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現代ファンタジー的日常生活  作者: パンダらの箱
今日の魔女は掃除機で飛ぶ、編
23/36

第二十三話「それを覚醒と呼ぶのにはあまりにも歪すぎて」

 ……思い出しました。

 この感覚は長らく忘れていました。これは私の中に眠る巨大な欲求だったのです。

 ――――かつて、私は友達とお菓子を賭けてトランプで勝負した事があります。

 当然、みんなと比べて思考力や判断力に欠け、更には運にすら見放された私は勝てませんでした。どんどん負けが重なっていって、それだけ私の食べるお菓子の数が減っていったのです。

 そして、追い詰められた私は――――これでお菓子を買うから、と言って自分のお小遣いを全て投入し、負け分を全て取り返そうとしたのです。

 その勝負は普通にボロ負けしてしまいましたが、代わりに得られた物もありました。

 それは……


「……そういえば、あの時は……気持ち、良かったな……」


 私は思い出を振り返り、恍惚とした笑みを浮かべてしまいました。

 そうです。あれこそがこれまで生きていた中で、一番充実感があって、一番生きている実感もあって、それでいながら一番気持ち良かった経験でした。

 自暴自棄になって何もかもを捨て、そこで初めて得られる刹那的快楽。自分を否定し、全てを諦め尽くして理性を殺してしまった者しか辿り着けない、諦めの境地。ある意味で究極の現実逃避。

 私はその感覚を長らく忘れていました。それが今、極限まで追い込まれる事によって再び開花したのでしょう。

 ……それに気がついた時、私の心を辛うじて繋ぎとめていたネジが、一気に十本ぐらい弾け飛びました。


「ふひっ」


 つい、変な声が出てしまいました。

 全身の震えが止まり、呼吸が荒くなっていきます。これは恐怖のためではありません。興奮したせいです。

 鼓動は徐々に加速していきます。油断しているとすぐに気をやってしまいそうです。ですが、これで恐れはなくなりました。当時の感覚を思い出したお陰で、心にゆとりが出来たのです。

 なんて下らない事で悩んでいたのでしょう。私は今、そんな解放感に満ち溢れた気分でいました。

 まるで今まで圧し掛かっていた抑圧が、全て壊れてしまったかのような爽快感です。どうしてでしょう。不安や恐怖を全く感じません。全てが現実で無いようにさえ思えてきます。

 最高に無敵な気持ちです。なにか状況が変化したわけでもないのに、妙な全能感が私の中に満ち溢れていきます。これなら、たとえどんな物が相手でも負ける気がしません。

 今の私ならば、万引きやカンニングなどといった大胆な行動すらも出来そうです。常識や良識なんて知った事ですか。そんな物はもうどうでも良いのです。

 ……余計な不安を感じるのは、もうたくさんです。

 もっと大きな悦楽が欲しい、私はそう思いました。だから考えます。この状況で一番スリルを味わえる手段を、全身全霊を賭けて必死に考えていきます。

 ……そして、思い付いてしまいました。この状況を何とかする方法を。

 それも相当リスキーな物です。自分を捨てない限りは絶対に出来ないような方法です。だからこそ、今までは思い付いても実行に移せなかったであろう凄まじいアイディアです。

 でも、今ならばそんなリスクさえも笑い飛ばせました。

 そのお陰で私の気分は更に上昇し続け、全身が火照っていきます。頬も赤く染まり、笑みも濃くなっていきます。


「ふふ、ふふひひひひひ……」


 どうやら私は、あまりにも追い詰められたせいでおかしくなってしまったようでした。

 人には、心を守るための防衛機能が生まれつき備わっていると聞いた事があります。きっとそれが暴走したのでしょう。私の心は限界を超えた結果、もう苦痛を受け付けなくなったのだと考えられます。

 なんというか好都合です。こうなってしまえばもう恐いもの無しです。

 気が狂いそうな程の高揚感が全身をくまなく支配していきます。まるで幸せの絶頂にいるかのような錯覚を覚えた私は、いつの間にか鼻から血が流れているのも無視して、即座に行動を始めました。


