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現代ファンタジー的日常生活  作者: パンダらの箱
今日の魔女は掃除機で飛ぶ、編
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第二十五話「デッドヒート、そしてレースの終わり」

 思えば、このレースが始まってから色々な事がありました。

 わたくし、アプリ・アクセルハートは回想に浸ります。

 最初はふとした悪霊との出会いでした。私はその悪霊を成仏させるためにレースに参加したのです。その際に廃品となった掃除用掃除機を改造して作ったのが、この「クーシェ・ドゥ・ソレイユ」という名前の掃除機でした。これは愛称を「クーちゃん」といって、今や最高の性能を発揮してくれる私の愛機です。

 そうしてクーちゃんを引っ提げて大会に参加した私は、ロボット型に乗る女の子や白魔女など、数々の強敵と対峙してきました。って、二人しか居ませんね。まあ、その際にちょっと思い出したくもないトラブルがいくつかありましたが、そこは割愛します。

 何にせよ、本当に長いレースでした。まるで二ヶ月ぐらいの時間が経過しているかのような錯覚すら覚えます。

 そんなレースもいよいよをもって最終盤です。後、いくつかの虹とコーナーを抜ければ、もうゴールなのです。

 ……私は目を閉じ思い出に浸り、それからようやく現実へと意識を向けました。

 私の肩に乗る黒猫型幽霊さんへと、視線を向けたのです。

 本当、なんでしょうかこれ。


「……もう一回聞くけど、どうしてキャッ……白魔女がここにいるの?」

「いや、僕も知りたいぐらいだよ! だからその怒り気味の笑顔をやめてくれないかな……?」


 黒猫型幽霊は首を傾げます。

 どうやらこの状況は本当に想定外の物だったようです。

 ――――現在、私達は“虹の上”をゆっくりと進んでいっていました。先ほどの加速でベゼちゃんとの距離は開いてしまったので、彼女が追い付くまではまだ少し時間がかかりそうです。

 猫さんは、おずおずと口を開きました。


「僕の見立てだと、恐らく殴られた際の衝撃で僕の魂が抜け出た……という可能性も考えられるかも♪ この姿になったのはきっと、ずっとこの姿で居た反動なのかな??? それはよくわからないかなー☆ミ

 ……はーっ……どうしてこんな事に……僕の身体が……」


 何も知らない私達は雑な推測しか立てられませんが、今、この猫さんが言った事が本当でありそうな気がしてなりませんでした。そしたら私は殺人犯です。魂を抜いているのですから。

 これは少し先が恐いです。“警察”や“白魔女の報復”が恐くなってきています。ていうかこれ元に戻るのでしょうか。色々と悩みの種は尽きません。少し前の私なら泣いていた所です。

 良心はちっとも痛みませんが、やはり恐怖ばかりは抑えられるものでもありません。

 ……しかしながら、私はその恐怖を全て先送りにしました。

 これは私がレースの中で学んだ、諦観の境地です。先の事を考えなければ恐くも無いのです。

 私はそれで冷静さを取り戻し、キャットさんをじっと睨みつけました。

 そうです。あれだけ色々とやらかしてくれた相手に、どうして私が怯えなくてはならないのでしょう。


「ちょっとアプリちゃんっ!? そんな睨まないでくれ、僕だって想定外だったんだよ! わかった出ていく出ていくから…………あれ? 出られない」


 黒猫型幽霊は、どうやら自分の意志ではどうする事も出来ないようでした。

 私はここでふと思い立って、猫の乗る肩に力を込めてみます。

 すると、黒猫型幽霊の身体がふわりと宙に浮きました。猫さんは何があったのかわからないといった表情で「え?」と間抜けな声を出しています。

 ……なんかよくわかりませんが、今度は私が黒猫型幽霊の身体を操作できるようになっていました。

 これはもしかしたら、もしかすると、これまでの仕返しをするチャンスなのではないでしょうか。私はとりあえず細かい事を全て先送りにして、とりあえず復讐の事だけを考えます。さて、どうしてくれましょうか。

 私は虹で彩られたラインを進みながら、ニヤリと口元を歪ませました。

 それに対し、黒猫型幽霊は焦ったような声を上げます。


「いやいや、あのさアプリちゃん!!!? 僕に敵意を向けるのはいいけど、ちょっとレースに集中しなよ!!!? また玉砕覚悟で操作してないかな!? 本当に危なっかしい!!!!

 ……ま、まずちょっと落ちつこうよ、ね☆」

「……禁止」

「えっ?」

「そういう記号つけた喋り方禁止。あと、アプリちゃんじゃなくてアプリ。呼び捨てにしてくれないとヤダ」


 私は苛立ちと共に吐き捨てます。

 記号を付けた喋り方に不快な「ちゃん」付け。これらの要素は、これまで散々私を苛つかせてきました。だからもう聞きたくなかったのです。

 もうこの猫が幽体離脱してようが何だろうが関係ありません。

 ここで鬱憤を晴らすだけ晴らして、それっぽい事は後で考えればいいのです。

 だから私は、この猫に対して容赦しない事を決意します。

 猫さんは目を見開いていましたが、やがてゆっくりと首肯しました。


「う、うん……わかったよ、アプリ。ぶっちゃけ僕もあの口調は少し無理してた」

「それと、私もキャットさんって呼ぶから。本名教えてくれないし知りたくも無いし、やっぱりこれが一番落ち着くから」

「あ、ああ……」

「ねえ、キャットさん」

「な、何だい……?」


 私は顎で、自分の腕を示しました。本体のハンドルを握っている方の腕です。

 キャットさんが首を傾げましたが、私はここで平坦に「憑依、早く」と告げました。

 それに対して、キャットさんは不思議そうな反応を見せたまま、ついに私の腕へと入っていきます。

 これで片腕の感覚だけを共有しました。

 だから私は、もう片方の手で握ったグリップを一度離して膝元に置き、そうして空いた手でキャットさんの憑依した腕を思いっきりつねりあげました。そらもう全力です。


「「――――っ!!!!」」


 キャットさんが痛がっているのが伝わってきます。

 もっとも、私の腕なので実質ダメージを受けているのは私であり、私の方も結構痛い思いをしました。

 ……まあ、何にせよこれで復讐成功です。少しだけすっきりしました。

 私は手を離すと、グリップを握り直し、キャットさんに憑依をやめるよう指示を出します。


「い、痛いじゃあないかアプリ! 何故こんな事を!?」

「……しかえし」

「そ、そうかい……」


 やはりまずは痛い思いをさせるのが先決でした。

 本当は私と同じ苦しみを味わってもらいたかったのですが、生憎そういうわけにもいきません。だからせめて物理的なダメージを与えたかったのです。これで少し溜飲が下がりました。

