第38話 CM出演依頼
五月中旬、紬ロボティクスの時任玲子さんから連絡があった。
前回預けられなかったドローンのメンテナンスをしたいので、一旦返却してほしいとのことだった。それを受け、午後の講義を終えた俺は、横浜腐界のロッカーに向かって試作機を回収して紬ロボティクスに向かうことになった。
まもなく到着というところで、歩道で社長の紬香苗さんが待ち構えていた。ただし、腕組みをしながら忙しなくヒールで音を立てている。いらだちを隠そうともしない姿に、思わず隠れたくなった。
だけど、お世話になっている身でそんな失礼なことはできない。それならば、ドローンを返却したら一刻も早くその場を脱出しよう、そう心に決めていたんだ。
愚痴を聞いてもらおうとしている女性に対して、もちろんそんなことは許されるはずもなく、これ以上機嫌を損ねないように丁寧にあいさつをした瞬間、空いている左腕に腕を絡められ、ビルに引きずりこまれてしまった。
ドローンの感想を言おうにもレポートは既に提出してあるので、感謝の言葉もそこそこにソファに座ることになった。お茶をもってきてくれて玲子さんに助けを求める視線を送ったが、笑顔を返されてしまった。
ひょっとして社長の愚痴を俺に聞かせるために読んだんじゃないだろうな、と疑ってしまう。そんなことは身内でやってほしい。スフィもびびってるのか以前のように玲子さんとアニメを見に行っちゃったし。
「それでね、聞いてよ霞くん。連休前に玲子から聞いたんでしょ? うちの会社に泥棒が入ったって」
「まあ軽くは。ちょっとだけニュースになってましたし」
「そうなのよ。どうせなら大きく一面で載せてくれたら宣伝になって良かったのに。あんなちびっこい記事なんて踏んだり蹴ったりよ」
今日は酔ってるわけじゃなさそうだけど、最初からテンション高いな~。
「ここからが大事な話なんだけど、実は内部調査で、工場に泥棒が入ったのとほぼ同時に、例のドローンのデータが盗まれていたことが判明したのよ。犯人は高跳びしちゃった元社員なんだけどね。偶然だったのか、あるいは計画的なものだったのかは分からないけど、とにかく混乱に乗じてやられちゃったのよ」
「それは大変ですね」
俺の言葉を聞いた瞬間、香苗さんの目が光ったような気がした。まるで、獲物を発見した肉食動物みたいだ。でも、そんな内部情報を俺に話してどうするんだろ。ひょっとして俺のこと疑っていて、揺さぶろうとしてたりして。
「特許はあるけど、別の微生物を使えばすぐに真似されちゃうわ。だから、こっちも先手を打とうと思ってね。予定より発売時期をだいぶ前倒しにすることに決めたの。そこでっ、あの子にCMに出てほしいのよ」
なるほど。今日の呼び出しはそういうことか。スフィがメインのCMか、どんなのになるんだろうな。既に動画内で宣伝してるし、その延長みたいなものかな。
「わかりました。あとでスフィに確認してもらいますけど、たぶん大丈夫だと思います」
「契約書はこの後で見てもらうわ。それより、今から予定ある?」
「ないですけど。もしかしてこれから撮影ですか?」
こっちの都合で申し訳ないんだけど、と前置きして香苗さんがテレビを見ているスフィに視線を向けた。
「私たちのリサーチでは、コアな層には刺さってるけど、一般層のスフィに対する関心は徐々に薄れてきてるの。このまま時間が経てばその傾向は強くなるでしょうね。だからその前にガツンとやらせてほしいのよ」
今の情報はなんとなく理解していたことだ。動画の再生回数とか最初は爆発したけど、今は落ち着いてる。それでも十分な収入になってるけど。あまり大事にしなくない俺にとっては、正直あり難い状況でもある。
興味を失っているということは、スフィのことを脅威と捉えていないということだ。普通とは違う幽霊であることを除けば、ただの幼女に見えるし、一年前から常識がどんどん変わってきてるので、その一つとして受け止めているのだろう。
香苗さんから受け取った契約書を見ると、どうやら動画配信サイトでのCMのようだ。五秒と二十秒の二つのバージョンを撮る予定で、いずれも商品紹介の最後に顔を出すだけになっている。テレビじゃないけど、出演料もそれなりに出してくれるようだ。
だけど、スフィがお金を受け取っても利用手段がない。アニメチャンネルの月額課金とかあるにはあるけど、それは俺自身が払うべきものであって、報酬の使い道としてはよろしくない。主に俺の気持ち的に。そもそもスフィ用の口座なんて開設できるのかな?
「幽霊にも人権を」という突拍子もない提案をしてる団体は聞いたことあるけど、国際的なコンセンサスは得られてないし見込みも薄い。
今の法律だと、スフィのような存在なんて想定していないし、似たような存在も発見されたとは聞いていない。国だってどう扱えばいいのか分からないはずだ。無報酬というのは違う気もするし、声の大きい団体が主張してくる可能性もある。
税法上もどうなるんだろうか。幽霊に仕事の依頼なんて今までなかったはずだ。だからといって、「撮影時に幽霊対策をしてなかったので偶然映りこんでしまいました」で通すのは、流石に無理があり過ぎる。俺たちと紬ロボティクスの関係は明らかなのだから。
その懸念を伝えたところ、香苗さんは少し考えてスタッフを呼びつけて、なにやら耳打ちしだした。そしてスタッフが小走りで去っていくと、香苗さんはこちらを向いて微笑んできた。
「霞くんの言うとおりね。だったら素直に二人に仕事をお願いすることにするわ」
「それって、俺にもCMに出ろってことですか?」
「もっちろん! 形式的には霞くんに対する依頼だけどね」
恐らく俺の出演はおまけ程度で、メインがスフィなのは変わらないだろう。スフィの邪魔にならないように、こっそりと演技するとしますか。なぁに、これまでだってさんざん配信してきたんだ。いまさら怖気づく必要などないはずさ。




