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取捨選択の明日

作者: 小泉ゆり

世の中なんて単純だ。突き止めれば二通りでしなかい。「そうである」か「そうでない」か。それさえわかっていれば、人間関係だって勉強だって世の中の怖いものなんてない。個性なんてのも、それを繰り返した結果にすぎないし、他の人とは違う絶対的な『何か』を持っている人なんてそうそういない。大体、人は代替可能だ。


 俺はぐるりと教室を見回した。勉強が出来そうなやつ、うるさそうな女、オタクっぽいやつ。クラス中の目が、興味津々で俺に集まっていた。少し前に教室を見学したが、人がいるのといないのとでは様子は異なる。

「神奈川県から来ました。三田結城です」

 窓際の後ろから二番目の席で彼女を見つけた。富沢真理子。

 キモチワルイ。

 生理的な嫌悪感を感じた。暗そうなショートカットの女。俺からの視線に気づくと、慌てて目を背けた。

 「ちょっと話がある」と父さんに言われたのは、高校一年生の春だった。

 過去にタイムスリップして未成年の重犯罪者を更生させてほしい……。

 馬鹿な考えに乗ったのは、父さんに頼られるのは初めてだったから。勉強も運動も人並み以上にこなしてきたつもりだったけれど、立派な父さんの目に留まかったことが一度もないのが癪だった。俺は『普通の高校生』として、この任務に選ばれた。この計画は、未成年の犯罪を専門家ではない、一般の周りの意識的な心がけにより防止できるかという目的によるものだった。だが、この計画を素晴らしく成功させてみれば、父さんもきっと俺のことを認めざるをえないだろう。

 高校三年になった、ニ月某日。高校二年生で十六歳の富沢麻理子が家を全焼させ、家にいた母親と父親と長男を殺した事件について、俺は任務につくことになった。そして俺は事件が起こる半年前へタイムスリップし、高校二年生として二学期の始業式から、富沢真理子のいるこのクラスにいる。

 初め、中途半端な時期の転校生を『何かワケありでは』と、怪しむクラスメイトもいた。だが、俺には優れたところはあれど突出した欠点はない。半月も過ぎればクラスメイトも探るのに飽きたし、クラスにも馴染んだ。

 修学旅行の班を決めているときだった。

「富沢さんって、学校に来てないの? 俺、三回ぐらいしか見たこと無いような気がするんだけど」

 俺の一言でクラスメイトの上本が苦笑いをする。

「富沢さんは来ないんじゃない、修学旅行も。行っても楽しくなさそうだし」

 上本は、さもどうでもよさそうに言った。富沢には友だちがいない。むしろ周りからは煙たがられているらしい。そうして二学期から学校を休むようになったようだ。

「それよりさぁ、俺達はどの女子と同じ班にする? お前と同じ班ならな、嫌がる女子はいねーよ」

「あのさ、富沢さんと同じ班になってもいい?クラスでまだ、しゃべったことないし」

「えぇー? なんでわざわざ。しゃべることもねぇよ」

 上本があからさまに嫌な顔をした。さすがに、修学旅行の班は重要らしい。

「でも鈴原さんと横山さんが、富沢さんと同じ班にするらしいよ」

「まじか。オッケー!」

 修学旅行もここのクラスメイトも、どうでもいい。それより、なんとかして富沢の心を開かなければ。いっそ、この顔を生かして惚れさせようか。恋は人を変えるというし。一目散に、鈴原と横山に声をかけにいった上本を見て、そう思った。

『三田くん、富沢さんのプリント届けてくれるって言ってたけど、鈴原さんも行ってくれるんですって。二人とも修学旅行は富沢さんと同じ班でしょ? 頼もしいわぁ』

 五十過ぎの担任は、眩しそうな目で俺を見ていた。教育に対する情熱の火はとっくに消えた彼女は、厄介事を引き受けてもらうことに、ほっとしていた。

「三田くんは転校したばかりだから、この辺の地理わかんないでしょ。私が案内するねっ」

 富沢の家への道中、鈴原玲が元気よく言った。

 あぁ、いるよな、こうゆうその場しのぎで責任感強いやつ。俺が、一人で行って富沢からの好感度を上げようと思っていたのに。心の中でため息をした。

「ありがとう。助かるよ」

 オフィス街と繁華街に挟まれた、閑静な住宅街にあるどでかい一軒屋。そこが富沢の家だった。名前の知らない色とりどりの花が庭で咲き乱れている。犬小屋から顔を出したダルメシアンがこちらを警戒して睨みをきかせていた。

