7話 日暮れの草原の下で
【エリー視点】
「エリーーーッ! 怖かったぞぉ! 寂しかったぞぉ! あぁっ! 王城は恐ろしいところだったっ! ほんと、もう、どうしようかと思ったぞぉっ!」
「うわああぁぁぁっ!? ク、クラッグ!? や、やややめてよ!? い、いきなりなに抱き着いてきてんのさっ!?」
王城のパーティーから一夜明け、僕はここ最近よく通っている酒場で相棒を待っていた。
酒場の扉から見慣れた顔が入ってきて、僕が手を上げここだと言うと、クラッグはいきなり僕のことを強く抱き締めてきた。
ひゃっ……! こ……これ! セクハラだっ……!
「は、はは放してよっ! み、みみ、みんな見てるよっ! や、やめっ……! どこ触ってんのさっ……!」
「ここか?ここがええんか?」
「ひゃうっ……!」
変な声が漏れた。こいつ! 今、お尻を撫でてっ……!
「ははは、生娘みたいな声を……よいではないか、よいでは…………あぎゃあああああぁぁぁぁぁっ!?」
「死ねっ! この変態っ……!」
2本の指でこのアホウの目を貫いておいた。断末魔が酒場に響き渡って、焦げ茶のバカが床の上をのたうち回った。
「ぐっ……成長したな、エリー……。お前はセクハラに滅法弱かったのに……」
「ふん! 2年も君のパートナーを務めてたら、嫌でもセクハラ耐性は付くさ! このバカ焦げ茶っ!」
全く……! この大バカ焦げ茶はっ……! ほんと最低っ……!
あー、くそぅ……体中が熱い。露出している肌が真っ赤っかだ。顔もものすっごく熱いから、鏡を見なくても真っ赤であると断定できる。
くそー……、いつかセクハラ受けても平然といられるようになっていたい……。
「……ん? クラッグ? 床に転がって何してるんだい?」
「こんにちは、エリーさんにクラッグさん」
「あ、リックさんにフィフィーさん、こんにちは」
酒場にリックさんとフィフィーさんが入ってきた。
「……で? どうしたんだい? そこに転がっている焦げ茶は?」
「エリーにセクハラしてた」
「…………エリー君、こいつ好きに憲兵に突き出していいからね?」
「それよりも、自分で殴った方がすっきりしますから」
「……エリー君は逞しくなったね」
そりゃ、こんな焦げ茶と2年もコンビ組んでるんだもん。
「んで? 王城が恐ろしかったって言ってたけど?」
「そうだ! 聞いてくれよ! エリー! 女狐が……、女狐がさっ……!」
「女狐……? それってイリスティナ姫のこと?」
「そうなんだよっ! あの女狐っ……王族の癖に……俺に近づいて話しかけてきて、あまつさえお酒まで酌んでこようとすんだよっ……! あぁっ……! 恐ろしい……、恐ろしい……。あの意地汚い笑顔が恐ろしい……」
クラッグは腕を抱えてガタガタ震えていた。
「……その割には、なんか、嬉しそうじゃなかったかい……?」
「ん? 何か言ったか? エリー? 声小さくて聞こえねえよ」
「なんでもないよ」
クラッグは首を傾げていた。
なーんか、面白くない。クラッグはお姫様みたいな雰囲気が好きなのかな?自分では王族貴族が嫌いだと言っておいて……。
「でもお姫様、きれいだったねー」
「ほんと、貴族達の評判通り絶世の美女だったね。笑顔を作るだけで不覚にもドキッとしちゃったよ」
「まるでお人形さんみたいだった! 同じ女性として憧れるなー」
「そ……そうかな……? そうかな……?」
お姫様、べた褒めである。いやいやいや、そこまででも……ないと思うけど、なぁ……? ふ、普通だよ……普通……。
「お前たち! 騙されるなっ! 見えなかったのか! あの女狐の狡猾な笑い方が! 人を陥れ、騙し、搾り取り、骨の髄までしゃぶってやろうという悪意に満ちた目の奥の光が! あいつは絶対、人に言えない様な秘密を持ってる! ドス黒く、乱暴で、悪意に満ちた……城の中だけでは手に入らない様な悪意を、あの女狐めは……」
「ふんっ!」
「いてっ!」
焦げ茶のすねを蹴っておいた。
「……え? エリーさん? 今、なんで蹴ったの……?」
「ふん」
「……え? ……なんで?」
頭の上にはてなマークを浮かべるクラッグを他所に、僕はビールをぐいと呷った。
「……ところで、クラッグ。昨日の話はどうするんだ? 受けるのか?」
