第34話 日常に戻る
俺たちはようやく腐界基地まで戻ってきた。
途中で霊能力者たちとすれ違った。車で送ってもらえるかなって期待したけど、彼らの帰りにも足が必要だから結局は自分の足で戻ってきたんだ。それは別にいい。ほとんど会話がなかったとはいえ、倫子ちゃんとずっと一緒にいたわけだから。
今の横浜腐界はゴールデンウィークとは思えない閑散ぶりだ。最終日とはいえ、賑やかだった出発時とまるで違う。俺が出会った幽霊が迫る可能性があったので、非常事態ということになり、一般探索者は全員現世に戻っているんだ。流石に腐界基地の結界は壊されないだろうけど、念のために規定されているので、逆らう人はいない。
そのおかげで、スフィは今も隠れずに姿を現している。
腐界側の受付の人や自衛隊員がいて、中にはスマホで撮影してる人もいるけど、ほとんどが俺たちのことなんか気にせずに仕事をしている印象だ。まあ、これまでも挨拶くらいはしてる仲だし、俺の中に入ろうにも今は狭いからな。
今の俺たちは、倫子ちゃんと久坂の検査が終わるのを待っている状況で、半日くらい腐界に迷い込んでたから、疲労はかなり大きかったらしい。
そして、ようやく二人が医務室から戻ってきた。
「お待たせしました」
「大丈夫だった?」
「はい。ちょっと疲れがたまってるだけだって言ってました。今日はもうゆっくり休めと言われましたけど」
「そっか。そうだよな。うん。倫子ちゃんが無事でホントに良かったよ。あと久坂も」
ついで扱いしてしまった久坂だけど、気にする様子はない。
「それより先輩。あの女の子なんですけど大丈夫なんでしょうか? 一緒に戻ってきたのにあの子だけ救急車で運ばれていったんです」
久坂が心配そうな表情をしている。なるほど。もしかしたらを考えたら不安になるよな。
「肉体的には問題なかったんなら大丈夫だと思う。越谷さんも付いていってくれたしね。ちょっとだけ入院はするだろうけど、元の生活に戻れるようになるよ」
「どういう意味ですか?」
久坂は納得してないって感じだ。そりゃそうだろう。今の説明で安心できる要素なんてないし。
「霊的なことで言うと、あの子は魂がすごく欠けてる状態なんだ。だから周囲に結界を張って、憑りつかれないように安全に運ばれたんだと思う。でも、まだ小さい子だっただろ?」
「小学五年生だって聞きました」
「成長段階の子供は、体と同時に魂も成長するから一時的に魂が小さくなったとしても、時間が経てば戻ると思うよ」
「そうなんですか。ほっとしました」
「普通ならあそこまで魂が欠けるとけっこう危険な状態になるんだ。周囲の弱い魂を取り込んでも憑りつかれなくなるってだけで、意識がぼんやりすることが多くなる。魂が弱まれば霊幕も弱くなるから、結果的に怪我しやすくなったり、より魂が傷つきやすくなっちゃうんだ」
「なるほど。子供だから魂が元通りになるから大丈夫なんですね。ちょっとだけ安心しました。でもそれって、ああなってたのが私たちだったら、もっと危険な状態だったかもしれないってことですか?」
「魂の成長は肉体の成長と比例するって昔から考えられてるからね。だから体の成長が止まってるなら危ないよ」
なぜだか久坂が胸を腕でガードしながら睨んできた。さては、また俺に突っかかろうとしているな?
