第15話 突然の依頼
「これは?」
『ばなな』
「じゃあ、これは?」
『のーと』
「うん。全部正解だ。スフィは賢いな~。俺が子供の時より、ずっと覚えがいいよ」
『ん』
スフィの表情に変化はないけど、どことなく誇らしげに見える。
現在、お客さんが来るまでの時間を使って、円滑なコミュニケーションのために言葉を勉強中だ。まだ出会ってから短い時間しか過ごしてないけど、スフィの知識に偏りがあるのは理解した。
でも、何を知ってるのかをいちいち確認しながらやるのは面倒だ。それなら初めからやった方がいい。そう思って、小学校の入学準備の雑誌を買ってきたんだ。ふふふ、まるで本物の父親みたいじゃないか。計画は順調に進行中だ。
スフィが話せたり、ある程度現世に詳しいのは、元々が無機物の精霊とか動物の魂じゃなくて、人間の魂だったからだろう。それがアニマムンディによって輪廻転生される前に現世にやってきたことで、ある程度の記憶を受け継いでると思われる。
日本語はある程度理解しているようだけど、きちんと分かるのは小学校入学前程度だろう。
「今のは何の音?」
『いんたーほん』
「正解。お客さんが来たみたいだ」
立ち上がって玄関に向かうと、スフィは俺の中に隠れてしまった。まだ数日しか経ってないけど、一日に何十回も出入りするから、入ってくる時の感覚にだいぶ慣れた。
玄関の扉を開けると、そこには二人の男性がいた。手前の人は、やや小柄で丸眼鏡にくせっ毛が特徴的。物腰が低そうな印象を受ける。後ろの人は175cmの俺と同じくらいだけど、がっしりとした体格だ。
「神田さん、ですよね? とりあえず、中にどうぞ」
「ありがとうございます。では失礼します」
俺の部屋にはゆっくり話せるような椅子もソファもない。申し訳ないけど、クッションを置いただけのフローリングに座ってもらった。用意しておいたインスタントの紅茶を差し出し、二人と対面する。大きい方の男性が礼を言って、ズズズと飲んで会話が始まった。
「いきなり予定を変更して申し訳ありません。腐界管理局の神田です。よろしくお願いします」
神田さんが名刺を差し出してきた。随分腰が低い印象を受けるけど、俺は知ってるぞ。こういう人のお腹は黒いってことを。
「こちらが我々に協力していただいてる霊能力者の近藤さんです。三門さんに会うことを伝えたら、ぜひ会いたいとのことでしたので、お願いさせていただきました」
「近藤です。六道とは若いころからの付き合いで、実は君が幼い頃に一度だけあったことがあるんだよ」
「はぁ、そうなんですか。すいません。全然記憶になくって」
「いやいや、君が赤ん坊の話だから。話が脱線してすまないね」
「それにしても、三門さん。随分ひどい目に遭ったそうですね。名誉棄損で裁判するなら腕のいい弁護士を紹介しますよ」
「動画の件ですよね。まだそこまでは考えていないというか。他にやることがあるんで」
「そうですか。それでその、一緒にいて三門さんに危険はないんですか?」
「スフィ、あっ、あの子にスフィって名付けたんですけど、物凄い霊力はあっても、暴力的な感じじゃないですね。たまにつねってきて結構痛いけど、それもまだ力を制御しきれていないだけかなぁ、と」
「ほうほう、なるほど。今も三門さんの中に?」
「ですね。恥ずかしがりなんで隠れてるみたいです」
どうやら、神田さんは霊感能力は低いらしい。どこにいるのかなんて、すぐに分かったはずだ。霊力を実際より小さく見せる人がいるらしいけど、スフィはそうじゃないし。
「もしかして、俺と一緒にいるのってマズかったりします?」
「いえいえ、そんなことはありませんよ。法律的には」
「なんか、すごい引っかかるんですけど?」
「現行の法律では三門さんの行動を咎めることはできないということです。動画に出会いのシーンもばっちり映ってましたからね。三門さんがスフィさんをどうにかできるわけではないのは、近藤さんをはじめ、多くの霊能力者の方に確認していただきました。皆さん一様に自分でも無理だと断言してましたから」
ちょっとだけホッとする。犯罪者扱いは避けられたわけだ。
「六道さんにしばらく預かってくれ、と言われただけなんですよ。それで横浜腐界に向かったら、スフィと会ったんです。ホントにそれだけで、存在も知らされてなかったんです。近藤さん、六道さんから何か聞いてませんか?」
「半年は戻らないとだけは聞いている。何をするかまでは聞いてないな」
ええぇぇ!?
それは色々まずいぞ。二桁の臨時収入でラッキーと思ってたけど、学費の支払いとか家賃を考えたらすぐに消えてしまう。仕事の斡旋もなくなるし、生活が成り立たなくなる。
「三門さん、スフィさんを確認させてもらうことってできますか? 三門さんが無事なのは理解できるのですが、こちらとしても上に報告する必要がありまして」
「あっ、はい。スフィ、聞いてた? ちょっとでいいから顔出してくれない?」
『ん』
スフィは俺の肩越しに二人をちらっと見ると、すぐに引っ込んでしまった。その姿はまるで、水面から顔を出した海入道だ。あるいは高速で引っ込むモグラ叩きか。短すぎて神田さんがカメラを準備する間もなかった。
だけど神田さんは残念そうな素振りを一切見せずに、カメラを近藤さんに手渡すと、持ってきたバッグに手を突っ込んだ。
「実はですね、スフィさんにプレゼントを持ってきたんですよ」
取り出したのは、大きなウサギのぬいぐるみだ。スフィはプレゼントに惹かれて再び姿を現した。瞬間、神田さんの口元が緩んだ。やっぱり、この人は悪い大人だ!
