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言乃葉

作者: 伊達倭

 今日、誰にも声をかけられなかったら、死のう。

 ふとそう思いつくと、妙にそれが納得できるものに思えてきて、僕は寝間着を脱ぎ捨てて、ジーンズを履いて、シャツを着た。台所でカップラーメンを食べて、見納めになるであろう、自分の家を眺めた。

 高校生ながらに一人暮らしをしているのは、決して両親が海外赴任をしているからではない。両親は物心が付いたばかりの頃に鬼籍に入ってしまっている。運良く、遠縁の裕福な家庭に預けられたまでは良かったが、あまり面識がなかったことと、僕が内向的だったことが災いした。その家で僕は疎ましく思われていたらしく、高校入学が決まった途端、金を渡されて、アパート一室を与えられたのだ。

 生活能力に乏しく、右も左もわからぬ僕は存分に内向的な性格を発揮して、現代社会の申し子と言うべきヒキコモリになった。パソコンゲームとインターネットをひたすら繰り返して、深夜のコンビニで味気のない弁当を掻き込む毎日は兎に角惰性で、なまじ金ばかりがあったのがそれに拍車をかけた。高校には半年前から行っていない。勉強はそう嫌いではなかったが、好んでするものでもない。友達なんて一人もいなかった。

 つまりは、僕は誰からも必要とされる人間ではないということだ。迷惑をかけてばかりで、百害あって一利もない。だから、これ以上迷惑を重ねるべきではない。僕なんて死んでしまったほうが世の中のためだ。そう考えていて思いついたのが、一つの証明だった。

 一日、人の前に出て、それで声をかけられるかどうか。声をかけられなかったら、それは僕が必要とされていないことになる。必要のない人間は死ぬべきであろう。

 この単純かつ明快な証明を考えついた時の、僕の気分は素晴らしいものだった。何故なら、これは僕が人生で初めて得た目標だったからだ。

 両親を亡くし、親類の家ではひたすら、言われたとおりに動くだけだった僕は、自分から何かを求めると言うことをしなかった。それが許されない環境だったし、そんなことを考えることもできなかった。

 自分から何かをしようと思えたのだ。言わば、アイデンティティのようなものだった。

 自分の死ぬ理由を証明する。古来より日本人の美徳とされてきた、死に場所というところだろうか。僕のような人間にもそんなものがあることが、ひたすらに嬉しかった。


 家を出て、街で一番大きな繁華街に向かった。人が溢れている繁華街こそが、この証明に相応しい場所であるからだ。

 休日の昼間ということもあり、繁華街は眩暈がするほどの賑わいだった。友達グループや、家族連れ。恋人同士。大抵が連れ合いがいて、僕に声をかけるどころか、僕の方を見ることさえなかった。たまに一人で歩いている人間もいたが、繁華街で一人ということは、それなりに用事もあるのだろう。やはり僕のことなど気にすることもなく足早に通り過ぎていった。どうやら、思っていたとおりだった。僕は誰からも必要とはされない。繁華街の喧噪の中、僕一人だけが口を閉ざして俯いて歩いた。

 一時間ほど歩くと、息が上がったので自販機でジュースを買って、脇道にしゃがみ込んで休んだ。喫茶店に入ることもできたが、それだと店員とわずかでも会話をするおそれがある。自ら声をかけられるような行為はしない。もししてしまえば、正しい証明はできないからだ。落ち着くと、また歩き出した。

 小説やゲームでは、繁華街をぶらぶら歩くシーンが良く出てきたが、ぶらぶら歩くということが一体どういう行為を指すのかよくわからなかった。改めて自分の社会性の無さを知りつつも、とりあえず手をぶらぶらさせて歩いてみた。人混みでもそうしてしまって、すれ違いざまにストリートファッションをした若者に手がぶつかってしまったが、一睨みされただけで、何も言われなかった。ああ、そうだ。証明に一つルールを加えないといけない。文句や誹謗中傷の類は声をかけられたことにならない、と。

