17.当事者と囚われ人たち
肩に置かれた兄さんの手を宥めるように叩いて、私も正面から向き合う。
「とりあえず。ちょっと話聞いて、兄さん」
「…………」
「すごい顔になってるけど、落ち着いて。ちょっと話そう。――隣のよくわかんない部屋借りるけどいい?」
幼馴染みたちの方を向いて問えば、カンナが答えた。
「休憩室のこと? いいけど……」
廊下側の扉がない、明らかに教室付属の休憩室とか何であるんだとかつっこみたい。つっこみたいけど、今はもっと優先することがあるので止めておく。
むっつりと押し黙ったままの兄さんの手を引いて促す。
「ありがとう。じゃあ兄さん、行こう。――あんたらはついてくるなよ」
一応釘を刺すと、ミスミが弱ったように眉尻を下げた。
「……そこまで空気読めなくはありませんよ」
「ならよかった。じゃ、またあとで」
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叶と深が休憩室に移動した後の教室は、しんと静まりかえっていた。
その沈黙に耐えられなかったのか、他の理由か――おそらく後者だろう、樹が疑問を発する。
「嬢さんたち行っちまったけどよかったのか? 説得するとか言ってなかったか?」
「……あの状態じゃ、話を聞いてもらえませんからね。宥めてくれるつもりのようだし、邪魔になってはいけませんから」
どこか心ここにあらずの様子で答えるミスミも、他の三人も、どこか暗い顔をしている。樹は首を傾げた。
「……? なんかアンタら揃って妙に沈んでるけど、どした?」
「君には関係ないよ」
興味本位の質問は、カンナに切って捨てられた。
けれど、それくらいで怯むようなら、樹はこの学園で特異な立ち位置にのぼり詰めなかっただろう。
「いや、まあそうだけどさ。なんでいきなりそんな神妙な感じになったのかとかは気になるのが人情ってヤツだろ?」
「気になるからって他人の事情にズカズカ踏み込もうだなんて、思慮に欠けるね」
「カ、カンナっ!」
「何、ユズ止めるつもり? なんで無関係の奴に気を遣わないといけないの。僕が元々こういう人間が嫌いなの知ってるよね」
くいくいとユズが袖を引いて止めようとするのにも、カンナは取り付く島もない。
それを見ていたレンリが、常の無表情で口を開く。
「――素、出てる」
「……っ!」
その指摘は、幾重にも猫を被るのを常態としているカンナには堪えたらしい。睨めつけるカンナに、レンリは幼馴染み同士だからわかる、冷たい視線を返した。
「レンリも、そんな怖い顔しなくても……」
そんな二人の間でおろおろと視線を彷徨わせるユズに、ミスミが感情の乗っていない笑みを浮かべて言う。
「放っておいた方がいいですよ、ユズ。二人ともちょっと冷静さが足りてないみたいですから」
「ミスミまで……」
「――……あー。えーと、何これ、もしかして俺のせい?」
明らかにギスギスしだした空気に、さすがに樹がきまり悪げに肩を竦めた。
「違うよ。きっかけではあったかも、だけど……」
「……よくわかんねぇけど、ちょっと気になっただけで、本気で首つっこむ気はなかったんだって。――この状況じゃ、何言っても今更かもだけど」
「……そんなの、最初からわかってたよ」
樹の言葉に、カンナがぽつりと零して。
あとはもう、沈黙だけが場に落ちたのだった。
+ + + + +
その頃。別室に移動した、叶と深はというと――。
「――……兄さん」
「言っておくが、あいつらに謝るつもりなどないからな」
「わかってるよ。謝って、って言うつもりもない」
「…………」
深に抱え込まれるような体勢で、物わかりのいいふうなことを言う叶に、深は沈黙する。
それは、続く叶の言葉を予想していたからのようでもあった。
「でも、あまりあいつらを苛めないでやって。兄さんのほうが年上なんだから、大人気ないことしない」
――こういうふうに、宥める言葉をかけられるとわかっていたから。
深はただ、むっつりと押し黙るしかない。
