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狂乱モラトリアム  作者: 雨狂 水音
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-2-

 エデンに越してきてから、二週間弱が経った。


 エデンの住民とはそれなりに会話を交わし、全員の顔とフルネーム、年齢などが一致してきた。






 二谷冬暁。冬暁は、俺と同じく販売系の仕事らしい。ああ見えて接客業が好きらしく、本命とはいかないまでも、是非行きたいと思っていたところに入社できたのだそうだ。




 三葉直実。三葉は、学校の近くのコンビニでバイトをしながら、文系の大学で社会福祉学などを学んでいるそうだ。ボランティアなんかにも参加しているようだが、あのテンションで行くのだろうかと思う。




 四ノ宮夜洋。四ノ宮さんは、五城さんが言うにはなかなかやり手のプログラマーのようだ。小動物が好きらしく、電子ペットのようなのも作れるのだろうかと聞いてみたが、五城さんはプログラミングの事はわからないらしい。




 五城美鷹。五城さんは、どうもガールズバーを経営しているらしい。怖くて本人には確認していないが、疾しいものではなさそうでもある。冬暁も、相変わらず五城さんが怖いらしい。年齢は、四ノ宮さんのひとつ下らしい。




 六辺境平。六辺さんの事は未だによくわからない。九瀬の部屋に行くので六辺さんの部屋の前を通った時、赤い絵の具か何かで塗られた白のチューリップがドアの外に捨てて? 置かれて? わからないが、あった。七森は、仕事はしているようだと言っている。




 七森遊歌。七森は本当に礼儀正しい。何かをしている時に声を掛けると、必ず作業を中断して俺の方に向き直って挨拶をしてくる。バイト先らしい書店にも行ってみたが、精一杯やっているので、声を掛けるのはやめておいた。高校に行きたいらしい。




 八重咲雅喜。八重咲さんの黒い肌と緑の瞳は、外国人である母の遺伝なのだそうだ。幾度か話していて気が付いたが、舌にひとつピアスホールを開けている。そんな洒落っ気を出すなら無精髭を何とかすればいいのにと思ったが、言わなかった。




 九瀬桔梗。九瀬の部屋に行った用件は、九瀬が手首を捻ったと聞いたからだ。スーパーでバイトしているそうなので、そこでだろうか。特に見舞いの品も持っていかなかったが、九瀬は喜んでいた。手首には包帯が巻かれていた、早く良くなってほしいものだ。




 十時蜜柚樹。十時さんは良い人のようだが、本当に天然というかアレなのだと日々確信する。五城さんってヤクザだよね、と笑っているところにたまたま五城さんが現れた時、「すみません! ヤクザっぽい、の間違いです!」とか言っている時は、笑いを堪えるのに苦労した。


 (尤も、五城さんが立ち去った後、五城さんの部屋の方から扉を思い切り閉めたらしい音が聞こえた時は全身の毛が逆立つ思いだった)








 そして今日は、初出勤の日だ。


 7時、目覚まし時計の代わりにしている携帯電話のアラーム音で目を覚まし、起き上がって顔を洗う。朝食は、マーマレードジャムを塗ったパンにした。歯を磨きながら鏡を見ていると、いよいよ社会人になるのだとの実感が込み上げてきて、胸が高鳴る。


 初日という事もあり、無難な色合いのスーツを身に付ける。時計を見るとまだ随分時間があったが、遅刻するよりはいいだろうと、予定より20分ほど早く家を出た。




 俺の職場は通りに面した店舗で、エデンから歩いて30分掛かるかどうかだ。道が結構単純なのと、店が駅から近い為、行き方は完璧にわかる。


 朝の空気はまだ冷たくて、俺の頬を通り過ぎていく度に体温を奪った。コートの襟を立てて温まろうとしたが、前から吹き付ける風にはどうにも抗えない。


 足早に勤務地に向かうと、やはり予定より30分早く着き、流石に早すぎるだろうと向かいの珈琲ショップでカフェモカを購入した。少し甘かったが、飲んでいて嫌になるほどでもない。ほろ苦さとチョコレートの風味が食道を通って、胃を温かく満たしてくれた。