 ……まあ、こんなんで許せるほど私も寛容では無いのですけれどね。

 と、こんなやり取りをやったすぐ後です。

 私の背後から、聞きなれた声が聞こえてきました。


「よくわかんないけど、それだけ楽しそうって事は解決した……って事でいいの?」

「えっ?」


 私が振り向くと、そこにはベゼちゃんの姿がありました。

 ベゼちゃんは困ったような表情を浮かべ、私の後ろから徐々に距離を詰めていっています。全身から迸っていた薄黄色の魔力が見えないあたり、もう魔力切れのようでした。

 そういえば、私が落ち込んだ時、一番私の事を気にかけてくれたのはベゼちゃんでした。やっぱりこの子いい子だったのですね。いじめっ子とは何だったのでしょう。

 これは蔑ろにするわけにはいきません。

 私は強く笑みを浮かべて、こくりと一度頷きました。

 それに対し、ベゼちゃんも満足そうに笑います。


「そ。だったらあたしが気にかける必要もないってわけね。せーせーした。そんじゃ、今からアンタはただの競争相手ね。同じレースに参加している以上は、もう遠慮はしない。

 本当は撃墜してやろうかと思ってたけど、もう魔力も空っぽだわ。だからせめてあんたより先にゴールしてやる。勝負よッ!

 言っておくけど、あたしは負けないから! アンタには絶対っ! 温存してたバッテリーを全部使ってやるッ!」


 ベゼちゃんはそう言い捨てるなり、私の返事も待たずに私を追い抜かして行きました。

 やはり空中では圧倒的にベゼちゃんの方が早いようです。

 ベゼちゃんの乗っているスティック型掃除機は、バアルゼブルというオーダーメイド品でした。その加速力や最高速度は、こと空中においてはクーちゃんの性能を遥かに上回っているのです。

 だからここで抜かされたわけなのですが、正直もう私にとってレースはどうでも良い物でした。

 キャットさんの成仏云々の話が嘘だった以上、私に頑張る理由なんてまるで無いのです。レースに拘る意味だってゼロに等しいのです。ぶっちゃけここで投げ出しても良いぐらいなのです。

 けれども、どうしてか私の中に腑に落ちない幾つもの引っかかりがありました。これは自分自身理由がわからない思考なのですが、ここで簡単にレースを投げ出していいのかと私は疑問に思ってしまったのです。

 何故でしょう。勝手にやらされただけの思い入れも糞もないレースなのに、そこまで入れ込む理由など何も無いはずなのにこうなってしまったのです。

 それと、ここで私の心に小さな灯りが灯ってしまいました。

 ……どうしてだろう、私、ベゼちゃんに負けたくない。

 これは本当にどうしてそう思ったのか、自分自身かなり曖昧だったりします。ですが明確に思ってしまった想いなのは確かなのです。ベゼちゃんに抜かされて悔しい、ベゼちゃんと真っ直ぐ戦ってみたい、出来る事ならベゼちゃんに勝ってみたい、と。

 その想いは必要以上に膨れ上がり、私の理性を押しつぶそうとしてきています。

 ……と、ここで私はふと思い付きました。この猫に対しての復讐についてです。


「ねえ、キャットさん……」

「な、何だい?」

「私、キャットさんを許したくない。あれだけ追い詰められたから、もう本当に大っ嫌い……」

「う……っ。それを言われると弱いね」

「だけどっ! それでもお願いを一つ聞いてくれたら、許してもいいかなって思ってる……かも……」

「お願い?」


 キャットさんはまたしても首を傾げます。

 それも少し困り顔のようです。猫の顔をしていてもわかります。あれは絶対、反応に困っている顔です。

 キャットさんは私の真意を測りかねているのでしょう。

 実際、今のやり取りで私の心にとある変化が起こった、というのもまた事実です。急な話には違いないのです。

 だからこそ私はなるべくわかりやすいよう、シンプルに告げました。


「私、ベゼちゃんに勝ってみたい――――」


 それから一息。一気に言い切ります。


「――――だからっ、勝たせてくれないかな……?」


 これは私の中で、決して芽生えるはずのない感情でした。

 これまで長いこと生きてきましたが、誰かに勝ちたい、と思う事など全くと言っていいほどありませんでした。

 そんな闘争心が今、私の中に芽生えているのです。

 これがただのスポーツなどだったら話は別です。それだと私に勝ち目が無いのは目に見えているからです。

 流石に「絶対に勝てない相手に挑む」ほど私はマゾではありません。

 けれども、今の私には“クーちゃん”と“キャットさん”という頼れる味方がいます。

 ……ん、味方……? ……まあ、一応、味方カウントにしておきましょう。一応。

 何にせよ、今の私はベゼちゃんと張り合えるだけの“力”があるというのは、揺るぎようの無い事実です。

 これは、今まで私がやってきた“勝負”とは少し毛色が違います。

 何故ならば、今回ばかりは無理じゃないのです。勝つも負けるも私次第の状況なのです。

 頑張って勝てる相手と闘うのならば、こちらも精一杯頑張る意味があるのです。

 そして、そんな私の気持ちに対して、キャットさんは猫らしい笑顔で口を開きました。ちょっと可愛いです。


「……うん、君に許して貰えなかったら、僕も自分の身体に帰れなさそうだしね。それに君がようやくやる気を出してくれたようで僕は少しだけ嬉しい。構わないよっ!」

「うん……!」


 礼は言いません。

 これで今まで受けた痛みを全部チャラにするのですから、むしろ礼を言ってもらいたいのはこっちです。

 とはいえ、さっきまで報復が恐いだとかそういった事を考えていたのに、こうして軽い条件で許すのは理にかなっていないと自分でも思います。まあでも、少しでもこの猫が疑わしくなれば、こんな口約束なんて簡単に反故にしてしまえばいいのです。

 ……それに許す云々は私の気持ちの問題であって、警察に突き出すのはもう確定している事実です。だからこの猫に関してはあまり心配はいらないように思えたのです。そう上手くはいかないでしょうが、そんな心配は後でする事にしました。考えたくないので今はレースに集中します。

 兎にも角にも、これで準備は整いました。

 あれこれやっているうちに虹の麓が見えてきます。私より少々先を行っていたベゼちゃんが、もう虹の麓へと到達している所が見えます。やはりあの子は優秀であると言わざるを得ません。

