第二話「イベント開始」
瞼の奥に強い光を感じたグリムは、ゆっくりと目を開く。
まだ混濁している意識を、頭を振ってしっかりと覚醒させる。
そうして、目をぱちぱちさせながら、周囲の状況をじっくりと把握していく。バスの中にはオレンジ色の陽光が差し込んでいたので、少し余計なところまで見えすぎると不満を漏らしたくなるほどしっかり良く見えた。
バスの破損具合は悲惨としか言いようがなかった。壁や床などは歪み、窓はほとんど割れていて、まるで廃墟の中のようだ。何があったのか、真ん中のあたりには大きな穴が開いていて、そこから外の空気が入り込んできている。何故だか、妙に空気が湿っぽかった。
周囲からは何の音もしない。不気味なまでに、しんと静まり返っている。
「うわぁ……これはひどい」
どうやら彼は横転したバスの中、横向きになった席に座った姿勢のまま眠っていたらしい。随分と器用なものだ。お陰で身体の節々が痛む。
そして、彼以外はどうしているかというと、これまた清々しいまでに全滅だった。数多くの死体は、何故か洗い流されたかのように血の量が少なく、そのせいでむしろ鮮明に破損具合が確認出来てしまえるような状態となっていた。
もう一目で死亡しているとわかる壊れ方をしている死体もあれば、ただ顔が青白くなっているだけのわかりにくい死体もあり、中には明らかに割れたガラスに突き刺されて死んだであろう死体もあった。当然、彼の隣に座っていた男子生徒も顔面の上半分が無かった。死体だらけである。出血大サービスとはまさにこの事だ。
「うぇぇ……何これ超気持ち悪い……」
グリムは視線を落とし、己のジャージを確認する。すると案の定、もともと黒かったジャージはほとんど茶色に染めなおされていた。どういうわけか、そこらに転がっている死体の衣服よりも、明らかにグリムの衣服に付着している血の量の方が多かった。しかも妙に生臭い。空気が淀んでいるのもあって、本当に異臭という他無い臭気であった。
彼は、ポケットに入れておいた自分の携帯端末を取り出す。最新式の、表面のほとんどを画面が占領しているタッチ式の代物だ。グリムはわずかな期待を込めて電源ボタンを押すが、何度押しても反応が無い。どうやら壊れてしまったようだ。
――――さて、どうするか。
グリムの脳裏に浮かぶのは二つの選択肢だ。
このまま動かず助けを待つか、いっそバスから出てみるか。
唐突過ぎる状況であるため、どちらの方がリスクが高いのかというのはわからない。
けれどもグリムは決断する。ここから動く方へ。
単純に、いつまでも死体まみれの場所に居たくなかったのだ。
「……しゃーないか」
グリムは、がっくりと肩を落としつつも行動を始める。
具体的には、幸いな事にバスの天井の部分には大きな穴が開いていたので、そこから脱出を試みることにした。今、バスは横に倒れているので、これなら天井から出る事もそう難しくは無かった。彼はとっとと本来窓があったはずの足元を駆け抜けていき、それから横の大穴から外に出た。その際、足元に複数の柔らかな感触があった事はなるべく忘れようと心がける。
「ぷはーっ! 苦しかったー!」
外は夕日によってオレンジ色に染まっていた。
そして、そんな橙色に染められた景色は、自然に満ち溢れているものだった。
短い草が生い茂る地面、そこかしこに生えている木々。そして一面には大きな壁があり、上を見ると、ほぼ垂直の壁の上には“車道”があるようだった。車は走っていなかったが、辛うじて道路のアスファルトの黒を確認する事が出来たのだ。それと、壊れたガードレールが見える。そこからの痕跡を目で辿ると、どうやらあそこからバスが落下したのだろうと推測出来る。
そして壁の反対側には、若干の森林地帯を挟んだ先に、青い海面を確認する事が出来た。今グリムが立っているこの場所は、どうやら峠道と海の間に属する小さな自然地帯だったようだ。
「とりあえず……喉が渇いたな。くそっ、まさか事故るなんてなぁ。まあ、今一つ実感わかないけど……んっ?」
彼が真横に倒れたバスの方を見ると、その周囲にたくさんの荷物がばら撒かれている事に気がついた。落下の際の衝撃で、中に詰められていた荷物類が散乱したのだろう。グリムはそれを確認し、少しだけ笑顔になる。
「ふう、良かった……これで一時は凌げるかもしれない」
