ヒヤシンスの花
本日は次女の紗良様のお部屋の掃除をするようにと言われていたので、紗良様がお部屋にいない時間を見計らってお部屋に向かう。
お部屋に向かう途中で、二年先輩の使用人に話しかけられた。
「紗良様は今日お昼で学校が終わりだそうなので、掃除している途中で帰ってきてしまうかもしれませんよ。」
と言われた。
もし、掃除の途中で帰ってきてしまったとしたら、その時は、退屈させないようになにかお話を用意しておかねばならないなと思いながら、お部屋についた。
一応、お部屋のドアをノックして、誰もいないお部屋に礼をして入室する。
レースのカーテンが閉まった状態だったため、カーテンをすべて開け、アンティークの木窓を慎重に開けていく。紗良様の朝の支度を担当した使用人の人が直したであろうベッドメイキングされたシーツをはがし、洗濯場へ運んだ。紗良様はおねしょをすることはもうないようで、少しシワがついているだけで、まだきれいな状態っであった。すでに用意されていた新しいシーツを持って、お部屋に戻る。
すると、開けておいたはずの紗良様のお部屋のドアが閉まっていて、誰かが閉めてしまったのだろうと思い、ノックをせずにお部屋の中に入ると、中には紗良様がご帰宅されていた。
「あっ。」
紗良様がこちらを振り向いて、小さく驚いた様子で声を出した。
「あ、紗良様、ご帰宅なされたのですね。おかえりなさいませ。先ほどお部屋の掃除を始めたばかりでしたので、ノックもせずに入室してしまい申し訳ございませんでした。」
「大丈夫。」
紗良様は、少し恥ずかしそうにそっぽを向きながら一言ぽつりと言った。
彼女は恥ずかしがり屋な性格なのかなと思いながら、持ってきたシーツを棚の上に一旦置き、立ちながら操作できるコロコロを絨毯にかけ始める。
「紗良様は学校は楽しかったですか?」
無言が続いてしまっては、紗良様に申し訳が立たないと思い、必死に話題を考えた結果、無難そうな話題を選んでしまった。
「普通。」
普通かあ、と少し無関心な返事に気まずさを覚えながら、会話を続けようとする。
「お勉強は楽しいですか?」
これも同じ返事をされそうで失敗したなと思いながらも、すでに質問してしまったことを変えることはできないとわかっていたが、
「普通よ。」
やはり、同じ返事が返ってきて、次の話題は何にしようかと焦りながら、コロコロをかけていた。
持ってきていたはたきで洋服をしまっているタンスの上や窓枠の木製板のところや本棚をはたく。紗良様がちらりとこちらを見て、すぐにそっぽを向いてしまった。
カバンから教科書や筆箱、体操着を取り出していた。
「体操着は私が洗濯しておきますので、お預かりしてもよろしいでしょうか。」
「うん。」
両手で丁寧に渡してくれた。
今日は新学期の始業式があったようで、残暑のため制服を脱いで、体操着で授業を受けていたようだ。彼女の体操着を洗濯場までもっていき、洗濯場には誰もいないようで、かごの中にこんもりと積まれた洗濯物と一緒に体操着を入れて、洗濯機の中に入れる。洗剤と柔軟剤を入れて洗濯機のスイッチを入れる。ゴッゴッと一旦洗濯機の中で洗濯物が位置を整えられるような音がして、それから軽快なリズムで洗濯物が中で回されているような音がして、しっかり洗濯機が動いていることを確認してからお部屋に戻ろうとして、振り返ると、ドアの隙間からドアノブの位置くらいの身長の小さい子がこちらを覗いているようだった。
そっとドアノブに手をかけようとしたとき、タッタッという音とともにその子はどこかへ逃げてしまった。私はその子はきっと紗良様だろうと思いながら、勢いよくドアを開け、紗良様のお名前を呼んだ。
「紗良様!!」
けれど、もう廊下には誰もいなくなっていて、小走りで紗良様の部屋に向かうと紗良様らしき人はお部屋に入っていくのが見えた。
お部屋に入る前に一旦ドアの前で呼吸を整えて、ドアをノックする。
「失礼します。紗良様。」
紗良様がこちらを目を丸くして見ていた。
あの時、庭で会ったときの瞳の色をしていて、とてもきれいだと思った。
「先ほど、洗濯場のところまで来られていましたよね?なにか御用があったようなら今、おうかがいしますが。」