 だから私も気持ちを引き締め、しっかりと前を見据えます。

 それから、気合いを入れるために大声で“おまじない”を叫びました。


「行くよっ! クーちゃんっ!!! そしてキャットさんっ!!!!」

「ああ、一緒に行こう!」


 こうして私達は虹の麓へと到達し、地面に両輪をつけ……超常的加速によって一気にベゼちゃんを抜き去りました。

 景色は全て変質し、絶え間なく後方に流れていく線と化します。クーちゃんから伝わってくる鋭い振動が私の全身に速度を伝えてきてくれました。やはりと言うべきかクーちゃんの速度は圧倒的です。

 私はそんな中でも何とか前を見据え、ハンドルを強く握りながら前進を続けていきました。

 そんな時。

 私の右肩から穏やかでいながら、かなり早口な言葉が聞こえてきます。


「おっとアプリ、ここでブーストを切っておいてくれ! 節約だ。もう君はブーストをチャージ出来ないからね。このままだと空中が不利になる。

 それと魔法を使って欲しい時は僕が指示するから、君はとりあえず目の前に集中していてくれ!」

「う、うん!」


 私はブーストボタンを一度押し、ブースト機能を解除しました。地上走行の時、ブーストは加速強化というよりは制動強化用として機能するようになっています。なので地上で曲がらない以上は必要ないのです。

 私は、指摘されるまでその事実に気が付きませんでした。まあ初心者なので当然ですよね。

 ひとまず今の加速でベゼちゃんは抜いた事ですし、私はとりあえず目先の事に集中する事にしました。私は意識を正面に集中させ、どんどん加速の中に意識を溶かしていきます。

 そんな私の右肩からは、相変わらず落ちついた声が聞こえてきました。


「そうそう。ベゼちゃ……あの少女は、あの凄まじい加速機能で僕達の後ろについてきている。君がわざわざ確認する必要もないが、そういう事実を頭に入れておいてくれ」

「わ、わかった……!」


 ベゼちゃんはこの加速についてきているようです。そういえば、一時的にとんでもなく加速出来る機能がベゼちゃんの掃除機にはついていましたね。それをフルで使ってついてきているのでしょう。

 そう考えるとなかなか最悪の状況です。何故ならば、ベゼちゃんの掃除機は空中の道を進む事になった瞬間、私のクーちゃんよりを置き去りにする事が出来るのです。それなのに地上でも並ばれてしまえば、どこかで抜かされてしまうのは目に見えています。これはかなり危険な状況であると言えました。

 それでも私はあまり不安を感じずに、真っ直ぐ続く道を進み続けていました。

 だって今の私にはキャットさんが居ますし、そもそもそんな先の不安なんて考えていても仕方が無いのです。

 先回りの不安を抱えて動けなくなるより、もう後先考えずに投げやりになった方が百倍マシなのです。

 だから、私はもうめげません。

 このまますぐ目の前だけを見て進んで行くのみです。

 と、私が覚悟を決めた時でした。

 私の前の三叉路に、赤い右方向の矢印が浮かんでいるのが見えました。右コーナーです。

 ここでキャットさんが声を張り上げました。


「さて、手順はさっきまでと同じで構わないよ! 僕が指示するタイミングでパネルを生成して、前にジャンプしつつ念動操作で強化したブーストで曲がってくれ。

 念動操作は飛んですぐ使ってくれて構わない! 今はブーストを切っているから“二度押し”じゃなくて構わない。今度は一度押しだ!

 ついでに欲を言わせてもらえば、曲がる時は斜め下に向かう軌跡で行ってくれ。それならロスなく地面につけるっ!!!!」

「うんっ!」


 曲がりに関してはもう手慣れた物でした。もう細かく意識する必要などありません。

 キャットさんが「ここ!」というタイミングで、私はパネルを生成して、それから念動操作を発動してから指示されたタイミングで“一度押し”を発動させて曲がりました。

 それも斜め下への鋭い曲がりです。これで殆どのロスなくクーちゃんは地面へと戻り、再度地面を高速で駆けていきます。流石はキャットさんの指示です。上手くいきすぎて高笑いしたくなってきました。

 そして、私の肩からも楽しそうな声が聞こえてきます。


「よしっ!!! これでまた差を付けたっ! あの少女は曲がる時、加速を解除する必要があるんだ! そこで殆ど速度を落とさなかった僕らの優位が高まったんだ!

 よし、アプリ! これなら勝てるよ! 僕のクーシェ・ドゥ・ソレイユがあんな最新型に負けないって所を見せてやってくれ!」

「……え? クーちゃんはキャットさんのじゃないよ。だってキャットさんには最新型のリューくんが居るし。クーちゃんは私のだよ」

「リュー……? ああ、クレール・ドゥ・リューヌの事か! あれは……って言っている場合じゃあない! 今度は虹だっ! パネル生成だっ! はやくっ!」

「えっ?」


 キャットさんとの会話で集中を乱していた私は、前方の路面から伸びている虹に驚いてしまいました。

 ですがすぐに集中し直し、パスワード発声と共にパネルを生成し、クーちゃんを前方へと飛ばします。

 それからハンドルを持ち上げるように力を込め、きっちり虹をなぞる軌道に入る事が出来ました。ここでキャットさんが「ブーストを押してくれ」と言うので、私は再度ブーストボタンを押してブースト機能による空中加速を行います。これで問題ありません。

 しかしながら、そんな私の横を小さな影が高速で通り抜けていきました。

 ベゼちゃんです。それもあの凄まじい加速機能を用いて、私を空中で追い抜かしていったのです。

 ……あれ、空中で使ってもラインとか大丈夫なのでしょうか。速すぎてまともにラインをなぞれないような気がしてなりません。事実、私を抜いたベゼちゃんは、虹のラインを綺麗になぞりきれていませんでした。

 と、このタイミングで……まるで私の思考を読んだかのように……キャットさんが口を開きます。


「フゥム。あれだけの速度があれば多少の抵抗なんて問題ないって事だね。でも流石に維持は出来ないだろうね。あのショルダー型を使っていた老人のようなライン無視も出来ないはずだ。

 あれだけの速度、あんまり空中で使っていたら空気抵抗でまともな操作が出来なくなってしまう!」


 キャットさんがそう言うなり、私の前を行くベゼちゃんの速度が一気に落ちました。

 あの超常的加速を解除したのでしょう。やはりキャットさんの言う通り、空中での維持は無理なようです。

 けれども今ので相当な差をつけられてしまいました。差がついただけでもなかなか致命的です。空中では普通にしていてもベゼちゃんの方が速いのですから。

 この差は地上のコーナーで取り返せるのでしょうか。難しい所です。

 私は色々と考えようとして……やめました。

 そうです。私にはキャットさんが居るのです。

 だから頭脳労働はむしろそっちの仕事なので、私はそこまで深く考えない方がいいのです。

 私がそんな感じの事を考えていると、やはりキャットさんからアドバイスが飛んできました。


「さてアプリ! また僕の指示したタイミングでパネル生成だ! 小刻みに前に飛んで距離を詰めるぞ! 魔力は平気かい!?」

「う、うんっ! どっちを使うにしてもあと十回までなら大丈夫!」

「うわ、使えない魔力量だね! まあ、わかったよ! じゃあ節約気味にいこうか!」

「使えないは余計だよっ! 事実だから傷つく! やめて!」

「ごめん!」


 たとえ空中であっても、パネルを生成してそれをジャンプ台代わりにすれば、まるで跳躍するように凄まじい前進をする事が可能です。これならば虹を進む際にもロスを少なく出来るはずです。

