第一話「平和な世界の退屈な日常」
今度は三人称の男主人公です。
今回に関しましては、大戦時代の遺物について焦点を当てていく形となります。
数百年前。平和だったこの世界に、突如として“魔王”と名乗りし邪悪な者が舞い降りたという。
魔王は“魔族”という名の同族を引き連れてこの世界を蹂躙していった。だがそれに対し“人間”は武器を取り対抗する事を選択する。それにより、互いの存亡を賭けた世界大戦が勃発したのだ。
そんな人間と魔族の戦いは何百年もの間途切れる事無く、いつしか世界は戦争によって大きく進歩していった。それが現在の――――
――――などと書かれているテキストを読んで少年は大きなため息を吐き、誰にも聞こえないような小声で呟いた。
「……って。そんなんいわれても、いまいち実感わかないよなぁ」
真夏の特に天気のいい日。陽の強い時間帯。
少年は、とあるバスに乗せられていた。彼は後方端の席に座り、ずっと手元にある薄い本に目を通している。
バスの中は実に騒がしかった。それもそのはずだ。今日は林間学校で、街の外縁部に位置する山まで行き、全員で一日を過ごすのだ。故に乗っているのは教職員や運転手などを除けば全員高校生であり、こういった状況になれば当然、友達間での会話が多くなってくる。そんな状態の彼らに大人しくしろと言っても無理があるだろう。ここに居るほぼ全員がジャージ姿ではしゃいでいるのだから。
だが、そういった状況の中、この少年は騒ぐことなく静かに本を読み続けていた。
本、とはいっても極端に薄く、全体的に手作り感溢れる代物だった。それもそのはずである。この本の表紙には「旅のしおり」と書かれているのだから。
これには日程表や持ち物、バスの座席や班分けのリスト、それから宿泊先の施設の事が少しだけ書かれている。少年はそれらの項目に目を通しつつも、やはり先ほど読んだ文の内容が忘れられず、どうにも歯がゆい気持ちを抑えきれずに悶々としていた。
だから少年は気分転換のためにまずしおりを閉じ、それからゆっくりと窓を開けた。幸い、他にも多くの生徒が窓を開けていたため、周囲に対してそこまで気を遣う必要は無い。どうせ彼の隣に座っている男子生徒は、反対側の席に座る女子生徒との会話に夢中だ。わざわざ会話の流れを断ち切ってまで、許可を求める必要はないだろう。
少年が窓を開けると、バスの中を心地の良い潮風が吹き抜けていく。そして、外の景色が今まで以上の実在感をもって眼の前に展開した。
「あー。涼しい……」
窓の外の景色は、まさしく壮観という他無かった。
何せ“海上都市”の外縁部にある車道から見える景色である。
彼の視線の先には、間にガードレールを挟んで一面の海が広がっていた。太陽の光を反射し白く輝く青い水面が一面に広がっているのだ。じっと観察していると波の動きすらも見えてくる。空は爽やかな薄い青色で、まさしく雲ひとつない快晴だ。
これが、海上都市から見える景色であった。
だが少年はそんな景色にはほとんど興味を示さず、またも小声で呟くのであった。
「しかし、本当に実感がわかないな……ここが昔“勇者”の通った道だったなんて……」
少年は、先ほどのしおりに書かれていた内容を思い出す。
そう。彼の記憶が正しければあのしおりには、遥か昔にあった“実際の出来事”が書かれていたのだ。魔族と人類の戦争の話。その概要が。
今ではもう、かつて十二回に渡って繰り返された世界大戦の記憶は薄れ、魔族と人類は互いに手を取り合い平和協定を結んでいる。
こうして平和になった世界こそが、今の世の中だ。
「そんな場所も今や海上都市、か……」
ここは、海上都市リソ・デ・アグア。魔法を用いて水上に浮かび、水面下では海底都市と繋がっている巨大な都市だ。
この海上都市の特徴として、ビルなどの背の高い建造物は中央に集中しているというのが挙げられる。つまり中央に行くにつれて都会化が進んでいるという構造なのだ。だがそれ故に、中央から離れた“外縁部”には建造物がほとんど無い形となっている。もっともその外縁部には自然があるので、中央部とはまた違った彩りが見られるというメリットも存在していた。もちろん自然物に見えるそれは全て人工物ではあるものの、かなりの予算や人員をつぎ込んで開発を進めていっただけあって、その完成度には目を見張るものがある。
ちなみに、ここはかつて魔族が戦争の時に使っていた“超大型海上拠点”であり、十回目の戦争の折に人間側の猛攻により破壊され、それから人間サイドの象徴である「勇者」と呼ばれる代表的人物がここを凱旋していったという逸話がある。その後、改装に改造を重ねて、ここはようやく一つの都市となったそうだ。余談だが、そういった経緯のためか、ここはどの国にも属さずに独立した政治体制を確立している。
そんな人の手によって作られた外縁部の自然の中を、バスは悠々と進んで行く。長く長く続くアスファルトの道を、徒歩よりもずっと速いスピードで駆けていく。
「つーか、ほんと、何もかもが改めて説明されたところで実感わかねぇんだよなあ……」
