ボタンを押している間だけ掃除機の前進機構を機能させる、という代物なのです。これは細かなアクセルワークが要求された時に、非常に役立つ機能であると私は聞いております。
もっとも、飛行時にはグリップを前後逆に持たねばならないので、通常の引き金のようにボタンを人差し指で押すという事は不可能となっておりますけどね。なので、飛行時には親指でボタンを押さねばならないらしいです。って、ちょっと余談でしたか。
兎にも角にも、これを搭載している掃除機は、一般にトリガー式と呼ばれております。ここに至るまでにいくつかのトリガー式を見てきましたが、ここまであからさまなのはベゼちゃんの物ぐらいですよ。
はっきり言って、私の掃除機とは雲泥の差です。
私も、こんなマトモなのに乗りたかったです。
そんな私に見せつけるように、ベゼちゃんは得意げになって説明を始めてしまいました。
「それに比べて、あたしの掃除機は完璧だわ! これね、パパに頼んで作ってもらったあたし専用オーダーメイドなの。バアルゼブルっていうのよ? カッコイーでしょ!
頑丈な物理防御特化簡易保護障壁の生成から、加速時抵抗力に対する還元魔法の自動調節ときて、しまいにゃ優れた念動系の術による抜群のコーナリング性能までも兼ね備えているという、まさに究極の一品! 更に更に! 他よりも断然性能の良いデジタルモーターだって搭載している最強の機体なの! アンタのそのショボ掃除機とはスペックが違うの! へへへっ!」
「は、はあ……そうなんだ、あはは……」
詳しい事はよく理解出来ませんでしたが、ようは掃除機に搭載されている機能がスゴイ、という事を言いたかったという事だけは理解出来ました。
ベゼちゃんの家はとても裕福です。その上、父方の祖父が魔族だったそうで、そのせいかベゼちゃんの魔法技術も大変優れたものになっております。
加えて言うのであれば、ベゼちゃんはその他においても優秀です。
勉強だって運動だって、何事においても一番を取り続けてきているのです。
前に、体育の授業で箒を用いて空を飛んでいた事もありましたが、ベゼちゃんの箒操作は素晴らしい物でした。本当に鮮やかな空中遊泳だったのです。ベゼちゃんが空中で一回転するのを見た時、本当にもうこの子には勝てないなと、私は一人苦笑いを浮かべていましたよ。
兎にも角にも、そんな凄い子が凄い掃除機に乗る、という事になっているのです。
私にはとても勝てそうにありませんし、別に戦うつもりもありません。
だから、私は愛想笑いを浮かべるだけ。
これでやり過ごすしかないのです。
ですが、何故だかベゼちゃんの表情は、だんだん不機嫌そうなものへと変わっていきました。
「アンタさあ……またそうやってヘラヘラして。一体、何考えてんの? 馬鹿にされてんのよ?」
「えっ?」
「こんだけ馬鹿にされて、悔しくないの? 見返してやろうとか思わないの? どうしてそんな自分でいいって思えるの? ねえ?」
「えっ、えっ?」
急に怒られてしまいました。いつもこうです。
だからこの子は苦手なのです。本当に理不尽ですよね。
勝てないものは勝てないわけですし、その事実がある以上、私はベゼちゃんに何を言われても文句は言えません。だから私の判断は仕方が無いものなのです。
それなのに、どうしてこの子はこうもわからず屋なのでしょう。
本当に理解に苦しみます。やはり年齢が違えば考え方も変わるのでしょうか。
ベゼちゃんは、私を睨みつけます。
その眼には、敵意しかこもっていないようでした。
「……もういい。ま、アンタのような雑魚は、適当な所でコースアウトでもして負けちゃったら? 少なくとも、そんな中途半端な気持ちで勝てるとは思わないでね」
そう言い残して、ベゼちゃんは何処かへ歩き去ってしまいました。
本当に、何が不満なのでしょうか。
私の胸中には、疑問が募っていくばかりです。
こうして私が考えていると、今度はずっと黙っていたキャットさんが口を開きました。
「あの少女……気に食わないね。僕の“クーシェ・ドゥ・ソレイユ”を馬鹿にするだなんて、いい度胸をしている。よし! アプリよ! 僕たちは、彼女に勝つ事を目標に頑張ろうじゃないか!」