「すみません。キャラメルマキアートのホットで」




 窓際の席で腕時計を見ながら、適当な時間になるのを待っていた。と、半分ほど飲んだところで、レジの方から聞き慣れた声がする。


 もしかしてと振り返ってみると、冬暁が正に会計を済ませたところだった。






「冬暁」


「あれ、夏月! スーツなんて着て、今日から仕事?」


「ああ。お前もか」


「うん。このすぐ近くの、スーツのお店なんだけど……」


「え?」


「え?」




 偶然とはあるものだ。


 聞いてみると、冬暁は俺と同じ職場らしい。面接の時に逢ったか、と聞いてみると覚えていないと言われたが、正直俺も覚えていない。


 筆記試験が案外難しかった、などと他愛無い話をしていると店舗に向かうべき時間になり、近付くにつれて何となくお互い親しくないような素振りをして出勤した。






 職場に着くとまず簡単に自己紹介と挨拶があり、俺と冬暁、他に数人の新入社員がまとめて研修を受けた。接客用語やマナー、商品の陳列など、メモを取るので精一杯だったが、やはりここで働いていくという思いに胸が高鳴った。緊張なのか期待なのか不安なのかは、自分でもわからない。冬暁は、結構楽しそうにしていた。


 大学生の頃、20歳になった頃は自分が随分おとなになった気がしたものだが、店長や上司を見ているとやはりまだまだ未熟なのだと実感させられる。


 俺自身の接客経験は2年くらいアルバイト程度だが、やはり勝手が違う。店舗の雰囲気が落ち着いていて、そこそこに高価なものを扱っているという事もあるかもしれない。


 今日から暫く研修だが、どうなる事かと息が詰まる。






 途中に休憩を挟んで、18時に上がる事ができた。店は20時までだが当然丁度に帰れるわけでもなく、遅番だと出勤と退勤が3時間遅くなる。


 来る時に他人を装ったので冬暁をどうしようかと悩んだが、コートを着込んでいると何でもなさそうに声を掛けてきた。考えてみれば現住所は知られているのだし、変に隠す必要も無い。


 外に出てみるとやはり空は暗くなっていたが、ネオン看板が辺りを照らして、通りは寧ろ明るかった。寒いね、と冬暁が口にしたのに頷いてみたが、もうそろそろスプリングコートで充分な気候になるだろう。




「へへ」


「ん、何だ?」


「夏月と同じところで良かった。何か、安心したよ」


「ああ。お互いに、変なミスしないように気を付けよう」




 冬暁と同じ職場で嬉しいような気もするが、何となく気恥ずかしい感じもした。仕事中の姿を友人に見られるのは落ち着かないものだ。






 良かったら一緒に夕飯を食べて帰らないか、と冬暁が提案するので、それに応じた。


 今後毎日毎日外食をしているわけにもいかないが、勤務初日記念というか、俺も何となく、冬暁ともう少し話して帰りたい気分だった。


 それを伝えると冬暁は、それはもう嬉しそうな顔をして、それなら少しいいところで食べていこうよ、と声を弾ませた。


 少しだけ飲みたい気分だ、と言って冬暁が選んだのは、半個室のある居酒屋だった。何も男同士で半個室でなくてもと思ったが、どうやら冬暁は気にしていないらしい。




「乾杯」


「ああ、乾杯。改めて、これから宜しくな」


「うん、こちらこそ。……半個室って、何だか照れるね」


「そうか?」




 こいつはゲイなのだろうか。本当にそう思う。緩く握った拳を胸前に添えて笑う仕草や何かが女性的で、なおそう思うのかもしれない。頼んでいる酒も、一杯目こそ俺に合わせてかビールだったが、二杯目はカシスオレンジを頼んでいた。身長がそこそこに高いお陰で、女と飲んでいる気にはならないが。




「夏月はお酒は強いの?」


「俺か? 別に普通だと思う。お前は弱そうだな」


「うん、実はね。ちょっと飲みすぎると、すぐ気持ち悪くなっちゃったりしてさ」




 なんで居酒屋にしたんだと言いたくなったが、こういう奴は大学の時からいた。大して酒に強くもないし騒々しく騒ぐタイプでもないくせに、不思議と居酒屋の好きな奴。ほろ酔い気分になって和めるのが好きなんだとか何とか言っていた気がするが、冬暁もそのタイプなのだろうか。