というのも、これらは林間学校用の荷物なので、中には身体を拭くタオルや着替え、それにお菓子が入っているはずなのだ。人によっては水筒も持ってきているだろう。これは幸運である。
事故から何時間経過したのかわからないが、これで少なくとも救助が来るまでは凌げるだろう。彼は、まず七つ程落ちている荷物の中に自分のものが無いのを確認した後に、とりあえず一つのリュックに手をかけた。
「っし。こんなもんでいいか」
数十分後。グリムは血をタオルでほとんど拭い、少しだけゆったりしているが動きやすそうな半袖と半ズボンに着替え、お菓子と水を暴飲暴食し、さてととようやく気分を一転させる。幸いだったのは濡れティッシュと香水があった事だ。これで、汚れと臭いがだいぶ改善された。
こういった状況では、なるべく気分を滅入らせてはいけない。その事をよく知っている彼は、なるべくバスから距離を置きつつ、誰かの荷物の中にあったビニールシートを広げて腰をおろし、ゆったりとリラックスする。
どうせ死体ぐらいなら見慣れている。むしろ自分の肉親のバラバラ死体や、幼なじみが食糧にされたところを見るよりはずっと気が楽だった。先祖代々まともな死に方をしていない彼の一族の最期は、グリムに死を慣れさせるのには充分すぎる影響力を持っていた。
「うぅっ……ションベンしたくなってきた」
急に催しきた彼は、ひとまず草木の生い茂るあたりまで移動する。いくら死体ばかりとはいえ、あんな開けた場所で用を足すのは気が引けたのだ。彼は、ひとまずこれ見よがしに生えていた大きな木の根元でチャックを下ろし、用を足す。疲れているからなのか妙に色濃い物が出た。しかし、これで一度すっきりしたグリムは、多少の余韻と共に気分を落ちつかせ、すぐにそこを立ち去ろうとする。
その時だった。
突然、ジリリリと警報のような音が周囲に響き渡ったのは。
「えっ!?」
それから数秒待たずして、次なる変化が訪れる。
「ちょっとー! そこのお方ー! 駄目だよ、こんな所でお花を摘んじゃあ! トイレならあっちにあるのに! まったくもー!」
背中に半透明の薄い翼を生やした小人が、グリムの方目がけて飛んできた。その大きさは、まさに手のひらサイズという表現が的確に当てはまっていた。小人はこれまた小さなメガホンを持って、こちらに対して呼びかけてくる。
グリムは、これもまた自分の住んでいた田舎にはいなかった生き物だなと思い返し、かつて教科書で見た記憶を思い出す。たしかこれは妖精的な種族だったはずだ。そういった生き物の部類は最近複雑化されているので、彼にはよく把握出来なかったが、少なくとも妖精系の種族である事には間違いない。エルフやドワーフと同様に“亜人族”と称される種族だ。
これらは魔族や人間とは異なり、魔法や魔鉱に影響を及ぼすエネルギー体である「マナ」により、身体が変質してしまった生命の事を指す。
何故そんな生き物がこんな場所に居るのかだとか、一体ここで何をしているのかなどと一瞬だけ考えるグリムだったが、深く考えて結論が出そうにもない問題だったのであまり考えない事にする。きっと、ここで何らかの仕事をしている妖精種なのだろうと判断し、そこで思考を停止させる。魔族も妖精も就職する時代だ。こんな辺境で行う仕事があっても不思議ではない。
この二枚羽根の妖精種は、身に付けた明るい色のサンバイザーや白くて長めのTシャツからして、まるでプールや海にいる監視員のような格好をしていた。先ほどの注意するような口調からして、実際それに近い役割の事をしているのだろう。ちなみにシャツ部分が長いため、下半身に何を纏っているかは確認不可能だった。
妖精種はどんどん接近してくる。それにつれて小さいながらも整った顔立ちと、後ろで一本に結んだ髪が確認出来た。どうやら女の子のようだ。彼女は、垂れ目で穏やかそうな印象の顔を頑張って怒り顔にしようとしてる素振りを見せながら、どんどんグリムに接近してくる。
「だいたい、何でこんなところに居るのー! ここはすっごく危ないんだよ! これだから最近の若……あれ?」
「ん?」
「あれれ? にん、げん……? 本当に、なんでこんな場所に……?」
何故か驚かれてしまったが、グリムにその意味はわからない。
だから、グリムはひとまず現状だけをかいつまんで説明する事にする。もし彼女が本当に監視員的な役割を持った者ならば、何とかしてくれるかもしれないというちょっとした期待もあった。
