第二話「そして少女は空へ」
前回までのあらすじ!
わたくし、アプリ・アクセルハートは幽霊に取り憑かれてしまいました。おわり。短いですね。
幽霊とは――――私も詳しい事は殆ど知らないので断片的な知識となってしまいますが――――とにかく見える人にしか見えない「死人の残留思念」のようなものだそうです。
この世界には、魔法を使うための「マナ」というエネルギー体が充満しており、幽霊は、その影響によって生じたものだと考えられています。
最近では人間も魔法を使うようになったせいか、ここ数年で、マナの流れに微量な変化が表れているとも聞きます。もしかしたらその影響で、年々幽霊が増え続けているのではないか、という説も囁かれていますね。
もっとも真相に関しましては、まだ専門家の間でも完全に解明出来ていないような段階だそうです。ならば当然、たかが一般市民であるこの私が、幽霊に関して正しい事を言い切れる由も無いのです。確実に存在する、とは誰もが認めつつも、その正体についてはまだ曖昧なままなのです。公式見解で「よくわからない幽霊のような何か」とされている物についての詳細など、私なんかに説明出来るはずもありません。
ですが、最低限の事は知っています。
まず、この幽霊というものは喋ります。生前と同じような人格も持ち合わせており、記憶も生前から引き継ぎになっているようです。
現に今、私の部屋の中を興味津々に飛び回っている金髪の悪霊も、普通に声を出して喋っています。
「うーむ。これが年頃の少女の部屋なのか……実に興味深いね……くんくん」
「やめて!」
私の家は、二階建ての一軒家です。
そして私の部屋は、その二階にある一室になります。
年頃の女子、とは言っても、私は世間に疎い日蔭者なので、本当に大した物は何も置いておりません。
質素な学習机とベッド、それからクロゼットと本棚ぐらいの味気ない部屋ですとも。
私は淡い色彩を好むので、一応そういった部分の統一性はありますが、特徴といえばその程度のものです。
唯一の救いは、私自身がほとんど無趣味なせいか、部屋があまり散らかっていない事ぐらいでしょうか。
そんな味気ない私の部屋を、金髪の幽霊は遠慮なく物色して回ります。
もっとも、幽霊に物理干渉力はありません。
ですが透過能力はあるので、迂闊に油断しない方が懸命でしょう。どこに入りこまれるのか、とてもわかったものじゃありません。
私は、両目を強く瞑りながら、両手をぱたぱたと振って、必死に幽霊を叱りつけます。
「もう! あんまり見て回らないで! 話はちゃんと聞くから、大人しくしてて!」
「ムウ……仕方ないなぁ。君がそう言うのならば、やめてみるのも吝かではないね」
「……それで、お願いは何?」
幽霊とは、皆、例外なく未練を抱えているものです。
そして、それさえ解消すれば、満足して自然に消えていくのです。世間ではそれを“成仏”と呼びます。
これが私の知っているたった一つの、幽霊に対する対処方法なのです。まあ、これも結局は応急処置のようなものなのですけどね。幽霊によっては、いきなりとんでもないお願いをしてきたり、そもそも願いすら言わずに好き勝手してくるパターンもあるそうなのです。そうなってしまえば成仏させる事は難しくなります。
幽霊は「取り憑く」という技能を持ち合わせており、具体的には、生き物である対象一体の身体に入り込み、ある程度自由に操る事が出来るのです。
一度、体内に入られたらもうアウトです。自力で追い出す事は、まず不可能となります。
実は私の背中からも、細い半透明の糸のようなものが伸びており、それは室内を飛び回る幽霊の足元と繋がっております。一応、私と彼は繋がっている状態にあるのです。
ですが、今のように幽霊の大部分が外に出ている状態であれば、まだ比較的安全です。危険なのは、幽霊がその全身を対象の中へと入れている状態なのです。そうなると、完全に意識を乗っ取られる危険性があるのです。
けれども、今のような半端な状態であればこれ以上入ってこないようにと、ある程度ならば抵抗する事も出来ます。もちろん私は抵抗中でした。
ちなみに、双方の合意なくして「取り憑く」という行為は本来犯罪であるはずなのですが、警察に行く前に脅してくる幽霊が大半なのだそうです。なんとか警察にさえ突き出せば、後は専門家の手によって幽霊を祓ってもらう事が出来るのですが、そうも簡単にいかないのが幽霊の恐い所です。幽霊は、取り憑いた時点で対象の身体をある程度支配出来るので、それを上手く利用して脅してくるのだそうです。