「ええっ!?」
思わず大きな声を上げてしまいました。恥ずかしい。
しかし、それにしても変な事を言われてしまいました。
このキャットさんは、いきなりベゼちゃんを目標に設定してしまったのです。
これには流石の私も固まります。あり得ません。
こんな目標を立てられてしまったら、もしかしたらレースに参加するだけではキャットさんが成仏してくれなくなる、という可能性だって出てきてしまうのです。最悪です。
こうなってしまった以上、恐らく私が何を言ったところで無駄でしょう。最悪です。泣きそうです。
あ、ちなみに余談ですが、今キャットさんが言った「クー……なんとか」という名前は、この掃除機の名前だそうです。よく覚えていませんが、確か立派な名前だったはずです。多分、名前負けしています。
閑話休題。
さて、そろそろレース開催の時間が近付いてきています。
アナウンスが流れ、参加者の皆さんは、徐々にスタート位置へと移動していきます。
私は、周囲の動きを見ながら、ぎこちなく移動しました。
その際、私と同じタイプの掃除機を持ったおじいさんが見えて、私は少し仲間意識を感じてしまいました。ですが、よく見たら微妙に違うタイプの掃除機だったので、私はやはり落胆する気持ちを抑えられなくなります。
その薄髪のおじいさんが持っている掃除機は、本体とヘッドが伸縮管とホースによって繋がれている、という点では私のキャニスター型と同一です。しかし、本体部位のデザインが微妙に異なるのです。おじいさんの持っている掃除機には、車輪がついていませんでした。鞄のような直方体型の本体だったのです。
その本体から伸びる黒いベルトを肩にかけ、おじいさんは元気そうに歩いていました。もうお迎えも近いであろう年齢だというのに、猫背にすらなっていません。キビキビと歩いています。肩にかけている掃除機の重量すら、まるで意に介していないかのようです。
あれは「ショルダー型」と言われる代物です。
掃除の時、本体から伸びるベルトを肩にかける事により、高い位置の掃除などを行えるようにするための掃除機なのです。もっとも、レース用の場合はまた違った使い方になるのですけどね。あれも最新型のものに違いないでしょう。緑色のメタリックボディ。緩やかな曲線を描く形状。デザインがやけに現代的です。しかもアレ、コードレスです。
やはり、私の物とは大違いですよ。はっ。
その上、ショルダー型は伸縮管に跨って飛べるため、キャニスター型とは根本的に異なるのです。レース用のショルダー型は制御部位が本体につけられているので、そういう事が出来るそうなのですよ。キャニスター型とは、本当にただ似ているだけなのです。
私の孤独感はますます強まります。
思わず、溜息さえも出てしまいました。
「……あぁ、やだなぁ……早く帰りたいなぁ……」
「フッ、ならば誰よりも速くゴールを決め、さっさと帰るのが最適じゃあないか……!」
「そういう問題じゃないよ」
「ならばどういう問題なのだい? 心配するな! 僕を信じるのだー!」
「無理だよ」
「ならば自分を信じるのさぁ!」
「もっと無理だよ」
「それならば、自らの掃除機を信じろぉー!」
「それが一番無理だよ!」
と、まあこんな事をしつつ、私は自分の開始位置につきました。
私は、自分の掃除機の本体についている取っ手を持ち上げます。
これが、前から後ろに展開するタイプの取っ手で本当に良かった、と思います。
何故ならば――――
「よい、しょっと……」
―――私の座る場所が、なんとか確保出来たからです。
私は、本体部分の上に座り込み、先ほど持ちあげた取っ手を右手で掴みます。取っ手を掴むにあたってワンピースの裾が邪魔だったので、ここは恥かしながらも少し捲らざるを得ませんでした。多大な抵抗感はありましたが、流石に取っ手を服越しに掴むわけにはいかなかったのです。もちろんスカートの下には短パンをはいてきましたが、それでも気分は最悪のまま変わりません。
それから私は、左手でホースから伸びるグリップを掴み、両足でホースの根元を抱えます。
これが私の飛行体勢です。どうです、格好悪いでしょう?
