第31話 救出作戦開始
夕方前、倫子ちゃんと久坂を助けに向かう準備を整えた俺とスフィは、再び横浜の腐界管理局前にやってきた。既に受付も済ませた。今は越谷照子さんが来るのを待っている状況だ。
二人が横浜腐界にいるならば、越谷さんがすぐに居場所は掴めるだろう。だが不安は他にもある。たとえ居場所が分かったとしても、いるのが腐界の奥深くなら、相当な困難が待ち構えているはずだ。強力な幽霊がいたら、越谷さんに撤退を促されるかもしれない。
俺が危険になるだけなら別にいい。でも、スフィを関わらせてもいいのだろうか。確かにスフィにの力は強大だ。今まで出会ったどんな幽霊よりも凄まじい霊力を持っている。
不思議な存在とはいえ、スフィの精神年齢は見た目よりもずっと幼い。しかも、自分よりも弱い人間の男にビビるような性格だ。倫子ちゃんたちを助けるためならば、手を貸してくれるだろうけど、本当は戦いなんてしたくないと思ってるはず。
俺だけじゃどうにもならなくて、スフィの手を借りなきゃいけない可能性もあるけど、できればそんなことはさせたくない。
「やっほ~。君が霞くん?」
越谷照子さんがバスから降りてきた。その姿は若々しくてとても四十代とは思えない。服装も動きやすさ重視なのに、おしゃれに見える。霊能力者の中ではメディアに出るのが多いだけのことはある。
「今日はありがとうございます」
「いいって、いいって。そんなことより、さっさと入っちゃいましょ」
こっちの状況を理解してくれてるのはありがたい。改めて認定探索者証を提示して腐界に入った。
「横浜腐界かぁ。久しぶりだなぁ。前に来た時よりはだいぶ幽霊が減ってるけど、流石に連休中なだけあって人が多いわねぇ」
ここから分かるのかよ。俺には腐界にどれだけの人間がいるのかなんてさっぱい分からない。本当にすごい能力だ。体内のメレオプラズマが活発に活動してるんだろう。
「どうですか? 二人はいますかね? 居場所は分かりますか?」
「うぅん、そうねぇ。なんとなくいるのは分かるけど、ここだとちょっとノイズが多すぎるから離れたいかなぁ。とりあえず、一層の制限区域内にはいないと思うのよねぇ」
「分かりました。ちょっと待っててください。車をレンタルしてるんで持ってきます」
車で移動できない場所もあるけど、時間を節約するためにも必要だろう。一層までなら問題なく移動が可能だ。二人が迷い込んでるとしたら電波が通じない範囲にいる。何度か確認してるけど、救難信号は確認できないから間違いない。
日本政府は横浜腐界を大きく三つの層に分けている。分け方に明確な基準があるわけじゃないんだけど、腐界基地のある第一層はある程度管理下に置いていて、第二層に繋がるルートはだいたいの安全が確保されている。一般探索者が活動できるのはこのエリアだけだ。
第二層は一層よりも強力な幽霊が多い。霊能力者でも油断ができないエリアだ。俺も何度か救助のために向かったことがあるけど、できれば入りたくないと思っている。というか、基本は他の霊能力者に任せることにしている。
そして第三層。ここについての詳しい情報は、入ったことのない俺には伝聞のものしかない。六道さんからちょっと聞いたことがあるだけ。奥に行くほど幽霊が強くなっていくし、数も増える。日本の優秀な霊能力者たちだけが行ってるエリアだ。
倫子ちゃんたちがどこにいるか分からないけど、奥に行くほど危険な状態なのは間違いない。だけど、深い層と繋がるゲートが出現するのは稀だ。ほとんどのゲートが一層と繋がっている。腐界と繋がってからの一年間で、第三層で迷い人を発見したという記録はない。
では、いったいなんのために民間人である認定探索者たちは奥を目指すのか。
強い幽霊ほど、結晶化した時に得られる収入が増える。それまで収入に繋がらなかった技能が役立てられるのは大きい。だけどそれは一番じゃない。目的は強力な幽霊を民間人の多い一層に近づけさせないためだという。
こうやって霊能力者が腐界で稼げるようになる前から地域に根差して活動してきた人たちの精神は本当に素晴らしい。お金のためだけじゃないってことだ。
幽霊は魂が欠けた他の物質に憑りつこうとする。そういった物質は腐界よりも俺たちの世界の方がはるかに多い。だから幽霊は腐界の外に出たがるんだ。そのためには、一層にある腐界基地を目指すのが効率的で、幽霊も人間もそれを理解している。
だから、ゲートをあえて閉じていないのは幽霊が通過するルートを限定するためでもあるらしい。その方が対処しやすいということだろう。
車を運転して二層に向かいながら、越谷さんを見る。流石に慣れているのだろう。ずいぶんリラックスしてるように感じる。
「なぁに、霞くん。緊張してるの? まぁ、しょうがないか。でも大丈夫よ。なんとなく分かってきたから」
