第28話 お料理配信
連休が始まる前日、俺とスフィは試作ドローンを持って紬ロボティクスを訪れていた。知らない社員に案内されて、今は秘書の玲子さんをソファで待っている状態だ。
しばらくは腐界でライブ配信をしないことにしたので、先方に連絡をしてドローンを一時的に返却してチェックしてもらうことにしたんだ。
先日の横浜腐界での一件はスフィに恐怖という感情を芽生えさせた。スフィのことを考えれば、現在地を伝えるのはよろしくない。完全に俺のミスだったと後悔している。
もちろん腐界に迷い込んでしまった人がいる場合には助けに行くけど、それ以外では腐界に行くつもりはないし、しばらくは行かないとSNSでも呟いた。倫子ちゃんたちを案内するのはあくまで特別枠だ。
スフィに会いたい、スフィのことをもっと知りたいって思う人達がいるのは当然知っている。沢山コラボ要請のDMが届いてたし、メディアからの出演依頼もあった。でも、俺はそれらすべてを断って、自分のチャンネルでのみ情報公開するつもりだ。相手がどういう人たちか分からない以上、俺だけでは守り切れないと思ったからだ。
幸いにも、横浜腐界での一件以来そうした声は減っていったし、俺が取材を受けなかったことをSNSで愚痴っていたどっかのTV番組のプロデューサーは物凄い批判を受けて謝罪をする羽目になっていた。
抜け穴として俺個人だけを取材しようとする人もいたけどね。言いたいことは自分のチャンネルで伝えてるので受けるつもりはない。他の人が切り抜き動画を作ってくれてるのでそれが拡散されているのも大きい。
状況は俺が望んでいた姿に近づいたと考えてもいい。
「お待たせしました、三門さん。スフィさん」
ちょっと息を切らしながら玲子さんがやってきた。ちょっと汗が滲んでるので忙しい時にお邪魔したのかもしれない。
「ドローンありがとうございました。操作も簡単ですし、とても良かったです」
玲子さんに使用レポートを添えてドローンを返却しようとした。ところが、玲子さんが受け取ったのはレポートだけだった。
「三門さん。申し訳ないのですが、ドローンは横浜腐界の三門さんの個人スペースで預かってもらえないでしょうか?」
「それは、まあいいんですけど。どういうことですか?」
「近いうちに報道されると思いますが、弊社の施設に空き巣が入りまして。現在、警察に協力していただいてるんです」
「大変じゃないですか」
空き巣ってのは泥棒のことだよ、とスフィに説明しておく。
「ですが、紬の勘によると八割方内部からの犯行だと言うんです。セキュリティ面で考えると、ドローンは弊社の倉庫よりも三門さんに預けた方が安全だろうとなりまして。いきなりで申し訳ありませんが、状況が落ち着くまでの間、預かっていただきたいのです」
「それは構いませんけど」
横浜腐界のセキュリティは結構優秀そうだからな。そもそも認定探索者限定のエリアだから入れる人が少ないし監視カメラも見えてるだけでも結構ある。
というわけで、結局ドローンを預けることはできずに横浜腐界に直行することになった。その帰り道、バイクを運転しながらも、これからの配信について悩んでいた。腐界でのライブは一時的に凍結したけど、配信自体を止めるわけじゃない。
そうだな。いっそのこと普段の様子を流してみるか。見てる人たちは、そんなこと興味があるだろうか。でもスフィが絡むなら何でも良さそうな気もする。あとは俺自身が覚悟を決めるだけだ。
腐界で活動しない以上、ヒモ扱いされるのは仕方ない。その覚悟さえあればなんでもできるはずだ。ちょっと違う気もするけど、猫の動画をバンバン出してる人みたいなもんだ。きっとそうだ。
「よし決めたぞ!」
『なにを決めたの?』
「今日の晩御飯だ!」
それだけ聞かされても、スフィに俺の意図を読み取ることはできないだろう。
「今日は料理してる様子を撮影するぞ。作るのはオムライスだ。スフィにも手伝ってもらうからな」
『スフィ、料理したことない』
「でも、いつも見てただろ。ちょっと手伝うだけでいいからさ」
『カスミ、前はさわっちゃダメって言ってた』
よく覚えてるじゃないか。火の扱いは難しいからな。
「スフィも色々成長したからな。そろそろ大丈夫だと思ったんだ。でも、スフィがやりたくないなら無理にとは言わないよ。それなら俺だけで作っちゃおうかなぁ」
『ダメ。スフィも作る』
スフィはなんでもチャレンジしてくれる。初めてで緊張することもあるけど、それは俺だって同じだ。俺がフォローしてあげればいい。
「そっか、それじゃあよろしくな」
『ん』
「ご飯は残り物があるから大丈夫だとして、卵が足りないかな」
近所のスーパーで買い物をして帰ると早速撮影の準備を開始した。とりあえず材料さえ揃っていれば問題ない。別にごはんを卵で包む作り方でやる必要はないし、なんとかなるだろう。
配信開始時刻になった。台所の正面にカメラをセットして配信スタートだ。
「皆さん、こんばんわ」
『こんばんわ、だよ』
