第66話 姉
ユートリアは市街地に出向き、路地裏を歩いていた。
曲がりくねった道は少しの先すら死角だったが、歩を進める足には一切の迷いがなかった。
細い細い路地の末端に、少し開けた場所があった。
地図上では隣の建物の敷地ということになっていた。
とうの昔に塀が縮小されていたようで、隠れ家にするにはあまりにちょうど良い空間が空いていた。
ユートリアはそこで、大きなフードを被り佇んでいる人影を見た。
その人影の足元には、丸いメガネを額の上にまでずらした男が、髪を乱して恐怖の表情を残し気を失っていた。服は焦げてボロボロになっていた。
フードの人間が、ユートリアの気配に気づいて振り返った。
深い深海のような瞳でじっと彼を見つめた。
「……ユートリア?」
ユートリアは氷のように冷たい目を向けて言った。
「何をしているの? フレーシア姉さん」
フレーシアはマントを脱いだ。
黒い光沢のあるドレスの上に、国立第二魔法学校の規定服である臙脂色の上着を纏っている。
腰のあたりまで伸びる長い髪を上着の中に沈めていた。フレーシアは右手で髪の束をかき上げながら、左手で絡めとるように2回ほど巻き上げ上着から引き出した。
絹のように艶のある見事な長髪が、風に靡いて静かに揺れた。
「久しぶりね、ユートリア。元気だった?」
透明な声が薄暗い路地裏に響いた。その声の柔らかい響きとは裏腹に、顔はほとんど無表情だった。
ユートリアはその言葉が耳に入っていないかのように、小さくため息をついて言った。
「フレーシア姉さん、どうしてここにいるの? この辺に用事なんてないでしょ」
フレーシアは真っ直ぐと答えた。
「少しでもあなたの力になりたくて、来てしまったの。……私のこと、フレアって呼んでいいのよ?」
「呼ばないよ」
刺すような視線を投げつけ、ユートリアは拒絶するように答えた。
普段のユートリアを知っているものが今の彼を見たら、間違いなく敵意を感じ取った。しかしフレーシアにとって、今目の前にいる彼が普段通りのユートリアだった。
「そう」と一言呟いて、何事もなくマントをたたんだ。
ランスの進言のおかげで、ゼクスに仲間の居場所を吐かせることに成功したが、その情報は本来、最初にユートリアへ伝えられるべきだった。
しかしその時ちょうど、ユートリアの姉であり、この国の王女であるフレーシア・ロシュフォールが調査隊の本部へ訪れた。
外部の人間に調査情報を漏らすわけにはいかないが、王室から派遣された調査隊にとって、フレーシアは筆頭の関係者だった。
タイミングよく現れたフレーシアに全ての情報を先に渡し、それを聞いたこの姉は単身でこの拠点へ向かって行ったのだった。
その報告を受け、ユートリアは急いで現場に来た。
しかしもう、どうやら全てが終わっている。
フレーシアの足元で気を失っている男は、おそらく一連の事件を計画した張本人だった。
本人も犯行を重ねながら、ゼクスへも指示を出して実行役をやらせ、魔法を1つに見せかけ捜査を撹乱し、万一捕まっても全ての罪をゼクスに押し付けようとしていたことがわかっている。報告によると名前はティスカルというらしい。
自分がここに来るまでに何が起こったのか、ユートリアは手に取るようにわかった。
大方、脅迫犯の情報を聞きつけたフレーシアが拠点の近くを学生のふりをしてうろつき、まんまと騙されたティスカルが人気のない場所まで誘導し強襲した。そして返り討ちにあったのだろう。
〈火〉の魔法で対抗されたティスカルは全身に火傷を負っていた。傷は深く、痛みも強そうだった。
気絶する直前まで悶え苦しんでいたのか、見るに耐えない形相で白目をむいていた。おそらく跡も残る。
〈水〉の魔法で取り押さえていたらこうはならないのに。
もちろんユートリアにとっても、目の前の相手は許し難い相手だった。
だからもしフレーシアが怒りに任せ、過度な追撃をしてしまったのだとしたら、納得はしないまでも理解はできる。
しかしフレーシアは、何も考えていない。そのことがユートリアにはわかっていた。
〈火〉の魔法が使えて、〈水〉の魔法も使える。どちらでも良いから、〈火〉の魔法で倒した。この人は、そういう人なんだ。
ユートリアはまた小さくため息をついて俯いた。
フレーシアはしばらく静かに弟を見つめていたが、やがて口を開いた。
「……私、あなたが困っていると思って、少しでも助けになりたかったの」
ユートリアは真っ直ぐその目を見つめ返した。
「困ってもいないし、何もしないでほしかった。
犯人を捕縛するにしても、踏まなきゃいけない段階をこんなにも飛ばして、1人で勝手に解決した気になられても迷惑だよ。後処理どうするつもりだったの」
フレーシアは黙って聞いていた。小さくごめんなさいと呟いた気がした。
「……あとは僕がやっておくから、帰って」
ユートリアはそういうと、フレーシアに背を向けた。
彼女はそれでも、黙ってユートリアを見続けている。風になびく黒髪がかすかな光を捉えて反射し、宇宙の星々のように煌めいていた。
「ユートリア、私に何かできることはある?」
何の混じり気もない透明な声は、ただ本当にそう思っているのだとわかった。
ユートリアは姉を見ようともせず、普段よりずっと抑揚のない声で言った。
「帰ってよ」




