第11話 アリス。
ドナシアン子爵家の次男坊を張り倒した私は、お父様とタウンハウスに帰ると、謹慎を命ぜられた。
「殴らなくてもいいだろう、殴らなくても!」
「だってお父様。私、襲われそうになったんです。当然ですわ。それに、血統は良くてもあちらこちらでその種をまき散らしているような婿、必要ですか?」
「……お前も…そのうちの一人なんじゃなかったのか?」
「は?あり得ませんわ!」
「……」
「私は自分が結婚する人は自分で選びます。」
「だ・か・ら!あの男じゃなかったのか?俺は調べたぞ?あの別荘地に来ていたのは、ドナシアン子爵家の息子だってな!」
「人違いです。あんなんじゃありません。確かに似てはいますが。お父様がいいところまでは特定したんですけどね。惜しいことをしました。」
「…あんなん…じゃあ、お前が連れて来い!お前を妊娠させたのはどこの男だ!」
父上が真っ赤になって、怒っている。しかも…なんか勘違いしてない?どこでどうなったらそうなるのよ?
「はい。連れてまいりますわ。それと、誤解がある様なので訂正いたしますが…子供が出来たのはエーヴですわ。でもついでなので、エーヴの婿と一緒に、私の婿もつれてまいりますわ。目星はついておりますので。それでよろしくって?」
「は?……」
鳩が豆鉄砲、ってそんな感じの目でしょうかね?お父様。ちゃんと謹慎いたしますわよ。
謹慎…ね。でも部屋の窓は全開だし。
夕方、早めに夕食を運んできたエマに、もう寝るから起こさないように言う。
「…やはり、あの人ではなかったんですね?」
「全然違うでしょ?」
「はあ。でも、お顔は似てましたよね?」
「そお?ま、とりあえず…おやすみ。明日の朝はゆっくりでいいわ。」
「はい。おやすみなさいませ」
するりとワンピースに着替えて、髪を縛る。ジェラルドの書いてくれた住所のメモを持って窓から出かける。
そのメモには家名は書かれていなかったから、平民なのかな?と思っていた。
仕草も綺麗で言葉使いも丁寧で…社会情勢にも明るく、話していて楽しかった。ジル君もいい子だし…。かわいいし…。
エーヴの子供が産まれたら呼んで…とか思っていたけど、時間をかけて父上を説得する手間は省けたわね。
なんとなくだけど…あの男の話でジェラルドが家名を書かなかった事情は分かった気がした。
…まあ、いい機会ね。
夕方、まだ薄明るいうちに乗合馬車に乗って、メモを頼りにジェラルドの借りている家に着いた。うちからそんなに遠くなかった。住宅街の奥。話には聞いていたが、本当に小さい。その小さなテラスで飼い主の帰りを待っていたジルが、猛スピードで私のところまで駆けてくる。
「あら、ジル。久しぶりね?元気だった?」
駆け寄ってきたジルに大歓迎を受ける。
「あなたの主人はまだ仕事なの?」
事務仕事をしていて、残業も多いんです、とあの子が言っていた。休みも取れないほど忙しい職場らしいし。王城の事務官だったのね。なるほどなるほど。
首を傾げたジルが、またしても猛スピードで家に戻り、自分のリードを咥えて戻ってきた。
「あら。そうよね。ジルは夕方の散歩がまだなのね?」
首輪にリードをして、勝手に入った中庭用のドアを開けて散歩に出かけることにした。
散歩のコースはジルにお任せして、ジルの進む方向に歩いていく。
時折、ジルが私を振り返って見る。
「大丈夫よ。ちょうどいいスピードよ。」
ジルはどうも、私が来た道を戻るように、大きな通りに向かって歩いているようだ。
「おや、まあ、ジルちゃん、今日はお姉さんと散歩かい?」
買い物帰りのご近所さんらしい人たちに声を掛けられる。
「お兄ちゃんはまだ仕事か?いい子だね、ジル。」
わざわざしゃがんでジルと挨拶してくれる人もいる。この子…愛されてるわねぇ。いい子ですもの。思わず微笑んでしまう。
ジルが私を連れてきた場所は、乗合馬車の停車場だった。
ちょこんと座りこんで動かない。
「あら、ジルはジェラルドをお迎えに来たかったのね?うふふっ。」
ジルと一緒に並んで、ジェラルドの帰りを待つことにした。
3台ぐらいの乗合馬車が着いたが、待つ人は乗っていないようだ。
街灯の明かりが、ぽつりぽつりと入れられていく。
「もう一台待ったら、お家に帰ろうか?遅いのかもよ?」
そんなことをジルと話していたら、ジルが立ち上がって尻尾をぶんぶんと振った。
停まった乗合馬車から、転びそうな勢いで走ってくる青年。片手に重そうな書類用のカバン。今日も銀ブチ眼鏡をかけていて、地味なスーツ姿だ。そうそう、そうでしょう?こっちよね。
「え?あ…ジル?と…アリスさん?」
驚いた顔のまま、ジェラルドがジルと私を交互に見る。
「おかえり」
そう言うと、ジェラルドが笑顔になった。
「え、はい。ただいま…帰りました。」
ジルをわしゃわしゃと褒めたジェラルドと一緒に、暗くなりかけた帰り道をゆっくり帰る。




