ベーシック・ワールド創造の実際
今後の予定を確認した後は、一旦休憩を挟んで、場所を地下にあるシステム統合管理ルームに移す。そこで専門のスタッフさんを交えてベーシック・ワールドの『空間とイベント』をデザインする具体的な方法の説明を受ける。それが終わったら夕食の時間まで、瞑と二人でどんな空間とイベントにするかを話し合うことになっている。
沢井さんと加藤さんが先に席を立とうとしたところ、白衣姿の女性が僕たちのテーブルに近づいてきた。
加藤さんが頭を掻く。
「いけね! 忘れていた。この二人に紹介するんだった」
「加藤さんは相変わらず、ウッカリが多いわね。今度検査してみましょうか」
白衣の女性が細い銀フレームの眼鏡の下で薄い笑みを浮かべると、加藤さんは後ずさりする。
「いやいや、ご心配無用です……あ、城崎君、湯沢君、紹介するよ。こちらは、この研修センターで産業医を務めている、千堂先生」
「千堂です。よろしくね。産業医といっても、期間限定の雇われなんだけどね」
僕と瞑は立ち上がり、声をそろえてよろしくお願いしますと挨拶をした。加藤さんが続ける。
「先生の専門分野は脳神経内科で、医学博士でもあり、臨床医でもあるんだ」
千堂先生は『美人の女医』という外見だが、確かに、そこはかとなく『科学者オーラ』を漂わせている。そんなすごい方がなぜこのセンターにおられるのだろう。その疑問に答えるように千堂医師は話す。
「みんなは午前中にテーマ・ワールドを体験した時に着けたでしょう……アレ。名前なんて言ったっけ? 冷○ピタみたいの」
「『センス・ブースター』のことですか?」
瞑が当たり前のように答えたが、アレの正式名称を覚えているのは彼女くらいではなかろうか。
「そう、ソレ。ああ見えても『センス・ブースター』は、人間の脳の電気信号を直接読み取ったり、逆に脳に送り込んだりする高性能なギアだからね。実験段階から私が関わっているの。ああ、今までの実験で特に人体への影響は認められないから安心してね」
沢井さんが付け加える。
「それに、私たちが仮想ワールドに没入しているときも、常にモニタリングしていて、異常が検知できるようになっているの」
「まあ、異常がないかチェックしながら、みんなを検体として貴重なデータも頂いているけどね」
千堂医学博士は、口元にクールな笑みを浮かべ、科学者オーラをより強く感じさせた。
「この建物の二階に医務室があるから、具合が悪くなったり相談ごとがあれば気軽に寄ってね。なんなら仮病使って来てくれてもいいわよ」
「オイオイ、そんなことをされたら、作業が進まなくて困るよ」
加藤さんが苦笑いして手を軽く振った。
挨拶を終えて去り際に、千堂医師は瞑の肩を叩き小声で話しかけた。
「そうそう、城崎さんって今まで脳波の検査とかってしたことある?」
「いえ、特にないです」
「そう……あ、特に問題があるって訳じゃないんだけど、午前中、城崎さんがテーマ・ワールドに入っている時にモニタリングしていて、興味深いデータが計測されてね。もしよかったら、この合宿中に簡単な検査をさせて欲しいの」
「は、はあ、そうですか。別に構いませんが」
瞑は少し訝しげな表情を浮かべたが、承諾した。
「ありがとう、それじゃまた連絡するわ」
千堂先生に続いて沢井さんと加藤さんもその場を離れ、これからの作業の準備のために、地下の統合管理ルームに向かった。僕と瞑は十五分後に地下階段入り口のモニターフォンを押して中に入れてもらうことになっている。
僕たちはソファに座り直した。
「瞑、大丈夫かい? そんなに簡単に検査を承諾しちゃって」
「湯沢君、最近ごく普通に私のこと『瞑』って呼ぶようになったわね」
「あ、だってそう呼んでもいいって……」
舞はその話題をさっと打ち切った。
「それは全然構わないわ……検査を受け入れたのは、何か手がかりがつかめるんじゃないかと思ったの」
「手がかり?」
「さっきお願いしたこと思い出して。……
①『舞のキャラクター形成に関するデータはどこから来ているか突き止める
②『ボクはいつの瞑の中にいる』と言った舞の真意を確かめる
③この仮想世界で生み出されたキャラクターはどこにいて、どうやったらコンタクトできるのかを調べる……
