第3話 入学
国立魔法学校は、創立60年の由緒正しき学舎だ。
人間有史の年表の中では短い歴史かもしれないが、王国自体が60年ほど前に建てられたものだから、この国の魔法を誕生から支え続けたことになる。
現学校長は王子のユートリア・ロシュフォール。
16歳という若さだが、政治的な駆け引きや公務は大人顔負けの技量でこなした。魔法も学業も優秀で、人当たりも良いため国民からも多くの人気を集めている。
しかしこの学校で一度彼の気分を害したものなら、その後の学校生活の保証はないとも囁かれている。
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入学式を終え、ランスは指定された教室へ向かっていた。
学校指定の濃紺の上着の胸元に、青で縁取られた校章が映えている。青は今年の1年生の学年を表す色であるとのことだった。
これから始まる学校生活に胸を躍らせる新入生をよそに、ランスはどうすればなるべく荒波を立てずこの学校にいられるかだけを考えていた。
先ほどから視界の端でちらつく教職員が、自分の方を見て何やらヒソヒソと話しているのがわかる。
クラスは3組まであるらしい。自分は1組だと教えられ、目立たないように教室に入った。
半分くらい生徒が集まっていて、知らないもの同士少しギクシャクしながらも、新しい環境に対する緊張を共有していた。
ランスは指定された席を探し、そこに座った。一番後ろの、真ん中あたりの席だった。
1人の生徒がツカツカと近づいてきた。ランスの右隣の、まだ持ち主が到着していない席にどかっと座った。
「なぁお前、魔法使えないって言ってたよな」
教室が一瞬静まり、ざわついた。
話しかけてきた生徒は涅色の髪をその頭皮に撫で付け、重たいまぶたの隙間から茶黒い目がのぞかせている。
シャツは今にもはちきれそうで、ふくよかな指に大粒の宝石をつけた指輪が食い込み、首から下げたネックレスからは大ぶりの金細工が垂れ下がっていた。
ランスはその生徒の顔を知っている。確か魔法実技試験の時に、自分の次に控えていた受験生だ。
試験官に向かって「魔法が使えないので帰ります」と言った時に、後ろで目を丸くしていたのを覚えている。
「魔法使えないって、あれ何? まじ? てかなんでこの学校入れたんだ? コネ?」
容赦なくヅカヅカと踏み込んでくるのは、無礼というより敵意だった。
いつの間にか後ろに取り巻きのような生徒が数人近寄っている。そのうちの1人が口を開いた。
「ノートン・エルイデ様、いかがされましたか」
待ってました、と言わんばかりにノートンは答えた。
「なに、魔法実技がゴミ屑なのに合格した奴がいるって、お父様から聞いたんだ。ひょっとしてこいつかと思ってな」
「なんと、エルイデ伯爵が」
妙に芝居がかったやりとりが行われ、伯爵、という響きにまた教室のあちこちがざわついた。
この魔法学校には貴賤問わず様々な身分の生徒が集まる。
学校規律の中では「生徒は身分に関わらず、皆等しい扱いを受ける」と仰々しく宣言しているが、学校の外にそういう社会がある以上、身分差を完全に度外視するのは、特に新入生には難しかった。現に平民であろう何人かは少し萎縮してしまっている。
「で、どうなんだ? お前なのか?」
聞きながらノートンはランスの椅子の脚を軽く蹴っ飛ばした。注目されすぎて答えたくなかったが、逃げられそうにもなかった。
「魔法が使えないのは本当だよ」
嘘をついてもすぐバレるので正直に答えた。この答えで切り抜けられるわけもなかったが、他に言いようがなかった。
敬語を使えよ、と取り巻きの一人がつぶやいた気がするが、それは無視した。
「はあ? じゃあなんで受かったんだよ」
「知らない。筆記が良かったんじゃないか」
思いつくことといえばこれしかなかった。
「筆記……?」
そう聞き返すとノートンは大口を開けて笑い出した。後ろの取り巻きも呼応し、合唱のような笑い声に包まれてしまった。
「あっはははは! お前……ばっ……ばかじゃねえの!? 嘘つくならもう少しマシな嘘つけよ!
あの筆記で合格点取れるわけねぇだろ! あぁ腹いてぇ」
そう言ってノートンはひとしきり笑い、丸い腹に顔をうずめていた。
やっと顔を上げたかと思うと、畳み掛けるようにいった。
「お前さぁ、迷惑なんだよな。同じクラスに落ちこぼれがいると。これからクラス対抗の学校行事とかもあるのに、お前のせいで全部負けんじゃん」
学校行事がどれほどの重みをしめるのかはランスにはわからなかったが、相手の言葉はまあまあ正論だと思った。
「迷惑をかけるつもりはない。そういう行事には出ない」
「出ないってのも迷惑だろうが、戦力が1人分少なくなるだぜ?」
「このクラスだけ、生徒数が1人多いみたいだから、問題ないんじゃないか?」
クラスの確認をした時それに気づいた。2組と3組はそれぞれ30人いるのに、1組だけ31人で構成されていた。
まるで学校があらかじめ、1人分名簿が減ることを予想しているようだった。
ノートンはそれを聞いて、ポケットからクラス説明の時に配られた名簿を引っ張り出した。1人多いのに気づいていなかったらしい。
そして間違いを指摘されたと思ったのか、慌てて攻撃的な口調で取り繕おうとした。
「マジかよ。お前元々いなくなる前提なんじゃねぇの?」
「そうかもな」
「なんでそうまでして学校来たんだよ。頭おかしいのか?」
「本当にな」
「お前さぁ、バカにしてんのか?」
「え?」
肯定するだけのランスに、軽くあしらわれていると感じたのか、ノートンはガコンと思い切りランスの椅子の脚を蹴った。
「だから、バカにしてんのかって聞いてんだよ! 適当な返事しやがって!
分かってんのか? 俺はあのエルイデ伯爵家の──」
「取り込み中悪いけど、ちょっといいか」
ノートンの後方から、突然知らない声が聞こえた。ランスが身体を傾けて見ると、別の生徒が立っていた。
視線はランスではなく、ノートンに向けられている。胸元の校章はみんなと同じ青色と、金色で縁取りがされていた。
「そこ多分、俺の席なんだけど、ノートン」
どうやら2人は面識があるらしかった。
ノートンはその言葉を聞いていたのかいないのか、立ち上がって席を譲るでもなく、動揺し上擦った声で言った。
「あ、その、失礼しました。えっと、トラスタジア公爵の御子息の……えっと……その……」
ノートンは突然のことに頭が真っ白になり、よりによってトラスタジア公爵家の長男のファーストネームを忘れた。
教室は一際大きなざわめきに包まれている。
トラスタジア公爵家は、数多いる貴族の中でも領地が広く、事業や交易を幅広く手掛け、莫大な資産を抱えており、王家との関わりも深い。
その名を知らない者はいなかった。
臙脂色の髪と瞳で、じっとノートンを見据えたトラスタジア家の長男は、貴金属の類は何もつけていなかった。
シャツの襟を縁取る金糸の刺繍が、慎つつましやかにその身分を讃えていた。
ノートンの言葉に、トラスタジア家の長男は少し顔を顰めて答えた。
「ジオだ。この学校で爵位は出すな」
「あ……すみません……その……」
「敬語もいらない」
「あ……」
そのやり取りの後で、ノートンはやっと自分の役割は席を譲ることだと思い出した。
ノートンが自席に帰るのを見届けると、ジオも席についた。一瞬右を向いて、ランスと目が合うと会釈をした。
その時ちょうど担任が入ってきた。