オルヴィエート
「……先生、ハル先生、到着しましたよ」
「ん、あぁフランカ。ありがとう。すっかり眠ってたよ」
イタリアの空港に飛行機が到着する。
ハル・ストーナーは少し重たく感じる身体を起こし、座席を立つと荷物を纏める。
助手のフランチェスカ・ベネデットが荷物を運ぶのを手伝った。
「済まないねフランカ、なにせ飛行機に乗るのも国外に出るのも久しぶりで」
「先生は昔はよく色んな国を回って、事件の解決に協力していたと聞きました」
二人は空港のロビーに辿り着き、入国の手続きをする為に列へ並んだ。
真夏のイタリアは各国の大型休日が重なる観光シーズンという事もあり、ロビーは人込みで溢れている。
「本当に昔の話だよ。まだ私が今の君くらいの年齢の頃の事だ。フランカは今年で24歳だったね?」
「やめてくださいよ歳の話は……。そろそろそういうのに敏感になってくる頃なんです」
雑談を交わしている内に列はどんどん進む。
ハル・ストーナーは所謂探偵業を生業としている。
彼はかつてCIAの現場捜査官としてアメリカ国内で様々な事件の解決に関与していた。
そのキャリアをとある男に買われ、捜査官引退後にその男の元で探偵としての技術を磨いた。
それから程無くして、ハルは様々な事件を探偵として調査し、解決に導いた。
そしていつしかハルは世界的に有名な探偵になっていた。
しばらくすると二人は入国の手続きを終えた。
空港を出ると、ハルは早速タクシーを呼ぶ。
「ここに向かってほしい。フランカ、すまんが通訳を頼んでいいかね?」
「わかりました。大丈夫ですよ、今回の事件の調査を願ったのは私なんで。どこに向かうかは私の方が先生より詳しいです」
フランチェスカはそう言って、タクシーの運転手に行先を伝えた。
フランチェスカ・ベネデットがハルの元を訪れたのは、今からおよそ三か月前の事だ。
ハルはそれまで助手を採った事は無かった。
だが友人の勧めや、仕事に追われていた事もあり、彼女を採用した。
フランチェスカは非常に聡明で、人並み外れた観察力がある女性だった。
ハルはその点を評価し、助手として採用したのだった。
今回のイタリアへの遠征も、彼女のその観察眼が発端である。
それは、フランチェスカがハルの元にやってきて一ヶ月ほど経った頃の出来事だった。
「この事件、気になる点があります」
フランチェスカはそう言うと、一枚の資料をハルの元に持ってくる。
「イタリアのオルヴィエート近郊の田舎町で起きた一家殺人事件。犯人は未だに見つかっていません。生き残ったのはたった一人の少女だけ……」
「おお、よくそんなもの見つけてきたな。国外の事件だというのに。確かにこの事件は後味が悪いが、どこが気になるんだね?」
ハルの問いに、フランチェスカは即答する。
「犯人は身元も割れていないで、今も逃走中みたいですね。でも私が気になったのは、何故この少女だけが生き残ったのか、という点です」
「資料によると、どうやら地下室に隠れていて難を逃れたようだが……。見つからずに済んだという事では?」
「いえ、こちらの少女の証言を記載した資料を見てください。この少女は犯人に話しかけられているんです」
「うーん。では単に犯人が生存者の少女の両親に対してのみ殺意を持っていたか、もしくは地下室の扉を開ける事を諦めたか」
「それなら、少女に話しかけたりしないと思うんです」
ハルはしばらく考え込んだ。
探偵業を始めて得た数多くの経験から、こういった事件を調査するには何をするべきなのかよくわかっていた。
「つまり、君の初めての仕事に、この事件の調査を選びたいという事かな? いきなりこの手の物は荷が重いというか、難しいのでは……? 最初はもっと、こう、人探しであったりとかそういうものから始めるのがセオリーなんだが」
「お願いします先生。この事件、一緒に再調査させて下さい。それに、ここオルヴィエートの近くですよ! 丘の上に街があるんです! すっごい壮観らしいです! 私イタリア語も話せますし、行きましょうよ」
「なんだフランカ、君は結局のところ観光目的か……。まぁいい。気になる、というのは調査においては重要な動機だ。それに、この手の事件は現地に行くのが一番だしね」
こうして、二人はイタリアへ訪れる事になった。
タクシーが足を止めた。
すると、タクシーの運転手とフランチェスカが揉め始める。
「どうしたフランカ? 何か問題が起きたのか?」
「それが先生、このタクシーの運転手、運賃をぼったくろうとしてます! しかもここ、目的地よりもちょっと遠いです。ていうか直ぐそこがオルヴィエートです。外国人だからって、私達舐められてますよ!!」
「うん、運賃は何とか説得してくれ。ここで降りよう。折角だから、オルヴィエートの観光でもしていこうか」
ハルはそう言って、そそくさとタクシーを降りる。
外の空気を深く吸い込み、眼前に広がるオルヴィエートの丘上都市を眺めた。
しばらくすると、タクシーからフランチェスカが降りてきた。
タクシーは少し乱暴な発進の仕方で、その場を去る。
「しかしフランカ。君、やたらイタリア語が上手いね? 履歴書を見た限りでは、外国語に強いような点は見受けられなかったが」
「私の家系はイタリア系で、親戚とかから言葉を習っていたんですよ。名前もイタリア系でしょ? さぁ、日が暮れそうですし、とりあえずオルヴィエートの市街で宿を見つけましょう」
二人がオルヴィエートの街へと足を運ぶ。
傾き始めた夕日が街を朱く照らしていた。