「ああ、それか……③については沢井さんと加藤さんから重要な情報を聞き出すことができたな。すると、①と②についての手がかり?」
「そう。そういう気がする」
「瞑の検査とつながってるような、いないような……」
「まあ、追い追いわかるわ」
瞑本人は検査を持ちかけられても、特に不安がっている様子はないようだ。
話題を先ほどサポーターの二人から話のあった、今後の作業に変える。
「しかし、ベーシック・ワールドの空間とイベントの基本をデザインするって具体的にどうやるんだろうね。なんかピンと来ないな」
「多分、この後の説明を聞けばわかるけど『どうやって』やるかは、そんなに悩まなくてもいいと思うわ。エンジニアの方がついていてくださるようだし」
「じゃあ、問題なのは『どんな世界やストーリーをデザインするか?』ということかな」
「そう。これから多くの日本人が体験する『舞台』と、そこにいる人たちの関係やその中で起きるストーリーを私たちが決めてしまうんだから」
僕は、瞑のその言葉を聞いて初めてすごく大事な役割を引き受けてしまっていることに気がついた。
約束の時間となり、僕たちは地下のシステム統合管理ルームに向かった。
モニターフォンを鳴らし、開錠してもらい、階段を降りる。
統合管理ルームのドアを開けて沢井さんが待っていた。中に入ると、加藤さんの他に、OA卓の前に男女が二人座っており、僕らの方を振り向いた。
加藤さんが二人を手で示す。
「紹介するよ、プログラマーの根岸さん(男性)とプロンプターの鎌田さん(女性)だ」
ここのスタッフさんは偶然が必然かわからないけど、男女でコンビを組んでいる。
僕と瞑がそれぞれ自己紹介すると、正面の大型モニターがよく見える位置にOAチェアが置かれていて、そこに着席を勧められた。
席に着くや否や、沢井さんが説明し始める。
「じゃあ、作業手順について話しておくね。まずは『空間のデザイン』から」
モニターには二つの操作ウィンドウが映し出されている。
「お二人は小説を書いているから、空間をデザインするっていうより、『世界観』を設定する、と言った方がわかりやすいかもね。物語を作るときに『世界観』って、どんなことを考えるかしら?」
瞑は僕に、先にあなたが答えなさいとアイコンタクトを送ってきた。
「そ、そうですね。物語の舞台……物理的な要素ですかね。そこは地形がどうなっていて、どんな天候で、周りはどんな自然環境で、人間が作った街がどんな風になっているかなど、でしょうか」
瞑がそれに続く。
「もう一つは、その場所で人間が創り上げてきた、価値観や歴史、文化などです」
沢井さんが感心する。
「やっぱりそうなのね。私たちがこれから設定しようとしている要素とぴったり合うわ。小説を書くとき、その辺の設定をしっかり考えて書き始めるの?」
「ええ、割と細かく」「いや、だいだい大雑把に」
瞑と僕は、同時に答えてお互い顔を見合わせる。答えの中身は対極だった。加藤さんが苦笑いする。
「……まあ、二人仲よく、チームワークよく話し合ってくれ」
沢井さんも釣られて苦笑いしながら説明を続ける。
「上のモニターの画面を見て欲しいんだけど、右側のいっぱいボタンやツマミや目盛りがついているコントロールパネルで『物理的』な舞台設定をプログラミングするの。プログラミングといってもノーコードで操作できる入力画面になっているんだけどね」
「僕たちがこれを操作するんですか?」
この手のものに弱い僕は、心配になって聞いてみる。
「できなくはないけど、お二人には文章化してもらって、それをプログラマーが設定した方がやりやすいでしょ?」
「任せてください!」
根岸さんが手を軽く上げてにこやかに答える。
続いて沢井さんが上部左側のモニター画面を指す。
「こちらは、見ての通り、シンプルな画面ね。ここに二人で考えてもらった、その世界の価値観や歴史、文化などの記述を鎌田さんがプロンプト、つまりコマンド文に翻訳して入力するわ」
「そうして、もう一つが基本イベントの設定作業だ」
加藤さんが説明を引き継いだ。上部の大型モニターに映し出される画面が切り替わる。
「この仮想世界には、無数のプレイヤー、つまり人間と、ノンプレイヤー(NPC)つまりAIで作られたキャラクターが存在することになる。小説と同じように、この世界でのイベントは、人と人、人とNPCとの関わりによって創られていくことになる」