「んんー……そうだなぁ……。報酬が魅力的だからなぁ……」
クラッグが腕を組んで考えていた。どきどき。
「……いや、やっぱ無理だな。面倒臭い依頼は苦手だし……それに! 俺は! あの女狐が苦手だっ! あのっ! お姫様の皮を被った、女狐がなっ!」
「いや、受けろよ」
情けない理由で依頼を断ろうとしているクラッグに、横から突っ込む。
「エリー、そうは言っても聞いてくれ。俺は王族に魂を売らないって決めているんだ」
「いやでも、君、もう金がないじゃん。明日の飯だっておぼつかないじゃん。今回の依頼、前金出るんだから受けない訳にはいかないでしょうが」
「そうだった!」
クラッグが机に突っ伏した。
「お……おのれぇ……あの女狐めぇ……。そういえば、俺の財布事情を知ってるって言っていたなぁ……。あのお姫様、俺が断れないと最初から知っていやがって……。ぐごごごごごご……」
「ふーんだ」
僕はクラッグにべっと舌を出した。
* * * * *
【クラッグ視点】
「ほら! ほらほら! どうしたっ! 意識が甘いぞっ! もっと神経を尖らせろっ!」
「う! うぎぎぎぎぎぎっ……!」
開けた草原の丘の上、無数の剣戟の音が風に乗って遠くに運ばれていく。
鉄と鉄が幾度も無くぶつかり合い、火花を散らしていく。死を舞い込む剣の切っ先が相手に向けられては防がれ、防いでは相手に向かっていく。
俺とエリーは真剣で斬り合っていた。相手を斬り崩す最適を求めながら、目の前の相棒に向って剣を走らせていく。
「脇腹が甘いぞっ!」
「ぎっ!」
防御の甘い脇腹に剣を向かわせると、エリーはすんでの所で自分の剣を脇腹と俺の剣の間に割り込ませ、間一髪のところで自分の身を守った。後一瞬遅れていたら、エリーの脇腹は斬り裂かれていただろう。
エリーは短刀の2刀使いだ。順手、逆手とくるくる入れ替え、とにかく素早く多角的に敵に攻撃を打ち込んでいく。その速さだけだったら、熟練の戦士ですらてこずるだろう。
だが、その速度の割には経験が不足がちだ。敵の攻撃のバリエーションについていけていない時がよくある。慣れの不足は一瞬の判断に後れを生じさせ、無意識化での体の反応を鈍らせる。
よって俺の足は吸い込まれるようにエリーの顎を蹴りぬいた。剣に意識を集中させ過ぎたエリーは反応すら出来ず、目を揺らし、脳を揺らした。エリーの体が足元から崩れ落ちる。
「はぁっ……! はぁっ……!」
倒れ伏せたエリーから熱く荒い息が漏れる。
「……立てるか?エリー」
「……はぁっ! ……た、立って見せる……。立つまでが……、訓練だからっ……」
「よく言った」
エリーは倒れ伏せた自分の体に鞭を打ち、力を込め、少しずつ少しずつ体を起こしていった。
もちろんこれは訓練だ。エリーの「強くなりたい」という一言から、この訓練はずっと続いている。厳しくしているつもりだが、エリーは折れず崩れない。彼女のその執念に正直一目置いている。
俺としてもエリーには強くなって貰いたい。強くなって貰わなきゃ困る。俺を倒すくらいまで強くなって貰わなきゃ困るのだ。
「強くなったな」
「…………」
「お前は強くなったよ、エリー……」
「……やめて、今優しい言葉を掛けられると力が入らなくなる」
そう言いながらエリーはふらふらと立ち上がった。あちこちがガタガタと震えていて、見るからに満身創痍だ。
「いいか、エリー。相手がこちらの意識を散らしてくるのはよくある事だ。相手の意識を偏らせ、そして相手の意識外の場所を作り、そこに意識外からの攻撃を放つ。そういうパターンを上級者は複数持っている」
「―――――」
「このパターンの優れているところは、どれか1つでも通用すれば敵を殺しきれるという点だ。1回でも釣れれば敵の急所に攻撃は滑り込むし、だからこそこちらは1回も釣られないように神経を極限まで擦り減らす」
エリーは肩で息をしながら、頑張って立ちながら俺の話を聞いている。
「……釣られないようにするためにはどうすればいいの?」
「まずは慣れ。俺の持っているパターンを全て見せてやるさ。全て防ぎきれるようになったら合格だ。さぁ、構えな」
「…………」
「さて、釣られるなよ?エリー?」
そうしてもう1回戦を始めた。