「…………」
「もう時効なんだって、あのことは。そうやって兄さんが苛めるから、あいつらはいつまでも気に病んじゃってるんだし」
「……いつまでも気に病めばいい。それだけで我慢してやろうと言うんだ、むしろ感謝されても良いくらいだろう。本当は二度とお前に近寄らせたくないというのに」
本当にそう思っているのだろう、ぐっと叶を抱える手に力がこもる。
それが自分のことを心配してのことだというのはわかっているから、叶もその言葉自体を否定はしない。
「兄さん……」
「直接の加害者でなくとも、あいつらが原因の一端を担ってるのは事実だろう。それを理解できる頭がありながら、お前の傍に居続けようとするのが気に食わない」
まるでこの場に幼馴染みたちがいるかのように、深は虚空を睨み付ける。
その様子を見上げて、叶は小さく溜息をついた。
「兄さんの心配もわかるけど、私はもう子供じゃない。自分のとった行動の責任は自分で取れるよ」
「……それでもお前は俺の可愛い妹で、家族だ。心配をして何がいけない」
駄々を捏ねる子どものように、深は言い募る。家族に想われている実感が胸にあたたかくて、叶は微笑んだ。
「いけないなんて言ってない。心配してくれるのは嬉しいよ。……でも、あいつらにだって、先に進む機会があったっていいと思う」
「…………」
「ちょっと協力するくらいは良いでしょう? ここに連れて来られたのだって、その一環みたいなものだし」
無意識になのか、そうでないのかは叶にはわからないけれど。
幼馴染みたちが『変わる』――先に進む契機になり得る出来事が起こったのは確かだ。巻き込まれる方はたまったものじゃないけれど、仕方ないなと思う程度には情がある。だから、どんなルートを通ったとしても、結局は似たようなことになっていただろう。
「……だが、お前は了承してなかったんだろう」
「まあ、それはそれとして。ちゃんと自分で怒ったから別にいいかなって。多分色々不安定になっちゃってるのもあって暴走したんだろうし」
「不安定……。『好きな子ができた』と言っていたな」
深の声音が、どこか責めるような響きを帯びる。それに気付かないふりをして、叶はことさらに軽く告げた。
「そう。色々聞いたし、実際にも見てみたけど、本当に普通の子だったよ。普通の、可愛い女の子」
「――『普通の』、か」
深が、噛みしめるように繰り返すのに、叶も応じた。
「『普通の』、だよ。……放っとくより、手助けする方が私の精神衛生上も良いし。まあ、悪いことにはならないだろうと思って」
「……もう、決めたのか」
「うん、決めた。ごめんね、兄さん」
その叶の声音には、確固たる意志があった。
だから、深は、深く深く溜息をついて、天井を仰いだ。
「奏は、――許可を出したんなら、認めるってことか」
「これから先を考えて、なのかもね。あいつらがどうやったって、奏兄さんが納得しなきゃ転校なんて無理だっただろうし」
「で、俺は『釘』だったわけか」
「そうだね。多分」
忠告の意味もこめた、『釘』。
その役割を担わされた深は、もう一度深く溜息をついた。
「――俺もだが、あいつも十分前に進めていないと思うぞ」
「……そうだね。兄不幸な妹でごめんね、兄さん」
見上げる妹が、自分たちが思うよりも成長しているのはわかっていて、それでも手の中で守らせてほしいと思うその気持ちに、かつての贖罪が混じっているのは自覚しているから。
だから深も――奏も、叶の意思を尊重する選択肢かできないのだ。結局は。
わかっていても納得できない気持ちをこめて、深は叶を抱きしめた。――こうして抱きしめさせてくれるのも、叶が優しすぎるからだと思い知りながら。
「いや、……俺たちが、いつまでもあの頃と同じなつもりでいるのが悪いのは分かってる。だが、どうしても、な」
「本人より周りの方が、っていう良い見本だね」
「――本当に、な」
そうして、かつての出来事に囚われたままの兄と、その軛を外してしまいたい妹は、揃って苦笑を浮かべたのだった。




