第76話 過去2(フレーシア)
社交の場でも、フレーシアはわからないことばかりだった。
ある時、立食形式のパーティーに2人は参加した。
たくさんの人がひっきりなしに挨拶に来たので、その度にフレーシアは覚えた台詞を繰り返した。
その中の1人に、年の近い令嬢がいた。
形式通りの挨拶に加え、口で手を覆いながら「絹のような髪が綺麗」と言った。
フレーシアは自分が褒められているとわかった。
マナーの先生が「褒められたら、お礼に相手のことも褒めましょう」と言っていたのを思い出した。
その令嬢は他の人よりも手が大きかった。色々なものを、軽々掴めそうな素敵な手。
身長が高いという褒め言葉があるし、胸が大きいと嬉しいらしいし、大きいことは、良いことなのだろうなと思った。
「あなたの手も素敵。他の人より大きくて」
フレーシアは褒めるつもりでそう言った。しかし令嬢の顔から笑顔が消え、困惑するような表情に変わった。
その後ユートリアの一言で、その令嬢は笑顔を取り戻したが、どうして最初あんな顔をしたのかフレーシアにはわからなかった。
「フレア姉さん、どうしてあんなことを言ったの?」
パーティーの後、ユートリアにあの発言の真意を聞かれた。
「手が大きくて素敵だったから。どうして手が大きいと言ってはいけないの?」
「そりゃ、あの大きな手は素敵だよ。素敵だし、そう言われることで笑顔になってほしかった。
だけど、あの令嬢は手が大きいって言われたくなかったんだよ」
「どうして?」
フレーシアの質問に、ユートリアは一瞬たじろいだ。
少し頭を抱えるようにして、腕に突き刺さった獣の牙を、肉を抉り取られないように引き抜くような、鎮痛で真剣な面持ちで言葉を選んだ。
「そもそも、手の大きさそれ自体に優劣はないよ。
でも、大きい手と小さい手じゃ、相手に抱かせる印象は変わってくる。小さい方が華奢に見える」
「大きい手は、強そうに見えるわ。そう言って褒めてはいけないの?」
「少なくとも、『華奢』だと思われたい人に言ってはいけないよ。人は『こう見られたい』っていう自分の姿がそれぞれあるんだ。
『華奢』も『強そう』も誰かにとっては褒め言葉だけど、同時にもう片方は悪口になるんだよ」
「わからないわ、相手の人が華奢と言われたいのか、強いと言われたいのか、どうやってわかるの? 男と女で違うの? 他にわかる方法はあるの?」
ユートリアは一瞬、明らかに顔を顰めたが、ぐっと堪えまた元の表情に戻った。
代わりに一度深く呼吸をして、また考え込んで、落ち着いた声で言った。
「姉さんは、ずっと、何が理想か、どれが正解かって話をしている。
でも僕はまず、理想なんて人それぞれあるって言っているんだ。
……だから一番大切なことは、一人一人が自分の理想を自分で決めるっていうことだと思うんだ。
理想っていうのは、誰かに押し付けられるものじゃなくて、自分で追い求めていくものなんだと思っているんだよ。
当然人からどう見られるかなんて、他人の『これが良い』『あれが良い』っていう理想像に影響を受けないわけにもいかないけど、
それでも、最終的にはそれら全部ひっくるめて、自分で、『こうなりたい』って理想を抱くべきじゃあないの……?」
フレーシアはやっと弟が伝えようとしていることがわかった。
「そっか、私は、『手は大きい方が素敵』っていう理想を、あの子に押し付けようとしていたんだ。
あの子の理想とは反対の理想を。だから怒らせてしまったのね
あの大きな手を褒めるには、まず、大きな手を素敵って思えるように、あの子の理想が変わるように働きかけなければいけなかったのね」
ごめんなさい、と、フレーシアは無意識に謝っていた。
僕に言っても意味がないよとユートリアに言われ、その通りだと思った。
ユートリアはどこか安心したような、それでもかなり疲れたような目をしてその場から立ち去った。
フレーシアは髪留めを取った。硬く引っ張られていた髪が解け、頭が軽くなるのを感じた。
艶やかな髪を細い指先で梳りながら、誰にも聞こえない小さな声で呟いた。
「ユリア、私、本当に何もわからないの。あなたに教えてもらわないとわからないの。
他の人は、こんなに教えてくれないの。聞いても、困った顔をして、笑って、どこかへ行ってしまうの。
あなたも困らせてしまっているって、わかっているの。それでも私、あなたが、とても大切なの」