少年の名前は、グリム・グラスランドという。
グリムは、少し前まで東の方にある小さな国の田舎で暮らしていた、世間知らずな少年である。そんなグリムにとって、この都会で初めて知る“常識”は、どれも全て新鮮に感じられるようなものであった。どんな些細な知識でも、グリムが昔住んでいた田舎ではあり得ないようなものばかりなのである。また、それでいながら彼は、不思議な実感の無さに戸惑いを感じていた。やはり、突然の環境の変化に馴染み切れていないのである。
本当に、彼は今まで何も知らずにただ開発の遅れている田舎で育ったため、正直このバスというか車という物の存在も新鮮に感じているぐらいだ。
車。それは本来、今の時代の技術力では実現しないはずの代物だ。箱に車輪がついたような形のそれは、単なる技術を越えたオーバーテクノロジ―によって作られたものである。それなのにも関わらず、車という物はいつの間にか世界中に普及されていた。今や、一部の田舎を除いて車を持つのは常識、と言われるまでになっているのだ。
これは、魔族と人間の対立が鎮静化した事によって発生した“技術革命”のお陰である。確かに人間の持つ科学技術力だけでは、車という高度な物体を作るのは不可能だ。しかし、内部構造のまだ荒い部分を魔族が持ち寄った“魔鉱技術”を利用し補完する事によって、本来不可能であったはずの製造物の量産を可能としたのである。ちなみに“魔鉱”とは、魔族の住む地域で多く取れていた特殊な効力を持つ鉱物の事であり、魔族はその加工技術に長けているのだ。
そういった要領で、魔族と人間が互いの技術を持ち寄る事によって、今や世界中の技術レベルが大きく向上していた。オーバーテクノロジーが一般化したのである。最早、これらの技術がオーバーテクノロジーと呼ばれなくなるのも時間の問題であるだろう。世界は大きく進歩したのだ。
しかし、グリムはそのありがたみをいまいち理解出来ずにいた。
それはそうである。彼が住んでいた田舎は、未だに人間至上主義を貫いている閉鎖的な文化を持ったところだったので、彼はこういった停戦の恩恵を受けられずにいたのだ。むしろそんな環境で育っておきながら、異国の文化をここまで受け入れられる方が異端だというべきだろう。
「うぅーむ……」
グリムは色々と考え、結局身を引っ込めて窓を閉める。
風も強くなってきたし、景色にも飽きてしまったのだ。それに潮風に当てられたせいか、少しだけ眠くなってしまったのである。
どのみち、グリムは周囲と話すつもりなど無い。だから、このまま眠ってしまっても問題は無いのだ。
グリムは決して孤立しているわけではないのだが、どうにも彼には友人と呼べるものがいなかった。彼自身、人を避けているというわけでは無いのだが、だからといって積極的に自分から関わろうとはしなかったのだ。もちろん向こうから話しかけられれば普通に対応するし、用があるのならこちらからも話しかける。
しかし確固たる用事がない限り、どういうわけか会話が続かないのだ。いや、その原因は明確だ。グリム自身があえて続けようとしないのだ。つまり一つのやり取りが終わった後、グリムは新しい話題を提供しないばかりか、何かしら理由をつけて席を立とうとするのだ。というのも、彼はあまり人と接するのが得意ではないため、無理して会話を繋げるのを拒んでいるのだ。その上、自分から話しかける事もほとんど無かった。未だに、人と話すのに若干の抵抗があるせいである。
結果、グリムは完全なる孤立ではなく、中途半端な孤立というたちの悪いポジションに落ち付いてしまった。完全な孤立と違って辛くは無い。ただ、最悪に居心地が悪かった。人と接していても気持ちの悪い隔てりを感じてしまい、なまじ話す相手がいるぶん妙に落ち着かない気持ちになってしまう。しかし、だからといって彼に改善のつもりはない。
――――さて、どうするか。
グリムの脳裏に浮かぶのは二通りの選択肢だ。
寝るか、起きているか。尤も、グリムは既に答えを決めている。
「ま、いっか……寝よ」
グリムは結局、寝ることにした。
後ろの人間に声をかけるのが億劫なので、シートはほんの少ししか倒さなかった。
が、それでもそれなりに落ちつける態勢はとれたので、彼はこれで充分だと判断して目を閉じる。
それから数分の間は、周囲の喋る声が五月蠅くてなかなか落ちつけなかったが、しかしグリムはそうしているうちにゆっくりと意識が曖昧になっていくのを感じた。夢の世界まで後少しである。
しばらくして、彼の意識は完全に夢の世界へと溶けていった。
だが、彼は知らなかった。というより、知りようが無かった。
それは当然だ。
何故ならば、彼だけでなくそこに居た全ての人間が“そうなる未来”を予想出来なかったからだ。
そう。少し後、このバスが崖下に転落する事を、誰もが知らなかったのだ。
いや、もしかしたらグリムだけは何となく察せていたのかもしれない。惨状になるのをはっきりと予想出来ていなかったとしても、直感で何かを感じ取っていた可能性は充分にある。何故ならば、彼は……