「……えーっと。よくわかんないけど、俺はさっき乗ってたバスが事故ってこんな場所に落ちてしまったというか……あっ、証拠ならあっちに死体いっぱい詰まった残骸あるけど、良かったら見てく?」
「え? え?」
「だから乗ってきたバスだって。あっちに横になったバスあるから、見てくって聞いたんだけど。どうする?」
「バス……? ばすって、したい、いっぱいの……?」
妖精種の顔から血の気が引けていった。グリムには、何故そうなるのかが理解出来なかった。
たしかに死は恐ろしい物だが、自分の死と他人の死は本質的に異なる。ゲームオーバーとNPCの死亡と同じぐらい違う。他者の死など結局のところは他人事の域を出ない。それなのに、何故そんな怯えたような表情をするのかが全く理解不能だったのだ。
グリムは少し考え、そしてそれらしい結論を頭に浮かべる。
「あっ、別に怨念や呪詛による呪いの効果は心配しなくてもいいと思う。俺、そっち系の魔法は使えねぇけど、死体の状態見る限りみんな呆気にとられたまま即死って感じだったから、そういう心配はいらないと……」
「そういう問題じゃないよ! そのバスは何処!? 案内して!」
「え? ああ、うん」
人が恨みを残して死ぬと死後呪いの力を発揮するというのが最近の研究で明らかになった事なのだが、どうやらこの妖精種はそういう事を心配しているのではないそうだ。
グリムは呆気にとられながらも、彼女を連れてバスの方まで走って行く。妖精種の表情は真剣そのものだ。
何故行きたがるのかも不明だったが、とにかく勢いに任せて連れてきてしまった。
「あ、あった。これだよこれ」
「わかった! 今、中を見てくるね!」
「え、それは気持ち悪いからやめておいた方が……あと、臭いし」
「だから、そういう問題じゃないでしょ!」
妖精種は言うなりバスに空いた穴から内部に侵入していく。翼を用いたスピーディな飛行だ。中で何をしてくるのかはよくわからなかったが、あの表情ならば何となく変な事はしないであろうとグリムは考える。
グリムはそれをじっくり眺め、とりあえず肩の力を抜きながら彼女の帰還を待った。
数分ほどたった後だろうか、ゆっくりと、妖精種がバスから出てきた。その羽根の動きはどこかふらふらしていて、本人の顔つきも少し弱っているようだった。
そんな妖精種に、グリムはひとまず右手をあげて出迎える。
「よっ、どうだった?」
「……最悪だよ。せめて生き残りがまだ残ってたらと思ったけど、やっぱり全部死体だった。でも、一人でも無事で良かったよ。あの惨状で、よく生き残れたね」
意図は不明だが、どうやら妖精種はバスの中に生き残りが居ないか確認したかったようだ。
その事実を察したグリムは、とりあえず納得しつつも妖精種の質問に答える。
「よく生き残ったって言われても……きっと、俺が助かったのは悪運が強かったんじゃないか? たぶん。まあ、実感わかないけど」
「そう……でも、弱ったなぁ。こうなってくると、ここから君を送り届けるのが私の仕事なんだけど、あいにく妖精種用のちっさい出入口しか知らないんだよね……」
「いや、救助を呼べば手っ取り速くないか?」
「……!」
妖精種が驚いたような表情を浮かべた。
グリムはすぐに「そんな事も気がつかなかったのか」と思ってしまったが、どうやらそういう類の驚きでは無い事に気がついた。あまりにも妖精種の表情が深刻過ぎるのだ。
「そっか。そういえば君は事故でこんな場所に来たんだから、全然知らないんだったね。ごめん」
「何が?」
「落ちついて聞いてね。あのね。どれだけ待っても、ここに、救助は来られないの」
「は?」
グリムは目を丸くする。
何故ならば、これだけ派手な事故が発生しているのに、救助側に何の動きも無いというのは不自然だからだ。
流石にこれだけ犠牲者が出ていれば、何らかの救助活動がすぐにでも行われていなければ不自然だろう。
全員死亡しているにしても、それを確かめに来ないはずが無い。
故に、グリムは妖精種の発言に疑問符を浮かべた。
だが、すぐに妖精種は取り繕うかのように言葉を続ける。
「えっと、これは本当は極秘なんだけど……この際まあいっか。実は、ここには、ある生き物が住んでいるんだよ……」
「何が?」
「ずっと昔に世界大戦ってあったでしょ。その時に、魔族は『魔物』っていう生体兵器を作ったんだよ……その魔物の生き残りが、このあたりにまだ住んでいるの……」
「はあ?」