『これ、スフィの?』
「ええ、そうです。大事にしてくださいね」
『ん』
スフィはウサギと一緒に小さく頭を下げると、ベッドに飛び込んだ。嬉しそうにウサギを抱いている。これは贈収賄にあたるんだろうか。法律は詳しくないからちょっと分からないけど、この件は外に出さない方がいい気がする。
喜んでいるスフィから取り上げるのは怖い。あとでプレゼントを貰ったと他の人に話さないように言い聞かせておこう。
「いやぁ、本当に生きているようですねぇ」
「そうなんですよ。ご飯を食べないとか、トイレに行かないとかありますけど、他は変わりないですから。見た目よりちょっと幼いかなって感じるくらいで――」
そこまで言葉に出すと、スフィがふらふらと接近してきて、抱きしめるように後ろから両手を回してきた。ただし、両手は俺の頬っぺたを引っ張ってるけど。子ども扱いが気に入らなかったんだろう。
『ん~!』
「御覧の通り、力の加減も上手にしてくれてます」
実は結構強い。俺は霊幕が丈夫だから肉体的な変化は起きないけど、痛みはある。
「お二人は仲がいいんですねぇ。まるで本当の兄妹みたいですよ」
「ははは。スフィの動画はこれくらいでいいですかね?」
「ええ、大丈夫です。ありがとうございました」
近藤さんが神田さんにカメラを手渡すと、二人は座り直した。なんだか一気に仕事モードになったかのように感じる。表情が引き締まったような、そんな感じ。
「さて、ここから本題なんですが、三門さんの立場って結構危ういんです」
「えっ、でも政府としては大丈夫なんですよね?」
「先ほども言いましたように、法律的に問題がないだけなんです。でも、悪くなくても非難してくる人は確実にいますよ。なぜ危険な存在を外に連れ出したんだって」
言われてみれば確かにそうかもしれない。
「残念ながら動画が拡散されたことによって、強大な力を持った存在を腐界から出してしまったという事実は、多くの人に知られてしまいました。今はその力を理解できなくても、いずれは広がっていくでしょう」
それはマズいぞ。ロリコンだとかレッテルを張られるだけじゃすまないかもしれないってことだろ。
「そこでっ」
神田さんが床に両手をついて身を乗り出してきた。脂ぎった顔面がアップになって、ちょっときつい。
「三門さん、もっと動画を配信しましょう」
「ええぇぇ!」
「緊急会議では、悪意があるのなら何らかの器を用意して、全力で対処する必要があるという意見もあったんです。現実が見えてない愚かな提案ですので、全力で却下しましたが、とりあえずは前例がないので観察しようとなったわけです。それなのに三門さんの前以外では、なかなか人前に出てこない。それなら配信しかないでしょう?」
いや俺もほそぼそとやってるだけで大々的にやってるわけじゃないし、小金が入ってくればいいかなぁなんて思ってただけだ。編集が面倒だし。それに今から配信しても、おもちゃにされるだけな気がする。
俺のネガティブな気持ちを察したのか、神田さんがさらにグイグイ迫ってくる。
「悪いことばかりじゃありませんよ。特に変わったことをする必要はないんです。普通の日常でもいいんです。スフィさんが映ってる動画ならば。それで切り抜き動画を許可してください。昨日見た時点で何百万って再生数でしたから。収益の半分でも結構な額になりますよ」
神田さんは俺の財政状況を理解してるんだろうなぁ。「お金、困ってるんでしょ」って、心の声が聞こえてくるよ。ちょっと演技っぽい。
「もちろん、三門さんが全面的に悪いなどと言うつもりはありません。仕方のない選択だったのでしょう。だからこそ、配信で安全性をアピールするんですよ。たとえ一時的にロリコンとレッテルを張られようとも」
必死の説得だけど正直かなり迷ってる。俺の人生はこの後何十年も続くんだぞ。
「いいですか、三門さん。既に動画は全世界に拡散されてるんです。恐らくこのままですと、海外からも非難の矛先が向くと思います」
「そうなんですか?」
「まず間違いないかと。メディアからも管理局に質問が来ていますので、後ほど書面に記入してください。それを我々が公開します。これでマスメディアからの取材は減ると思いますよ」
「それは助かりますけど」
「それと同時に動画を出しておいて、他の守護霊と本質は変わらないということを強調しておくべきなんです。そういった世論を民間レベルから形成しておくんです。こんなに可愛らしい少女になんて酷いことを言うんだって」
「それも理解できますけど」
「このまま放置したら、間違いなく日本は国際的な批判を受けるでしょう。情報開示も求められて、不本意なことになる恐れもあります。どうか、決断していただけませんか? 今なら先手を打つことも可能です」
そんなこと言われたら、断りようがないじゃないか。やっぱり神田さんは腹黒い人だったんだ。でも、言う通りにした方が良さそうだな。