「……ふーっ、この感覚……もっと欲しいっ!」


 私はハンドルを全力で下へと押しこみ、機体を真下へと向かせました。

 かつて私が恐れて出来なかった、真下への移動です。白魔女は、まさか私がこういった行動を取るとは想定していなかったのでしょう。私の下には一切の幽霊が配置されてしませんでした。これはラッキーです。

 私の心に莫大な負荷がかかる感覚があります。恐怖心がじわじわと湧きあがっていきました。

 ですが、それでも私の心は「快楽」の方を多く得ていました。

 これまで散々「限界、限界」と言ってきた私の心は、ついに限界を超えてしまったのです。だからもう恐れさえも餌にしかすぎません。リスクに立ち向かっていく危機感を喰らい、私の中の好奇心は破裂しそうな程に膨れ上がっていきました。

 ……今まで、リスクを恐れていました。

 恐いものや危ないもの、それらを遠ざける事によって心の安寧を保っていたのです。でも、それは間違いだったのかもしれません。だって、今こうやって限界の壁を突き破ったその先には、これほど気持ちの良い世界が広がっていたのです。これを知らぬまま過ごすなんて、かなりの損をしていると言えるのではないでしょうか。

 私はとあるビルを目当てに、そのまま真下へと落下してきました。そのビルの屋上からは長いアンテナが伸びています。その上、珍しく落下防止用のフェンスが張られていません。だからそこを目指して、私は街の景色へと突っ込んで行きました。

 以前、虹のラインを無視して進んで行ったおじいさんが居ました。そのおじいさんのお陰でわかったのですが、どうやら縦のラインさえあっていればコースアウトにはならないようなのです。これは利用するしかありません。

 ブースト全開。全力の加速で、私はそのビルの屋上へと接近しつつ、機体の向きを徐々に傾けていきます。まずは機首を上げて斜め下へと進路を変更していき――――上手い具合にクーちゃんの車輪を屋上の地面へとくっつけました。

 直後。クーちゃんが凄まじい速度で加速し、屋上のへりをジャンプ台がわりにして大きく前に跳躍しました。私の視界は信じられない速度で後方に流れていきます。もう前しか見えませんが、その進路上には余計な物は見当たりません。つまりこのまま虹の麓を目指せばいいのです。

 ……どうやら上手くいったようでした。

 最初、坂を登り終わった後、クーちゃんは投げ出されるように飛ばされました。その投げ出された時の加速によって、他の参加者を軒並み追い抜いていったのです。だから今回はそれを意図的に起こした、ただそれだけの話なのです。

 正直、あまりにも無策すぎて私らしからぬ策だったと思います。コースアウトになる可能性も、屋上に不可視フェンスが張られている可能性も、とにかく色々な不確定危険要素が混在していたのです。

 しかしながら、私はそれすらも興奮の材料にして、この無茶な作戦を実行しようと決意したのでした。ええ、リスクが高い方が気持ち良くなれるのです。だったら選択肢など一つしか無かったのです。相変わらず鼻血は止まりません。もう上空を行く白魔女の方に意識すらも向きません。

 ……こうして私は、クーちゃんが減速しようとするたびに、ビルの側面などに車輪をこすりつけて無理矢理加速しました。これで白魔女からは逃げきれたはずです。

 虹の麓は、もうすぐ傍にまで迫っていました。

 いや、それにしてもアレですね。

 ……まさか本当に上手くいくとは……!

 絶対どこかで無様に失敗するものかと思っていました。本当、我ながらびっくりです。極限状態を越えた人は、常識では考えられない力を発揮すると聞いた事がありましたが、あれは本当だったようですね。

 派手に転ぶのも、またちょっと楽しそうだったのですけれど。


「結果、オーライだね……!」


 今の私に恐怖心はありませんでした。

 今ならビルに突っ込んでも大丈夫そうです。いけます。むしろドキドキしてきました。

 幽霊による攻撃は今のところ来ていません。好都合です。いえ、いっそもう何でも来やがれ、です。

 今のビルを利用した加速に至っても、成功させるつもりでやっていません。半ば駄目もとでやっています。

 私は理解したのです。失敗した時の事を考えず、目先の快楽に身を委ねてしまえば楽になるのです。どうして今までこんな簡単な事に気がつかなかったのでしょう。最高の気分です。