 それを咄嗟に思い付くこの猫は、相も変わらず流石でした。私もすぐに意図をくみ取り魔法を発動します。

 ――――こうして私達はパネルと跳躍を利用しながら、なんとかベゼちゃんとの距離を詰めていきました。

 けれどもベゼちゃんは想像以上にライン選択が的確だったため、なかなか追い付く事が出来ません。また、やはり私の魔力節約のためにパネル生成があまり出来ず、それが痛手となったのです。

 しかしながら距離を詰める事は出来ました。

 これでまた地上で加速し、コーナーで差をつければ問題ありません。

 虹の麓はわりとすぐに見えてきました。だから私はより強く気を引き締めます。

 ……一応、これまでで私は“コーナーと空を素早く進む方法”を、キャットさんから教えてもらった形になりました。

 ならば後は如何にミスなくそれをこなせるか、という話になってきます。

 言ってしまえば自分との闘いです。

 この最終局面。私は負けたくない自尊心を昂らせ……溜息と一緒に全て吐き出しました。

 ……いや、何が自分との闘いですか。馬鹿馬鹿しい。

 私が今闘っているのはベゼちゃんです。断じて自分ではありません。ちょっとテンションが上がってしまったせいで妙な事を考えてしまいましたが、別に自分は敵じゃないので闘う必要などまるで無いのです。

 むしろ、私が私の味方でいないでどうするのでしょうか。私が私を甘やかさなかったら、誰が私を甘やかしてくれるのでしょうか。自分に甘く、敵に厳しく。それが勝負の鉄則なのではないでしょうか。

 だって、今まで何らかの形で私と争ってきた人達は、敵である私に全然優しくしてくれませんでした。むしろ、すっごく楽しそうに私を追い詰めてきていた記憶が未だこびりついています。

 あのお菓子を賭けたトランプの時だって、後で聞いたらみんな何かしらのズルをしていましたし、やっぱり勝負というのはそういう物なのです。少なくとも私はそう学びました。

 だから私は極端に脱力し、緊張を遥か後方に置き去りにします。

 今、私が意識を配るべきは自分のミスではありません。あくまで自然体で居ればいいのです。ぶっちゃけ切羽つまっていない今、これで負けて傷つくのは私のプライドだけです。大した事ありません。だから神経質になる意味なんてゼロなのです。

 あくまで自分に優しく甘く、勝てたら勝つでいいのです。

 私はここで気合いを入れて叫びます。


「そうだよ……別に負けたところで……っ! 何か不都合があるわけじゃないしっ!」

「うーん、君が何を考えてその発言に至ったのかあまり考えたくはないけど、なんかもう凄いね。正直な話、君には何の才能も無いと思っていたけれど、もしかしたら一周回って大物なのかもしれないよ。びっくりした。

 こんな場面で脱力出来る人なんて、すっごい久し振りに見た気がするよ。君は一体なんなんだ」


 ……本当になんなんでしょう。自分でもよくわかりません。

 まあ、そんなやり取りはどうでも良いのです。

 私とキャットさんは虹の麓に辿り着くなり、レースに意識を戻していきます。

 今度はベゼちゃんが少し私の前に出た状態で、超高速の直線がスタートしました。ベゼちゃんは加速機能、私は地上加速によって凄まじい速度を出して直線を進んで行きます。その速度はほぼ互角です。

 そうしてコーナーを一つ抜けるたびに私は距離を詰めていき、そのままじわじわとベゼちゃんを抜かしました。けれどもまた虹の空中コースで抜かされて差をつけられ、また私が地上のコーナーで追い抜かしていく――――そんな攻防が数回続きました。

 結果、双方の差は殆どつかず、勝負はついに最後の虹と直線を残すのみとなりました。ついにラストステージです。キャットさんが言っていたので間違いないはずです。

 まさしくこれが本当の最後です。長かった私のレースもこれで終わりを迎えるのです。しかし、ゴールにたどり着くまでは安心出来ないというのもまた事実でした。

 一応、ベゼちゃんに勝ちたいと言った以上は、どちらかというと勝った方がいいに決まっています。

 本当の本当にこれが最後の闘いです。

 私はほんの少し前を行くベゼちゃんを見ます。するとベゼちゃんは振り向き、私に視線をぶつけてきました。

 私は適度に脱力した目で見ただけですが、ベゼちゃんは勝利への執念の籠った眼力で睨みつけてきました。まさしく勝負の世界に生きる人の目です、あれは。

 もうそこに余計な言葉は要りませんでした。どうせ後で話せますしね。今、話す事など何もありません。

 ベゼちゃんは視線を前へと戻し、私も溜息を吐いて全身から余計な力を抜きました。もしかしたら必要な力も抜けてしまった気がしますけれど。

 何はともあれ、最後の虹はもう眼前に迫ってきていました。

 ここでキャットさんは呟きます。


「これで最後だね。色々と僕も自分の身体の安否とか気になるけれども、まあ別に身体ぐらい新しいのを作れば問題ない。せっかくここまで来たんだ。勝とう、アプリ! 相手は当初の目標だ!」

「そうだね……」


 すっかり忘れていましたが、この闘いが終わればクーちゃんは壊れてしまいます。

 これまで、クーちゃんは本当に頼れる味方でした。今やキャットさん以上に信頼出来る存在です。

 最初はただ作るのが面倒な掃除機、としか思っていませんでした。レース会場では時代遅れと馬鹿にされ、私自身これに乗るのは嫌で嫌で仕方が無かった記憶があります。けれど、いざ走ってみれば他のどんな機体よりも速く、どの他の参加者よりも先に私を空まで連れて行ってくれました。