<スフィ久しぶり!>
<あれ以来だったから心配してた>
<今までと変わってなくて良かった>
<ぐれたスフィも見てみたいけどなw>
やっぱり視聴者もスフィのことを気にしてくれてたんだな。変質者っぽい人に出会ったんだから、それもそうか。SNSに無事の報告くらいあげても良かったかも。
<今日は料理するんか?>
<スフィのエプロン姿かわいい>
『スフィとカスミでオムライス作るよ』
<おおぉぉ~>
<がんばぇスフィ>
『ざいりょうは、おにくと、ごはんと、たまねぎと』
そこまで口に出してスフィの動きが止まってしまった。どうしたのかと思いきや、突如、俺の方に不満気な表情を向けてきた。
『カスミ、野菜がない』
「ちょうど野菜切らしててさ」
冷蔵庫に野菜がないのは事実だ。だが、スフィの疑いの視線は止む気配がない。
<スフィのジト目www>
<完全に疑ってて草>
『スフィ、知ってるよ』
「な、なにを?」
『れいとうこに野菜のセットがあった』
「よく知ってたな、スフィ。誉めてやろう」
『カスミ、野菜たべて』
「いや、今日は肉の気分なんだ」
『カスミ、野菜食べないとびょうきになっちゃう』
<お前は子供かよw>
<スフィママ爆誕で草>
<役割入れ替わってんぞwww>
『スフィ、カスミが元気がいい』
「俺もちょうどそう思ってきたところだ」
『ん』
<嘘つけw>
<スフィ騙されるなよ>
スフィは俺の同意を得たことで、すぐに冷凍庫に向かって野菜セットを取り出した。ハサミで器用に使って袋を開けていく。
玉ねぎとかを炒めている間に、スフィには卵を混ぜといてもらう。初めてなのに上手に割れたみたいだ。
「その箸使ってぐるぐる回してて」
『ん』
<上手上手>
<でもなんか早すぎじゃね?w>
箸とボールが当たる音が小気味よく響いてくる。ところがコメントに気を良くしたのか、テンポがどんどん上がっていってる。
「スフィ、すとぉっぷ。泡立てなくていいから」
『ん』
<すげースピードだったなw>
<あれなら泡だて器いらなそう>
<一家に一人欲しい、お手伝いスフィ>
<段取り悪いのが逆にドキドキするなw>
スフィとポジションを入れ替える。卵は大丈夫そうなのでフライパンにご飯を追加して炒めてもらう。
「焦げないように気を付けてね」
『だいじょうぶ』
俺に答えながらもスフィの視線はフライパンに集中してる感じだ。丁寧に具材を混ぜてくれている。ケチャップもちゃんと混ざってるし、ご飯はそろそろいいだろう。お皿を用意して、木べらでごはんをよそってもらう。次に、フライパンをきれいにして卵を流し込んだ。
「スフィ、軽くでいいぞ。そお~っとかき混ぜて」
強めなんていったら、どれだけ強くなるか分からない。慎重に言葉を選んでお願いする。
「卵が半熟くらいになったら、さっきのご飯の上に乗せるからな。それで完成だぞ」
『ん』
<スフィめっちゃ緊張しとるw>
<俺も手汗が出てきた>
<お前は元々だろw>
さっきと同じように、そのままスライドしてくれればいいんだけど、真剣な表情になっている。ひっくり返そうとしているのかもしれない。まあ、スフィがやる気ならそれでいい。失敗してもそれはそれで経験だしな。
「よし、もういいぞ。ご飯の上にのせてくれ」
『カスミ。お箸持ってて』
スフィはフライパンの取っ手を両手で握って火から離した。俺はガスを消して、その様子を見守っていた。それは画面の向こう側のみんなも同じなようだ。
<頑張れスフィ>
<スフィならできるぞ>
『へむっ!』
気の抜けた掛け声と同時に卵が宙に浮いた。
なぜ飛ばしたし!
急いでお皿を持って着地点に滑り込ませた。びっくりしたけど、歓声が沸くコメント欄にスフィは満足そうに微笑んでいる。食事で遊んでいるように見えるので、できれば止めて欲しいけど、配信中だし細かいことはあえて言うまい。あとはスフィがテキトーにケチャップでお絵描きして終わりだ。
『完成、だよ』
料理はできた。この後、食べて感想を述べればエンディングだ。そう思いながらスプーンを用意していると、スフィに横から奪い取られてしまった。そのままオムライスを一口分とって、俺の口まで運んできた。
『カスミ。あ~ん』
「あぁん?」
『口あけて』
俺は大きく口を広げた。すかさずスフィがスプーンを突っ込んでくる。
『おいしい?』
本当の兄妹なら問題視されないだろうが、幼女にあ~んされる大学生は絵的によろしくない。だが、俺にはこれまで配信で学んだ経験がある。ここで恥ずかしがるから良くないのだと。ここはあえて素直に応じるべきなんだ。
こういう時のスフィは頑固だから、強く拒絶しても意地になってしまう。するとどうなるか。視聴者はスフィの味方をして俺の悪口を言い始めるんだ。たいしたダメージがあるわけじゃないけど、それでも繰り返されればそれなりに堪える。
だったら初めから受け入れてしまえばいいのだ。ちょっと失敗したなぁと思いつつも、俺は満面の笑みでスフィに応えた。




