第103話 少し過去2(ヨルク)
第4図書室がある建物は他に遮蔽のない開けた空間に面していて、廊下を進んでいると、教室のそれぞれに温かい日差しが差し込んでいて気持ちが良かった。
一番奥の部屋は微かに開いていた。
ユートリアが扉を押すと、それまでの明るい校舎の雰囲気とは一転、薄暗く、堅苦しい古書に囲まれた部屋が目に入った。
この部屋では気軽に生徒が立ち寄ることもないだろうな、とユートリアは思った。
窓際の席に目をやると、1人の教員が静かに本を読んでいた。
左手でエメラルドグリーンの背表紙を持ち上げ、少し丸めた背中で覆うように目を落としていた。彫像のように静止し、呼吸の音すら立てていなかった。
よくみるとわずかに眼球が動き、文字を追っているのがわかった。左上から右下へ、ゆっくりと視線が移っていき、完全に顔が右側に向いてしまった時、ぱらりと1枚ページがめくられた。
そしてまた視点が左上に戻り、時計の長針のようにゆっくりと正確なその動きを、ただ黙ったまま続けていた。
ユートリアが息を殺すと、遠く離れた廊下の奥で笑い合う生徒の声がかすかに聞こえた。
それでも没頭している窓際の席の教員には届いていないようだった。あの空間だけ世界から取り残され、何かに守られているみたいだった。
黙ったままそこに立っていると、教員がふと顔を上げた。
少し驚いた表情で言った。
「……ユートリア様ですか?」
ユートリアは名乗る前から名指しされ、敬語で話しかけられたことに驚いた。
「よくわかったね。他の先生は最初に会った時、大抵僕を生徒だと勘違いしたよ」
ユートリアがそう言うと、
「学生の顔は、把握しているので」
と言って本を置いた。
「ヨルク先生だよね。挨拶しに来たんだ」
ユートリアが笑いかけると、ヨルクは静かに立ち上がり、空っぽの右袖を翻しながら、表情の見える位置まで近づいてきた。
そして、少し考え込んで言った。
「クビですか? 俺」
「え、なんで?」
ユートリアは意味がわからず質問を返した。
「……理事長から話があったかと思って。俺の経歴について」
「まあ、あったね」
「良い言い方はしていなかったでしょう。それにあの人、俺が用意した書類を偽造だと思っていますから」
他人事のようにヨルクは言った。当の本人に伝わるほど、大体的に疑ったのかとユートリアは驚いた。
もしかしたら本人に直接疑惑を口にしたのかもしれない。
「そういえばそうだったね。偽造したの?」
「まさか」
ヨルクは淡白な声で応えた。
ユートリアはここに来る途中、教員名簿の記載から、ヨルクが魔法学校に来た経緯を調べていた。
王国内の孤児院で生まれ育って、14歳でそこを出て、私設の図書館の司書になった。
その図書館は物好きの貴族がコレクションした私蔵の古書を扱っていたけど、
その貴族が亡くなって、遺族は古書を手放すことに決め、この学校に寄贈されることになった。
国王は貴重資料の寄贈に謝意を表するため、遺族を食事会に招いた。遺族は職を失うヨルクを気にかけており、食事会の席でそれとなく彼について触れた。
それまでの業務が評価され、また魔力の高さも申し分なかったので、国王はヨルクを魔法学校の職員に任命する書類を作成した。
色々と偶然が重なってはいるけれど、特に経歴に疑問点はなかった。
それに王室によって作成された書類はちゃんとした印章も押されており、偽造したものでは決してなかった。
その上、後日の話ではあるが、王室側でも作成の事実を確認できた。
「ヨルク先生の経歴に疑いはないよ。ちゃんと調べているから」
「そうですか」
何の感情も読み取れない声色でヨルクは答えた。
随分上手に無表情を作る人だな、とユートリアは思った。
一切の温度を持っていないが、敵意や警戒の表れなどは感じない。ただ笑う必要がないから笑わない、それだけなんだろうなというある種の信頼さえ抱かされた。