「どこ見て言ってるんです?」
「そういう風にすぐエロい方向に持っていくのは良くないぞ。なっ。俺のいった通りだっただろ。スフィ」
『ん。ひびき。やっぱりエッチ』
「やっぱりって何? やっぱりって。というか、先輩が変なこと教えてるんでしょ。やめてくださいよ」
久坂が食いかかってくるのと同時に、鼻をすする音が聞こえてきた。見れば倫子ちゃんは鼻水だけでなく、涙もこぼしていた。
『りんこ、悲しいの?』
「ううん、そうじゃないの。みんなのやりとり見てたら、いつもの生活に戻ってきたんだなって。それで安心しちゃったのかも」
そうか。うん、そうだよな。倫子ちゃんはずっと幽霊に追い回されて必死に逃げていたんだ。腐界に慣れてしまった俺とは違うんだ。倫子ちゃんを救出できて気が抜けてしまうとは、俺はなんて酷い奴なんだ。やばい。俺も涙が出てきそうだ。俺はその場で膝をついて頭を下げた。
「ごめんなさい。倫子ちゃん。俺は途中から良いところを見せようとか、そんなことばかり考えていた。倫子ちゃんが惚れ直してくれて嬉しくて舞い上がってました」
「いえ、いいんです。三門にゃん先輩がいつも通りなのが嬉しかったんですから。でも、惚れ直したってなんですか。勝手に過去を改変しないでくださいよ」
「でた。三門先輩の謎ポジティブ」
語気を強めた倫子ちゃんだけど、それでも表情はやさしい。泣きながら、笑っている。普段からは考えられないほど、くしゃくしゃだ。
「それで二人はこの後どうするの?」
「私たちも一応念のために検査入院することになってます」
「どっちにしろ、今はちょっとあの部屋に戻りたくないしね」
二人は顔を見合って頷いた。
「腐界に吸い込まれたのって、やっぱりベランダからなの?」
「そうなんです。三門にゃん先輩との待ち合わせ前にベランダで洗濯物を干していたらすごい音がして。全然見えなかったんですけど、いつの間にか腐界への入り口ができてたんです。そしたら逃げる余裕もなくて、そのまま吸い込まれちゃいました」
「付け加えると、すぐにゲートが閉じちゃったんで、もうどうすればいいのって感じでした」
大きな音か。やっぱりそうだったんだ。
音の後にゲートができたなんて、1年前のカタストロフみたいじゃないか。
俺が最初に二人の部屋に行ったときに、もっと室外機のことを注意深く観察するべきだったんだ。
「ごめんね。俺がもっと良い霊能力者だったら異変に気付けたかもしれないのに」
「そんなことないですよ。だって先輩がいなかったら、今頃どうなってたか分からないです。頂いたお札のおかげで時間稼ぎもできましたし」
「そうだよね。もっと言えば、先輩が倫子に惚れてなかったら、行方不明に気づいてもらえなかったよね。あぁ、こんなに可愛い友達がいて私は幸せだなぁ」
久坂は両手をこすり合わせて倫子ちゃんを拝んだ。わざとらしい気もするが、倫子ちゃんが可愛いというのは圧倒的事実。今まで変な男に絡まれてこなかったのは奇跡といっていい。
倫子ちゃんは恥ずかしさを隠すためか、抱き着いている久坂に視線をやらずにスフィをなでなでしていた。
「でもホントこの後どうなるんだろうね。親にも連絡しなくちゃだし、うちは大丈夫だろうけど、きっと倫子のとこはこっちに来るよね」
「うん。たぶんね。田舎に戻されるとかはない思うけど、しばらくはこっちにいそうな気もするなぁ」
なんですと!
「それなら、謝罪の意味も込めて一度ご挨拶させてもらおうかな」
「謝罪なんて本当に要りませんから。三門にゃん先輩がいなかったら私たちは危なかったんです。感謝こそあれ、謝罪なんて絶対やめてください」
「というか、も、ってなんですか。も、って。他になにを挨拶するつもりなんですかねぇ」
そりゃあ、もちろん色々ですよ。でもホントにどうなるんだろうな。同じ場所にゲートが開かないとも限らないし、引っ越しも視野にいれてるのかな。それは国の調査次第なとこがあるから、俺がどうこうって話じゃないし。