「その関わりを細かく設定していくんですか?」
僕も聞きたかったことを瞑が質問してくれた。
「それは、膨大な作業になるし、現実的には不可能だろう」
加藤さんは大型モニターの中の左右のウィンドウを交互に指さしながら、説明する。
「大きく二つに分けられる。一つは人間とNPCとの関わり方のルールづくり」
そう言うと加藤さんは右側のモニターを手で指し示した。
「ルールと言えば、まず考えられるのが、法律だ。基本的人権に始まり、憲法、刑法、民法などの六法をデータとして取り込んで、やっていいことと、いけないことを規定し、人間とNPCの行動に制限をかける」
「二つほど質問ですが、日本の法律だけで事足りるのでしょうか?」瞑が問う。
「この仮想世界は日本に限定しているが、各国でも創られるようなったら、それぞれの法律をどう適用するかを検討していく必要があるね。もう一つの質問は、NPCを対象としたルールかな?」
「はい、そうです。先ほどの打ち合わせでは、AIによって生成されたキャラクターの能力や行動範囲をどうやったらコントロール出来るかが課題だと仰っていたので」
瞑の気になるところだろう。
「大きくは二つの視点でデータを用意している。一つは、NPC側の視点。NPCは何をやってもよくて、何をやってはいけないか……これは、アイザックアシモフの『ロボット工学三原則』がベースとなっている。『一、ロボットは人間に危害を加えてはならない』『二、一に反しない限り、人間の命令に従わなくてはならない』『三、一や二に反しない限り自身の身を、守らなければならない』というのを聞いたことがあるだろうか?」
僕と瞑は頷く。それを確認して加藤さんは続ける。
「もう一つは、人間側の視点。NPCの頭脳はAIだから、人間が彼ら彼女らにリクエストする、つまりAIを正しく使うためのルールだ。これは政府や、教育行政、民間企業などが定めつつある法案や規則をデータとして集約している」
加藤さんは再び右の画面を指す。そこには、大小のキーワードが線でつながれてマッピングされている。
「ここに、法律、アシモフの三原則、AI活用のルールをデータとして取り込み、この仮想世界での人間とNPCの行動ルールを生成している」
僕は、別府先輩の仮想体験を思い出した。AIロボットのポーターさんは人間の命を優先し、身を挺して先輩を助けたのだ。
「この作業は既に済んでいると考えていいわ。でもね、これだけだと、この世界でやっていいことと、やっちゃいけないことをコントロールするだけでしょ。大切なのはここから。『この世界をいかに身をおきたい場にするか?』そのためには、『こうあって欲しい人間と人間、人間とNPCの関わり』を既定しておくの」
沢井さんの説明の後、加藤さんは左の画面を指し直し、補足する。
その画面は、ほとんどテキストを入力するフォーマットがあるだけのシンプルなものだ。
「君たちは、午前のテーマ・ワールドで、道後さんの創った物語をベースとした体験をしたはずだ。嬉しい誤算ではあるが、個人個人でかなりストーリーに幅ができていた。君たち二人は、このベーシック・ワールドにふさわしいと思うストーリーを考え、インプットしていくんだ。これを『原型」』に、著作権法が許す限り、古今東西の文学作品をビッグデータとしてAIに学習させ、さらにこの世界に入ってきた人々の記憶データとマージして、一人一人の体験ストーリーが出来上がる」
僕と瞑は顔を見合わせ、再び加藤さんに向き直った。
「君たち二人で、新しい世界の、新しい物語を奏でるんだ!」
右手の人差し指を突き出し、ややキメ顔の男性サポーターを沢井さんは冷やかす。
「何かっこつけてんのよ。前々からどこかでそのセリフを決めてみたかっただけなんじゃないの?」
「いや、別にそういうわけではないけど、二人には素晴らしいストーリーを作って欲しくてね」
加藤さんは後頭部を搔きながら弁明する。
瞑と僕は、この『新世界』の世界観と、人々とNPCの関わりが生み出す物語を紡ぎ、それをプロンプターさんとプログラマーさんに引き渡す。
この研修センターを出るまでにこのセットアップを完了させねばならない。