 いや、本当に文字通り最高過ぎる状態でした。まるで乗るだけで幸せになれるアトラクションを体感しているかのようです。私はコースターが苦手ですが、これなら不思議と大丈夫です。

 やはり色々と考えた結果、クーちゃんは最高の機体であるという事が判明しました。

 ……これまで、私には誇れる物が何一つとしてありませんでした。ですが今の私には、たった一つだけ誇れる物があります。

 それはもちろん「クーちゃん」です。こんな屑も同然な私でも、クーちゃんに乗っている限り並大抵の相手には勝てるのです。これほど気分の良い事はありません。これこそが並の努力を上回る「物の力」というものでしょう。クーちゃんは単体だけでかなり強いのです。

 ここで私は、今の自分の存在意義について考えます。

 正直な話。クーちゃんは今、全部の力をフルで出し切れてはいません。それもこれも私が足を引っ張っているからです。けれども、単なる初心者である私に出来る事などあまり無い、というのもまた事実でした。どうすればいい、私は考えます。が、答えは出ません。

 だから過去の思い出に、何か使えそうな物は無かったかを振り返ってみます。

 ……そういえば、ショルダー型のおじいさんは攻撃魔法を持っていませんでした。自らの魔法を全て機体の補助に回し、機体の性能を底上げしていたのです。おじいさんは、まるで自分の術を一つの「パーツ」のように扱って、機体を更に強くしていたのです。そう考えると、私にも少しだけ可能性が見えてきます。

 私の術は「小さなパネルを生成する術」と「微弱な念動操作をする術」の二つでした。この二つをどうにか利用して、クーちゃんの運用に使えないかと少し考えます。確かに私の術は弱いですが、何の補助にもならないなんて事は無いはずです。

 ……ロボット型などのような最新機種の補助ユニットには、インターネットに繋げる機能が内蔵していたりします。そうする事によって最新のAIにアップデートしたり、専用の魔法補助アプリケーションをダウンロード出来たりするのです。そのアプリケーションの中には当然、性能の低いものだってあります。それでもお金の無い底辺層には親しまれているのです。

 だったら、私は「それ」になればいい。ただ、それだけの話なのです。

 私が、クーちゃんだけのアプリになれば良いのです。そうして行ける所まで行ったら、後はアクセルを踏むかの如くこの鼓動を加速させていけばいいだけなのです。全てを振り切ったハートで、ただひたすら前に進むだけで良いのです。そう考えると気持ちが楽になりました。

 そうです。信念や覚悟など、余計な物は捨てた方が気分が軽くなるのです。もう全部軽くていいのです。これはレースなのですから、軽い方が有利に決まっています。

 白魔女のせいで気持ちが重くなってしまいましたが、これは本来軽い気持ちで楽しむべきただのお遊びです。どうせこのクーちゃんもレースが終われば壊れてしまい、私もただの日常に回帰してしまう事でしょう。だから、こんな良い気分になれる「魔法」は今日一日限定なのです。私がこの魔女風衣装を着るのも、今日が最後になる事でしょう。

 それぐらい気を楽にすれば、もう何も恐れる物などありません。

 ――――そうこう考えている内に、虹の麓に到達しそうになりました。

 その前に続く市街地コースには、白魔女達の姿はありません。どうやら私の方が先に接近してしまったようでした。ならもう懸念はありません。

 どんどん自棄になっていこうじゃないですか。

 もう私の術の使い道は思い浮かびました。

 ……ていうか、何だかさっきから思考が捗りすぎです。恐いぐらいにトントン考えが進みます。

 まあ、悪いことでもないので受け入れて進みましょう。

 私は、ここで「ある猫」が言っていた“おまじない”を思い出します。

 それは恐怖心でどうしようもなくなった時、使うと良いと言われていた“おまじない”です。

 今、私に恐怖はありません。しかし、それでも久し振りに口にしたくなりました。

 有り体に言えば、クーちゃんに話しかけたくなったのです。

 だから、私は目を見開いて口を歪に広げ、とびきり素敵な笑顔を浮かべて叫びました。


「行くよ、クーちゃん! 今度は一緒に!! 私と一緒にッ!!!」


 こうして私達は虹の麓へと到達し、クーちゃんの車輪が地面に触れました。

 瞬間。私の景色は変質し、何もかもが後方へと流れていきました。やはり凄まじい速度です。上下左右が線のようにしか見えません。もう真正面しかまともに見られる部分がありません。それどころか真正面の景色すらも、すぐに接近してくるせいでよく見えないという始末です。