そういった悪質な幽霊を、人は悪霊と呼びます。
余談ですが私は、自分に狙いを定めているこの幽霊を見て、すぐに悪霊と判断しました。ただの勘なので、濡れ衣の可能性も十二分にあり得ますけれど。
しかし、私にはどうにもこの幽霊が、私にとんでもない苦難を負わせてくる気がしてならないのです。
私の勘が叫んでいます。決めつけるようで申し訳ありませんが、これは絶対に悪霊です。もしくはもっと飛んでもない“何か”です。
兎にも角にも、悪霊に取り憑かれた時点で、私に選択権などありません。
脅されるのも恐いので、さっさと向こうの言い分を聞いて従った方がマシです。下手に対処しようとして警察に向かい、そのせいで大変な事になったという例も聞きます。余計な事はしない方が懸命のようです。
故に私は、先ほどすぐに向こうの要望を聞いたのです。
けれども、それを受けた金髪幽霊さんは、何かを思案するかのように顎に手を当ててしまいました。
「……フーム。お願い、か。いや、好奇心で取り憑いただけなので、僕自身にも曖昧なんだ。そのあたりが」
「何か無いの? 無いなら……出来れば、私から出て行って欲しいんだけど……」
「フムム、強いて言うのならば、もう一度“箒レース”に出たかった事ぐらいかなぁ。これでも僕は生前、結構凄い選手だったんだよ。テレビとかもいっぱい出た。キャッツェント・ビビビエンドって、知らないかなぁ?」
「……私、テレビとか見ないからわからないよ。でも、レースの選手ならそれが未練っていうのは納得かも…………でも……」
納得しつつも私は、憂鬱になってくる気持ちを抑えられそうにありませんでした。
箒レースとは、その名の通り、箒を用いて行われるレースの事です。
魔法という力を行使するにあたって、箒の操作は、その練習に最も適していると言われていました。それを切っ掛けとし、やがて魔法使いたちが自ら操作する箒に跨って競争を始めてしまったのが、この箒レースの起源であると言われています。
最近の箒レースは、技術の進歩もあり昔よりもずっと凄い物となっています。なんとここ数年で、ついに掃除機までもが空を飛ぶようになりました。
というか今ではもう掃除機が主流なぐらいです。もう箒なんて誰も使いません。
最早、箒レースじゃありませんよね。何でもアリです。こんなのただの掃除機レースですよ。さっさと改名すべきだと思います。
なお、私達の住む街でも箒レースは行われております。
年に数回、町内を駆け巡る自由参加型競争が行われているのです。それもタイミングの良い事に、今から数日後に開催する予定となっているのです。不自然なぐらいぴったりなタイミングです。とはいえ参加は自由なので、これは絶好のチャンスであると言えるでしょう。
ですが、私に出場経験はありません。最初から負けるのがわかっているからです。ていうか興味もありませんでしたし。
けれども、この幽霊の言い分を信じるのであれば、私は身近な箒レースであるそれに参加せねばなりません。これで幽霊の未練が晴れるのであれば、私は自分のためにも、出来る事はやらなければいけないのです。
しかし、これは想像以上に無茶ぶりです。私の駄目すぎる運動神経で、一体どうやって闘えばいいのでしょうか。
しかも、いくら幽霊が宿主の身体を乗っ取れるといっても、今の私とこの幽霊さんの距離感では、身体のほんの一部しか共有する事が出来ません。つまり、細かい部分の操作を任せる事は出来ても、実際にレースに参加するのは私なのです。あり得ませんよ。
だいたい、憑依はさっき言った通り犯罪なのです。そんな事、公共の場で出来るはずもありません。
……だから、大半どころではなく、私が全部やらねばならないのです。それは相当な苦痛です。参加するだけで恥をかきそうで、本当に嫌な気分です。もう気分が悪くなってきました。
私は、思わず眉をひそめてしまいます。
すると何を勘違いしたのか、確かキャット……だとか名乗った金髪幽霊さんは、突然何かに気付いたような笑みを浮かべました。
「そうか! いや、すまないね少女よ。確かに、自分の部屋にこんな美系の異性が居れば、意識してしまうのも無理はないだろう……! ならば、僕は君のために姿を変えるよ……変身!」
「え?」
私がより一層不可解な表情を浮かべると同時、キャットさんの身体は光に包まれ、なんと全く別の姿へと変化してしまいました。
幽霊は自由自在に自分の見た目をコントロール出来る、という話を、どこかで聞いた事があります。故に、私はあまり驚きませんでした。変身自体には。