グリムは、相手のあまりに奇天烈な発言に呆れ、少し小馬鹿にしたような笑みを型作る。
そもそもにして何もかもがあり得無さ過ぎて、どこから突っ込んでいいかもわからなくなったのだ。どういう意図や目的をもってこんな発言をしたのかは不明だが、出鱈目を言っている事だけは確かである。
グリムも魔族についての造詣は深い方だが、そんな“魔物”だとかいう単語は聞いた事も無かった。仮にあったとしてもテレビゲームの中でぐらいだ。そんな物がかつてどころか今も生息しているのに、全く表舞台に出てこないなんて事はあり得ない。もちろん、彼女の言っていた極秘という言葉を信じるならば話は別だが。
しかし、この話には絶対的におかしな点が含まれていた。グリムは、ため息混じりにそれを説明してやることにする。
「何だよそれ。いくらなんでもあり得ないって。だいたい、大戦からこれまで生きてこれたって、生体兵器のくせにどんだけ長生きしてんだよって話だ。初代魔王ですら、二回目の大戦の時にはもう死んでるって噂じゃねーか」
「それは、一度目の大戦が人魔共々共倒れの引き分けに終わったからだよ。それに魔物は、魔族や人間とは一線を画する生命体なんだ。何せ、奴等全てに備わっている特徴として、殺さなければ死なないというのがあるの」
「殺さなきゃ死なないって……当たり前の事じゃ……?」
「ううん。それはつまり、自然死しないって事なんだよ。だから寿命や老いの概念がなくて、外的要因以外じゃ滅多に死なないの。もちろん中には弱い魔物もいるけど、それも結局は殺さないといつまで経ってもいなくならない。だから、魔物が未だに生きていても不思議じゃないの。そして魔物は、ここにうじゃうじゃ居る……その意味がわかるよね?」
言われ、グリムはぞっとする気持ちを抑えきれなかった。
魔物というのがその通りの特徴を備えているなら、それは確かに脅威である。その上、生体兵器であるならば相応の力を持っていると考えて間違いは無いだろう。
それならば、並みの救助部隊も手が出せないのも納得である。しかしそれでも、グリムには言い分があった。
「……でもさ。世界大戦で人間が勝った回もいっぱいあったはずだろ? 魔物だってそのたび倒されてるんじゃないのか? だったら何で技術が進んでる今、手が出せないんだ? おかしくね?」
当然の疑問である。
現代の世界は過去とは比較にならないほど進歩している。今の技術を持ってすれば、たとえ魔物が相手でも戦えるだけの力は持てるはずだ。一方的に駆除する事も可能だろう。それなのに、やはり手を出さないというのは不自然と言う他ない。
だが、この質問に対し妖精種は顔を伏せ、静かに、こう告げるのであった。
「……平和条約。及び、不可侵条約」
「へ……?」
急に難しい単語を出され、グリムは首を傾げる。
それを見た妖精種は仕方なさげに息を吐き、説明を始めた。
「この辺りの問題っていうのは非常にデリケートで、未だに双方魔物の扱いを決めかねている状態なの。だから、少なくとも今はどうする事も出来ないの。魔物にも人格を持ってる奴もいれば、自我すら持ってない奴だっている。理知的な魔物だと、時々社会に溶け込んで過ごしているケースもあるんだけど……。ここの魔物は荒れに荒れているから、もしもヘリとかで人が来れば、一斉に襲いかかるだろうね。だから、救助を待つ方がむしろリスクが高いんだよ……」
「マジか……」
ここで、ようやくグリムも納得する。
魔族側の遺した遺恨とはいえ、生き物である以上はやすやすと殺す事が出来ないようだ。それも妖精種の言い方だと、魔物でも人権を持っている者のが居そうな感じである。これは確かに、人間サイドから見ても魔族サイドから見ても対処し辛い問題だろう。
ようは色々あって救助は期待しない方がいいという話だ。
――――さて、どうするか。
グリムの脳裏には、この話を信じるか、信じないかという二通りの選択肢が浮かんでいた。
突然現れ、証拠も無い事を次々と述べていく妖精種。これはどう見ても胡散臭い。けれども、だからといってグリム一人で現状を解明するには、あまりにも判断材料が少なすぎるというのもまた事実。
グリムは数秒だけ考えるが、すぐに過去の“教え”を思い出して答えを出す。
彼は、妖精種の話を信じる事にした。
「……なるほどな」
グリムが感心したような表情をしていると、妖精種が不思議そうな顔でのぞき込んできた。
