民家の謎
「ここみたいだな」
「そうみたいですね先生」
二人はオルヴィエートの街を離れ、そこから数十分ほど離れた村に訪れていた。
眼前には広大な農地と、民家が点々と在るのみだ。
ハルはワークシャツにカーゴパンツという、おおよそ探偵には見えない風貌をしている。
「先生、ラフ過ぎません?」
「現場調査だからな。フランカこそ、いささか息苦しそうな格好だ」
フランチェスカはフォーマルな服装に全身を包んでいた。
流石にジャケットは羽織っていないが、それでも真夏の太陽の元では、少し暑苦しそうに見える。
「なんか、初めての本格的なお仕事ですから、気合入っちゃって……」
二人は農地を進む。
「あの家がそうか」
「あれみたいですね」
二人が足を止めた先には、ボロボロになった一軒の民家がひっそりと建っている。
手入れされている様子は無く、周囲は濃い茂みに覆われていた。
「さてと、フランカ。許可証と鍵はちゃんと持っているね?」
「もちろんです先生。昨日の夜は大変でしたよ。地元の警察官の人達、先生の事を呼び出せってしつこくてしつこくて……。先生の名刺と社会保障番号の写しを渡したらようやく納得しましたけど。なんで先生は一緒に警察署に許可取りに来てくれなかったんですか」
「済まなかった。私はどうも警察官と相性が悪くてね。初対面の相手でも警察官となると和やかな空気には絶対にならないんだ。では、許可証もある事だし、早速こちらのお宅にお邪魔しようか」
二人は民家の入り口に近づいた。
ハルが扉の取っ手を引くと、扉がゆっくりと開いた。
「鍵がかかっていないな……。借りた鍵は無駄になったか」
「ずっと空きっぱなしだったんでしょうか。その割には荒らされた形跡はありませんね。おかしいですね」
二人が中に入る。
フランチェスカの言う通り、中は外見からは想像できないほど不自然に整えられていた。
まるで、つい最近まで他の誰かが住んでいたかのようだった。
ハルはリビングを眺める。
次に、浴室や二階の寝室まで一通り見て周った。
「うん、これは確かにおかしいな。見ろフランカ、埃が家財にあまり積もっていない、部屋の隅に溜まっている。事件が起きてからの日数を考えてみると、これは有り得ない」
「そう、ですね……」
フランチェスカはどこか心の籠っていない返事をした。
リビングの扉は開いており、隣の部屋が見えた。
そこはどうやら客室のようだった。
フランチェスカはじっとその部屋を見つめていた。
「……どうしたフランカ」
ハルが彼女の視線の先に目を向けた。
「……いえ、その、資料によると、あの部屋で少女の両親は殺害されたみたいで。それで、ごめんなさい、あそこで人が死んだと思うと、とてもショックで……」
「……やっぱり、早かったかな。この手の事件は。フランカ、きついなら外に出ていても良いんだぞ。嫌な言い方だが、こういうのは慣れの要素も強い。私もCIAに居た頃の初めての捜査は未だにトラウマのように脳裏にこべりついている。無理はしたらいけない」
「いえ、もう大丈夫です。ごめんなさい、なんかこの家も不気味に思えて少し怖いなって思っちゃいました。さぁ早く調査しましょう。例の地下室の扉を探してみます」
ハルは心配そうな視線をフランチェスカに注ぐ。
フランチェスカは部屋の見取り図を取り出してじっと眺め始めた。
どうやら地下室の扉は家の一番奥、書斎の床に設置されているようだ。
二人が書斎の扉を開ける。
この部屋は、リビングを始めとした他の部屋とは違い、うっすらと埃が積もっていた。
「うーん、なんだろうなこれは。ここは埃が積もっているのか」
「やっぱり、つい最近までだれかこの家に住んでいたんでしょうか? それにしては家財が代えられている形跡は殆どありませんね。第一、警察署から受け取ったこの許可証にもしっかり空き家って書いてありますし。最も、私のイタリア語の読み方が間違っていなければの話ですが」
「送電局に確認してみよう、この家に電気が最後に供給されていたのはいつなのか調べてみたら直ぐにわかる」
ハルは携帯電話を取り出し、このエリアを担当する送電局を調べ始める。
が、フランチェスカがそれを制止した。
