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最も簡単に自信をつける方法

作者: 東都エリ
掲載日:2025/10/28

 小学生の頃の話。


 私の学校では『自信をつけるおまじない』が流行っていた。


 やり方は至極簡単。

 鏡に向かって呟くのだ。


「私ならできる」


 流行らせたのは三年二組の中城先生だった。もうすぐ、音楽会へ向けての練習が始まる時期であり、人前に立つ自覚を持ち始めた子どもたちに向けてのちょっとした慰めだったのだろう。


 でも時期が時期なだけに、おまじないは学校中に広まった。誰だって失敗したくはないのだ。高学年は言わずもがな。歌を歌うだけの一年生までにも広がり、休み時間のトイレには生徒たちが押し寄せ鏡を見ながらおまじないを唱える姿が散見された。


 中でも女子という生物はこの手のものが好物であり本当に邪魔だった。「せーの、「「私たちなら、できるー!」」」うるさい。馬鹿。邪魔。唱えたら消えろよ。いつまでも鏡の前で笑いやがって。


 この惨状を生み出した中城がどうして平気でいられるのか、聞き出したいくらいには迷惑だった。


 当時の私はこのおまじないに消極的だった。斜に構えていたと言い換えてもいい。おまじないだとか言霊だとかオカルトに興味がなかったのだ。だから休み時間に血液型をしつこく聞いてくるクラスメイトの親が浮気していた時はすごく笑えたし、上松朝顔とも仲良くできた。


 朝顔もおまじないを信用しないオカルト冷笑人間の一人だった。というか、彼女はイジメにあっていたのだ。その主犯格がトイレにいるからおまじないも唱えられない。もしかしたら家では唱えていたかもしれないが、それはまあ、ないだろう。


 彼女と仲良くなって少し経った下校の時だ。二人仲良く並んで帰るのではなく、私が前を歩き、少し後を朝顔がついてくる。側から見れば無関係を装いつつも、声だけはお互いに聞こえる距離。


 朝顔は意外にも話しやすくて、内面は明るい子だった。いつも教室で不機嫌な目つきをしているから全身敵対心でできているのかと思っていたが、実はそうでもなく、二人きりでいる時でも主犯格の陰口すら言わなかった。


「だって言葉に意味なんてないもん」


 陰口を叩かない理由を聞けばそう返した。同時におまじないを否定する言葉にも聞こえた。


「言葉に意味なんてない? 陰口は悪口って意味があるけど」

「そういうことじゃなくてさ。言っても仕方ないってこと」


 そうだろうか。少なくとも陰口を言えば心はスッキリするはずだ。上手い奴らはそれを使って仲間を集めている。主犯格はその代表だろう。実際、朝顔の悪評は私にも聞かされていた。誰もいない今くらい、その思いの丈を全て出し切ってスッキリしてもバチは当たらない。そのようなことを朝顔に伝える。


「んー。私さ、そんなに怒ってないの陰口言われたり、殴られても蹴られても。……うん。全然平気みたい」


 そう答える朝顔の声色は少し上擦っている気がした。私は立ち止まり振り返った。朝顔の表情を確認したかったからだ。声だけは強がっていても、その表情は暗く澱んでいるかもしれない。


 そんな私の心配は他所に、朝顔は笑っていた。


 歯を見せ吊り上がる口角。ほんのわずかに閉じられた目は私だけを一点に捉えている。形容するならアレは、そう、自信に満ちた顔をしていた。


 私は唾を飲み込んだ。恐怖だとか、嫌悪感だとか、朝顔から離れたいと、離れるべきだという気持ちを必死に押し込めた。口からは肯定とも無関心とも受け取れる無意味な言葉が呟かれていた。


「へぇ、いいじゃん」


 何がいいのかわからない。私はとにかくこの話題を終わらせたかったのだ。なのに——朝顔は嬉しそうに近づいてくる。それに合わせて無意識のうちに後下がった。それでも逃げられない。


 朝顔は私の耳元に手を当てて言った。


「エリちゃんには教えてあげる。おまじないより簡単に自信をつける方法」


 そう言って、朝顔は走って行った。ついて来いと言っているのかと思ったが、そうではない。遠く、道の先。朝顔の母親が横断歩道で待っている。私はあの人が嫌いだった。人を支配しようとする冷たい目を持っていたから。娘に会うなと平気で会えるから。

 でも、その時は、助かったと思えた。


 遠くで頬を叩かれる朝顔を見てホッとしていたのだ。


 その日から数週間が経過した。朝顔とは学校ではあまり会話せず、下校中と休日にこっそり遊ぶ仲だったから、あの日のことが気になっても中々聞き出せずにいた。違う。私は避けるようになった。


 下校は習い事だと理由をつけて、休日は彼女の母親が来るなと言うから。私は朝顔から逃げていた。何となく、怖かったのだ。自分とは違う人間であり、真に友人とはなれない。そう思っていたのかもしれない。


 そんなある日に事件は起こったのだ。何が起きたかは噂程度にしか知らない。本当に私は何も知らない。


 ただ、廊下で朝顔とすれ違っただけなのだ。手は真っ赤に染まっていて、顔はあの時と同じ笑みを浮かべている。向かう方向はトイレであり、その入り口から星空のように赤い雫が続いている。


「エリちゃん」


 いつもの声よりやっぱり上擦って名前を呼ばれた。振り返り、それが朝顔だと再認識する。学校で名前を呼ばれたのは初めてだった。朝顔はどこか興奮していた。


 エリちゃんエリちゃん。子どもがどうしても構って欲しい時みたいに何度も呼ばれた。私は後ろめたさもあって、返事ができなかった。ただ朝顔の話しを呆然と聞くことしかできなかった。


「エリちゃんエリちゃん。教えてあげる。最も簡単に自信をつける方法はね——」


「人を殺すことなの」


「——そしたらね、何をされても平気なの。何をされても、お前を殺せるんだぞって。ふふっ、これで二人目」


 何を言っているのかわからなかった。何を言っているのか理解したくなかった。遠くから悲鳴が聞こえ、慌てたように先生達がやって来る。


「エリちゃんエリちゃん。きっとエリちゃんにもできるよ。大丈夫だよ。おまじないも唱えたから」


「エリちゃんにもできるって」


 いつまでもその声が耳に残っている。鉄の匂いが懐かしく感じる。一人鏡に向かうたび、必ず朝顔を思い出す。ほんの数ヶ月で離れていった友人の言葉を。


 私はいつか、それができる気がしてならない。自信。それが確かにあった。高揚感や万能感に似た絶対の自信。それを払い退けるようにおまじないを呟く。


「私にはできない」


 言葉に意味なんてない。嘲笑うように朝顔の声がいつまでも聞こえた。

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