「それにしても、あんまり疑わないんだね?」
「何が?」
「ううん、自分で説明しておきながらこんな事言うのもなんだけど、普通、魔物って言われていきなり信じる人は少ないと思うよ?」
「……確かに、それはそうかもな。でも、俺は両親から、後で疑ってもいいからとにかく最初は他者を信じるようにって言われてんだ。もちろんそれなりの理がある事が第一条件だけどな。とにかく、そういう態度が和解の第一歩になるからって」
グリムは死んだ両親の事を思い出しながら、それらしい言葉を口にする。
これこそが妖精種の言葉を信じた理由であり、グリムの中に根付いている理念でもあるのだ。
それに対し妖精種は、悲しげに目を伏せてしまった。グリムからすれば謎の同情である。
妖精種は何か思う所があったのか、弱々しげに声を発した。
「そっか……」
「それに、なんか騙そうとしてる感じも無さそうだしな」
確かにこの妖精種がグリムを騙している可能性も多々あるが、しかし何となく雰囲気からしてそれは無いだろうと、彼は既に結論を出していた。
だから、後でどう考えるかはさておき今は信じる事にしたのだ。今のところこの妖精種は不審なところを見せてはいない。疑うのは、それからでも遅くはないと呑気にも彼は考えていた。
しかしそうなってくると、グリムも自分の足でこの状況を脱さなければいけないという事になる。この魔物という生体兵器が潜んでいるという森林地帯を越えて、生きて戻らなければいけないのだ。
グリムのテンションが少しずつ下がっていく。
「それにしても、帰るまで長くなりそうだよな……最悪だ……」
「ああ……えっと、ここまで言っておいてこんな事言うのもなんだけど、別に恐がらせるつもりで言ったわけじゃないんだよ!? ただ、そういう状況だって説明しただけだから……そう、ただの説明だから! その、だから心配しなくても大丈夫だからね! 私が、絶対無事に送り届けるから!」
妖精種は明らかに無理した笑みを浮かべて、小さな手でグリムの肩をとんとん叩いてくる。
グリムとしては、サイズ的になんか虫に叩かれているようで少しだけ気分が悪かったが、せっかくの好意を無為にするのは気がひけたのでありがたく享受しておく。
しかし、妖精種は確かにそれなりの力を持っていると聞いた事があるが、魔物の話を聞いた後だとどうも頼りなく感じられてしまった。グリムは少し心配になってくる。が、裏を返せばそれは大した力がないにも関わらず自分に協力してくれる良い人だという事の証明である。
彼はその心意気を受け取り、前に進む事を決意する。と、それと同時に浮かんでくる今更な疑問。
「お、おう。助かるよ、ありがとう。あっ、そういえば聞きそびれてたけど、結局あんたは何者なんだ?」
それはあまりに遅すぎる質問だった。本当に今更である。
だが、妖精種はそれに対して満面の笑みで応える。
どうやらさっきまでの辛気臭くなった空気を緩和させようと、彼女も必死なようだった。どう見ても笑顔が無理矢理である。彼女自身もそれを理解した上で誤魔化そうとしているのか、グリムの前をひゅんひゅん飛び回りながら元気らしいアピールをしていた。
グリムにはそれが、ほんの少しだけ痛々しく見えた。
「私? 私はここら一帯の管理を任されている妖精なんだ! アルミュールっていうの。ミュールちゃんって呼んでね!」
「ああ、なるほど」
その一言だけで、彼女が何故ここに居たかなどの理由がはっきりした。
というのも、妖精種というか亜人種は基本的に何らかの方面に特化している事が多いため、こういった職につく事が非常に多いのである。
妖精種の場合、小さい身体と大きすぎる内包魔力が特徴だ。魔力とは魔法を使うための原動力であり、魔法は火や水や風など自然と密接に関わる物が多い。そして、その力を用いて自然環境を管理するという職は多々ある。故に妖精種は自然に関する管理業務につく事が非常に多いのだ。
また、特定の性質が絡む魔法に特化した“精霊”という生命体も存在するが、そんな高尚な存在ですらも今や自然を管理して報酬として給料をもらって生活している。最近では、彼らが妖精と肩を並べて働く事もある。基本的に、妖精種や精霊はこういった自然系の仕事に就く事が多い。
そのため妖精種と精霊は、こうした自然に関する場所に飛ばされる事も少なくない。いざという時は自衛も逃げる事も上手いので、高い給料と引き換えに危険な職に手を出している者も多いのである。