「待ってください先生。もし人が居たんだとしたら、少なくとも電気も水道も公共インフラには頼っていなかったみたいです。あれを見てください」
フランチェスカが天井を指さした。
一見すると何の変哲も無いように見えるが、よく目を凝らすと小さな穴が開いている。
「……流石はフランカだ、良く気づいたなあんな小さい穴。つまり、天井からランプなんかを吊るして使っていたという事か」
「はい。しかもこの穴が開いている事で、間違いなくここに誰かが最近まで住んでいたって事は確定ですね。この家、部屋にも廊下にも普通に電気照明が設置されてますし」
「何者かが、ここに忍び込んでひっそり身を隠していたという事か」
ハルはそこで、昨晩ホテルの自室に届けられた手紙の存在を思い出す。
「犯人か、その犯人を知る何者かがここに居た可能性もあるな」
「まさか、わざわざ事件の現場に身を隠したっていうんですか? そんなリスキーな事をするようなタイプの犯人とは思えないです」
「灯台元暗しってやつかな。なんにせよ、ここに誰かが住んでいた事は明白になった。お手柄だぞフランカ、この天井の穴は少なくとも、当時の警察の捜査では見つかっていない。一度見つけてしまえば良く目立つものだ。つまり、当時の捜査の時点では天井に穴は開けられていなかった、という事だ。ここに身を隠した何者かは、捜査が終わった後にここに来たことになるな」
「一体、なんの目的で……? まぁ、それはホテルに戻って考えるとしますか。さて、地下室の扉を調べてみましょう」
二人は積もった埃を払い、扉の取っ手を調べた。
「うん、やはりこの地下室はワインセラーのような所だな。取っ手も簡単に壊れそうだし、この扉の鍵も直ぐに壊せる簡単なものだ。これを思うに、犯人はやはり少女を意図的に生かしたようだが、これもまた目的は見えんな」
ハルは扉の取っ手と鍵を入念に調べる。
「足取りを完璧に消すような慎重な犯人でしょうから、鍵を壊すなんていう事すらリスキーに思えたのでは?」
それを眺めながら、フランチェスカはハルに質問した。
「その線もありえるな。だが、それなら少女に話しかけた理由が分からない。最も、この少女は保護された当時、相当動揺していたようだから、証言の正確性も疑問が残るが」
ハルは取っ手を引く。
こちらも鍵はかかっておらず、すんなり扉は開いた。
「寒いな、夏でもこんなひんやりとしている物なのか」
「暗いですね……」
地下室の中には何も置かれていなかった。
「ここに十何時間も閉じ込められていたんだ。この少女は一体どれほど怖い思いをしたのか」
「少なくとも扉の調査は終わりました。さぁ先生、次は近隣の住民に聞き込みに行きましょう。最も、一番近くの民家まで徒歩で10分はかかるみたいですけど」
「そうだな、行こうかフランカ」
二人は民家を後にする。
進展はあったが、同時に謎も増えてしまった。
フランチェスカが歩きながら、ハルに話しかけた。
「先生。昔もこういう事件の捜査とかやってたんですか?」
「この手のは探偵になってからちょくちょく関わるようになったな。CIAに居た頃の私は現場捜査官でね。銃なんかを担いで、いざとなったら突撃なんて事もやっていた。現場捜査官というのはどちらかというと攻撃チームとしての仕事が多いんだ。その頃に比べれば、随分と平和に仕事をやれているよ」
「そうだったんですね。先生を探偵の道に誘った御方って、今もまだご存命なんですか?」
ハルは少し間を置いて、フランチェスカの質問に答えた。
「なんというか、悲しい事にね。今あの人がどうなったのかは私には分からないんだ。探偵だというのに、あの人の足取りもつかめていない。まぁ、お互い探偵な上に私の師にあたる人物だから、姿を隠そうと思えばいくらでも隠せるのだろう。だから、私はあの人を追う事はもうやめた」
「な、なんかごめんなさい! 変な事聞いちゃって」
「良いんだよフランカ。昔の事だ。いつまでも過去を引きずっていても人生楽しくないさ。さて、お隣さんと言って良い距離かわからないが、民家が見えてきたな」
ハルもフランチェスカも、お互いそれ以上は何も語らなかった。