闇の世界に君臨する少女
今日の朝食は、ロールパンにサラダとベーコンエッグ。飲み物はコーヒーか紅茶かカプチーノを選べる。ヨーロッパ式というところか。昨夜は純和食だっただけに、ギャップというかこの施設の食の懐の広さを感じる。
さすがに夕べはよく眠れなかった。別府先輩は下のベッドからなにやらブツブツを話しかけてくるし、ウトウトしかけると、竜の雷に撃たれた瞑と舞の姉妹の姿がフラッシュバックする。
持て余したベーコンをフォークでいじっていると、向かいに座っている別府先輩が心配そうに話しかける。
「誠、顔色わりーぞ。お前こそ産業医の先生に診てもらった方がいいんじゃねえか?」
「いや、その原因の一部は、先輩にもあります……人が眠りかけのとこにいろいろ根掘り葉掘り聞いてくるし」
「ああ、わりいわりい、でもよ、瞑と舞さんが入れ替わってるとか訳わかんねえこと言っているし……なんか奥歯にモノが挟まったような言い方するしよ」
「今はカンベンしてください。それに僕にだってわからないことだらけでなんですから」
「ここ、いいかしら?」
そんな話をしていたら、僕と先輩の座るテーブルの脇にいつの間にかミコトがトレーを持って立っていた。
「いいけど、舞……さんはどうしたの?」
何か体調に異変でもあったのだろうか。
「ああ、夕べあまり眠れなかったらしくてさ……アタシもだけどね。朝ご飯パスして寝てるって。まあ、夕べ無茶苦茶食べてたからいいんじゃない」
少し安心して僕はコーヒーのおかわりを取ってきた。
「ところで昨日の話だけど、夕食前に、ミコト原作のテーマ・ワールド『陰陽幻想曲』だっけ? 先輩と二人で確認してきたんだよね?」
ミコトが意外そうな顔をして僕の問いに答える。
「あんた、アタシの作品をさんざんケナしているくせに、よくタイトル覚えてるじゃない?」
「い、いや決してケナしてないんだけど……テーマ・ワールドとしてどうなのかな、って……」
「ほら、ケナしてる! でもね、昨日その世界に行ってみたら、さすがにやりすぎかなーってのはあったわね」
「そうなんだ。別府先輩も見てきたんですか?」
「いや、あそこは、お一人限定なんで、ベーシックとテーマ・ワールドの『ハブ』のゾーンで待っていた」
「管理者権限を付与したんだから、特別に二人同時ログインできるって言ってるのにさ。このセンパイ、なんかビビっちゃってさ」
「ビビっちゃなんかいねえよ。ただミコトの邪魔しちゃわりいかなって思っただけさ」
僕もダークファンタジーの世界に入るのは遠慮したい派なので、先輩の口実もよくわかる。
「ところでミコト、さっき言った『さすがにやりすぎ』ってどういうこと?」
「ああ、悪魔っ子……参加者を闇に誘惑するノンプレイヤーね。ちょっと過激、サドっ気強過ぎ……まあ、見た目は可愛いだけんどね。サポーターさんに相談してチューニングしようか考えていたところよ」
なぜかそこに別府先輩が会話に割り込んできた。
「え、サドっ気で可愛い⁉ そんなら俺も行ってみたいなあ」
「コラ! そこに食いつくな。だいたい昨日もあの後、あの娘どうしようって相談したでしょ!」
ミコトは先輩にタメ口で叱っている。これはいったい……
卓上に畳んで置いておいた僕のノートパソコンの青いLEDがリズミカルに点滅しているのに気がついた。
モニタを開くと画面はすぐに立ち上がり、チャットのウィンドウが表示されている。これは、仮想世界にログインしている人との交信をするためのチャットアプリだ。
(Mei)返事できる?
メッセージを送ってきたのは。瞑だ!
