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夏の朝、蓮池の傍ら

作者: 霜の花

「蓮の花は綺麗だね」

と貴方が隣で静かに言った。僕はウン、と輪郭のぼやけた返事しか出来なかった。


 「こんな時間にごめん、今日も全然眠れないんだ。どうしよう」

と僕の携帯電話に一件のメッセージが送られてきたのは午前3時を過ぎた頃だった。今年の夏は夜にカラスが狂ったように鳴くので、上手く眠れず辟易していた僕はこの瞬間を逃すまいと急いで返事を送った。

「全然。僕も起きてた」

「そうなの?こんなに早く返信来てびっくりした。夜更かしだね」

「お互い様だね、それは」

「そうかも」

 会話アプリの、真夜中には不釣り合いな青空の背景に乗って会話がぽつぽつと流れていく。

「ねえ、このままお互い寝られなかったら○○駅で朝6時に待ち合わせしない?公園の池で蓮の花が咲くのを見ようよ」

と僕は貴方に構ってもらいたくて提案をした。

「いいね、朝に咲き始めるんだよね、確か」

「そう、絶対、綺麗だよ。じゃあこの後6時ね」

「了解」


 朝6時の駅前で、貴方の姿は簡単に見つかった。僕たちは公園内の池まで汗をかきながら歩いた。

大きな池が眼前に広がった時、おお、と貴方が嬉しそうに声を漏らしたから、僕は急に安堵の念を覚えた。

 どちらからともなく近くのベンチに並んで腰を下ろし、まだ都会の喧騒を吸っていない朝日が、蓮のひしめく池を照らす様子を静かに見ていた。

 水面を覆い隠すように茎を伸ばして鮮やかに生い茂る丸い葉の大小。その間から細い首を空に突き出して何かをじっと待っているような薄桃色のつぼみと、一足早くほころび始めた蓮の、透き通るような花弁。

 隣の静かな貴方をふと見遣ると、両手の指先をふんわり合わせて閉じて膝の上に置き、じっと前を向いていた。朝の光の中、まるで貴方の手そのものが神聖な花のつぼみの一つになったように見えて、僕は自分の声でその瞬間を汚すわけにはいかずに言葉を飲み込んだ。

 その代わりに、貴方と同じように膝の上で両手を軽く合わせてみた。貴方がいつも何を思って何に苦しんでいるのか、僕には到底分からなかったが、貴方にも悟られずにこうして祈りのように手を合わせることで僕は勝手に救われた気分になった。


「綺麗だね」

と、貴方は明るさを増した太陽に照らされながら呟いた。僕は貴方の顔も見られないまま、その傷ついたつぼみのような手を見ながら、そうだね、とだけ返すことができた。

 貴方の両手は、何かを大事に内包したように閉じたままだった。貴方の迷いや苦しみはずっと、その閉じた花弁の中で反射するばかりで、行き場を無くしているのかもしれなかった。

「また来る?」

と僕は小さな声で言った。

そして、

「うん、来ようよ。絶対に」

と貴方がはっきりと返事をしてくれたので、僕はもうどうしようもなくなって、勝手に涙が溢れた。

 貴方の指が慌てて僕の涙を拭った。その手が一瞬でも解けて良かった、と思ってしまった僕を嘲るように蓮の花は満開になっていた。


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