私もそう思います。今すぐ降りたいぐらいです。
これならば、足元がスカートのようになっている衣装なんて着てくるんじゃなかった、と軽く後悔してしまいます。取っ手のせいで若干膝を曲げる必要があるので、何だか開脚しているようで落ち着きません。
あと、真似してみるとよくわかると思うのですが、この体勢、もの凄く安定感に欠けます。よって、非常に疲れてしまいます。本当、地味にしんどいのです。
それに加えてこの服ですよ。もうわけがわかりません。
しかし、これはキャットさんの強い要望だったので、断るに断れなかったのです。
何やら「やはり魔法のレースを制する者は魔女でないと!」との話だそうです。意味がわかりませんが、従うしかなかったのです。
だから私は気持ちを固めます。
まるでマラソンの開始時のように人は密集していますが、誰も私を見て笑う者などいやしません。
自分の事でいっぱいいっぱいのようです。ならば、私もそうなるべきなのです。
とはいえ、やはり気になるものは気になるので、私はほんのちょっぴり周囲を見回してみました。
私は結構後列に陣取っているので、ここからなら多くの参加者の背中を見る事が出来ます。目の前には、ぷかぷかと浮かぶロボット型掃除機の上に、ちょこんと座る女の子の背中がありました。一応、両手は円盤の両端を掴んでいるようです。
そして、その更に前にも、ずらりと人は並んでいます。大多数の人が、宙に浮かぶスティック型掃除機に跨っているのです。大半の人がグリップを両手で掴み、両脚で本体を挟んでいます。吸引口を後ろに、まるで魔女が箒に跨るようにして。
レースに用いられる掃除機は、普通の掃除用掃除機とは全く内部構造が異なります。だからただ見た目が似ているだけの別物だと、私は未だに思い続けております。
故に、本来の吸引口であるT字型ヘッドの穴は、その本来の役割を果たしません。
あれはジェットと同じです。最早、吸引口ではありません。噴射孔です。あそこから、本体で生成されたエネルギーを背面に放出させる事により、掃除機は推力を得て加速するのです。
もっとも私のキャニスター型のように、いくつかの例外は存在するわけなのですが、大半の場合は吸引口が噴射孔となっておるのです。
現に、多くの人達の掃除機のヘッドからは、青白い光が見え隠れしています。もう今にも飛び立ちそうな雰囲気です。事実、補助ユニットによる制動が働いているだけで、もうみんな掃除機を起動させているのです。最近では大半の掃除機が、電源ボタンを一度押しただけじゃ発射しないようになっています。事前に電源ボタンを一度押し、今のような「待機状態」にしておく必要があるのです。
待機状態とは、掃除機の機能をほとんど解禁しつつも、まだ制動がかかっているので動けない状態の事です。ここから電源ボタンを再度押す事により、制動が解除されて飛び立つ事が出来るのです。
そのせいなのか、皆、もう気持ちは前に向いているかのように見えます。
しかも、念動魔法による浮力操作で上下移動を行い、出発時の位置や角度の調節をしている人が大半です。
私は、これら全ての人とこれから競争するのです。
もっとも、私だけ地面から微動だにしていないわけですが。
これは仕方が無いのです。キャニスター型は、幾分か地面を走って相当な勢いをつけてからでないと、飛べないようになっているのですから。その上、私の旧式補助ユニットは、ここで制動をかけてくれる程便利ではありませんでした。悔しいです。
それにしても、やっぱり結構緊張してきました。ごくり。
いえ、結構どころじゃありません。想像以上に私は緊張していたようで、いつの間にか手が震えていました。冷や汗も流れてきました。極度の緊張のせいで、油断すれば貧血で倒れそうです。心臓が早鐘を打って来ました。
だんだん周囲の事も気にならなくなってきました。というか視界がぼやけてきたのです。それどころか目の前がチカチカしてきました。頭がぐるぐる回るような錯覚まであります。
そうでした。私は、こういった行事に弱かったのです。
緊張すると、もう駄目になってしまうのです。
すっかり忘れていた……というわけではないのですが、やはり想定するのと実践するのでは、大きな意識の差が存在するのですよ。ああ、帰りたい。
過呼吸が止まりません。吐き気まで催してきました。少しでも気を緩めれば、意識はもうブラックアウトしてしまいそうです。
と、まあ。
こんな混乱している私を正気に戻したのは、切羽詰まったキャットさんの声でした。
「おいおいおいおい! アプリ! 何をしているんだい! みんなもう行ってしまったぞ! おいってば! おいおいおーいっ!!!」
「…………………………………………はっ!」
ふと、意識を現実に戻すと、もう周囲に人の影は見当たりませんでした。
正面の道路を見てみると、その先にはいくつもの小さな影が見えました。
レース中は交通規制が入るため、あれが車の影であるはずもありません。
あれこそが、他の参加者達の姿なのです。
……いくらなんでも緊張しすぎです、私。
皆が飛びたつのすらも把握出来なかったとは、どうやら私の緊張癖は、半ば病気の域にまで達しているようでした。いくら最近の掃除機が静音性に優れ、飛び立つ時になんの衝撃や風圧も生み出さないとしても、これはいくらなんでもあんまりです。
私は頭を振って、急いで出発しようと心掛けます。
「えっとえとえとえとえええっと……スイッチスイッチスイッチ……どどどどこどこ!?」
「グリップのすぐ傍だ! 急ぐのだよ!」
「ええええっとえっとえっと、ぐ、グリップ!? 取っ手!? グリップって!?」
「ああああ、まず落ち付こう、落ちついてくれ!」
こうして、私は盛大に出遅れてしまいました。
何はともあれレース開始です。
余談ですが、このレース、最下位は一体誰になるのでしょうね。
……今の私には、最下位になるのは自分なのではないか、という気がしてなりませんでした。いや、だってこれ絶対無理ですって。
おまけ
スティック型掃除機
・最もスタンダードなタイプの掃除機。
・これといって長所も無いが短所も無いオールラウンド型。
・シェアが一番広いので、自分に合った物を見つけやすい。改造も簡単に行える。
・どんな層にも対応しているため、初心者から上級者まで幅広い層が愛用している。