 さらに三時間ほど歩いて、かなり息が上がってきたので繁華街からほど近い公園のベンチで三十分ほど休んだ。少しお腹が空いてきたが、我慢した。証明のためでもあるが、証明された後のことも考えて、だ。死んだら筋肉が弛緩して色々と垂れ流しになる。迷惑の重ねがけを避けるためにも、少々の我慢はしなければならない。

 再び繁華街に戻って、また歩き始めた。今度は無理にぶらぶらするのはやめて、普通に歩いた。相変わらず誰も僕に注目することはなく、僕も段々と周囲を気にしなくなっていった。きちんと証明されることができたら、どのように死ぬかと言うことを考え巡らせると、少し寂しくて、反面わくわくしてきた。

 投身自殺というのはあまり見目も良くないだろうとか、富士の樹海は遠いな、とか。首吊りが一番簡単に死ぬことが出来るらしいとか。自分に一番相応しい死に方が何であるか、ぼうっと考えていた。

 養父母には迷惑をかけてきたので、せめて遺書でも書いて、彼らには何の咎もないことを世間に伝えねばならない。いじめでもなく、単に迷惑をかけたことを悔いて死んだのだと、きちんと理解して貰わないと、最悪の迷惑をかけることになる。これ以上迷惑をかけないために死ぬのに、死ぬことで迷惑をかけてはならない。

 死体の処理も迷惑になるだろうから、なるべく手間のかからないようにしなければ。病院ならいいのだろうか。それとも、やはり事件になるのだろうから監察医の元に運ばれることを見越して、警察の近くだろうか。

 死体がどのような手順で処理されるのかについての知識がなく、結局良い考えは浮かばなかったが、年間に万を超す自殺者がいることを思い出して、多分警察も病院も慣れたものなのだろうと思い直して、取りあえず死ぬことについては証明されてから考えることにした。何も今日が終わって即刻死ぬ必要もない。二十四時に証明し終わってから遺書を書いて、部屋の片付けをして、きちんと風呂に入って、着替えてから死のう。

 ああ、自殺する人間は部屋を片付けてから、なるべく小綺麗な格好で死ぬっていうのは本当らしい。自分が死ぬことを考えたら、ついついそう考えてしまった。


 そんなことを考えつつ歩いていると、空は朱に染まっていた。否、もう薄暗くなりはじめている。時計を見ると、十九時を回っていた。繁華街は少し人影が減ってきている。なるほど、時間が経つに連れて証明がより確定的になるようだ。

 二十時になると、辺りは暗くなり、閉まる店も増えてきた。これならもう証明されたも同然なのだが、どうせならきちんとやり遂げようと思い、また少し公園で休んで、再び歩いた。

 二十一時。店の大半は閉まった。居酒屋の類はまだまだこれからが商売なのだろうが、ブテイックなどはどこもシャッターが降りている。酔っぱらった会社員風のグループと幾度かすれ違ったが、やはり声をかけられることはなかった。当然だ。千鳥足の人間が一人で歩く高校生に語りかけるほうがおかしい。

 二十二時。いつもなら部屋でインターネットをしている時間だ。人影はもうほぼ無く、カラオケボックスの派手なネオンが妙に寂しく見えた。歩きっぱなしの足が悲鳴を上げて、日頃の運動不足を痛感したが、明日の今頃はもうこの世に居ないはずだから、筋肉痛の心配はしなくてもいい。そういえば、かすかに記憶にある両親は鬼籍に入って久しいが、あの世で会うことは出来るのだろうか。別段悪いことをしてきた記憶もないが、迷惑だけは散々かけてきた。不運な事故で逝った両親は天国にいるだろうが、僕はきっと地獄行きだ。会えないのは残念に思うが、自業自得なので、その辺りは納得しないと。

 二十三時。後一時間で証明される。最後に缶コーヒーを自販機で買って略式ながら最後の晩餐とした。最早おなじみとなった公園のベンチでゆっくりと足を休めてから、ゆっくりと繁華街を歩き始めた。