「よし、今日はここまでだ」
夕暮れが目に染み入るようになる頃、俺がそう言うと、エリーは必死になって立ったばかりの体を地に崩した。
「くはーーーっ! はーーーっ! はあーーーっ!」
大の字になって、苦しそうに思いっきり息を吐いている。
「お疲れさん。まぁ、中々悪くねえ」
「はーーー! はーーー! で、でも……、はーーー! でも……、はーーー!」
「……ゆっくりでいいぞ?」
相棒の息が整うまでの間、俺は芝生の絨毯に座り込んで夕焼け空を見上げた。
「……はぁ……でもさ、僕、何度も何度も引っ掛かっちゃったよ?」
「そりゃ、初めから全部防がれてたら俺の立つ瀬がねえだろ。数こなして、慣れてけ」
「……でもさ、クラッグのパターンを全部防げるようになっても、それってクラッグに対して強くなれるだけなんじゃないかな? 他の人の嵌めパターンは防げなかったり……?」
「はははっ! 安心しろ、バカエリー! 俺の攻撃をしっかり防げるようになれば、大体どこに行っても通用する」
倒れ込んでいる相棒の顔を覗き込む。
「俺の攻撃を1回防げたなら、それは他の戦士を100回打ち倒したぐらいの貴重な経験だ」
そう言うと、エリーは柔らかそうな頬をぷくっと膨らました。
「全く……自信過剰だね、君は……」
「悪いが俺はこと戦闘に関してだけは、誇張もしないし謙遜もしねえ。お世辞も言わねえ。
……そういうエリーこそどうした。今日はいつにもまして自信がねえじゃねえか」
この活発で露出の多い女子は意外にも自信が足りない。自分はまだ世間知らずのルーキーと、デビューから2年経っても思い込んでいる節がある。
「……今回の依頼の事だけどさ……」
「あん?」
「僕に、参加する資格があると思う? 今回の依頼、僕が足を引っ張ったりしないかな……?」
「…………」
「……周りの冒険者たちは皆A級にS級。それに対して僕はD級。君とチームを組んでいる冒険者だからついでに呼ばれたのと同じようなもんさ」
冒険者のクラスはS級からF級まである。F級はルーキー中のルーキー、E級D級は下級、C級B級は中級、A級S級は上級といったところだ。
確かに俺たちはD級。エリーはD級に見合わない実力を持っているが、A級と1騎打ちは少し厳しいかもしれない。
「どう思う?クラッグ……?」
「…………」
相棒が首を動かし、俺の目を見ていた。
「……正直なところ、判断が付かねえ」
「…………」
「今回の依頼、何も出て来ねえ可能性の方が高え。それはあのお姫様も分かってんだろ。伝説の討伐と言いつつ、実際は蛇の捕獲かもしれねえ。エリーが足手纏いになるまでもなく、いつの間にか仕事が終了してるかもしんねぇ」
「……うん」
「だが、もし万が一、神話の伝説が来たとしても……」
「わっ……!?」
相棒の頭を乱暴に撫でる。
「そん時は誰も彼もが足手纏いだ。エリーだけが足手纏いになるなんてことはねえ」
「…………」
エリーがじとっとした目で俺を見てきた。
「……それって、励ましになってるの?」
「気楽にいけってことだよ、バカ。さ、帰るぞ」
「わわっ……!」
体の動かない相棒をおんぶして帰路につく。訓練の後はいつもこうだ。エリーの冒険者らしからぬ柔らかい体が背中に当たる。彼女の腕が俺の首に回される。
「毎度のことだけど……慣れないなぁ……」
エリーの体が熱くなっているのが背中越しに伝わってくる。
「……エリーさ」
「ん?」
「今回の依頼、参加したいなら参加すればいいさ。エリーが参加するなら、俺も参加してやる。あのお姫様は苦手だけどさ、俺」
「……いいの?」
「いいさ。そしたら少しだけは守ってやる。例え伝説の化け物が出たとしても、ある程度、出来得る限り、少しだけ、な」
「…………」
日が沈む前の冷たい風が草原を撫でていく。
「……そこはさ、かっこよく『何が起きても守ってやる』って言うとこじゃないの?」
「甘えんな。1から10まで守るようなことはしねえし、出来ねえぞ?か弱いお姫様じゃあるまいし……」
「っ! 甘く見るなよっ!」
俺の首にしがみ付く彼女の力が強まった。
「……やってやる! 今回の依頼、やってやるさ!」
「それでこそエリーだ」
そう言って2人で笑った。
日暮れの草原の下で、2人笑った。