信用しない
俺は、他人からの施しは出来るだけ受けないようにしていた。
いや……この『施し』という比喩表現はおかしい。
他人が作ったものは食べられない、そういう性分だ。
生前の世界では隣りの部屋に住む奥さんが、何かにつけて『作りすぎた!』とか訳のわからない理由で煮物を持ってきてくれたりしていた。
それが近所付き合いの一環なのかはわからなかったが、俺にとっては迷惑この上ないものだったのは間違いない。
誰がどう考えても、他人が作った物を容易く口に入れるなんて出来るはずがないだろう!
だから、『ECO』という観点には大いに背いたが、超細かく刻んでからトイレに流して処分せねばならなかった。
でも何か恩や物を貰えば必ず報いるのは人の常、それは最低限のルールだ。
やらなければ、いずれ弾き出されて無用な勘繰りを受けてしまう。
社会とは適合し順応した人間だけにしか優しくはなく、そういうふうにしか出来ていないからだ。
だから不本意ながらも、その3倍相当の物では返すようにしていた。
例え生活費を圧迫しようとも、更に何かを持ってくる事態に陥るといった負のスパイラルになるとわかっていても、必ず返すようにはしていた。
絶対に借りなどを作って、上から目線で見られる立場になってはならないのだ。
他人にイニシアティブを取られてしまうと、絶対に碌なことが起こらない。
その理由として、人間とは集団を形成する生物達の中でも、もっとも複雑で厄介な社会を構築しており、誰にも干渉されずに生きていくなんてのは不可能となっていた。
例え山の奥深くに住もうとも、必ず形を変えて『しがらみ』というものが出来ていくようになっている。
例にすると、人間だけが行う自慰行為なんかが、それだ。
そういった欲求に迫られて、アダルトDVDを鑑賞して最高の絶頂を迎えました!
こんな独り善がりな行為にも、そこには女優、男優、監督、助監督、カメラマンなどが制作に携わり、おまけに宣伝活動や販売促進にも多数の人間が関わっている。
素人が簡単に考えても、これだけの人間の力が必要となっているのだ。
使用したティッシュを含めると、もっと膨大な人数が関わっているのだろう。
だから、完全に一人で生きるというのは、どう足掻こうとも絶対に不可能となっていると考えて良かった。
そもそも俺は、完全に人間一人で生きるなんて甘い妄想を持ち合わせてはいない。
そう考えていられるのは、世間知らずの引き篭もりだけだ。 世の中、そんなに甘くない。
だから、俺にとっての『孤独』とは必要最小限を目指すものだ。
出来るだけ人とは関わらずに、どう1人の時間を確保していくか⁉ それが最大の課題だった。
だからこそ絶対に他人の下の立場になってはならず、それを許せばプライベートさえ好き勝手にされてしまうのだ。
これには、昔流行ったパワハラなんかが当てはまってくる。
部下の私生活には全く関係が無いのに、自分の引っ越しにも駆り出してやった! という話をよく聞いていた。
こんなことを平気でする奴は、基本的に馬鹿だから、都合に配慮するといった感覚など皆無である。
人間には『尊厳』があるのだと知らず、また考えようともいない。
そんなのは、俺には耐えられない。
俺の尊厳を守るためには、他人には舐められる立場にはなってはならないのだ。
俺は、俺の時間と俺の都合を守って見せる!
そんな俺だったが現在、他人が作ったクッキーらしきものを食べていた。
母娘が作って持ってきた、粗末で清潔感の欠片も無いクッキーをだ。
「どう聖人様、美味しい?」
「この子ったら、朝から『聖人様に食べて頂くんだ!』って言って、はりきって作ったんですよ。
甘いものが、お好きなら良かったのですけど」
母娘の笑顔に俺は爽やかに応えて、答えなければならなかった。
内心では『今すぐ吐き出したい!』と思っていても、俺は『聖人』を演じなければならない。
一つのミスも許されない、恐ろしい世界に俺はいる。 安易に考え行動すると、すぐ死に直結しているような世界にいるのだ。 何事も慎重に行動しなければならない。
だが性分というのは、抑えられなかった。
作り笑顔を嘲笑うかのように、即吐き気が催してきた。
ダ、ダメだ……もう吐きそうだ。
吐けば一気に火刑真っしぐら、ここはなんとしても耐えなければ!
「どうしたの、聖人様……。
もしかして美味しくなかった?」
ヤバイ、娘の方が悲し気な顔を浮かべ始めている。 おまけに母親の方まで不安顔だ。 気づかれた⁉︎ 殺される⁉︎
仕方ない……こうなれば奥の手を使うしかない!
この場合の手段、嚥下機能という生理現象を胡麻化す方法、もう認識をずらすしかない。
これはコンビニで買ったクッキー!
これはコンビニで買ったクッキー!