 ちらほらと人影はあった。大抵は酔っぱらっていて、僕のことなんか気付いてもいないようだったが、それで良かった。居酒屋の並ぶ通りを抜けて、時計を見ると二十三時三十分。後三十分だった。


 料理店の並ぶ通りを抜ける。残り二十五分。

 ブティック通り。二十二分。

 もうどこなのかもわからない。十分。


 再び繁華街の入り口近くに戻った頃に、残り五分になっていた。死ぬ段取りは既に頭の中にある。死ぬのは初めてで(当然だが)少し不安はあるが、恐怖というものは無かった。見納めになる繁華街をしげしげと眺める。入り口近くは比較的シックな店が多く、当然全ての店は閉まっていた。もう終電もない。人影は――ないと思ったら、一人だけいた。シャッターの降りたアクセサリーショップの前で、虚ろな雰囲気で、僕と同じ年齢ほどの少女が一人きりで佇んでいた。色白の、黒髪が肩まで伸びた儚げな少女である。不覚にも、少し可愛いなどと思ってしまった。

 四分。立ち止まっている自分に気付いて、歩を進めだした。正体不明の少女のことが少し気にかかったが、もう、あと僅かで自分が必要のない人間だと証明される大事なときであった。目をそらせて、前に進もうとする。だがそのときに、視界の端で動きがあった。それが何であるのか理解するより前に、目の前に先ほどの少女の姿があった。成る程、少女がやって来たのだと納得して、ふとおかしな事実に気付く。何故、彼女は僕の前にやって来たのだろう。

 三分。取りあえず、こちらから声をかけては証明にならないので、僕は前に進もうと、少し斜めに足を踏み出したのだが、少女は途端に表情を暗くした。そして、何か大切な用事があるのだろうか、両手を少し広げて通せんぼをした。それでも、少女は何も言わなかった。一瞬、僕が死ぬことを知っていて、それを止めようとしているように思えた。けれど、話しかけてくる様子はない。ただ、僕が立ち止まると、少女は嬉しそうに顔をほころばせて、ふと僕の手を取った。

 二分。

 僕の手を握った少女は、人差し指で僕の手のひらをなぞり始めた。何が起こっているのかよくわからず、なされるがままにしていた。そして、ふと気付く。彼女の指の動きは、規則的に動いていた。もう一度、今度はしっかりと指の動きに注意してみた。どうやら文字を書いているらしかった。

『マ・イ・ゴ・ニ・ナ・ツ・タ』

 まいごになつた。否、迷子になった、か。何故、口で言わないのかわからない。僕の証明のためだろうか。だとすると、この女の子は死神か何かだろう。どこか儚げな雰囲気は、この世の人間ではないからだろう。

『ワ・タ・シ・ハ』

 わたしは。私は、という意味だ。私は死神ですとでも言うつもりだろうか。随分と礼儀正しい死神もいたものだ。

『シ・ヤ・ベ・レ・ナ・イ』

 しやべれない?

 一分。否、違う。私は喋れない、だ。この少女は口がきけないらしい。

 だとすると。だとすると、僕の手の上に書かれたこの文字は、彼女の。彼女にとっての。

『コ・レ・ガ・ワ・タ・シ・ノ・コ・ト・バ』

 0分。


 ああ、どうやら僕は死に損ねたらしい。


昔に自分のサイトに掲載した作品です。自分のPNで検索でぐぐったら、この作品を再読したいという、光栄の極みのような記事をみつけて、せめてここを見つけてくれればと思い、掲載しました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 開始こそ平凡だと感じましたが、最後の最後でとても惹きつけられました。 一体主人公がどんな人物に必要とされるのか、はたまた最後まで必要とされることなく物語は予想外の方向へ展開するのか…という…
[一言] 自分の学生時代を思い出して切なくなった
2009/08/14 09:55 通りすがり
[一言] 伊達さんの小説の中でもこれは特にお気に入りです。
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