第50話 失態
ユートリアがジオの部屋のソファでくつろいでいると、ドアを力強くノックする音が響いた。
只事じゃないと誰もが感じ、室内の全員が一斉にドアの方を見た。
最初に部屋の主のジオが応対した。そこには学校の職員が立っていて、ユートリアに報告があるみたいだった。
ジオは話を聞くと、少し焦った様子でユートリアの方を向き直り、何やら耳打ちした。
ユートリアの顔が明らかに険しくなった。すぐさま立ち上がり、挨拶もせずに部屋から飛び出した。その後ろ姿を追うようにジオも部屋を出た。
「……え? 家主消えたんだけど」
何が起きたか飲み込み切れないサンが言葉を漏らした。ランスも同様の困惑を抱き、同意するように目を合わせた。
施錠もせずジオが飛び出してしまい、図らずも留守番を任される形になった。
ユートリアが報告を受け医務室に走ると、まず涙目になっているミオンを見つけた。
それから顔面蒼白でユートリアの方を向いた教員のタールと、すでに治療を終え、ソファに座っているシグリアがいた。
「……説明を」
ユートリアがタールに向かって言うと、ビクッと肩をこわばらせた。
「あ、あの、えっと……。今朝、この生徒が外に出たいと言いまして、
学校は閉鎖された後でしたが、その……すぐに戻るとのことだったので、裏口から出させて……」
「鍵はタール先生が開けたっていうことであってますか」
「あっ、えっと、はい………」
タールはユートリアが淡々と敬語を使うのを初めてみた。
その何の温度も感じない声は、普段のユートリアを知っている者にとってはあまりに冷たかった。
「ユートリア様、すみません。私が無理を言って、こんなご迷惑を……」
シグリアは自分の浅はかさを詫びた。教員にも学長にも手を煩わせたことが申し訳なくて仕方なかった。
ユートリアはシグリアの方を向いて、腕を取った。
傷跡がほとんど残っていなかった。それはおそらく、ミオンが治癒したからだろうと思った。
治せる怪我の深さは治癒魔法者の実力によるが、綺麗に治せるかどうかは、治療者が正しくその姿形を認識できているかにかかっている。
シグリアのことをよく知るミオンだから、そこに怪我なんてなかったかのように治療することができた。
「……君が謝る必要はない。悪いのはまず君を襲った通り魔だ。その次に僕らだ。学校の生徒を守るのが、僕らの役目なのに」
ぽつりぽつりとつぶやいた後、ユートリアは続けた。
謝られると思っておらず、シグリアは言葉を詰まらせてしまった。
「ミオンさんも、本当にありがとう」
ミオンも名前を呼ばれてハッとした様子でユートリアを見た。
それまでずっと、どうしてもっと強く止めなかったんだろうと後悔の念で頭が埋め尽くされ、ユートリアが入ってきたことすら気づかなかった。
ユートリアは深く頭を下げた後、くるりと向き直ってタールを見た。
刺すように冷たい視線だった。シグリアやミオンになるべく聞こえないように、声の調子を落として話した。
「取り返しのつかないことになるところでした」
その声は、その目は、明らかに怒りの感情がこもっていた。感情が昂らないように敬語で話しているみたいだ。
タールは上擦って返事をし、答えた。
「はい、申し訳ございません。私の誤った判断で、王家や学校の信頼に泥を塗ることに……!」
タールは深々と頭を下げたが、ユートリアの表情は一層歪んだ。
「違う。1人の人間が、死んでしまうところでした」
怒気を帯びたその声に圧され、タールは言葉を発することもできなくなった。
血の気の引いたその顔は死刑執行前の囚人のようだった。
「タール先生が僕の判断に不満があるのはわかりました。何事も無かった時にどんなに問題になるか、あなたが案じてくださっていたのもわかってます。
けど、この学校の生徒に何かあっては、取り返しがつかないんです。
だから臆病者だってこき下ろされようが、無駄な手間をかけたと非難されようが、全ての引き受ける覚悟でこの判断を下しているんです」
冷静に語られるそれらの言葉は、若干16歳の少年であることを忘れさせるほど達観していた。
「すみません、もう、ユートリア様のご判断を否定することは、絶対に……」
タールがそう言うと、ユートリアは下を向いたまま途中で遮った。
「違う意見を抱くなと、言っているんじゃないんです。ちゃんと話してほしかった。そのことで、あなたに不利益を被るような真似は、絶対にしませんから。
僕と意見を違えながら、表面上だけ肯定して、裏で、自分の判断で、勝手なことをするのだけはやめてください」
ユートリアの言葉は、あくまで淡々としていた。
沸々と溶岩のように湧き上がる怒りを、努めて抑えこんでいるのがわかった。
感情に身を任せ叩き潰すように罵声を浴びせることもできるはずだった。それが可能な上下関係もあからさまな失態も揃っていた。
ユートリアがタールの想像通りに、ただの温室育ちの子どもなら、絶対にそうするはずだった。
しかしユートリアは感情の一才を切り離し、淡白な正しさだけをより分けて話そうとした。
タールはそこでやっと今目の前にいるのが王室から直々に任命された学校長で、未来の国王だと思い知らされた気がした。
むしろ今までそれを忘れさせるほど、朗らかでどこかあどけない印象を植え付けてられていたことに驚かされた。
それがこの王子の掌握能力の証明であるとしたら恐ろしいほどだった。
「……今はただ、生徒の安全に努めてください。
全部終わったらシグリアさんの家族の方に謝罪に行きます。同行してください」
タールはもう頭を下げることしかできなかった。それが何の意味もないことはわかっていたが、そうせずにはいられなかった。




