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第49話 逃走

人の身体から離れた魔法は、跡形もなく消えてしまうが、何か別のものに触れた場合、触れた場所だけ()()となって残ることがある。

あたかも存在に触れることによって存在が許されるように。だから〈水〉の魔法が触れた場合、相手の魔法が離れてもそこが濡れたままになる。


シグリアの腕にも相手の魔法が残っているようで、じんじんとした痛みは次第に大きくなっていった。

相手の魔法は〈水〉ではなかった。触れてはいけない〈人を溶かす液体〉の魔法だ。


シグリアがそれに気づいたところで、もうどうすることもできなかった。

人通りがほとんどなく、細く狙いやすい道が連なった路地裏で、一歩足を踏み出したらまた相手の魔法が飛んでくることが目に見えていた。


いつの間にか降り始めた雨に、身体中が濡れているのも気にならなかった。

今にも魔法を放ちそうなフードの男の右手を、ただ審判を待つように見つめていた。


突然ガタッと音がした。シグリアは思わずそちらを見た。

すると9歳くらいの男の子が、家と家の間の、子どもがやっと通れるような隙間から出てきたのに気づいた。



突然の子供の襲来に、シグリアも、フードの男も予想外の様子で、顔をそちらに向けて固まっていた。


そこに現れたのはノアだった。

ノアはその2人を交互に見ながら、ポカンとした様子で佇んでいた。


シグリアはうまく状況を飲み込めなかったが、この男の子を逃がさなければいけないと考えた。

現場を見られたフードの男が、子どもを見逃すなんて思えなかった。


シグリアはパッと立ち上がり、ノアの背中を押した。

自分より前に走らせて、後ろの様子を窺った。


フードの男は2人が走る背中に向かって、また魔法を放った。

今度は洪水した川が流れ込むように路地裏全体を液体で満たし、他の路地に入り込んだところで逃げきれそうになかった。


シグリアは後ろ手に琥珀の壁を造った。

気休め程度にしかならないが、この壁が壊れる数瞬間の間に、何とかこの少年が人通りの多い道へ送り出せられないかと、淡い期待をかけていた。


ノアはこの時、(ひるがえ)るシグリアの外套の下に、ランスと同じ学校の校章を見つけた。

同じ場所に帰る人だと気づいた。


ノアはすぐ近くにあった煉瓦の塀に手をかざした。

ところどころにヒビが入り、植物が絡まり、しばらく何の手入れもされていないことが容易にわかった。


ノアが力を込めると、幾本もの〈浮遊〉魔法の光の筋がのび、煉瓦の一つ一つを浮かび上がらせ、塀は解体された。

かと思うと今度はノアとシグリアの後方に、また規則正しく煉瓦が積み重なり、2人を鉄砲水から守る防壁が建てられた。


シグリアは突然現れた壁に驚嘆した。ドン、と強い衝撃が加わったのを感じたが、壁はびくともしなかった。


「君の魔法か! 助かった、ありがとう!」


シグリアはそう言いながらノアの手を引いて人通りの多い道を目指し走った。

ノアはその時、腕の付け根がミシッと揺れたような違和感を覚えた。

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