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第94話 血筋

 ガラスにヒビが入ったような緊張が走った。


「……ヨルク先生?」


アンナは怖いくらいに抑えた声で、一言ヨルクの名前を呼んだ。


「あの、違います。いや、違わないんですけど」


ヨルクはミオンの言い分を否定することができず、困惑の只中(ただなか)で首を横に振った。


「今の言い方だと、ちょっと語弊が……」


これ以上話が(こじ)れるととまた担任が変わりかねないので、見かねたジオがそれまでの経緯を説明した。

学長からの信頼が厚いことを知っているからか、あるいはランスとの決闘で木っ端微塵にされた身体を治した仲だったからか、アンナは割とすんなりジオの言葉を聞き入れた。


初めのうちはゴミを見るような眼差しでヨルクを見ていたアンナも、状況を理解するにつれ表情から敵意が消えていった。

ただ鋭い眼差しは残っていた。


アンナは改めてヨルクをまっすぐ見つめた。


「……ヨルク先生、今の話は本当ですか?」


「はい、まあ……」


誤解は解けたはずだが、まだアンナの真剣な表情に気圧されていた。

アンナはヨルクの返事を聞くと眉を顰め、次いで小さくため息を漏らして言った。


「……わかりました。私が診ます」


そしてミオンに「ちょっと待ってて」と持っていた資料を預けると、

困惑するヨルクを引きずるように空き教室へと進んでいった。


「あれ? 行っちゃった。でも、お姉ちゃんに診てもらったら安心だね」


ミオンはそう言って近くにいたランスを見上げたが、すぐ「あっ」と声をあげて口元をおさえた。

ランスもジオも勘付いていたが、ミオンはアンナが姉であることを隠しているつもりだった。

サンだけが純粋に驚いていた。



 アンナはヨルクを空き教室に連れて行き、椅子の上に座らせると、剥ぎ取るようにシャツを取った。

そして痛々しい炎症が広がる背中を見て、思わず声を荒らげた。


「どうしてこんなになるまで放っておいていたんですか⁉︎

私のところに来るか、医務室に行くかすれば、すぐ治せるのに!」


「本当に、全くその通りですね」


ヨルクは誤魔化すように笑った。

アンナは自分の怪我を軽視しているヨルクの態度を責めるように言った。


「笑い事じゃないです。どうして治療しようとしなかったんですか?」


顔をぐいっと近づけるアンナに気圧され、ヨルクは恐る恐るといった調子で答えた。


「いやまぁ、面倒で……」


「誤魔化さないでください?」


アンナにあり得ないと言わんばかりに首を振った。それくらい怪我が酷かった。

しかしヨルクはそう言われると、しばらく視線を落として考え込んでいたが、自分でもうまく説明できないらしく、また誤魔化すように笑った。


そんなやりとりをしながらも、アンナはヨルクの身体に〈治癒〉魔法を充てていった。

みるみる炎症が癒えていった。


「今度は絶対、もっと早く来てくださいね」


アンナがそういうと、ヨルクは


「ありがとうございます」


と呟いた。


その言葉を聞いて、アンナは「この人次も来ないな」と思った。


アンナはヨルクについて、別によく知っているわけではない。

ただ彼が誰かに頼られるのを見たことがなかったし、誰かを頼るのも見たことがなかった。


今回新しく担任になるにあたっても、わからないことなんて山ほどあったはずなのに、誰にも何も聞いてなかった。

教育要項や過去の日誌や講義資料を読み込んで、随分と遠回りしながら必須事項や役割を読み解き、結局1人でこなしてしまった。


別にそれで自分の仕事はできていたし、どんなやり方でも個人の勝手だと思い特に口出しする気はなかった。

ただそれはとても効率が悪く、負荷の大きいことだと思った。


しかし今、ヨルクがその変な個人主義に、身を切りながら固執していると知った。もうこれ以上、受け流すわけにはいかない。

アンナはさっきから下を向き視線の合わないヨルクの顔を両手で持ち上げ、無理やり目を合わせて言った。


「良いですか? 今はもうあなたは1年1組の担任なんです。

準備不足や理解不足で講義の質が落ちたり、体調不良で休職されたりしたら、ヨルク先生だけじゃなく生徒たちも困るんです。


今は動けているから良いというのではなく、生徒を卒業まで見届けられるよう、自分になるべく負荷がかからない方法を模索してください」


アンナの剣幕に驚いて、ヨルクはしばらく真顔で固まった。

「返事は?」と言及され、なんとか「はい」と返事をすると、ようやく両手が離された。


それでもアンナは半信半疑のようで、


「本当ですね? 今度から、お会いするたびに検診しますから」


とぶっきらぼうに言った。ヨルクはそんなアンナを不思議そうに見上げていた。


「……ところで、どうして今回担任を引き受けたんですか? 今までも打診はあったけど、断っていましたよね」


残りの傷を治しながら、アンナはふと尋ねてみた。


「頼まれたからです」


ヨルクはただそう答えた。


背中に広がっていた炎症はすっかり治り、ヨルクは久しぶりに無痛の肩を撫でた。


「えっと、ありがとうございます」


ヨルクはアンナを見上げると、改めて礼を言った。

相変わらず硬い表情を崩さないまま、真っ直ぐ見つめ返してアンナは答えた。


「何を言っているんですか?

まだ全部治ってないでしょう。下も脱いでください」


「え」


ヨルクはそこで、アンナとミオンが姉妹だと気づいた。治療への覚悟に既視感があった。

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