「ホントですかっ?」
「もちろんよぉ。これでも越谷の当主なんだから」
越谷さんの家は結構大きい家で、親戚も大勢いるらしい。幽霊を感知する能力が優れていて、貴重なだけはあって昔から重宝されていたのだろう。その能力を使って電波が届かないエリアを見張ってくれているらしい。現在は日本各地の腐界に散らばっていると聞いたことがある。横浜腐界には常駐はいないけど、似たような能力者はいる。
ただ、世界最大規模の横浜腐界は、その能力をもってしてもカバーしきれないそうだ。
「今日は腐界基地にも探知が得意な子がいたみたいだけど、気づいてないみたいね」
「じゃあ、やっぱり一層にはいないんですかね」
「そうね。いるのは二層かな」
三層にいるとしたら、俺の実力だと現実的に難しい。命をかけても、どうにかなるかってところ。二層に反応があるってのは物凄くほっとする。三層だったら、越谷さんはついて来てくれなかっただろう。救助するだけとはいえ、軽装備の二人で向かうような場所じゃない。
「でも、周りを幽霊に囲まれちゃってるわぁ」
「二人は無事なんでしょうか?」
「う~ん。誰かの結界が張ってあるから大丈夫みたい」
「二人には六道さんのお札を渡しておいたんです。もしかしたらそれを持っていたのかもしれないです」
「でも、助けるためにはある程度除霊しなくちゃだめねぇ」
『スフィもがんばるよ。りんことひびきを助けるよ』
それまで俺の中でじっとしていたスフィが姿を現した。倫子ちゃんには特に懐いていたからな。
「あなたがスフィちゃん? よろしくねぇ」
『ん。よろしく』
これまでのスフィだったら、ちゃん付けに異を唱えていただろう。それを無視するくらい助けることに集中してるのだろうし、越谷さんに母性を感じているのかもしれない。実際に母親をやっているだけのことはある、ってとこか。
「でも、スフィちゃんの力は最後まで取っておきましょうねぇ。私と霞くんだけで大丈夫よ」
「うん。それがいい」
スフィは不満気だけど、越谷さんの提案には賛成だ。俺だって、できればスフィを戦わせたくない。確かにスフィの力を借りれば、あっという間に幽霊たちを除霊できるだろう。でも万が一があるし、それとは別の不安もある。
忘れがちだけど、スフィだって幽霊と同じなんだ。魂があって、その周りには魂から発生した霊力がある。違いはその外側に霊幕が存在してるかどうかだけ。でも、霊幕があるおかげで、スフィの霊力は霧散せずに今の形を維持できているんだ。
ところが、スフィの霊幕からは霊力ほどの圧倒的な強さを感じない。普通の人間と比べたら遥かに優れてるんだけど、俺の霊幕よりは薄い気がするんだ。仮に戦闘中に霊幕が傷つけられたらどうなるか。
霊幕は外側からは影響を受けにくいけど、内側からは結構もろい。人間の場合には、幽霊に侵入されたら霊幕が変形して、一生そのままの形になる。それにともなって実際の見た目も変化していく。
おそらく、スフィの見た目は変化していき、この先ずっと今の姿に戻ることはないだろう。服なんかはイメージで補えるけど、本体の変化には対応できないはず。
もちろん、子供から大人に成長したり老化によって霊幕も少しづつ変化していくけど、外的影響とは比べるようなものじゃない。霊幕が変化したら、見た目が変わるのはスフィも一緒だろう。俺はスフィの姿が変わっていくなんて見たくない。
「スフィは俺たちの秘密兵器だ。いざという時には頼むよ」
『ん。わかった』
一応は納得してるように見える。
「それで、実際にはどうするの? 私たち二人だけだとちょっと厳しいわよねぇ」
越谷さんもボランティアで命を懸けるつもりはないだろう。持っているとしても、お金がかかる備品は使いたくないはず。なんとしてでも倫子ちゃんたちを助けたい俺と温度差があるのは当然だ。
「俺はあんまり強くないんで、できるだけ戦わないようにして救出します」
「どうやって?」
「俺のお札で引き寄せます」
「ふぅん。なるほどねぇ」
俺のお札は他の霊能力者のモノと違って攻撃力は一切ない。普通はお札に自分の霊力を注ぎ込むけど、俺のお札は魂を吸収して空っぽにしてあるんだ。だから、取り出したお札を紙飛行機にでもして飛ばしてしまえば、憑りつこうとして幽霊たちはそっちに向かっていく。その隙に二人を救出してしまえばいい。
「二層にとうちゃ~く」
越谷さんが気の抜けた声を発した。ずいぶんリラックスしている。手に汗が滲む俺とは経験が違うってことか。
「二人の場所はつかめましたか?」
「大丈夫よ。何故か三人に増えてるけどねぇ」
「どういうことですか?」
「さぁ? 行ってみれば分かるんじゃない?」
その通り。結局は自分で確認するしかない。