「すごいお家……!」

 鈴原が目を輝かせているのを見て、思わず鼻で笑う。今は任務中で、仕方なく仮設住宅に住んでいるが、俺もこれくらいの家に住んでいたからだ。

「なに笑ってるの? インターホン、押すよ」

 鈴原は緊張ぎみにボタンを押す。カメラに顔を近づけ過ぎているので後ろに引っ張った。

「……はい」

 インターホン越しの声が若い。きっと富沢だ。

「私、富沢さんのクラスメイトの鈴原と三田です。富沢さんのプリントを持って参りました!」

 固くなったまま、早口に鈴原が答えた。

「少々お待ち下さい」

 インターホンがブツッと切れた。ダルメシアンが唸る。

 しばらくして玄関から出てきたのは、富沢の母親だった。この家に住むのにふさわしくお洒落で優しそうな女の人だった。

「ごめんね、真理子は体調が悪いみたいで。せっかくきてもらったのに、本当にごめんなさいね」

 富沢の母親は何度もごめんね、と謝るものの俺たちを一歩も家の中へ入れようとはしなかった。

 鈴原と肩を並べて、さっき歩いて来た道をそのまま帰る。富沢には会えずじまいか……。横目で鈴原の家を睨む。裕福な家に優しい母親。富沢は、そうやって甘やかされて育ってきたのだろう。このでかい家で大切に守られて、あの無愛想が部屋の隅で暮らしていると思うと、なんだか滑稽だった。

「あんまり話したことなかったから、知らないんだけど。富沢さんって何の病気かなぁ」

 もっともらしい顔で心配する鈴原の横顔に苛立った。

「なにそれ、本気で言ってるの?」

「え? なんで富沢さん休んでるか、三田くん知ってる?」

 目を丸くして鈴原は俺を見た。バカだ。いや、いい奴ともいうかもしれないが。

「知ってるっていうか、分かるだろ。体調悪いなんて嘘。単に学校に居場所がなくて休んでるだけ。仮病だから、俺らに会いたくないんだよ。さっきのインターホンだって富沢さんが出たのに」

「えぇ、決めつけはよくないよ。本当に大変な病気かもしれないのに。……なんか意外。三田くんって性格悪いね」

 怒ったように鈴原が先に歩きだす。

 いや、どう考えてもおかしいのはそっちだろ。仮病なんてみんな言ってる話だし。それに、お前は知らないかもしれないけど、あいつは犯罪者だからな! 俺は鈴原の後を、なるべくゆっくりと歩いた。

 駅に着いたとき、とっくに先に帰ったと思っていた鈴原が待っていた。見て見ぬふりをする俺にずんずん近づいてくる。

「いや、無視とかあり得ないから! ねぇ、さっきの話が本当なら、明日から富沢さん家行こうよ! 私たちが友だちになればいいんじゃん」

「元々そのつもりだよ、おバカ」

 二人で、なんて考えてなかったけれど。

「そう、それはよかった! また、明日ね!」

 うるさいのが面倒くさくて、後ろを振り返らなかった俺は、鈴原がどんな顔をしていたか知らない。

 それから、毎週火曜日と木曜日は学校の帰りに富沢の家へ寄った。富沢の母親は、俺たちを家へ上げてくれるようになった。が、本人が姿を現すことはなかった。


「ごめんね、明日も行けそうにないみたい。修学旅行、楽しんできてね」

 玄関先で、申し訳なさそうに富沢の母親が謝る。それを見て、俺は心が苦しくなった。

 帰ろうとしたとき、鈴原が、あっと声を出す。

「富沢さん……!」

 階段に、富沢が立っていた。ふいに声を掛けられて戸惑っている。母親に手を引っ張られて、渋々俺らの前に来た。

「まりちゃんのために来てくれたのよ。挨拶したら、どう」

 優しく母親が急かす。富沢の眉が、不快そうにピクッと動いた。

「……めめ、迷惑かけてすみませんでした。これからは来なくて大丈夫です」

「ま、真理子!!」

 ヒステリックに母親が叫んだ、その瞬間。鈴原が富沢を抱きしめていた。

 俺は、鈴原が動いたとき、富沢を殴るのかと思った。母親と同じく富沢の発言に、かなり腹が立ったからだ。

「そんなこと言わないでぇ。また来るから」

 ぎゅーっと抱きしめたまま、ポンポンと背中を叩いた。富沢はびっくりしたように固まっている。こいつ、懐がでかすぎるだろう。

「お前、本当にいいやつだな」

「ペッ」

 帰り道、感心している俺に唾を吐いて、鈴原は小走りに走っていった。遠くでケタケタと笑いながらこちらを見ている。俺が手を振ると、ブンブンと手を振り返した。変なやつ。


 家に帰ると、俺はいつも一人だった。一人で自分の家事をする。必要以上に人と関わってはいけないため、タイムスリップしてからは用意されていた仮設住宅で一人で暮らしていた。必要な物は係りの人が届けてくれる。事情を説明するために一度だけ、父さんにも会った。そのときに期待した『何か』はなかったけれど。

