第67話 過去1(ユートリア)
ユートリア・ロシュフォールは、生まれながらにして全てを持った人間だと思われている。
サフィール王国の王子という揺るぎない地位を持っており、早い段階で将来国王になることを約束された。
同年代の人間の中では頭も良く、優秀な教師のもとですぐ新しい知識を吸収し、思考力や発想力にも長けていた。
整っていて、どこか柔らかい印象を抱かせる容姿と、よく通り誰にでも届く溌剌とした声は、社交の場で味方を増やすことに貢献した。
共感性にも優れていて、時折見せる相手の心を読んでいるかのような立ち居振る舞いは、大人まで舌を巻くほどだった。
そして何より、魔法の才能に秀でていた。すぐに大人顔負けの魔力に達しただけではなく、生来2つの魔法が使えるという奇跡すらも授かった。
国中の誰もが若い王子を尊敬し、また羨んでいた。
しかしユートリアの近くにいる人間で、彼を羨んでいる者は1人もいなかった。
「もう嫌だ!! やめる! 全部やめる!!!!」
10年前、国王の謁見室で、小さなユートリアはわんわん泣いていた。
周りの執事や使用人は、ユートリアを同情するような目で見ていたが、目の前の父親は何の感情もない顔でただじっと見下ろしている。
ユートリアの次期国王としての教育は、物心ついた時から始まっていた。
やらなければいけないことは山のようにあった。
魔法学、帝王学、歴史学、宗教学、語学、地理学、数学、哲学の勉強から、礼儀作法の習得、魔法の訓練まで多岐に渡った。
ユートリアの部屋には毎日教師がやってきて、数時間にわたる講義の後、帰ったかと思えば別の教師がひっきりなしにやってきた。
またそれらの修学とは別に、人間関係構築のため社交パーティーや食事会への参加を求められたし、
国民との信頼関係を築くため行事への参加や施設訪問、災害発生地域の見舞い、文化交流も行わなければいけなかった。ユートリアの専属執事は、起き抜けのユートリアにその日の予定を伝えることすら苦行のように辛かった。
毎日自由に過ごせた時間はほんのわずかだった。その時間すら、疲れてほとんど何もできないことが多かった。
国民との交流のために訪れた街で、同い年くらいの少年少女が、のびのびと楽しそうに遊んでいるのを羨望の目で眺めていた。
そのような気持ちと日々と疲労、あらゆる重圧が小さな体に重なって、とうとう最初に爆発したのが6歳の頃だった。
謁見室でここ最近の修学進度や国内での活動を報告した際、ユートリアが小さく「疲れた」と漏らしたのが始まりだった。
「だからどうした。次期国王になるには必要なことだ」
ユートリアはその一言にムッとした。別に、国王になりたいなんて一言も言ったことはない。
ただ父親が国王だから、自分が将来国王になれば色々と丸く収まるから、後継者教育をやらされているだけなのに。
まだ小さいユートリアに対して、周りの大人は彼が次期国王になることの重要性を説いていた。
「この国は、あなたのお祖父様とお父上様のご健闘によって、昔に比べてばとても素晴らしい国になりました。
ただ、まだまだ不安定な状態なのも事実です。国内外で色々な勢力の大きな衝突を避けるためには、聡明な国王の中央集権的な統治が不可欠なのです。
しかし次期国王が世襲で選ばれず、後継者争いが泥沼化してしまえば、国内は混乱し、外国は弱ったこの国を手中に収めようとするかもしれません。
だから国王の息子であるユートリアが優秀な後継者になることの意味はとても大きいのです」
ユートリアにとって、次期国王になることは、天から舞い降りた幸福でも生まれ持った権利でもなく、降りかかった災厄であり無理やり課せられた義務だった。
不平を言ってもどうしようもないから、何も言っていないだけなのに、さも当然のようにそれを受け入れていると思われているのは嫌だ。
当たり前のように膨大な義務を課してくる父親に、そしてそれに何の労いもないことに、子どもなりに腹が立った。
「僕、王様になりたいなんて思ったことない」
ユートリアは父親を困らせるつもりでそう言った。
しかし父親は息子の小さな反発に、顔色ひとつ変えないで、ただ少しため息まじりにこう言った。
「嫌ならやめろ。別の後継者を探す。やめるなら早く言え。やる気がないのにここにいられても迷惑だ」
ユートリアは目の前の人間が、自分のことをどれほど軽視しているのか分からされた。
その一言は、彼の全てを、努力も能力も人格も才能も立場も判断も、あまりに簡単に否定していた。
他の大人は、ユートリアが後継者になることの重要性を理解している。
そのためにたくさんの課題を課しながら、多くの責務を負わせながら、それを受け止めるユートリアに敬意を持って接している。
しかし唯一、あろうことかこの国の国王は、その重要性を全く理解していない。
他の誰も課されていない使命を課された人間に、その重圧に耐えていた小さな子どもに、取り替え可能な代替物の烙印を押した。
その時にユートリアは初めて感情が爆発した。もうやめる、全部やめるとしきりに繰り返した。
ただその叫びは、彼の境遇を考えると非常に真っ当な、むしろ遅すぎるくらいのSOSだった。
泣きじゃくるユートリアを前にして、父親である国王は疲れたような声で言った。
「やめる気がないならそういうな。我儘は嫌いだ」
その一言に絶句したのは、周りの使用人たちの方だった。この人は、子どもの言うことを真正面から受け止める気が無いらしい。
だから小さな彼にできる精一杯の諫言ですら、子どもの我儘と一蹴できてしまうのだ。
ユートリアは一瞬、異質なものでも見るように父親を凝視した。
何かを諦めたように絶望した表情で黙って涙を拭き、顔が歪むのをなんとか耐えながら報告の続きを始めた。
抑え込もうとはしていたが、どうしても声はかすかに震え、無表情を取り繕っても赤い目元は隠せていなかった。
国王はその後、報告が終わったユートリアを退室させ、何事もなかったかのように業務を続けた。
周りの大人はユートリアの味方になりたかったが、国王の目の前では面と向かって労うこともできなかった。
母親はユートリアが生まれた時に亡くなった。祖父は生きているそうだが、病床に伏せほとんど会うことができなかった。他に味方はいなかった。