これはコンビニで買ったクッキー!
……。
頭の中で一生懸命に念じた。
他人が作った物は食べられなくても、何故かコンビニなどの弁当は食べられる。
気怠そうな顔をして『並、一丁』とか言っている牛丼屋のアルバイトが作ったような物でも、平気で食べられるのだから自分でも不思議だ。
理由は全くわからないが、人間が生み出した勝手な論理としか思うしかない。
ゴクッ! なんと飲み込めた!
後は必死だった表情を、どう誤魔化すだけだ。
「クゥーー、こんな美味しいクッキーは初めてですよ!
貴女の優しさが詰まったクッキー、私の一生の宝になりました!」
「わーい、わーい、聖人様が喜んでくれた!」
娘が飛び跳ねて喜び、母親も微笑んでくれた。
どうやら、危機は去ってくれたみたいだ。
だが、そんな安心は次の娘の一言で脆くも打ち砕かれた。
「じゃあ、また作ってくるね! 聖人様!」
「そう……楽しみに待っていますよ」
凹みそうにはなったが、一時の安寧の時間は作れたと思うことにした。
それ以外に、救わる道はなさそうだったからだ。
暫くして、母娘が笑顔を残して帰っていった。
これで俺も、ようやくと出かけられる。
行き先は教会の塔。
ゴブリン達の状況確認、そして村と村周辺の地理を覚えるためだ。
死骸を晒して時間は作った。 しかし有能で指揮するゴブリンがいて未だ警戒しているから少数の襲撃はあっても、まだ大攻勢を仕掛けられていないだけだ。
実際に、一日一日と少しずつ包囲網を縮め始められている。
待っていれば、こちらが疲弊していくとわかっているからだろう。
「これは、そう長くは保たないな……」
よく観ていた歴史を取り扱った動画チャンネルでは、日本や西洋の過去の戦さの過程を詳しく説明してくれていた。
そして、どれもこれも一つの共通点がある。
それは有能な指揮官がいる側が、必ず勝利していたからだ。
確かに1人の豪傑や強力な兵器の存在で勝利した、そんな例は幾つかあったが、大抵は戦略と戦術で戦況は決まっていた動画が多かった。
所詮は1人の豪傑も強力な兵器も戦力の一部でしかなく、しっかりと作戦を練っている側が勝つと動画は教えてくれていたのだ。
なら、その内に何か仕掛けてくる。
おそらく、こちらの戦意を削り絶望感満載の何かをする気だろう。
俺なら絶対に、そうする。
しかし……この身体。
いや、この目は恐ろしく、よく見える。
あの鬱陶しかったホメオスタシスという奴の効果なのだろうか⁉︎
動画で観たアフリカ原住民ブッシュマンみたいに、はっきりと見える。
もしかして、これも健康の一環なのか⁉︎
まぁ、こういうのは感謝しておこう!
でも身体中に、もう一人ががいるみたいで気持ちが悪いから、二度と出てきて欲しくはないのだが……。
おっと、こんなことしてる場合じゃない。
真剣に状況を見て、考えていかなければ!
「まったく、どんな手段でくるんだろうな?
とりあえず、警戒態勢だけは強くしてもらっておくか。
後は、正確に地理を覚えて隠れられる場所と逃亡手段を見つけておかないとなぁ。
どこが一番包囲が甘いのかも……んんっ、おぉー、ゴブリンってのは豚みたいな顔したのまでいるのか! もしかしたら、あれがリーダー格か……いや間抜けそうだから違うか」
背中に当たる風を感じながら、数分だけ風景を見回して塔から降りた。
だが、この判断は大きな間違いだった。
いや俺が平和ボケしていただけで、ゴブリンの方が現実を観ていたのだ。
やはり観賞しただけでは、経験とはならなかったらしい。
その夜、警戒網を掻い潜ったゴブリン5匹の襲撃を受け、村がパニックになった。
5匹程度の襲撃なら、ちょくちょくあったが今回は狙いが違っていた。
いや、今までの少数の襲撃すら今回の伏線だったのだ。
「聖人様、大変です!