『やべぇ。熱出た38度。修学旅行に行けそうもない』

 嘘の体温計の写真をつけて上本にメールを送る。富沢が行かないのなら、修学旅行は行かない。俺は、写真にはなるべく残らないほうがいいからだ。

 晩ごはんを食べ終えて、席を立ったときだった。視界がゆっくり回りだした。猛烈な吐き気に襲われる。そういえば、タイムスリップしてきたときも、こんな感じだった。

 まわる。

 ゆれる。

 おちる。

 腰からどすん、と床に落ちていた。どこをどう動かせばいいか分からないほどに、体が動かない。

 ーータイムスリップは世界でもまだ数人しかしたことがないからね。どうなるか分からないよ。

 研究員のおじさんから冗談半分に言われたことを思い出す。早く富沢を更生させて元の時間に戻らなければ。そう思いながら、意識はどんどん遠のいていった。


 目を覚ましたときに驚いた。俺は、三日も眠り続けていたらしい。もう数時間したら、学校に行かなければならない。三日振りに動くからか、身体が重くて痛かった。

「富沢さんへのお土産はね、これ」

 富沢の家へ向かう途中。鈴原が意気揚々と出したのは、下ネタ全開のご当地キャラのストラップだった。俺は引いた。

「弟がね、これ好きだったの」

「へぇ……」

「なんか、真理子ちゃんってうちの弟に似てるの。だからなんか、放っとけない」

「弟は何歳?」

「うーん、買ってあげたときは中二だったかな」

 中学二年生の男子と一緒にするのは失礼だろうと思ったが、怒ると面倒なので黙っておいた。

 富沢の家のインターホンを押すと、富沢の母親はゴキゲンに返事をした。歓迎されて家へ入ると、リビングに富沢がいた。怯えてこちらを見る富沢の左頬がなぜか赤いのが気になった。

 富沢の母親に淹れてもらった紅茶を一口飲んで、鈴原が通学鞄から大きな包みを取り出す。

「じゃん。真理子ちゃんと三田くんにお土産買ってきたよ。パウンドケーキ」

「なんだ、まともなのも買ってるんだ」

 鈴原が横目で俺を睨む。富沢が驚いたように俺を見た。

「え? もしかして三田くんも修学旅行、行ってないの?」

「うん、熱出して」

「ふぅん」

 富沢は、少しほっとしているようだった。修学旅行、フツウ行かない奴なんていないもんな。

「だから今日、疎外感すごかったよ。皆、楽しかっただのなんだの。知らないっての」

 キャハハハハ、と悪魔の顔で笑う鈴原につられて、富沢がクスリと笑った。それを見て、鈴原はうれしくなったのか大きな声を出した。

「そうそう、真理子ちゃんにまだお土産あるんだ。はい」

 例のストラップを見た富沢は、絶句していた。

 だが、このアホな鈴原に救われたのに違いなかった。十二月にもなると、富沢は学校にはあまり来ないものの、少しだけ心を開くようになっていた。富沢の家へ上がるようになって、初めは毎回あった富沢の左頬の赤みは、いつの間にか無くなっていた。

