もちもちぱんや
時代は移ろうもので、公衆衛生とやらが声高に叫ばれるようになってもうどのくらい経っただろうか。確実に意識改革は浸透し、ついに市街地に乗り入れる馬車にまで制限ができた。
まず、馬の尻にみっともないオムツを穿かせなければ、乗り入れられなくなった。それから数年後には、馬車は市街地では公共交通馬車を除き一定時間以上の停車を禁じられるようになった。
都市部の商工街もその条件に当てはまり荷のやりとりの苦労を思いながら、泣く泣く馬小屋を市街地の外に置くことになり、それはつい半年前に撤去されたところだった。
しかし、いざなくなってみるとその臭さがよく分かった。それでもそろそろどうやら染み付いた臭さもとれてきて厩の跡地にも店ができるようである。
新しい店は一体何の店かと酒場がひとしきり盛り上がった数日後に、なんだこれは要塞かと叫んでみる。五尋――大人の腕を広げた長さの五倍はありそうな分厚い壁ができている――四方を厚い壁に覆われた中の空間はほんのわずかだが、そのまま大石は積み上げられていく。
しかも食べ物の店だったらしい。バゲットの絵が飾られている。おそらくはカフェでもなくパン屋であろう。
パン屋にこの壁とはどうしてこうなったのだ。
開店したかも分からぬ厚い壁に足は遠のく。そして毎日夜明けに商工街を襲う謎の音に、一体何屋なのかと慄くのだ。鳥の声に混じりばしんばしんと鳴り響く。
しかし彼らはついににおいに負けた。
商工街の彼らにとってパンを自分たちでつくる時間と手間は、仕事に割り振りしたいものである。彼らは期待など寄せていなかったのだ。
だから彼らは家で何日分も一気に作られる日持ちする硬くてパサパサとまずいパン以上のものなど求めていなかった。
しかし、美味であった。
期待を裏切り、美味しかった。
それを口福と呼ぶのだと、思い知った。
商人は千切ろうとしても簡単には千切れない弾力に驚かされ、もちもちとした若干の噛みごたえすらある食感は甘味を連れてくる。飲み物がさしていらない。腹持ちもよい。
しかも夜でも翌日でも……そのまた翌日だろうともちもちしていた。なにこの硬くはないけどこのかみごたえ、癖になる。
鍛冶屋は知った。もちもちと噛みながら振るう槌にはいままで以上の力がこもることを。
かくしてもちもちパンは流行した。
まもなく朝のできたてが格別であることが判明すると、起きた亭主は買い出しに行かされた。
しかも鍛冶屋が言う通り、もちもちと噛みながら仕事をすると力が入る。商いの荷運びもいつもより簡単なら、鑿で掘るのも楽だ。
なんてえこった。
世の中にはこんなにすげえパン屋があるのかい。パン屋というのはすげえ店だ。
そうして彼らは誤解し始め、彼らの息子たちが修行にでるころ、娘たちが嫁に出るころ、普通のパン屋にはなんの効能も、格別なもちもち感もないパンを売る店だとようやく知るのであった。
生まれつきギフトという、人生を左右する才能を目にすることができる世界において、女店主の得たギフトは強力だった。
しかし彼女は冒険者や軍人になる気はさらさらなく、その強力を日々美味しいもちもちパンをこねるのに使った。
有り余る強力はパンにエンチャントされ、そうして商工街のひとたちを大いに助けたのだった。