僕は慌てて返信する。
瞑、今どこに?(Makoto)
(Mei)あ、ボク、舞。
なんで、舞さんが?(Makoto)
(Mei)それは後で話すから、お願い。
お願いって、何ですか?(Makoto)
(Mei)ミコトにさ、ログインして陰陽幻想曲の入り口にすぐ来て! って伝えて……あの、ベップさんと一緒に。
わかった……僕は?(Makoto)
(Mei)誠は、ベーシック・ワールドにあるアキバの猫カフェに行ってて。
何で猫カフェ?(Makoto)
(Mei)キミは人数制限で陰陽幻想曲の世界にログインできないでしょ。猫カフェで瞑が休めるように準備しといて。他に場所を思いつかなかったし。
……今いち状況が飲み込めず、返信をためらっていると、舞から追加のメッセージ入った。
(Mei)急いで! お願い。
僕がパソコンの画面を二人に見せると、目が点になったが、ミコトが表情を戻し、つぶやいた。
「まさか、あの子、仮想世界に瞑を探しにいったんじゃ……」
急いで食器を片づけ、とにかく僕たちはログインするために宿泊棟に戻った。
◇ ◇ ◇
目を開けて最初に視界に入ったのは、山吹色の空。夕方だろうか。それにしては空全体が黄金色に輝いている。山吹は春先の花なので季節外れか。もう少ししたらハロウィンなので、カボチャの色と言った方がいいかも知れない。
完全に醒めきらない思考の中で、さっきまで私は何をしていたか思い出そうとする。
そうだ。竜が放った雷に撃たれてしまったのだ。舞が首に提げていた鏡をなかば強引に奪い取り、雷を跳ね返そうとした。それには成功したようだけど、あんな小さな鏡ではすべてを跳ね返せず、私と舞は大きな衝撃を受けたはず。
舞は⁉ 舞はどうなったの?
「マイちゃんなら心配ないの」
私の心の中だけの疑問に答えた声にびっくりし、慌てて上体を起こす。
そこに立っていたのは、小さな女の子。ただし、頭にはツヤツヤの黒い角を生やし、着ているワンピースの胸元は黒で、膝に向かって毒々しい赤のグラデーションがかかっている。肩には黒いマント。黒く長い手袋をはめた手には、やはり黒い杖を持っている。
小悪魔と言えば、可愛い響きだが……確かに可愛いが、非常に危険な気配を感じる。
彼女の背後には、大きな門があり、左右に鉄柵が伸びている。緑青が浮いているから、鉄ではなく銅製か。門と柵の向こう側は杉がうっそうと茂っており、さらにその向こうに建物があるのかどうか、よくわからない。ただ、装飾された門の格子の向こう側には、石畳の道が続いていて、それは白い花と赤黒い花が咲き誇る花壇に挟まれている。
「あなたがメイちゃんね……マイちゃんに教えてもらったの」
「舞と話したの?……あなたは誰?」
「あらごめんなさい。自己紹介がまだだったの。私はペルセ。ここの門番をしているの」
ペルセ……その名を聞いて思いだした。ミコトが書いた『陰陽幻想曲』に出てくるキャラクターの名前だ。ギリシャ神話の「ペルセポネ」に因んだ名で、確か冥界を統べる女王だったはずだ。
ということは、ここは、テーマ・ワールドのダークファンタジーの世界だ。私は雷に撃たれた衝撃で、この世界に飛んで来てしまった、ということか?