 一方、富沢の母親は娘をなかなか学校に連れ出すことのできない俺たちに苛立ちを感じ始めているようだった。

「明日こそ、真理子ちゃんは学校に行くかしら?」

 帰り際にいつも皮肉っぽく俺たちに聞いてきた。が、それでも鈴原は無理に学校へ誘おうとはしなかった。

「北風と太陽の法則だよ。無理やり行けって言うより、私たちと一緒に行きたいって思ってもらうまで待つほうがいいよ」

 それが鈴原の言い分だった。だが、二月のあの日まで近づいている。

 なぜ富沢はあんな事件を起こすのか。それには、富沢本人に話をきくしかなかった。

「富沢さんってさ、昼間なにしてるの?」

「……家で勉強したり、ぼーっとしたりかな」

 明日の日本史の予習をしていた手が止まる。申し訳なさそうにぎこちなく笑った。

 いつも俺たちと一緒に明日の授業の予習や宿題をして、いつでも行ける用意をしていた。

「勉強して、えらいねぇ」

 鈴原は教科書のページを捲りながらこともなげに言った。そんな鈴原を見て、富沢はうろたえながら俯いた。きっと、俺たちに悪いとでも思ってるんだろうか。

 俺は直接関わるまで、富沢のことは一体どんな嫌な、おかしな腐った奴だろうと思っていた。だが、富沢は悪いやつじゃなかった。悪いやつじゃないのに。

「富沢さんは ちょっと考えすぎなんじゃない? クラスの奴らなんかテキトーに合わせればよくない」

 励ますつもりで言った俺を、鈴原が横目で睨んだ。そうだよな、富沢はそれが出来ないから苦しんでいるんだよな。

「悪い」

 黙って宿題の手を動かす。思えば、俺らの存在価値ってこんなもんだ。宿題をしていること。学校への行っていること。テストで良い点を取っていること。うまくクラスに馴染んでいること。そこから外れないことが俺らの存在価値だ。自分が自分であるというだけで認めてもらえるような所はない。富沢は外れてしまった。彼女の存在価値は、俺と鈴原の中に辛うじてあるだけだ。

「不用意な発言に気をつけてね」

 富沢の家からの帰り道、口を尖らせて鈴原が言った。

 飲み屋は明るく道を照らし、忘年会の帰りであろう赤い顔をしたサラリーマンが肩を組んで大声で笑っている。小学生の頃、あぁいうのダサいと思ってたんだけどな。

「……前に弟がいるって言ってただろ」

「うん」

「なぁ、違ってたらごめん。もしかして弟も登校拒否だったりする?」

 前々から、そうではないかと思っていた。だって普通、ここまでクラスメイトの不登校に首を突っ込んだりしない。鈴原は富沢への思いやりは執着のように感じるときがある。

 鈴原の目が、不安げに動いた。

「…………そう。ぜったい言わないでね。自殺しちゃったの。私、弟のこと、ずっと心配だったのに。弟に親が学校に行けって怒ったとき、止めればよかった。もっと話を聞けばよかった。私がいるよって言えばよかった。弟も、真理子ちゃんと同じで気が弱くて優しい子だったの。真理子ちゃんと仲良くしたって弟は帰ってこないけど、真理子ちゃんを見てたら、弟もこんな風に苦しんでいたのかなって分かるような気がして」

 絞り出すような声で鈴原が言った。人の、一番弱いところを聞いてしまった。なんと声をかければいいのか分からない。

「弟と仲が良かったんだな」

「うん。分かってあげられるのは私だけだったんだ」

 ぼうっと鈴原が遠くを見つめた。

 ゾクッとするほど風は冷たい。真っ黒な冬の空に星が小さく輝いていた。


 冬休みも俺と鈴原は富沢の家へ通った。富沢が留年しないように出席日数を考えると、三学期はほとんど休めない。富沢の犯行を止め、俺が元の世界に戻った後も富沢の人生を保証できていなければ任務遂行とはいえないと思ったからだ。

 二学期の間、俺たちがどんなに富沢を説得しても、実際に学校へ行けば富沢の陰口を言うやつがいた。先生ですら富沢をからかうような発言をした。他人から見れば下らない些細なことだが、された本人は気が気でないだろう。行く度に傷ついたその場所に、三学期は毎日通うことが出来るか。立ち上がることに疲れ、諦めているように思える姿に腹が立つこともあった。

 そもそも富沢は気づいているんだろう。俺たちは友だちではないことに。友だちだから富沢に関わっているんじゃない。俺は父さんに頼まれたから、鈴原は弟への償いの気持ちがあるから。こういうところが富沢の心をいまいち開くことができない要因なのかもしれない。結局は、富沢次第なのだ。

 大晦日の夕方。突然、鈴原から電話がきた。

「私もう、真理子ちゃんの家に行くのやめる。逆に真理子ちゃんのプレッシャーになって、よくない気がする」

 鈴原は明らかに動揺していた。

「何があったんだよ」

「今日、真理子ちゃんにこれからどうしたいって聞いたの。そうしたら、真理子ちゃん、自由になりたいって。学校に行くのも辛いし、行かずに親に殴られるのも嫌だって」

「殴られる?」

「昔から、お兄ちゃんと比べられてはオシオキされるんだって。もう耐えられないって」

「……じゃあ、なおさら助けないといけないんじゃん」

「そうなんだけど……」

 沈黙が続いて、電話が切れた。

 残りの冬休みは、俺は一人で富沢の家へ行った。富沢には、鈴原はインフルエンザだと嘘をついた。それ以降、鈴原のことは一度も聞いてこなかった。他愛もないことを喋って、冬休みの宿題をした。富沢は自分の親のことも言おうとしなかったし、俺も聞こうとはしなかった。ただ、俺が富沢の家にいる間は、富沢をただ安心させてやろうと思った。