 クーちゃんは、それからも吸引機能やブースト機能、更にはパージ機能によって散々私の印象を覆してきたのです。今ではもうすっかり頼りになる最強の味方です。

 だから私はこれまで以上に感情を込めて、最後の“おまじない”を口にしました。


「行くよ、クーちゃんっ!」


 私には、クーちゃんから放たれる“ブオオオオオ”という音が、まるで返事をしているように聞こえました。

 それから私はキャットさんの指示に従い、パネルを生成して虹へとジャンプして空の道を駆けあがっていきます。キャットさん曰く、もう魔法の出し惜しみは無しだそうです。ここで全てを出しきり、ベゼちゃんとの決着を着けようという算段のようでした。

 所に私もこれまで以上の気持ちで上を向こうとし――――

 ――――前を行くベゼちゃんの行動に驚き、視線を下におろしてしまいました。

 ベゼちゃんは虹を無視して真っ直ぐ進むなり、あの超常的加速によって一気に前進していったのです。

 あれは白魔女と闘ったおじいさんがやっていた、ラインを無視する飛行です。ですがこれは、キャットさんが先ほど不可能であると言ったはずです。出来るわけがありません。ならばやけになって変な行動をしたと考えてもいいでしょう。やりました、これで私の勝ちです。

 私はキャットさんの方を見ると、キャットさんは前を見て目を丸くしていました。あ、駄目そうです。


「馬鹿なっ……!? あんな事をすれば空気抵抗でまともに……! ……っ! なるほど!」

「えっ!? 何!?」

「操縦不能になる前に減速して速度を整えているんだ! フッ、それはそれで大変なはずなのだけれどね……! よくやるよ! 今回のレースはレベルが高いね!

 アプリ、こうなれば僕らも虹の下を行くしかなさそうだ!」

「えええええーーっ!!?」


 と、こんな感じでキャットさんと高速のやり取りをした直後、私はクーちゃんの機首を軽く下にさげます。

 これで虹をなぞるルートは消えました。なかなかギリギリの状況です。あまりにもベゼちゃんが速過ぎるため、このまま行かれたらもう勝負をつけられてしまうかのような焦燥感があります。

 ……まあでも、負けたら負けたでその時です。

 この程度で私はめげません。何もかかっていない勝負で負けても、私には何のダメージも無いのです。

 既に諦めの境地に達した私の心は、まるで静かな湖面のように穏やかでした。だから溜息一つの脱力で、今回も呆気なく緊張を捨て去る事が出来ました。楽なものです。

 だから、まあ、焦っているのはキャットさんだけでした。


「アプリ! こうなったら地上を行くしかない! この手のレースは座標的に虹の下を進めばコースアウト扱いにはならないからね! 問題無い! 行こう!

 でも色々な障害物があるから、回避のため両手だけ僕に憑依させてくれ! 頼むよ!」


 ……なんかそういう風に必死に頼まれると胡散臭いです。

 でも一応、今は私の方が憑依の主導権を握っている状態なので、きっと大丈夫でしょう。

 何か疑わしい動きが見えたら、その時こそ私の中から追いだしてやればいいのです。

 色々と考えるとキリがありません。

 だから私は頷き、キャットさんに両手を貸し出しました。

 これで難しい障害物はクリアしたも同然です。クーちゃんの操作はキャットさんに任せました。


「行くよ、アプリ! 僕が指示した時、その方向に体重をかけてくれ! 気持ちの方は大丈夫かい!?」

「うん、大丈夫!」


 私の心は、とっくの昔に折れているので問題ありません。

 これ以上折れようがない、という意味ではこの上なく頼り甲斐があるというものでしょう。

 そうして私の両手の感覚に異物感が混じると同時、クーちゃんのハンドルが一気に下へと押し込まれ、クーちゃんの進行方向が斜め下へと変更されました。私達はそのまま虹の下を進んで行き、眼下に迫るビルの並ぶ街並みを眺めます。

 そうしてクーちゃんはどんどん下降していき、街並みが徐々に接近していき、やがて両車輪が地面にがっしりとつきました。これにより私の視界はまたも変質します。

 降りた先には、相変わらず背の高い建物に左右を挟まれた街並みが広がっていました。ちなみにその上にかかる虹は斜め左前へとかかっています。虹の真下を通らなければコースアウトになりますが、虹の軌跡はこの広い表通りからは少し逸れていました。つまり地上からだと今のような大きな通りから少し逸れ、若干狭い路地の方を通っていかなきゃならなくなるのです。


「さて、これから路地裏を通る! いくよ!」


 なかなか無茶な事を思い付きますね、この猫も。

 ですがもうそんなスリルは、私の心を“きゅん”とさせる事しか出来ません。

 ――――こうして「私達」は、左側へと素早く方向転換するなり、ビルの隙間にある狭い路地の方へと入っていきました。文字通りビルの隙間程度しかないスペースだったので、急に視界が暗くなります。更に、変な臭いと閉塞感が私の感覚を覆っていきました。

 薄暗くてよく見えない道を、私を乗せたクーちゃんは全速力で駆けていきます。景色がまともに見えません。もう暗くて速いって事しかよくわかりません。トンネルの中をジェットコースターで進んでいるかのような気持ち悪さです。途中、キャットさんが「右!」だとか「左!」だとか言ってくるので、その指示に従って身体を左右させていきました。

 とりあえず私のやった事はそこまでです。

 ベゼちゃんは虹と地上の中間……つまり中空を移動していたので、この遮蔽物の多い地上からだとベゼちゃんの姿を確認する事が出来ません。そもそも周囲の風景さえもよくわかりません。暗い、速い、視界が安定しないの三拍子で、本当に自分がどういう状態なのかよくわからないのです。しかもガタンガタンと衝撃は絶え間なく襲ってくる上、機体の向きも真横になったり地面についたりせわしないのです。

 兎にも角にもキャットさんの焦る気配は伝わってくるので、急げば追い付く程度の差であると私は勝手に推測しました。

 そして、薄暗くてよく見えない景色が少しの間続き――――

 ――――私達はついに表通りに出ました。

 とりあえず表通りの左右を挟む建物の隙間から出たようなので、キャットさんは私の両手を動かして、クーちゃんを真っ直ぐ表通りに沿った向きへ変えました。

 光の中へと出た途端、軽く目が眩みそうになりましたが何とか頑張って周囲を見ます。空に虹が見えないので、もう虹の麓は越えたようでした。そして今、私の前には先の見えない直線が続いています。両方をビルに囲まれた、真っ直ぐな長い直線です。

 ……いや本当、見えた物がそれだけだったらどれだけ良かった事か。

 私の横には、並走するようにして進むベゼちゃんの姿がありました。もちろん地上を行く私達と同じような速度である以上、あの殺人的加速を行っている状態に違いありません。ベゼちゃんはもう私に一瞥もくれずに前だけを見ていました。けれどもベゼちゃんは、微妙に私よりもほんの少し前に出ているように見えます。もしかするとこのままでは僅差で負けてしまうのではないでしょうか。

 私がそんな事を考えた時、キャットさんは私の耳元で呆然と呟きました。


「ここが最後の直線だ。アプリ、すまないけれど差を埋めきれなかった……! これはクーシェ・ドゥ・ソレイユの弱点なのだけれども、これは地上特化型であるが故に! 以前ロボット型の少女がやっていたような“直線でラインを選択して進む”だとかいった小細工が出来ないのだよ……!