食料庫が放火されました!」
「なんだってぇ⁉︎ 」
急いで食料庫としていた倉庫に連れて行かれたが、ほぼ全焼状態だった。
おまけに、まだゴブリン1匹が抵抗中である。
『うわー、まだ生きているのかよ! せめて、全部殺してから呼んでくれよ!』と思ったが顔には出さずに眺める他はない。
しかし想定外が起こった。
抵抗し暴れるゴブリンが俺を見た途端に、目を見開き飛び掛かって来たのだ。
『なんで⁉︎』
これは偶然だった。
咄嗟に振り放っただけの拳が偶々カウンターとなり、ゴブリンの顔面に突き刺さった。
力無く前のめりで崩れたゴブリン、もう既に限界だったのだろう。 ……助かった。
心臓がドキドキする……やめてくれよ、まったく。
でも、どうして俺を見た途端に襲ってきたんだ⁉︎
だが焦る暇も考える暇すら、村人達は与えてくれなかった。
まったく……異世界というのはせっかちに出来ているらしい。
「さすがは聖人様だ! 一撃で倒されてしまったぞ!」
「聖人様の一撃は、女神様の一撃に匹敵しているんだ!」
「見たか、ゴブリン! 聖人様の聖なる一撃を!」
などなどと称賛してくれている。
でも、この状況は……。
またか……あれをやらなければならないのか……。
それに、なんか期待するような目に晒されているような気もする。
やっぱり、あの屈辱を味わうしかないのか……。
目を閉じて、静かに深呼吸をしてから覚悟を決めた。
まずは、出来るだけ穏やかな表情を作って一人一人を見回す。
それから静かに語った。
「いえ、これは貴方達の純粋な信仰心が起こした奇跡の一撃なのです。 私は何もしてはおりません。
ただ代行しただけなのです」
出来るだけ謙虚に、そして吐きそうなる言葉を並べてやった。
「やっぱり、聖人様は偉大だ……」
「なんて謙虚な御方なのだ」
「私達の信仰心を体現して頂けるとは……聖人様、ありがとうございます」
皆が平伏し俺に祈りの言葉を捧げている。
……目眩がしそうだ。
しかし、そんな悠長な状況が過ぎ去る時、やがて現実に戻っていくものである。
蓄えてあった食料は全て燃やされてしまった。
それは終わりの時間が、更に進んだという現実を突きつけられてしまったということだ。
「どうしたら良いんだ……」
「ダメだ、もう終わりだ……」
「食料が無いんじゃ、今日明日で終わりだ……」
悲壮感が支配し、確かに絶望的な状況だった。
ぶっちゃげた話し、これは終わったな!とは思っている。
これは、さっさと逃げないと!とさえ思っていた。
それは、これから起こる人間の恐ろしさ。
散々と動画で観てきた俺にとって、これほど怖いものはなかった。
それはパニックだ。
我を忘れれば、どんな行動を採るかがわからない。
下手すると、聖人と現在呼ばれる俺を生贄として差し出して助かろうとする可能性だってある。
現に、村人達の幾人かで口喧嘩も発生し始めていた。
これはまずい……俺とって良くない方向に向かっている。
コイツらを囮にしてでも、俺だけは逃亡してみせる!と考えていただけに、今ここでの混乱は俺にとっては悪手だ。
とにかく、落ち着いてもらわないと話しにならない。
仕方ない……また、やるか……。
「皆さん、落ち着きなさい。
まだ女神様は、貴方達を見放してはいません。
今は前を見て、生きることだけを考えていきましょう!」
「しかし食料が……」
「水分補給と睡眠さえ充実させてさえいれば、20日ほどは心配ありません。
そんなことよりも焦り、自ら生きる手段を失っていく方が恐ろしいのです。
なによりも女神様は、貴方達を見守っておられるのですから!」
村人達の間に、少しだけ安堵の表情が生まれた。
やっぱり女神という信仰と、生存期間という明確な数値を提示したのは正解だった。
でも20日なんて数値は実際は嘘、それは健康状態である成人だった場合の話しだ。
この村には、老人も居れば子供もいる。
残念ながら彼らでは、10日くらいが限界だろう。
だいたい大人にしても食料無しでは、まともに動けるのが12〜14日と考えた方が良い。
だいたい、コイツら重要なことを忘れている。
この身体の本来の持ち主ショーンは、水を汲みに行き殺されていた。
すなわち、あまり水は残っていないのだ。
これらから考えると、せいぜい大人でも4日あたりが限界になってくるだろう。
なら、俺とっても最悪3日以内には逃亡手段を確立させなければならないということだ。
まぁ、この場は落ち着かせた。 とりあえずの危機回避は出来た。
この後は適当に話し合いの場を設けて、それとない話でもしながら、俺は俺で逃亡手段を考えよう!
そもそも、この村とは関係性なんてない。
本当に関係があるのは、俺の輪廻転生を奪っていったショーン、だったら気に掛ける必要すらないはずだ。
ここまではやってやった、感謝される覚えはあっても恨まられる筋合いはないだろう。
「さぁ、焦って何を出来る訳ではありません。
冷静に考えて、皆で意見を出し合うことこそ最大の得策ですよ」
余裕を演じた俺の言葉に、皆が安心して頷いてくれた。
そう、それで良い。
後は、それとなくフェードアウトしていくだけだ!
……と、そう思っていたはずだった。
この忌まわしいという『聖人』呼び名が、俺を自分から他人のために危険な行動へと走らせるとは、この時は思ってもいなかった。
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