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とある禁書とエトセトラ

作者: 八秋

「やぁやぁ、コレは実に不思議な禁書だ」

やってきた兎は、真っ赤な目を丸くしてぽかんと口を開けた。

何と言う間抜け面だ。愛らしい物は何をしていても愛らしいというのが私の持論であったが、根底から揺るぎかねないほどの間抜け面だ。

多大な衝撃を受けて固まる私を僅かに気遣う事もなく、兎はふわふわな毛が覆う顎を擦る。

「こんな所で大人しく収まっている禁書は初めてだ。何と言う不思議」

どうやら兎は興奮しているらしい。

“こんな所”と称された場を縄張りとしている私は、兎の言葉に些かカチンときたのだけれど、それを口にはしない。

私は禁書である。

禁書は余計な言葉を喋らないものだ。

それに、古びた図書館の一番奥。

まるで空気すら停滞させているかのような陰湿な雰囲気に埋もれた本棚など、兎にとっては充分に“こんな所”と称するに相応しい。

それは理解している。

禁書は奥まった本棚にひっそりと収まるものだが、兎は広い草原を駆け回るものだ。

……ビールを片手に二足歩行をして、陽気に鼻歌なんぞしてみせる兎がそれに該当するかは知らないが。

「まぁとにかく、だ。悪い事は言わんから、お前さん。少しはそのたくさん詰め込まれた知識を使って、何か騒ぎを起こしてご覧よ」

禁書というのはいつの時代にも、騒ぎの中心になるべきなのだ。

そう力説する兎に、私ははぁとだけ言っておいた。

正直な話、禁書でなくても騒ぎ事に絶えない世界である。

私が何かしら行動を起こさなくても、世界は騒音で溢れている。

兎は私の返事に満足したかは知らないが、とにかく考えてみなと、言うだけ言って帰っていった。

兎は私に何を望んでいたかは知らないが、禁書は兎のために動くものではない。


次に現れたのはシルクハットだった。実に巨大なシルクハットだ。

シルクハットは図書館なんぞに来ないし、禁書に興味は持たないものだ。

そう私は認識していたのだが、それは誤りだったらしい。

巨大なシルクハットは、ふむふむと満足げに唸りながら、私の顔を覗き込んだ。

「これは見事な禁書だ。君は禁書というものを、自分自身というものを実に正しく理解している。全ての禁書は君を見習うべきなのだ。君を見習って、大人しく本棚に収まっておくべきなのだ」

シルクハットの声は頭に響いて、頭痛を誘った。

朗々と語りあげる言葉は実に芝居じみていたが、きっとシルクハットはそういうものなのだろう。

シルクハットはどこからともなく紅茶セットを取り出すと、一杯如何かねと、私に尋ねた。

当然、私の答えは否である。

禁書はあくまで書物であり、本だ。

飲食の類は厳禁である。うっかり零してしまって、紙魚にでも狙われてしまったら大事だ。禁書は全ての文字や絵が、美しく揃い並んでいてこその禁書である。

けれど非常に残念な事に、シルクハットはそれを理解してはくれなかった。

シルクハットは苛立たしいと叫びながら、真っ白い陶器のポットをそのまま口に放り込み、バリバリと音を立てて咀嚼する。

陶器が噛み砕かれる音の間に、珈琲を飲まない禁書が存在するなんて!と絶望の滲んだ声が聞こえた気がしたが、放っておく事にした。

禁書は、余計な口を聞かないものだ。


大きな鎌を持った少女がやってきたのは、それから暫くしてからの事だった。

鎌は少女の身の丈より二倍も三倍も大きかったのだけれど、少女は気にも留めていない。ただ小さな唇から漏れる吐息が雪のように真っ白で、それが不快だというように眉を顰めているだけだった。

「あら、珍しい。禁書があるわ」

少女はその容姿に相応しいしゃがれた声でケラケラと笑う。少女は珍しい、こんな事もあるものかと、繰り返し繰り返し笑う。

その度に、零れた白い息はシャボン玉のように弾んでは消えたのだけれど、少女にとってそれはどうでもいいらしい。

せっかく出会えたのだから、暖炉にでも行って温まりましょうよと、少女は首を傾げた。私が断るなんて、一切考えていないような声だった。

けれど私は考える。

先にも言ったが、禁書はあくまで本である。

本である異常、火は弱点であるべきだ。

燃えてしまっては叶わない。

私は少女の機嫌を損ねないように、ありとあらゆる言葉を使ってそれを説いた。

「あら嫌だ。禁書は一切の例外なく、燃えてしまうものなのに」

少女は来たとき同様、白い吐息に悪態を混ぜながら踵を返した。

禁書の全てが焚書になる、そういった決まり事はないのだと少女に告げるべきかどうか迷ったが、結局私は口を開かなかった。

禁書は余計な知識を与えないものである。


それから暫くは、実に静かだった。

兎や、シルクハットや、大鎌の少女の巻き上げた埃すら落ちきって、その場にある全てが停滞していた程だ。

けれど静寂というのは長くは続かないものである。

そんな事は、禁書である私じゃなくても知っている事であろう。

静寂を破って現れたのは、顔立ちの整った猫であった。

猫であったが、同時に王子であった。

何故分かったのかというと、兎が兎であるのと同様に、シルクハットがシルクハットであるのと同様に、少女が少女であるのと同様に、王子は王子であったからだ。

猫でありながら王子でもあるなんて、随分器用な事をすると私は感心する。

猫である王子は、あるいは王子である猫は、私の前で型膝を付くと恭しく頭を下げた。

「やっと、見つけたよ。お姫様」

何事かと首を傾げた私に、猫である王子、王子である猫はにっこりと笑って、迎えに来たのだと告げた。

そこで私はふむと、一つ頷いた。

おもむろに立ち上がり、体に付いた埃を一つ一つ丁寧に叩き落とす。

全ての動作は優雅であり、優美でなければならない。

何故なら、猫である王子、王子である猫は私の事を姫と呼んだからだ。

姫は優雅でなければいけないし、優美でなければならない。

「さぁ、行こうか」

猫である王子、王子である猫は私の前に大きな手を差し出した。

私はその手を取る。

姫は王子の手を拒まない。

王子は姫を連れて行くものだし、姫は王子に連れて行かれるもの。そういうものだ。

「そうして僕を、愛してください」

乞う響きに、私は言われなくともと、大きく頷いた。

出会った王子と姫は、恋に落ちるものなのだ。

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