 残りは直線のみで、僕達に加速方法は無い……!

 つまり、この状況になってしまった時点で……僕達の負けだ……! すまない……! 手の憑依は解いておくよ……もう、意味がないからね……」

「そっか」


 キャットさんは相当気にしているようでした。使えない猫です。この流れで勝てないんですか。

 ですが、私は思いのほか冷静でいられました。私にはどうしてもこれで終わり、だとは思えなかったのです。こんな状況でも何かやれる事が、絶対にあると思えて仕方が無いのです。

 だから私は深く傷つかずに、冷静に状況を見極めます。ただ直線を進むだけならば何も注意すべき事柄が無いので、じっくりと思考に時間を割くことが出来るのです。幸い、ゴール付近の直線は相当長かったので考える時間はたっぷりとありました。私は考えに考え、そうした末に結論を見つけます。

 ……なぁんだ。簡単じゃあないですか。

 私は、意外と呆気なくその答えを見つけてしまいました。

 どうしてキャットさんはやらないのか、不思議で仕方が無いレベルの些細な発見です。

 逆にここまであからさまだと、何か裏があるのではないかと疑ってしまうぐらいの案でした。

 私は色々と考えようとして……聞いた方が早いという事に気が付きました。


「ねえ、キャットさん」

「なんだい……? もう煮るなり焼くなり好きにしてくれ……本当にすまなかった……」


 どうあがこうがいずれ煮られ焼かれる猫が何か言っていますが、私は無視して自分の質問をかぶせ気味に投げかけます。


「今まで色々なパーツを外してきたけど、あれってどういう意味があったんだっけ……?」

「……? 掃除機の体積や重量を軽くして、念動性能を上げるのが主な意味だけれど……それが……」

「それだけ?」

「え? ……そうだな。軽量化によって地上を進むのも幾分か速くなっているけれど……って、アプリ!? 君はまさか……!」


 私はニヤリと笑いました。

 相変わらず察しの良い猫さんで助かります。すぐ気付いたようで何よりです。とはいえ、やはりこの策自体が誰でも思い付く範疇である、というのも関係しているはずでしょう。

 どう考えてもこれしか策は無いはずなのですし、こんなの気付かない方がおかしいのです。

 とりあえず聞きたい事は聞けました。後は実行のみです。

 胸が“きゅんきゅん”鳴り始めて止まりません。ちょっと興奮してきました。

 たぶん今日の私は、一生分ドキドキワクワクしているような気がします。

 ……私は迷いで手が止まる前に、ゆっくりとクーちゃんの本体側のハンドルから手を離しました。それからホースと本体を繋ぐあたりに手を這わせます。

 これで後は覚悟だけです。


「ちょっ!!!? 何をしているんだアプリぃぃ!!? それを外すなんてとんでもない! 今すぐやめるんだ!」

「……何で? きっと、こうでもしないとベゼちゃんには勝てないよ……?」

「そうじゃない! キャニスター型は、ホースの先から続いているグリップ付近に電源ボタンとかがついているだろう!? だからホースを外したら速度調整も不可能になるし、止まれなくなるし、方向転換すらも難しくなってくる!!! もうそれをやってしまえば、クーシェ・ドゥ・ソレイユは加速しか出来なくな――――」

「そっか、えい。えっと、ホースパージ!」


 話が長いので聞き飛ばしました。

 ついでにホースの根元についていたボタンを押して、ホースも外してしまいました。

 何か危険な単語が聞こえた気がしたのですが、まあ別に気にしなくても問題ないでしょう。今の時代、使用者の安全が保護された掃除機が主なのですから。

 まあクーちゃんのような旧型は知りませんが、ホースが取れる機能がついている以上、使ってはいけない理由も無いはずです。だからやっても問題無いと判断したのです。

 とりあえずホースは後ろに投げ捨てました。

 するとキャットさんは叫びます。


「ちょっ、ちょちょちょちょちょ、君が死んだら僕はどうなってしまうんだ!!!? 何て事をするんだ!!? やめてくれよ本当にもう!!! うわあああああああああああ! 随分とやってくれた――――」


 瞬間。

 ガタン、といった感覚と共にクーちゃんがゆっくりと加速していくのを感じます。現に少しずつベゼちゃんに追い付きつつあります。

 私は本体のハンドルを両手で握り、後は真剣に前を見据えます。

 が、私達の方を怪訝そうな表情で見てきたベゼちゃんは、そのまま表情を硬直させてしまいました。

 その表情は「何やってんの!?」といった感じのものです。実際、硬直から復活したベゼちゃんは大声で想像通りの言葉を叫びました。


「馬鹿っ、何やってんの!?」


 それからベゼちゃんは焦ったような口調で続けます。


「それやったら止まれなくなるの知らないの!? しかもそれ、キャニスター型なのに何でホースが外れるようになってるの!? 危なすぎるわ! というか、そのホースを抜いた穴の先にはパック式の補助ユニットが入ってるのよね!? という事はホースが外れて補助ユニットが剥き出し状態!?

 危なっ! 本当に危ない! それでどこか壊れて怪我……ううん、死んだらどうするつもりよっ!!!?」


 ……どうやら、私は思いのほか大変な事をしでかしてしまったようでした。

 いや、本当に危ないですね。この状態。本当にどうすれば良いのでしょう。

 でもまあ会場スタッフが何とかしてくれると信じて、私はレースに集中するとします。とはいえ私に出来る事など残ってはいないのですけれど。

 私達の遥か先に、赤い半透明の横線が見えてきました。あれがゴールラインでしょう。距離的には相当先にあるようですが、今の私達の速度だともう一分とかからない距離のはずです。

 つまり今が、本当に最終局面のデッドヒートです。

 私の見立てだと、ゴール前に私のクーちゃんが追い付けるかどうかがギリギリのラインでした。ここまでしておいて勝てない可能性もあるのです。

 しかしながらもうこれ以上、やれる事は無いのです。故に私は全力を尽くしたと言えましょう。

 だから私は少々優越のこもった笑みで、ベゼちゃんに対して一言告げました。


「……これで、私の勝ちかもね」

「なッ!?」


 ベゼちゃんが口を噤みます。

 事実、あんなに強かったベゼちゃんに勝てる可能性がある、というところまで私は来ているのです。本当に長かったこれまでの道のりを超え、この子と並ぶ事が出来たのです。

 もっとも私一人の力ではありませんが、しかしここまで私が到達し得たという事実は揺らぎません。大きな「嬉」の感情が私の心を躍らせます。だからリスクだとかいう小さな問題じゃあ、もう私は止まれないのです。

