第61話 圧倒
シークは、今までこれほどの魔力差を感じたことがなかった。
こちらが棍棒を振りかぶったのに、相手には羽毛で撫でられた程度の衝撃しか伝わっていない、そんな不気味な感覚を覚えた。
シークはユートリアと距離を置くように後退した。
「動くな」
ユートリアは手を掲げた。
その手から魔法が放たれた瞬間、どんな抵抗も瞬く間に蹴散らされ、自分が燃やされ尽くすのを容易に想像できた。
「舐めやがって……舐めやがって…。舐めやがって」
シークは意を决したようにランスのクラスメイトの群れに突っ込んだ。
ユートリアは〈火〉の魔法を放ち、走る襲撃者の足を燃やした。ううっと微かに呻き声が聞こえた。
しかしシークがあまりに生徒に近づくと、ユートリアは一度魔法を消した。
近くの生徒に火が及ぶかも知れなかった。
シークは生徒の群れを突っ切って非常口の前に立つと、ニヤリと笑って振り返った。
まだ手に持つ水の鎖には、何体もの巨兵が繋がっていて、生徒と生徒の合間を縫うように均等に配置されていた。
「とっとと殺せばよかったな……。敵意のある魔法は、敵意のある魔法でしか相殺できない。
お前の魔法じゃ、ここにいる俺の魔法を消し去ろうとしたら、このガキどもにも火傷を追わせることになる」
ユートリアは黙ったまま、眉を顰め襲撃者を睨んだ。
「後悔したってもう遅い。殺す。全員殺す。お前も、お前も、お前も、俺をおちょくった奴ら全員悶え死ぬまで殺してやる」
シークは右手の鎖を大きく振り回した。それが合図だと言うように、巨兵は一斉に近くの生徒を押さえ込もうとした。
「……後悔したって遅いのは、お前だよ」
ユートリアはそういうと、また手を前に掲げた。
目の前を全て覆うように、〈水〉の魔法が展開された。
薄く高く広がった水の幕は、生徒を通り過ぎるように進軍していった。
その魔法が触れた瞬間、生徒は冷たさを覚え、服や髪を濡らされたが、それ以上何の被害も被らなかった。
シークの魔法の巨兵は、ユートリアの〈水〉魔法が通り過ぎた側から跡形もなく消し去られていった。
シークに水の膜が到達した時、手に持っていた魔法の鎖も消滅した。
シークは何が起きたのか皆目見当つかなかった。というより、目の前で起きたことを自分の常識で解釈できなかった。
人間が生まれた時から必ず、1つの魔法を授かる。
なのに目の前のこの少年は、魔法を2つ持っている。
ユートリアはざわつく生徒を横切って、まっすぐ襲撃者の方へ向かった。
シークは捕食者に追い詰められた鼠のように立ちすくみ、足をうまく動くことができなかった。
「やめろ……来んな…………来んな!!!」
叫び声をあげ、扉の外された非常口から飛び出そうとするシークに向かって、ユートリアはまた〈水〉の魔法を放った。
水流に巻き込み、水柱の中に閉じ込めてしまった。
シークはガハッと咳き込み大きく息を吐いた。吸い込む空気が見つからず、首を抑えて悶えた。
魔法を使って水流から逃れようとしている様子だったが、放った側から〈水〉の魔法に取り込まれて消滅させられているのがわかった。
「本当に自分が嫌になる。ここまで侵入を許して、生徒を危険に晒すなんて……」
シークは何かを訴えるように口を動かしながらユートリアを見た。その目はもう敵意を憎悪も感じられず、ただ空気を懇願していた。
「学校を任されるって、こんなに大変なことなんだ……。いや違うか、僕が未熟なだけなんだろうね」
シークはまた咳き込んで空気を吐いた。
今ので全ての空気を吐き切ってしまったようで、それ以降咳き込むような素振りをしても、静かに体を揺らすだけだった。
「魔法で何もかも解決できれば、僕1人でどうとでもなるのに。
それができないから、今、こんなにも生徒を危険に晒したんだ。やっぱり敢えて信頼しないといけないんだ」
ユートリアはところどころ欠落した言葉を、呪詛で自分を縛り付けるようにポツポツと呟いた。
水中に閉じ込められた襲撃者はもう手に力を込めることもできなくなった。だらんと力なく腕を下ろし、すがるような目でユートリアを見つめた。
「……難しいなぁ」
ユートリアの最後の言葉は、パシャンと水が床に落ちる音でかき消された。
肺に飲み込んだ水はすでに消え去り、シークは反射的にゲホゲホと喉が潰れそうなほど大きな咳をして息を吸った。
落ち着いたかと思うと、虚な目を少し開いて気絶していた。
ユートリアは一連の様子を静かに見据えていた。
しばらくすると看守がやってきて、襲撃者の身柄を拘束していった。
ランスのクラスメイトたちは、駆けつけた教員に促されながら教室に引き上げていった。
何人かの生徒は調査隊の質問に答えて協力した。
ランスはシグリアに声をかけられ、少し会話をした。
その後もしばらく現場に残り、シークが落としていった錠前と鎖が回収されるのを見届けた。
足元でリスが一匹死んでいるのを見つけた。
手袋をつけて持ち上げてみると、表面にぬるりとした感触があった。不幸にもあの男の魔法に巻き込まれたようだった。




