表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

カレッジゴルフ

「ところで君はどうやって生計を立てているんだい?」

カレッジのゴルフチームの試合中に、対戦相手のクリスにそう訊かれた時、僕は最初その質問の意味が良く分からなかった。

「僕の家はローインカム(低所得)だから、州から補助を受けて学校に通っているんだ」

彼は僕にそういった。

僕は、そうなんだと思った。

日本で言えば生活保護や奨学金を受けて学校に通っているということだろう。

ただ僕はクリスがそのどちらのことをいっているのか、または両方のことをいっているのかまでは理解できなかった。

「僕は、親から仕送りを受けて学校の授業料や生活費を払っている」

正確にいうと少し違うが、僕はそういう風に答えた。

「補助とかは受けていないのか?」

クリスは再び僕に訊いた。

「僕はアメリカ市民じゃないからないからね」

別にアメリカ市民でなくても、成績が優秀な学生なら将来返す必要のない奨学金を受けることや、学費の一部または全部を免除してもらうことはできるが、生活保護は多分無理だろう。

僕の答えに対し、彼が納得したかどうかは分からなかった。

「ナイスショット。ビューティフル」

そんな声が聞こえてきた。

僕たちの前の組のティーショットが終わったようなので、僕とクリスそして同じ組のもうひとりのジムの3人は次のホールのティーグランドに上がっていった。

この日はゴルフの練習試合で、ウィスコンシン州のプレンティという街のゴルフコースに来ていた。

僕の所属しているウィスコンシン大学マラソン校とジムのウィスコンシン大学マーシュフィールド校、そして招待してくれたクリスのウィスコンシン大学バロン校のゴルフチームが参加していた。

ウィスコンシン大学とはアメリカウィスコンシン州の大学グループの総称で、比較的有名なマディソン校を筆頭にウィスコンシン大学システムとして、4年制のユニバーシティや2年制のカレッジがある。

マディソン校やその他の4年制の大学と違って、僕らが通っている2年制のカレッジは、いわば地元の高校の延長のようなローカルな面もあって、外国からの留学生や、アメリカの他の地域から入学する学生は少ない。

特にクリスの学校は、僕の学校よりも小さい街にあるのでなおさらだ。

なので彼にとっては僕のような外国人の学生は珍しかったはずだ。

実際、今日ここにいるメンバーも、コーチ陣から選手、従業員達を見渡しても僕以外は全員アメリカ人だ。

だから、まだ1年生の若いクリスは、僕のことを何者だろうと思っているに違いなかった。

逆に僕からしても、どちらかと言えばお坊ちゃんのような学生が集まるゴルフチームの中に、クリスのような見た目も性格も素朴な学生は珍しかった。

ゴルフ自体も、始めてまだ2~3年もたっていないような感じの手打ちスイングだった。

ただ、アメリカ人の中には手打ちでも十分に飛ばせる選手も多かった。

ともかく、今日はここまでは3ホールを終えて僕とジムが、クリスを2打リードしていた。

3人ひと組みのスリーサムでまわっていて、勝敗は他の組で戦っているチームメイトのスコアとの合計で決まる。

プレンティのこのコースは日本の山の中のゴルフコースとは違い、うねった砂漠に芝生を生やしたようなガランとしたコースだった。

高い木も少なく、上れば全体が見渡せる小高い丘がいくつもある。

そして、コースの周りは農場に囲まれている。

今年でゴルフチームに入って2年目の僕は、張り切っていた。

1年目だった去年のシーズンの最後に、泊りでいく一番大きな試合に補欠で連れていってもらい、さらにレギュラーメンバーの欠場により、試合に出させてもらえたのだ。

そして初日に思いがけず活躍し、コーチに「プラウドオブユアセルフ(誇りをもっていい)」と褒められてとても嬉しかった。

僕は今年はなんとか最初からレギュラーになってまた試合にいけたらと思っていた。

コーチはオブライアンという人で、外国人の僕によく目をかけてくれている。

学生時代は、アメリカンフットボールの選手として奨学金をもらっていたということを、以前試合にいくバンの中で教えてくれた。ただ怪我のために、選手としては成功はできなかったということだ。

移動のバンでは僕はいつも運転するコーチの隣に座っていた。

一度、試合に向かうバンでカーラジオから英語の曲に混じって坂本九の上を向いて歩こうが流れてきたときは、この曲は1963年にアメリカでトップ1になったことがあると教えてくれた。

いい曲だと言われて、僕も嬉しかった。

僕は日本のことでも、まだまだ知らないことがあるなと思った。

そのオブライアンの本職はカレッジの先生だ。

そして、学校のテニスチームやゴルフチームを情熱を持ってコーチしてくれている。

ただコーチの情熱はゴルフチームの他の選手にはあまり伝わっていないようで、みんなまだ18~19歳で若いせいもあるが、遠くまで試合に行くのは面倒だなとか、来年はもうやめようとかといった選手が多い。

でも中に1人、去年までアリゾナ州の大きい大学でプロを目指していたビルという選手がいた。

時折見せる彼の本気のショットは、僕のボールの遥か彼方まで飛んでいった。

僕がアメリカでゴルフをしているのは、少しだけ腕に自信があることと、そしてプレー代が安いからだった。

しかもゴルフチームに所属していれば、無料でコースを回ることができた。

もっとも、中学生の時に漫画の影響で親のゴルフクラブを無断で持ち出して土の公園で練習していた時も、同じように無料だったが。

チームのメンバーはビルの他には、若いのに頭が薄く一見ビジネスマン風のフィル、ファーマーのように筋肉隆々で手の親指が僕の親指の倍ぐらいある力自慢のカイト、小柄だがテクニシャンのマークがいた。

去年は8人いたが今年は5人に減っていた。

活動シーズンは、北国ということもあって9~10月の2ヶ月間だけだった。

冬は雪のためにゴルフコースが使えないし、春はゴルフの代わりにテニスが行われていた。

僕らはその2ヶ月間、学校が終わると近くの練習場に集まり、コースをまわったり、練習場でカゴに入ったボールをたくさん打ったりして練習した。

練習が終わると、それぞれ車で帰るのだが、みんなが家族のいる自宅へ帰って行くのに対し、僕は一人暮らしのアパートへ帰るのが、少し寂しかった。

ただ、チームに所属していると、通常の練習コースだけではなく、臨時でメンバー制の市内の名門コースを使わせてくれることもあるのが嬉しかった。

さらに、試合でも州内の有数のコースを回ることができた。

美しい森や湖に囲まれた緑の芝生のコースで、ここしかないというポイントに打てた時の気持ちは最高だった。

しかし、いつも成績に関して言えば、出だしが良いとどうしても守りの気持ちが出てしまい、消極的になって後半にスコアを落としてしまうことが多かった。

さらにゴルフの常で、長い距離のショットが良い時は、短い距離のパットが悪くなったり、またその逆になってしまうことも多かった。

そうやって、後半どんどんスコアが悪くなってしまうと、早く終わって帰りたくなってしまう。

そしてこの日もやはり同じパターンだった。

僕は調子を落として、最初はリードしていたクリスにもすぐに抜かれてしまった。

逆にクリスは広いコースでどんどん調子を上げ、80というスコアでフィニッシュした。

80は個人成績の3位だった。

彼は彼のチームの輪の中でチームメイトたちに讃えられていた。

僕はそんな光景を横目で見ながらバンに乗り込み、一生に一度訪れるかどうかというこのプレンティのゴルフコースを静かに後にした。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