 それにもうホースは外してしまったので、いくら危険だろうと騒いでも仕方がないのです。故に考えません。レースにだけ意識を向けるよう意識を研ぎ澄ませます。

 ……キャットさんが何か叫んでるようでしたが、まあ無視で構わないでしょう。

 ベゼちゃんとの距離は徐々に縮まっていきます。これで勝てるか否か、全てが決まるのです。私は喉を鳴らし、いずれ訪れるゴールをしっかりと見据えました。後は“きゅんきゅん”と叫ぶ胸の高鳴りに従い、ただ前に進むのみです。

 すると、ベゼちゃんの方から大きなため息が聞こえてきました。


「……もう、何なのよアンタ……、そこまでして勝ちたいわけ……!? ……なら、そういう覚悟だと受け止めてやろうじゃないッ! 死んでも勝ちたいってわけね。いいわ、ならあたしも死んでも負けないッ!

 言っておくけどね! このレース中、あたしはアンタに何度か抜かれたのを忘れていないからね! それが悔しくて仕方がなかったから……絶対、最後だけは負けてやらないッ! 絶対にねッ!」


 ベゼちゃんはそう言うなり、掃除機にまたがるのに使っていた片足を軽く揺らし――――踵で思いっきり自分の掃除機のヘッドを蹴りつけました。

 直後。ベゼちゃんの掃除機から、ヘッドが外れて背後へと飛んでいきます。ヘッドが無くなったベゼちゃんの機体は、まるでただの取っ手だけがついた細長い棒のようでした。長いパイプと言い換えても問題ありません。

 それからベゼちゃんの機体がほんの少しだけスピードアップし、追いすがる私を徐々に徐々に引き剥がして行きました。ホースを外したクーちゃんですら、追いつけない速度となったのです。

 あまりの事態に私は言葉を失います。色々と喋っていたキャットさんも黙りました。まさか、これは……


「ヘッドパージ……!?」


 私は茫然と呟きます。

 ベゼちゃんの掃除機にもヘッドを外す機能がついていたのです。そんな事実を今更ながら認識した私は、もう頭の中が真っ白になってしまいました。

 現実から目を背ける暇も無く、ただただ私を置き去りにしようとしていくベゼちゃんの横顔を見つめる事しかできません。せっかくリスクを冒してまで速度を上げたのに、結局は勝てなかったのです。そんなのあんまりです。

 この瞬間、私の敗北が確定――――


「ううん、まだ……! まだだよ……!」 


 咄嗟に。

 そんな言葉が私の喉を震わせました。

 何か逆転の策が思い浮かんだわけでもありません。負けられないプライドから意地で言ってしまったわけでもありません。ただ自然に、当たり前のように喉からあふれ出てしまっただけです。

 感情が、外へと出てしまっただけです。

 ゴールまでの距離はあと僅かしかありません。そして私のクーちゃんは全ての性能を使い果たしました。キャットさんも全力を尽くしました。私自身の魔力も“ほぼ”限界です。何も、頼れるものはないはずでした。

 それでも。それでも私は負けたくないと、まだ何か残っているかもしれないと、ずっと眠っていた負けん気を絞り出します。まあ、適度に。


「きっと……まだ、何か…………あるはず…………? あっ、そうだ……」


 ここで疑問が浮かびます。

 それは、ベゼちゃんは何故これまでヘッドパージという便利な機能を使ってこなかったのか、という疑問です。これを早い段階で使えばもっと私のとの距離を広げられたのに、何故今になって……という思考が私の中に展開します。

 しかし疑問の答えはすぐに明かされました。

 勝ち誇った顔のベゼちゃんが、わざわざ私の方を向いて説明を始めてくれたのです。ベゼちゃんは私に背を向けられるほど差を空けたというのに、それでも尚こちらを向いて喋り始めてしまったのです。


「これがあたしの切り札……ってわけじゃないけど最後の悪あがき! もっとも、これやると方向転換が難しくなるけどね! 残る道が直線だけなら問題は無いッ!

 どう? これでわかった? これであたしの勝ち。わかったら、さっさと止まる方法考えなさいよ! 本当に危ないわよその状態!」


 ヘッドパージ温存については、意外と普通な理由でした。

 これでは、逆転の一手を思いつくための足がかりにはなりそうにありません。

 やはり無理なのでしょうか。私はいつものように諦めかけ――――

 ――――――――この状況を覆せる、最後の逆転策を思いつきました。

 それは天啓のようなもので、シンプルながらも成功すれば恐らく勝てるであろう作戦です。しかし外れた場合、私はリスクを冒した上で敗北を喫することとなります。それはいくらなんでも惨めです。別にただ負けるのは構いませんが、しかしここまでしておきながら負けるのはやはり嫌なのです。当たれば大きく、外れても大きい。

 つまり運否天賦に全てを賭けたギャンブルという事です。

 ……最高に、楽しいじゃあないですか。

 これが正真正銘、本当に最後の勝負です。勝つのは私かベゼちゃんか、これですべてが決まります。この最終決戦、私は持てる全てを集約して臨んでやりますとも。

 私はまた頬を緩め、グリップを握る必要の無くなった片手をベゼちゃんの背へと向けます。また鼻血が出てしまいましたが、私は拭う事も無く意識をベゼちゃんへと集中させます。


「これが、最後……だから、こういう時ぐらい……期待を裏切らないでよね……」


 これまで多くの物に頼ってきました。それがクーちゃんの性能だったり、キャットさんの知恵だったり、ベゼちゃんの応戦だったり、とにかく私は色々なものに支えられてここまで来たのです。

 ですが、それももう頼れないとなれば、残るは自分の力のみです。美味しいところだけを持っていける、なんて最高ですよね。だから頑張ります。これだけは頑張ってみせます。


「いくよ、私……っ!」


 最後の最後。最終決戦の最後の一撃。私が思いつく最後の攻撃。これが決まれば本当に美味しいです。故に気持ちは充分です。

 私は全身から可能な限り力を絞り出すように気合いを入れ、それから勝利へのパスワードを一字一字しっかりとはっきり発音します。

 それは最大限の力を込め、最大限の祈りを乗せ、最大限の想いを重ね、放たれる最後の解錠発声パスワード


「――――パネル生成」


 これが私の最後の策です。

 私の全身から橙色の魔力が放たれ、そして――――


「なッ!!!?」


 ――――ベゼちゃんが突然頭を仰け反らせ、空飛ぶ掃除機から勢いよく転落しました。ベゼちゃんは何かに弾かれるようにいきなり激しく空へと投げ出され、驚愕の表情を浮かべたまま宙を彷徨います。まるで“宙に浮かぶ障害物”にでもぶつかったかのようです。