ペルセと名乗った女の子はクスリと笑う。
「そのお顔から察するに、ココがどこでワタシが誰かわかったようね」
私は軽くうなずき、先ほどの質問を続ける。
「舞は今どこにいるの?」
ペルセは私に三歩ほど近寄る。そして後ろを振り返った。
「マイちゃんなら、あの門をくぐって、あっちの世界に行ったの」
「あっちの世界って、何なの?」
質問してみたが、ミコトの原作からだいたい想像はつく。
「知ってるでしょ? 闇の世界なの。幸せが待っている世界」
「闇の世界が幸せ?」
「そうよ。マイちゃんやメイちゃんのように、大切な人を裏切った人が幸せに暮らせる世界よ」
「舞と私が誰を裏切ったっていうの⁉」
「おやおや? わかってると思ってたのに」
小悪魔はマントで口を隠し、クックッと笑った。
「お互いがお互いを裏切ったの」
「……うそ! 私たちはそんなことするはずがない」
「あら。自分の胸に手を当てて考えてみてごらんなさい……あなたはマイちゃんが表に現れないように隠し通そうとているの。一方、マイちゃんはあなたの体を乗っ取ろうとしているでしょ?」
「ちょっと! 何言ってるの⁉」
「マイちゃんはね、こっちの世界にいたら心が痛むからってね。あっち側に行っちゃったの……闇の世界に」
「闇の世界が幸せなわけないでしょ!」
自分の考えが揺らぐのを感じながら私は反論する。
「あっちにいるとね、責任を感じないの。自分だけを考えていればいいの。だから裏切っても全然平気。そしてね、もし罪悪感を持っているならね、それを浄化してくれるのが闇の世界なの。とても清らかで美しい世界。それを知ってしまったら、誰もこっちの世界に戻ってこようなんて思えないもの」
彼女はさらに私に近づき、マントから大きな鍵を取り出した。
それを私の目の前にかざす。
「どう、よかったら、あの門の鍵を開けてあげる」
「だから、闇の世界なんて行かないって言ってるでしょっ!」
私は、このテーマ・ワールドから抜け出す方法を考え始めたところ、小悪魔がささやく。
「でも、マイちゃんはもう行っちゃったの……どうしましょうね?」
その言葉に考えが揺らいだ。
「わかったわ。門を開けて」
私はこの子のスキをみて舞を連れ戻そうと決意する。彼女が私を裏切っても、私のことをどう思っていても構わない。
「ふふっ、おりこうさんなのね」
どう見ても私より幼い子にそう言われるのは複雑な気持ちだが、その言葉が少し気持ちよくも感じる。
彼女は大きな門に近づき、私を手招きした。吸い寄せられるように従う。私が門の目の前まで来ると、手に持っていた鍵を大きな鍵穴に差し込み、両手で力を込めて回した。
ゴトリ。
鈍い音をたてて、解錠された。
ギギギギギ……
重く大きな門扉がゆっくりと向こう側に開いていく。
扉が完全に開くと、小悪魔はマントを拡げ、扉の向こうに手を伸ばし、指し示した。
「ようこそ。美しい闇の世界へ」
私はゆっくり入り口に近づく。石畳も花壇もはるか先の方まで続いている。
「どう? お花、綺麗でしょ。黒い薔薇とスノードロップ。私が手入れしているの。お花、大好きなの」
私は、石畳の道の両側に赤黒く、あるいは純白に咲き誇る花を見まわしながら、門をくぐった。
足を地面につけようとしたら。
地面がない。さっきまで堅固な石の道があった場所に暗黒の空間が口を開けていた。そのまま足と頭が反転し、落下する。
「じゃあね、楽しんでおいでね」
遙か上の方から、ペルセの声がこだまして聞こえた。
落下速度を感じながら落ちていくのは意外と心地いい。
その穴は、甘く怪しい花の香りが漂っている。
その香りは、私の思考に何か作用している。ペルセの声に似た、甘美な誘惑。
別に舞を連れ戻す必要なんてないんじゃないのか。このまま闇の世界で彼女と暮らすのも悪くないかも。お互い、裏切ったことを恨みっこなして。
そう思って目を閉じた瞬間。
何者かにガシッと腕をつかまれた。
腕を掴んだ人物を見上げる。
「舞⁉」
二人で落下しながらも、私を引き上げようと必死の形相で睨んでいる女の子は間違いない。舞だ。
「あなた、もう闇の世界に行ってたんじゃないの?」
「あいつのデタラメよ。信じちゃいけない」
「ねえ、このまま闇の世界まで一緒に行こうよ」
「瞑、何言ってるの! あいつにだまされるな」
「イヤだ! こっちなら二人で幸せに暮らせるのよ!」
「いいから! 黙ってボクの言うことを信じてくれないか?」
「何よ、お姉さんぶって!」
「瞑、目を覚ませ!」
パァン!
舞は、腕を掴んでいない方の手で、私の頬を張った。
◇ ◇ ◇
パンパンパンパンパン……
何者かが私の頬を叩く。
軽く、優しく、柔らかい肉球で。
肉球?
目を開けると、つぶらな瞳が私をじっと見ていた。茶トラの猫の瞳だ。その子以外にも、私を心配そうに覗う顔があった。誠とミコトと別府先輩だ。