 冬休みの最終日。家の門の外まで、富沢が見送りに来た。

 街灯に照らされながら、しんしんと雪が降っている。

「じゃあな。明日から、学校来いよ」

「今まで、本当にありがとう。うれしかった」

「うん」

「三田くん、あのさ……いや、いいや。ごめんね、じゃあね」

 富沢がそう言って家の中へ入っていく。

「なんだよ」

 冷たい風が吹いて、ゾクリとする。突然また、あの目眩がした。冷や汗が出る。寒いのに、熱い。

 つらい。

 くるしい。

 さびしい。

 空を仰いだ。雪の隙間にぽかんと浮かぶ蛍光色の月が見えた。じわじわと涙が出た。どこから間違えたのだろう。そのまま俺はパタリと倒れた。


 目が覚めたとき、布団の中にいた。辺りを見回す。いつもの自分の仮設住宅だった。あれからどのくらいたったのだろう。

 電子時計を見て、愕然とした。富沢真理子による放火殺人事件の一日前ではないか。

 慌てて、富沢の元へと走った。十八時を過ぎて辺りは真っ暗だった。富沢をはっ倒しても、くくりつけても止めなければ。

 富沢家の玄関先に女の人影が見えた。

「とみさわ!」

 訳もわからず慌てて叫んだ俺の声に怯えて、こちらを見たその人影は、鈴原だった。

「もぉっ、お前かよ。驚かすなよぉ」

 冷たい風に喉を痛め息も絶え絶えに怒った。が、安心した。なんだ、鈴原が富沢の側にいたんだ。

「お、驚かすなはそっちでしょ。大きな声出さないでよ。っていうか、どうしたの。ずっと、学校に来てなかったじゃん」

 鈴原が、やけに強ばった顔で怒る。

「ごめん」

「分かればいいの」

 鈴原が、背を向けて歩き出した。

 その背中を見て、違和感を覚えた。

 初め、鈴原は俺のことが好きなんだと思っていた。それくらいに、例えどんなに憎まれ口をたたこうが、いつも別れ際はとびきりの笑顔だったからだ。だが、それは誰にでもそうだということが後で分かった。きっと、いつでも悔いが残る別れ方はしたくないからだと思う。なのに、だ。

「なぁ、鈴原も『あのこと』で富沢に呼ばれたのか?」

 ハッとした顔で鈴原が振り返る。俺の心臓は大きく高鳴った。

「知ってたの?」

 俺は静かにうなずいた。鈴原が淋しそうに微笑んだ。

「私たちは、真理子ちゃんがそうしたいっていうから手伝うだけだよ」

「いい加減にしろよ! お前の行動はただの自己満足だろ。弟のためか? お前の弟もこんなのは望まねぇだろうよ。逃げてんじゃねぇよ、こんな方法で解決できるわけないだろ。そうだろ? もう、どうしようもねぇんだよ、俺らには。でも、何もならなかったけど、見捨てるのが一番ダメだ。今の富沢は、お前が見捨てればそんなの死んだも同然だ」

「うぅ……」

 膝をついて鈴原が泣き出した。だって、だって、と砂利も気にせず地面に脚を擦った。

「富沢を止めよう。俺たちは、友だちなんだから」

 鈴原の肩を掴み、富沢家のインターホンを押す。

「なんですの?」怪訝そうな富沢の母親の声がした。


「……富沢真理子は現在も高校に通い、無事進級も可能です。本人は卒業後、実家を離れて暮らすことを考えています。僕はクラスメイトではなくなりますが、元の時間に戻った後も、出来る限りのフォローをしていきたいと思っています」

 小さな会議室に集められた、よく知らない偉い人たちの前で、この半年の成果を発表した。俺の話をみんなが、父さんが真剣に聞いてくれていてうれしかった。父さんの評価も上がるかもしれない。そうしたら、きっと父さんは褒めてくれる。

「お疲れ様でした。大いに助かりました。ありがとう。下がりなさい」

 柔和な笑顔のおじいさんが、俺に微笑みかけ一礼した。

「ありがとうございます。失礼しました!」

 ドアを閉めて俺は走り出した。うれしくてうれしくて、誰の足跡も着いていない一面の銀世界の中を走り回った。

 雪を蹴り走る俺の足跡の上に、雪は降り積もっていく。 足跡が無くなれば、誰かがまた、足跡をつける。次に足跡をつける人は、きっと誰だって構わない。それでも俺たちは。

 走って、走って、走って。誰かが見つけてくれるその日まで。

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