「別に。特に用があったわけじゃない。」
用がないのに私の後をつけてきていたのか。
「洗濯物はきちんと洗っておりますので、心配はいりませんよ。」
「うん。」
自分の洗濯物がちゃんと洗われているのか心配になったのかと思い、そう言うが、真意はそこではないようだ。
「今日は新学期の始業式があったそうですが、ご学友のみなさまと久しぶりに会えてよかったですね。」
「うん。」
「特に仲のいいご学友の方はいらっしゃるのですか?」
「うん。」
私とお話しするのはあまり楽しくないのか、空返事ばかりで会話に困ってしまう。
しばらく無言になってしまい、その間にはたきをかけ終えてしまい、次に濡れ雑巾で窓枠と窓、棚の上を拭いていく。それすら無言のうちに終わってしまい、次は雑巾で拭いたところを乾拭きしていく。
「紗良様は、お花が好きなのですが?以前、お庭の方で会ったことがありますよね。その時にお花の話をしましたよね。」
「ああ、あの時ね。ヒヤシンスだっけ。」
初めてこちらを向いて話してくれた。
「あの花、小さい花がたくさんついていてかわいいですよね。」
「そうね。私あの花が一番好き。」
庭で初めて会ったあの時と同じ笑顔を彼女はこちらに向けていた。
なんて可愛らしいんだと思いながら自分の口元がゆるんでいることに気づいた。
「なにニヤついてんの。」
一瞬にして笑顔から仏頂面になってしまったことに残念だと思う。
私のにやけ顔で彼女を不快にしてしまったことに謝罪を告げながら、こう提案した。
「このお部屋にもお花を生けられてはいかがでしょうか。」
彼女の仏頂面が晴れやかになり、
「それはいい案ね。どんな花を生けようかしら。」
「やはり、お嬢様のお好きなヒヤシンスなんてどうでしょうか。」
「そうね。」
「では、今から花屋に行ってまいりますね!」
「えっ!買いに行くの?」
「はい、では行ってまいりますね、お嬢様!」
紗良様が喜ぶ顔が見たくて居てもたってもいられず、すぐにでも花を買ってきて生けなければという使命感にかられた私は、紗良様に早々に別れを告げて、屋敷を飛び出た。
ここまで自分が行動的だったのかと驚くほど、体が軽くて不思議な気持ちだった。
花屋には屋敷から徒歩十分ほど歩いたところにあった。
花屋についてからヒヤシンスを一輪購入して、屋敷の経費で落としてもらうために領収書を発行してもらい、花瓶は屋敷にまだ使っていないものがあったのを覚えていたので、花だけ買ってすぐに屋敷に戻った。
「お嬢様、喜んでくれるかしら。」
ウキウキで屋敷に戻り、花瓶を取りに物置部屋に向かう。
薄い黄色の花瓶が一番女の子らしくて可愛いと思ったので、それを持って紗良様のお部屋に向かった。
ノックをしてお部屋に入ると、紗良様はご自身の宿題をしていたようで、プリント類を机に広げて鉛筆を持って座っていた。
「おかえり。」
「はっ、ただいま帰りました。お待たせしてしまい申し訳ございません。白色のヒヤシンスを買ってきました。花瓶は物置部屋にあったこの色のものを持ってきましたが、よろしかったでしょうか。」
鉛筆を持つ手を止めて、こちらにやってくる紗良様。
「うん。可愛いじゃない。早く生けてよ。」
「わかりました!」
花瓶の中に水を入れて、ヒヤシンスは茎の部分が長ネギのような形をしていたので、花瓶に買ってきたヒヤシンスをそのまま差し込んだ。
「可愛いですね、ヒヤシンス。こんな感じよろしいですか?」
「うん。ありがとね。」
「喜んでいただけて良かったです。」
ベッドのシーツをかけ忘れていたことを思い出し、軽く手をタオルで拭いてから急いでベッドメイキングを始める。紗良様は少しかかとを浮かせながらヒヤシンスを眺めていた。
本当に喜んでいるようでホッとし、お部屋の掃除とベッドメイキングをすべて終え、もうやることは残っていなかったので、今日はこれで上がることにした。
「それでは私はもう仕事は終わりましたので、上がらせていただきますね。何か御用があれば近くの使用人にお尋ねください。では、ごゆっくりお過ごしくださいませ。」
「え、うん。またね。」
少し寂しそうな顔で別れの挨拶をしてくれた紗良様のもとを離れたくないと思いながらも、私は紗良様のお部屋を後にした。