ですが、キャットさんの変化した姿には、ほんの少し驚きました。
あまりにも可愛すぎたのです。
キャットさんは、何と小さなマスコットのような、愛らしい黒猫の姿へと変わったのです。
これには私の胸もトキメキます。愛玩動物は大好きなのです。
思わず、気持ちがほんわかして緩んできてしまいます。
けれども、すぐに先ほど浮かべていた不満を思い出し、私は再度心の中でファイティングポーズを取りました。
「いや、そうじゃなくて……レースの話……」
「ああ! そっちだったか、そーりぃ! ならば僕は、この変身を今すぐ解―――」
「それはそのままでいいから! 話、続き……」
「むぅぅ。そうか……しかし、お願いを聞かれたら僕は成仏してしまう。それはなぁ……いや、でも、やっぱりレースには出たいしねぇ……うーん」
「他に、未練は無いの?」
「浮かばないね! 僕はこれでも悔いの無い人生を送ってきたつもりなんだ! 後悔なんて、そう簡単にポンポン見つかるものじゃあないよ!」
どうやらキャットさんは、随分と羨ましい人生を送っていたようでした。
私の人生は、まだ終わっていないのにも関わらず、既に悔いしか見当たりません。
だから、その生き方は本当に羨ましいと、私は浅ましくもそう思ってしまったのです。
……って、それどころじゃありません。
このままでは、私はレースに出る羽目になってしまうのです。
私は必死に考えます。どうすれば、この状況を打破出来るのかを。
しかし、そんな思考はすぐに無意味とされてしまいました。
「ムゥ。ま、よくよく考えたら、レースなんてしなくても僕は別にいいかな! このまま君と一緒に同居生活をしてみるのも悪くない!」
「えっ?」
それは予想外の言葉でした。
それどころか、最悪の言葉だったと思います。
確かに、私がレースを拒めば、キャットさんはずっとこのままです。
どう考えても、それが一番不安の残る選択肢でした。
半透明の男性幽霊に、半永久的に付きまとわれる人生。それは、まだ若い私の心を震えさせました。恐いです。最悪です。
ですが幽霊は、あまり嘘をつかないと一般的に言われています。
だから、レースさえすればキャットさんが消える可能性は、かなり高いと言えるのです。
こうなれば、私にとれる選択肢はたった一つしかありません。
私は、弱々しい覚悟を決め、キャットさんに話しかけます。
「いや……でも、未練はやっぱり消し去った方が、いいと思うよ?」
「そうか……! フム、それも一理あるね!」
「ちなみに、もし、もしもだよ? レースをやるとしたら……出るだけでも大丈夫? 優勝とかは……」
「フゥム……やるからには勝ちたいけど、まあ君は素人だ。たとえば僕が部分憑依でサポートしたとしても、そんな簡単に勝てる程あの世界は甘くはない。だから、楽しめるだけ楽しめれば僕も満足かな!」
「そっか。だったら……わかった。私、やるよ。レース」
不本意ながら、私はレースに参加する事を決意しました。
キャットさんは今のところ、私に対して敵対的な態度をとってきてはいません。ですが、それでも早めに祓っておかないと、どこかで痛い目を見そうで恐いのです。幽霊に対して油断しすぎたせいで、わけもわからず殺されてしまった人間だって何人かいるのです。
これは放置していられる程、小さな問題ではありません。
これからの人生、ずっとこの悪霊と共に過ごすだなんて、私は絶対に御免なのです。
だから、私はなけなしの覚悟と共に、少々気合いの入った言葉を吐き捨てるのでした。
「その代わり、絶対成仏してね!」
けれども、それに対するキャットさんの答えは「フム……まあ、努力はしよう」という酷く曖昧なもので、私はこれからに不安を隠しきれなくなりました。
本当に不安です。嫌になってきます。
ですがまあ、何はともあれ、これから幕を開けるのです。
私の人生初レースの幕が。
おまけ
箒レースについて
・かつては箒を用いて空を飛ぶレースだったが、今では箒が進化して掃除機となっている。
・町内マラソンと同じぐらいのテンションかと思われているが、一部かなり高レベルの連中が混じっている事が多々ある。大きな大会で活躍経験のある者が普通に混じって参加してくるせい。
・町内をほぼ一周するレースなのだが、その年によってコースが変わる事がある。
・終了後、参加賞として掃除機イラスト付きのポケットティッシュが貰える。が、誰も喜ばない。上位数名には、家電や商品券や流行のグッズなどといった賞品が贈られる。