 仕事の感想なんかを簡単に語り合うと、話題はアパートの人達の事に移っていった。そしてまた、各人の個性について語り合っていた。


 冬暁は青の瞳をしばしば泳がせて、控えめな感想を紡いでいる。華やかすぎず本当に綺麗な色で、思わず賛辞が口を衝いた。




「綺麗だな、冬暁の瞳の色」


「え? そうかな、ありがとう。……祖母がドイツの人だから、遺伝だと思う」


「へえ。八重咲さんもハーフだったよな、瞳の色が綺麗だと思ってた」


「うん。緑の瞳っていいよね、好きだなあ」






 そこまで話をしたところで、冬暁の携帯電話が振動した。確認してみるよう促すと、冬暁は一度携帯電話を見て、通販サイトのメールマガジンだとそれをテーブルに置いた。


 待ち受け画面には、ひとりの少女が写っていた。中性的な顔立ちをしているが、白のフリルブラウスに黒のリボンを付けているので、女の子だと思う。


 さらさらな金髪は冬暁と同じくらいの長さで、真っ白な肌のアクセントになった唇は仄かに色づいている。瞳がやけに大きくて、鮮やかな緑色をしていた。――よく見ると、人間ではないようだ。


 思わず釘付けになってその画面を見ていると、やがて俺の視線に気が付いた冬暁は、画面を隠すようにそれをしまって、すまなそうに俺を見た。




「…………ごめん、こういうの、気持ち悪いって思う?」


「いや、……何なのか良くわかってないんだけど」


「……人形なんだ。オレの、人形」




 オレの、と呟いた言葉は、僅かに震えていた。どこか怯えたように俺を見て、反応を窺っているようだった。


 ――全く引かなかったと言えば、嘘になる。が、これだけを切欠に嫌悪の目で見るほど狭量でもない。その点は安心してほしかったが、何と声を掛けたらいいかわからず、そうか、とだけ呟いた。




 暫し、沈黙が落ちる。


 それから1分も経たなかっただろうか、冬暁は、徐に酒を多めに呷ってから、露骨に作り物の笑顔を見せた。




「……ごめんね。でも、……好きなんだ」


「謝る事無いだろ、……ちょっと驚いただけだよ。名前とか、あるのか?」


「うん。ジャスティン」


「ジャスティンか。いい名前だな、ちょっと見ただけだから何だけど、似合ってる」


「そうかな」




 何とか安心させたくて興味を示した素振りをすると、表情を和らげて笑ってくれた。気が弱そうで、でも優しげな、冬暁の笑顔だ。


 冬暁と知り合ってからまだ大して日も経っていないが、一人暮らしに際して色々と相談をするので俺の家に呼んでいた為、結構色々な顔を見ていると思う。


 そう思ってみれば人形趣味のひとつくらい、何でもない。寧ろ、「エデンには変わった人間が多いという噂」は間違ってもいないのかと思うと、妙な納得さえした。




 冬暁は、ジャスティンの事を語ってくれた。やはり少し申し訳無さそうにするので、俺が話題を振っていた為、人形趣味の人間にとっては本当に初歩的な事ばかりだったと思うが。


 球体関節というやつで、肩や手首などが動き、ポーズを取らせることができるらしい。瞳はスリーピングアイという種類のもので、横になると目を閉じるのだそうだ。瞳が綺麗だった、と言ってみると、グラスアイというもので色には拘ったと嬉しそうに語っていた。


 俺は人形趣味は持てそうにないが、娘を溺愛する父親を見ている気分で、微笑ましい。






 こういう、人に迷惑を掛けない嗜好なら、幾らあっても構わない。寧ろ、俺の性癖の方が、余程変質的ではないだろうか。


 今は冬暁の話を聞く事にして言い様の無い罪悪感を心の外に押しやり、一頻りジャスティンの話を聞いた後は、心地良い酔いを残したまま帰宅する事にした。

















- Episode2 Fin. -

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