第100話 落とし所
何の本なんですか、と尋ねかけたところで、廊下の奥から足音が近づいてくるのがわかった。
最初のうちはサンにしか聞こえていなかったが、次第に全員の耳に届くようになった。視線が自然と扉の方に向いた。
ガラっと大きな音を立てて扉が開いた。
「ヨルク先生!? いる? 無事?? 何があったの? 大丈夫!?」
突如図書室に乱入し、質問を重ねるユートリアの勢いに、その場の全員が圧倒された。
ユートリアは周りを見回し、「あ、みんないる」と言葉を続けた。
ヨルクは学長の登場に驚いて、質問に答えるのを忘れていた。
「……学長? どうしてここに、なんか会議があったんじゃないですか? 教育方針検討会議とかいう……」
「あぁ、呼ばれたけど、いいよあれは。参加は任意だし。アンナに任せた。それよりさ……」
ユートリアはあっけらかんと言ってのけた。そしてそんなことどうでもいいとでも言うように流した。
「そう、アンナから聞いたんだよ。ヨルク先生が毒飲まされているって、どういうこと?」
アンナの説明が簡潔だったのか、ユートリアの概略が粗いのか判別つかなかったが、かなり思い切った要約がされた。
字義の鋭さにヨルクは若干の恐縮を覚え、今まで分かったことを説明した。
「……つまり、あの本が危険なんだ。早くどうにかしないといけないんだね」
概要を理解したユートリアは、今の課題に目を据えた。
「そうなんですけど、先生、あの本まだ読み続けるつもりみたいですよ」
学長に同意しながらサンが口を挟んだ。
「えぇ!? だめだよ。さすがに捨てろとまでは言わないけど、もうその本は読ませられないよ」
「いやでも、内容も貴重な本なんです。せめて写本を作ってからじゃないと」
「複写するのだって危ないでしょ。すごく気をつけて扱ったとしても、少なかず毒獲っちゃうんじゃないの?」
「だから、俺がやりますよ」
何が「だから」なんだ、とその場にいた全員が思った。サンに至っては口に出した。
今一番その作業をしてはいけないのが、もう症状が出始めているヨルクだというのに。
その後、ユートリアは何度も、一旦はその本を手放すよう説得した。
しかしヨルクは、学長相手にさすがに躊躇いを感じていたようだが、本に関してだけは一切妥協の姿勢を示さなかった。ランスが心配になるくらい、全然我を通していた。
ユートリアは手を変え品を変え説得を試みていたが、あまりにヨルクが引かないので、目を閉じて考え込む場面もあった。
ランスはそんなヨルクを少し意外に感じていた。
なんとなく、ユートリアをなぜか慕っている人々は、学長の意見なら抵抗もそこそこにそこに妥協するものだと思っていた。
6年間も第4図書室の司書になり続けたヨルクが、今回新入生の担任を引き受けた理由が、ユートリアからの依頼だったからだと言っていた。
自己紹介では「雇用主だから」と冗談めかして笑っていたが、それを理由に6年退かなかった席を動くような性格だとも思わない。
だから多少なり、学長への思慕の念でもあるのかと思っていたが、今会話を聞いていると、そんな感情は見えてこなかった。
古書のこととなると、話は別と言うことだろうか。
ユートリアはしばらく色々話し込んでいたが、ふと問題の本に改めて視線を移した。
あっ、と何かを思い出したかのように言葉を発した。
「その本なら、王室の書庫室にも同じ内容のものがあるよ。
写本を作らせるから今後はそれを読んで。だからそっちはもう厳重に保管しよう」
そう提案されて初めて、ヨルクは了承する姿勢を見せた。こうして学長の鶴の一声で、一連の騒動が終わった。




