第30.5話 倫子と響 in 横浜腐界
霞が出発の準備を進めている頃、倫子と響は心配されていた通りに腐界に迷い込んでいた。二人で洗濯物を干していたところに、突然ゲートが開いてしまったのだ。
二人が所持してるのは、ゲートに吸い込まれれるのを抗っていた響が腕を伸ばした先にあったバッグと、倫子が掴んでいた干している最中だった洗濯物だけ。服装は出かける予定だったので外出用だが、履いているのはベランダ用のサンダルだった。
二人は背中合わせで座りながら周囲を警戒していた。
「どう、響ちゃん?」
「全然だめ。まだ繋がんない」
響はスマホの画面を見てため息をついた。電波が届かないということは、救難信号を発しても救助が期待できないことを理解しているからだ。だが、それでもまだ可能性はある。
巡回してくるドローンが電波をキャッチしてくれれば、気づいてくれるかもしれない。それを考えれば、充電が減っていくリスクがあっても、電源を切るわけにはいかなかった。
迷い込んでから既に六時間、幸いにも幽霊と出会うことはなかったが、空腹が二人を襲っていた。ペットボトルに入っていた僅かな水も二人で分けている状況だ。にも拘わらず、二人は冷静さを失うことなく過ごせていた。
「それじゃあ、またちょっと移動しようか」
「うん。そうだね。ここには来なさそうだもんね」
腐界に迷い込んてしまった場合、電波が通じるなら、その場にとどまった方が安全だ。霞のような霊能力者が助けに来てくれる。だが、電波がないなら迷い込んだこと自体分からないので、いくら待っても助けはやってこない。ならば、自ら移動して電波が届く場所まで移動するしかないのだ。例え、腐界基地から離れるリスクがあったとしても。
「ねえ、倫子。ちょっとあそこ光ってない?」
「うん。ホントだ。ドローンかな?」
ドローンならば電波が繋がっているはずだ。響は画面をチェックした。
「違うよ。アレ、たぶん幽霊だ!」
しかも、自分たちに近づいてきている。二人は思わず駆け出した。サンダルを履いていることもあって速度は出ない。このままでは逃げきれずに追いつかれてしまうことは明白だった。
このままでは憑りつかれてしまうかもしれない。響はバッグに入っていたお札を取り出した。以前に霞から受け取った二種類のお札が入っていたことを思いだしたのだ。だが、響がお札を使用するよりも早く予想外のことが起きた。
「えっ、なにこの子?」
「それって倫子の式神じゃない?」
「たぶん、そうだと思うけど」
猫型の式神は倫子の意志とは無関係に幽霊に向かっていった。そして蝶々を弄ぶように幽霊を爪でひっかくと、幽霊はそのコアたる魂を失って霧散してしまった。
「すごいじゃんっ。倫子の式神!」
「うん。私もびっくりだよ。まさかこんな時に覚醒するなんてね」
倫子は戻ってきた式神の頭を撫でると、式神は彼女の体の中に入っていった。幽霊と衝突したことで失った霊力を補充するためである。とはいえ、霊能力者ではない倫子の式神が復活するには時間がかかる。式神のことを霞から聞いていた二人はそれを理解していた。
「とりあえずの危機は脱したけどさ」
「うん。あれはちょっと無理そうだよね」
二人の目には大量の幽霊が映っていた。響の式神が覚醒したとしても対処できる規模ではない。ではどうするか。響は霞からもらったお札を倫子に見せた。
「それ、三門にゃん先輩のお師匠さんお札だよね?」
「そう。使い方覚えてる?」
「うん。そのままぶつけてもいいけど、自分たちを囲めば結界になって幽霊が入ってこなくなるから、今はその方がいいかなって思う」
的確に当てることができたしても、数の暴力の前に全ての幽霊に対処できるわけではない。ならば、救助が来ることを期待した方がよい。
仮に幽霊に憑りつかれてしまったら、霊幕が変化して、自分たちの肉体も変化してしまう。女子大生にとって、到底許容できることではなかった。
二人はお札を四つに分け、地面と空中の四か所で三角錐を作るように配置した。結界の強度を維持するためには中を狭くしなくてはならないが、彼女らは身を寄せあって小さなスペースに入り込んだ。
霞の師匠のお札は強力で、寄ってきた幽霊は中に侵入をすることができずに、周りをうろついているだけだ。
「もらったお札のおかげで助かったけどさ」
響は不安を隠すように、平静を装って倫子を見つめた。倫子はスフィとはまるで違う、おどろおどろしたバケモノの姿をした幽霊を見ないように、地面を見つめながら答えた。
「うん。こっちも身動きとれなくなっちゃったね」
「あとは誰かが助けに来てくれるのを待つだけかぁ。三門先輩とか気づいてくれるかなぁ?」
「信じるしかない、かな。前に塔子先輩が言ってたよね。三門にゃん先輩は幽霊に関することは鋭いって」
「だね。それじゃあ先輩を信じて待ちますか。あっ、でも助けてもらったとしたらお礼をしなくちゃダメだよねぇ」
響はニヤニヤと倫子を見つめた。現実離れした状況を誤魔化そうとしているのかもしれない。
「お礼はもちろんするけど。って、あれ? ねぇ、響ちゃん。今、ちょっと叫び声が聞こえてこなかった?」
倫子の言葉に響は同意しなかった。遠くを見ても暗くて何も見えない。だが、倫子には確かに聞こえたのだ。倫子は声が近づいてくるのを感じていた。