 ……よし、上手くいきました。

 簡単な話です。私はただ、ベゼちゃんの進行方向にパネルを生成しただけなのですから。後は生成したパネルにベゼちゃんが激突し、そのまま撃墜状態になってれれば万々歳なのです。

 もっともベゼちゃんの機体の簡易保護障壁は頑丈だったので、この程度の攻撃では砕けてくれませんでしたけれど。

 しかしながら簡易保護障壁が壊れなくとも、ベゼちゃんは掃除機から弾き落とされてしまったのです。ここからレースに復帰するのは難しいでしょうし、ましてや私を追い抜かすことなどできないでしょう。

 ベゼちゃんの掃除機は今、方向転換能力……つまり制動性能が著しく低下している状態にありました。それが故に、この透明な私のパネル攻撃を咄嗟に避ける事さえもできなかったのでしょう。


 ……そもそも、まさか私にやられるとは思っていなかったというのもありそうです。だとしたら「思い知ったか!」って感じです。口には出しませんが。


 ベゼちゃんが宙を舞い、私が後ろを見たその瞬間。ベゼちゃんと目があってしまいました。ベゼちゃんは驚愕の表情のまま固まり、ただただ何が起こっているかも理解できていないような顔で私を見てきます。

 時が止まった、そんな錯覚さえもある一瞬。

 私の目は、ベゼちゃんの唇が動いてるのをしっかりと捉えました。


 ――――なんで?


 ベゼちゃんが最後に放った一言はそれでした。

 それが私の攻撃方法に対する疑問なのか、それともどうして私に負けたのかという疑問なのか、私には判別がつけられません。兎にも角にも、ベゼちゃんは何故こうなったのかを本気で疑問視しているようでした。

 だから。

 だから私は、ベゼちゃんに対して精一杯の感情を返そうと決めます。


 ――――私は二コリと笑い、そして「べーっ」と軽く舌を出してやりました。


 これは、私がレース序盤でベゼちゃんにやられた行為です。

 地味にちょっと腹が立っていたので、これで見事反撃完了というわけです。確かにベゼちゃんは途中、私を助けてくれる事もありましたが「一回は一回」です。やられた分はきっちりお返ししますとも。

 なお、ベゼちゃんは大きく目を見開いた後に激しい怒りを露わにしようとしていました……が、もうタイムリミットです。これはレース中であり、今のはほんの一瞬が間延びして感じられただけなのですから。

 だから私のクーちゃんはベゼちゃんから逃げるように素早く大地を駆け、ベゼちゃんを圧倒的速度で置き去りにしていきます。その際、地面へと落下しそうになっているベゼちゃんからの叫び声が聞こえてきました。


「こ、のっ、ふっざけんなああああああああああああああああああああっ!!!」


 よっぽど悔しかったのでしょう。その声には並々ならぬ執念が感じられました。

 ですが残念。ベゼちゃんは、そのまま勢いよく地面を転がっていきます。

 しかも私は相当な速度が出ているので、あっという間にベゼちゃんの姿は遠くなってしまいました。もうほとんど見えません。あれだけ大きな叫びさえも、私には届ききらないのです。

 ……勝ちました。

 ぐうの音も出ないほど完全勝利です。

 やりました。私はやってのけたのです。当初の目標を、最後は自分の力でやってのけたのです。美味しいところ、GETです。


「やった……! 私、ベゼちゃんに勝ったんだ……やった……やった……やった……やったぁぁぁぁぁっ!!!!」 


 私は歓喜の声を上げました。

 何故ならば、これでベゼちゃんに完全勝利を収めたからです。当初の目的はこれでクリアーしました。もうこのレースに思い残すことはありません。

 このパネル攻撃は相当近距離でないと使えないので、今のような拮抗した状態でしか使えない大技でした。しかし思いつきで行った技にしては、我ながら上等であったと言わざるを得ません。

 これまで散々私の期待を裏切ってきたこの“半端な魔法技術”が、こういった形で役立ってくれたのは嬉しいものです。私だってやればできる、とは思いませんが、少なくともこの力が活きる状態というものは存在していたのです。

 ……さて。

 これで私はこのレースにおける目標を達成しました。もっとも幽霊が成仏してくれないのは想定外でしたが、とにかく私はやってのけたのです。

 残る問題は、ただ一つ。

 ここでようやく私の耳にキャットさんの声が届きました。今まではレースに集中したかったので無視をしていましたが、もう集中が切れたのでちゃんと聞こえてくるのです。


「いやいやいやいや! 喜んでいる場合じゃあないよ、アプリ! 勝てたのはめでたいけれども、先に止まる方法! 止まる方法を考えないと! スタッフにだって限界はあるんだ!」


 ……私は、思っていた以上に取り返しのつかない事をしでかしてしまったようです。

 私は冷静に考えつつも、心の奥底では全力で不安を先送りにし続けていました。これで心の安寧を保ちます。

 こんな現実、まともに直視する必要もありません。それに胸が“きゅんきゅんきゅんきゅん”五月蠅い事になってしまっているため、どのみち私はもうちゃんと考えられない状況にあるのです。多幸感で死んでしまいそうです。喉奥から心臓的な何かがせり上がってきている気がします。何だか頭の奥の方から、幸せのような何かが無限に湧き出ているような気分です。

 私は今、そういった快楽と危機感の狭間で揺れ動いていました。

 そういえばグリップをホースと一緒に外してしまったので、片手が自由になっている事に私は気付きます。

 ……そうだ。

 私は一つの思い付きから、自分の腰もとに軽く手を添えます。

 すっかり忘れていましたが、このクーちゃんは「コードレスではない」のです。そのコードは私の腰にある「ポーチ型給電機」に接続されているため、これさえ外してしまえば強制的に掃除機の動きは止まるのです。

 だから私はプラグをつまむようにして……


「やめてくれアプリ! それは多分、危ない!」


「えっ?」


 ……コードを外してしまいました。

 ちなみに焦るあまり現状を忘れていましたが、もうゴールの赤線は目前でした。

 そんなタイミングで私はコードを外してしまったのです。

 その結果。


 ――――プツン、という謎の衝撃と共に私の意識は闇に溶けていきました。

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