 クーちゃんの速度はやっぱり無敵です。前に誰かさんが言っていた通り、本当に最強なのではないでしょうか。これだけ速いのであれば負ける気がしません。

 まあ、当然でしょう。クーちゃんは常に己の命を削って加速しているのです。それだけ限界を超えた加速が、規格内で収まっている無難な機体なんかに負けるわけがないのです。

 だから私もこの力を遺憾なく発揮させ、クーちゃんを最強の座に留めておく必要性がありました。加速は止まりません。このまま嫌な事も良い事も全部忘れ、私はただひたすら速さを求めるパーツになればいいのです。

 ここで、前方に左コーナーが見えました。さて、そろそろ私の出番のようです。

 視界は良好です。涙は数秒前に置いてきました。だからもう視界が歪む事はありません。先行していた恐怖も既に抜き去りました。今の私に迷いはありません。

 故に。

 極めて冷静に、術を発動させるパスワードを口にする事が出来ました。


「パネル生成っ!」


 まんまです。まんまのパスワードです。でもこれが一番覚えやすくて良いのです。

 私の全身から橙色の魔力が迸り、クーちゃんの真下に小型パネルが生成されました。

 クーちゃんの車輪は三つあります。本体の左右につけられた車輪と、その間にある底面の小さな車輪です。

 私はその小さな車輪の、ちょうどすぐ前にパネルを生成したのでした。それも小さなジャンプ台のように、少し傾斜をつけて設置したのです。

 これにより、当たり前のようにクーちゃんは空へと投げ出されます。正確に言えば、前の方へと飛ばされたのです。先ほどビルを利用した加速した時の感覚に近いです。

 そうしてクーちゃんは瞬く間に左コーナーへと接近します。加速を保ったまま空中に投げだされたのです。そうなれば、私のやるべき事はたった一つです。

 私は、左側に体重をかけつつグリップを握る手を動かし、素早くブーストボタンを二度押しました。

 これによりクーちゃんはぐるりと九十度向きを変え、一瞬で進路変更をこなします。もちろん「二度押し」です。本来は曲がるための技術では無いそうですが、この加速の中で無理矢理曲がる方法と言えば、私はこれだけしか知りません。だからこそここで使ったのです。

 これで私は速度を可能な限り保ったまま、コーナーを曲がる事に成功しました。

 ……それにしても本当に上手くいくとは想像していませんでした。七割ぐらい失敗すると思っていたので、私自身結構驚いていたりします。まあ、結果オーライです。

 私は再度クーちゃんを地面に下ろし、再度地上加速を始めました。もう地上加速は恐くありません。

 すると、今度は緩やかに曲線を描く道がありました。少し前の私なら、恐怖で動揺していた事でしょう。

 でも今の私は平気です。どうしてかと言えば、私にはもう一つの術があるからです。

 私はパスワードを叫びます。


「念動操作っ!」


 またしても、まんまのパスワードです。

 これは本来、紙コップを浮かせる程度の弱い念動魔法です。けれども、これを掃除機に使う場合は話が変わってくるのです。

 レース用掃除機には元々、念動系の魔法が使われています。そして同系統の魔法を同じものに使用した場合、相乗効果という現象が起こり、両方の魔法が元々以上のパフォーマンスを発揮する事が出来るのです。つまり私の念動も少しは強化されるため、クーちゃんの車輪に影響を与えられる……はずです。

 私は加速を保ったまま、全身から橙色の魔力を放ち、徐々に車輪に影響を与えていきます。するとクーちゃんは面白いほど素直に向きを変えていき、やけに呆気なく緩やかな曲がりを突破する事が出来ました。最高です。

 ……もう言うまでも無い事だとは思いますが、本当の本当に、上手くいくとは思っていませんでした。


「……やった……!」


 何にせよ、これでもう恐いもの無しです。私は薄い笑みを浮かべ、鼻血を流しながらも、加速のスリルを味わいながら先へと進むのでした。

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