第36話 音波
「音が振動って、どういうことだよ」
ランスは失言したような気分になった。科学者の実験室に入り浸りすぎてわかっていなかったが、前提から違うのだと思い出した。
この世界にとっての音を再確認するため、ランスはサンの質問に質問で返した。
「……音って、そもそもどうして聞こえるんだ?」
サンは漠然としたランスの質問に驚いたが、一応素直に答えることにした。
「そりゃ、何か叩いた時とか、引っ掻いた時とか、喉に力を加えたりした時に、音が鳴る。
具体的にいえばその瞬間に音魔法の条件が揃う。ギターの弦を弾いたらギターの音の魔法が発動するし、トランペットを吹いたらトランペットの音の魔法が発動する。
……えっと、こういうことであってるか?」
「聞きたいことはあってる……」
そう言ってランスは考え込み、諦めをつけたような顔をして続けた。
「でも、科学ではそう考えてない」
科学とはっきり言ったことは、まずジオを驚かせていた。
その一言だけで悪い偏見を持たれても無理はないので、進んで話し出す話題ではないと思っていたからだ。
しかしランスとしては、今から話すことは世間の常識から逸脱していると牽制するためにも、その単語を出す必要があった。
「カガクって、あの科学か? お前科学者なん?」
サンも非常に驚いた顔で、興奮した様子で確認した。
そうだよ、とランスは頷いてみせた。
「へぇ、すげぇ、初めて見た。俺の町1人もいなかったんだよ」
サンはそういうと、受け入れた。
サンが透明な興味をランスに注いでいる間、ミオンは静かに驚いているみたいだった。
王都で生まれ育ったミオンは、科学への一般的な偏見はあった。
しかしサンは間髪入れずに受け入れているし、ジオも冷静に受け止めているように見える。
何よりミオンにとって、ランスは科学者である以前にランスだった。特に自分がそれ以上言及する意味があると思えず、続くランスの説明に集中することにした。
「で、じゃあ、科学では、何で音ってなるんだ?」
サンは爛々として聞いた。
「……受け入れるかどうかは勝手だけど、最後まで聞けよな」
「了解。俺、結構そういう話も好きだよ」
そういう話、というのはおそらくオカルトや迷信や地域信仰のような括りで語られている。だがランスにとってはどうでも良かった。
「科学では、音は振動だと考えている。振動が耳に届くと音が聞こえる」
「なるほど、まじでわからん」
サンは間髪入れずに自分の状況を示した。
ランスは辺りの楽器を物色し、小太鼓を見つけた。
「これ触ってもいいか?」
「全然良いよ。スティックそこ」
ランスはスティックを手で持ちながら、話を続けた。
ランスは片手にスティックを握り、小太鼓を叩いた。
タン、という軽快な音が部屋に響いた。
「今俺が叩いた太鼓の表面は、目でわからないくらいほんの少しだけど沈む。沈んだら今度は持ちあがって、元に戻る。
沈んで持ち上がる時に、周りの空気も押し込まれたり引き込まれたりして、振動する。
空気は振動を伝えることができるから、それが耳に届くと音として認識する」
それはサンが今まで聞いたこともないような、音の正体の神話だった。
面白いと言えば面白いが、信じられなかった。
「そんなことあり得るのか? 確かに、そういえば人が管楽器演奏している時とはか、なんかビリビリ振動みたいなもん感じる時があったかもしれないけど……
でも大抵の音聞くとき振動してるわって思ったことないぞ」
「大抵の音は、肌で感じられないくらい細かくて小さい振動なんだよ」
「それに、空気のくだりもよくわかんなかったんだけど。
空気ってのは……理解が雑な自覚はあるけど、呼吸するのに必要なもので、水がないところにあるやつだろ。
それがそこで叩いた太鼓にどう関係するのか全然わからん」
「水に小石放り込んだら、その衝撃が波紋になって広がっていくだろ。
音もそれと同じで、目には見えないけど衝撃が空気を波立たせて広がっていくんだよ」
「まじか」
そう聞くとサンはランスの説明を理解するために考え込んだ。
今まで見ていた同じ世界を、全く違う視点から眺めることに、楽しんで苦心している様子だった。
少ししてまた口を開いた。
「でも、それがあっているとしても、一個理解……というか納得? できないことがあるんだけど。
音って、人の話し声も、ギターとトランペットと小太鼓の音も全く違って、その上音程があって、音量の大小もある。
音が振動でしかなかったら、こんなにバリエーションあることあり得るのか?」
ランスは「そうか」と言いながら、サンが素直に自分の感覚を表現してくれるのに助かっていた。
感覚的な差を埋めることがどれほど重要か理解していた。
「サンの言うとおり音の種類は無数にあるけど、どういうふうに振動の違いでそれが表現できているのかは、一応わかっている」
ランスは胸元からノートを取り出し、サラサラとペンを走らせた。
サンが覗き込むと、ノートにはペンを4往復ほど上下に動かして描かれた、シンプルな波があった。
「まず、ギターとかトランペットとかの音の『音色』の違いは波の形で決まる。
ここに描いた波みたいに均一な形のものもあれば、もっとガタガタとした歪な波もある。そういった違いが音色になって現れる」
音の『大きさ』はこの波の大きさで決まる。波が上下に大きく揺れれば揺れるほど、音も大きくなる。
音程の『高さ』の違いは、波の頻度で決まる。1秒間に揺れる回数が多ければ多いほど音は高く感じられる」
サンは、ランスが口で言いながら図に書き添えた説明をじっと見ていた。
説明を噛み砕いて消化するのに時間がかかっているようだった。
「……まあつまり、この世界にある音はみんな、こうした波の大きさとか形とか頻度の組み合わせで表現されているんだよ」
ようやく一通り説明が終わり、ランスは一息つくために紅茶を飲んだ。
「なんか、初めて触れたけど、すごい世界だな、科学って。常識なんて掠りもしねぇや」
サンの言葉は独り言のようでもあったし、ランスに呼びかけているようでもあった。
判別がつかずランスはサンに目を向けたが、サンの視線は依然音が図示された紙に落ちて交わることはなかった。
サンは、ランスが示した一連の音の説明を信じたわけではなかった。
しかしふと、真に受けてみようかと考えた。
今までサンは、ギターも小太鼓も、音の魔法は別物だと考えていた。だから音色を変えるイメージができていなかった。自分の音の魔法は一つだから。
しかし科学では、そうではなく、全く別物の音を出そうとするんじゃなくて、それをただの振動と捉えて、その波の形を変えることで音が変わるらしい。
人前で魔法を使うことが本当に嫌で、少しの間躊躇っていたが、意を決したように呟いた。
「ちょっと、耳塞いでくれないか」
3人が頷いて耳を塞ぐと、サンは指先に魔力を込めた。
またあの狂音が鳴った。耳を塞いでもわかるほどで、ランスは思わず蹲りそうになった。
しかし次の瞬間、あの神経に差し障る刺々しい音が徐々に丸みを帯びてきた。
怖気を感じさせる不協和音は取り除かれ、みるみる研ぎ澄まされ、断末魔の金切り声のようだった音は、金管楽器のような繊細な響きに移った。
「変わった……!」
ミオンはいつの間にか手を緩め、耳を塞ぐのをやめていた。
ランスもジオも、もう耳から手を離していた。
サンは音を発する指先をじっと見ながら、別の生き物でも眺めるような目をしていた。