この妖精種もその類だろう。
ちなみに最後の呼び方のくだりは若干いらっときたので、絶対に「ミュールちゃん」とは呼ばないと決心するグリムであった。
「えっと、それで、君の名前は……?」
「俺はグリム・グラスランド。よろしく、アルミさん」
「えっ? ああ、うん。よろしく……えっと、グリ君!」
こうして二人は挨拶を交わし、帰るための道を探す事となった。
一応その前に、グリムは水が欲しいとの事で、さっき拾った荷物の中から首にさげるタイプの水筒を装備する。これで喉が渇いてもある程度なら対処可能だ。それと、念のため必要最低限の荷物を盗んだリュックに詰め、背中に背負って行く。
これで、少しだけ心配が緩和される。
ただ、この時グリムは気付いていた。
このアルミなどと名乗る妖精種が、絶対に気付けるはずの事実にあえて触れなかった事を。
それは不審な要素というよりは、ちょっとした違和感を感じる程度の要素である。が、不自然な事には変わりない。
何せ、気がつかないはずがないのだ。
このバス事故が、実は作為的に引き起こされたものだという事実に。
たとえばバスに穴が開いていた件だが、どう考えても、こんな転落事故で天井に穴など開くわけがない。それがどういう理由で出来た穴なのかはわからないが、少なくとも魔法なり物理兵器なり、人の手を加えない限りは開かない穴だ。これがまず一つの証拠。
それに、先ほどの妖精種の言い分を考慮するなら、国がこんな危険地帯を“結界”も無しに放置しているのは不自然なのだ。結界とは、本当に簡略に概要だけを説明するなら、空間と空間を隔てる「見えない壁」の事だ。もしここに結界が張られているのなら、こんな事故はそもそも起こらなかっただろう。
危険区域と呼ばれている場所のほとんどには、最低限の処置として結界による遮断が義務付けられている。なのにも関わらず、こんな魔物がいるらしい場所にそういった処置が何も無いのはおかしい。
いや、もしかしたら既に張られているのかもしれないという可能性もある。というのも、最近のガードレールには防護用の魔鉱が入れられていて、何かがぶつかっても強度強化+不可視柔盾の魔法により補強されたそれは簡単に壊れないようになっているのだ。そういった事実から察するに、この場所と外界を隔てているのは主に海上都市全体に張られている大型結界と、そのガードレールの魔法防御の二つであると考えられる。ならば、ガードレールの方の防御魔法を通常よりも遥かに強化して結界代わりにしている可能性も考えられなく無いわけだ。もしくは、既に壊されているだけでここにも普通に結界が張られていた可能性もある。
するとそう考えた時、そもそもこういった事故が起こる事自体も不自然になってくる。これが、少し根拠の薄いものの二つ目の証拠。
そして最後に、バスはそれなりに原型を留めているというのに全員が死亡しているというのも妙だった。
このバスは、ある程度外側に防護壁などが張られているタイプのものだったので、原型が残っている事に関してはまあ問題無い。しかし、そうだとすれば中の人間もある程度保護されるようになっているはずなのだ。それなのに結果はこれである。
実はグリムが生き残った理由はちゃんとあるのだが、そうなってくると本来ならバスの乗客は本当に全滅していたという事になる。そう、一人残らず死んでいたのだ。バスの形が残る程度の事故だったのにも関わらず、だ。
冷静になって振り返ってみれば、車内の原型は留まっていたのに、何故頭の上部分が無くなっている死体があったのかという疑問もわいてくる。一体、何に顔面を切り取られたのかが不明なままである。そう考えると、あらゆる物が不自然で不自然で仕方が無い。これも誰かが何かの力を用いて、バスの中の人間を事故のように殺せるように仕組んだと考えれば少しだけ納得がいく。これも根拠に薄いが、とにかく三つ目の証拠だ。
故に、グリムは考える。
一体、ここで何が起こったのかを。これから自分はどうなるのかを。しかし、答えは出ない。当然だ。今はまだ情報が少なすぎるから。
だからその答えは、どうやら進む先にしかなさそうである。
眼の前にあるのは、木々で覆われた草の道。見たところ、この先は生い茂る木々によって迷路のようになっているようだ。だが、それで臆するグリムでは無い。
彼は、強く地面を踏みしめ、木々の中へと歩いていった。




