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30話 火入る夢

【夢】


「あなたは絶対に捕まってはいけない。何があっても、この扉は開けちゃダメよ……」


 目の前の少女がわらわを狭く暗い場所に閉じ込めようとしていた。


「なにが……あっても…………」


 この家は火に包まれようとしている。バチバチと赤い火が猛る様な音を鳴らし、この部屋を少しずつ少しずつ呑み込んでいく。黒い煙は充満し始め、息が少し苦しくなっていく。

 そんな中、目の前の少女がわらわを狭いタンスの中に閉じ込めようとしていた。わらわを苦しめようとしているのではない。わらわを守るためであった。


 わらわも少女も火に包まれたぐらいでは死ぬようなタマではない。

 しかし、目の前の少女には死相が見えた。


 何があっても開けてはいけない。

 ただそう言って、少女はタンスの扉を閉めた。

 いやだ……いやだ……そんな気持ちが胸を裂きそうになりながら、暗闇の中でじっとしていた。


 タンスの扉にはほんの少しの隙間があり、そこから部屋の中の様子が少しだけ見えた。

 この部屋の扉を乱暴に蹴破る男共が入ってきた。


「…………お前が『叡智の分流』か?」

「……いかにも。わらわがメリューじゃ」


 目の前の少女が名乗った。

 大きな槍を男たちに向け、構える。


「大人しく捕まって貰おうか?」

「冗談」


 …………いやじゃ。いやじゃ。負けないでおくれ。

 大丈夫じゃ。あの少女は最強じゃ。若くしてS級相当の実力を持った最強の少女。悪漢如き容易く捻じ伏せてくれる。

 大丈夫……あの少女は最強じゃ…………


 しかし、その少女は血みどろになる。

 鍛え抜かれた技、鍛え抜かれた力、どれをもってしても名も知らぬ男に敵わず、体中を斬り刻まれ、ボロボロになる。

 少女の動きは目に留まらぬほど素早い。槍さばきが速すぎて、穂先を目では捉えられな位であった。

 それでも少女は斬り刻まれる。ただ、目の前の男の方が強かった。


 少女は倒れ、動かなくなった。


「ふぅ……やれやれ……とんだじゃじゃ馬だ…………」

「終わったか」


 戦っていた男の仲間なのだろう、部屋の隅で退屈そうに壁にもたれ掛かっていた男が仲間に近づいた。


「あぁ、これで『叡智の王』に喰わせる餌は揃った……」

「餌……?」


 男はにぃと笑った。


「……生贄ってことだよ」


 そう言って虫の息となった我が友を抱え、男たちはこの部屋から出ていった。


 何があっても、この扉は開けちゃダメよ。

 彼女の言葉が頭の中で反芻される。


 いやじゃ……

 我が友が連れていかれようとしている。でも、この扉は開けてはいけない。

 いやじゃ…………

 暗い。暗くて熱い。火が部屋を包み込んでいく。赤い。熱い。暗い。恐い。汗が噴き出る。火がこの家を囲う熱で、息が苦しくなる。煙が充満していく。

 でもこの扉は開けてはいけない。


 どうしようもないこと。

 どうしようもないことであった。

 この世界はどうしようもなく、ただわらわは友の苦しみに……どうしようもなかった。

 抗えなかったのだ。


 暗い。暗くて眩しい。赤い炎が眩しい。でもこの扉は開けてはいけない。炎が包み込んでいく。暗くて、恐くて、熱くて、恐くて…………


 恐くて…………

 恐くて……


『生贄ってことだよ』


 悪魔のような男の言葉が耳について離れなかった。




* * * * *


【メルセデス視点】


「うわああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ…………!」


 跳ね起きる。

 視界がぐるぐると回っている。

 ここは……?一体…………?


「ああああぁぁぁぁぁ…………」


 汗をぐっしょりとかいている。息は荒く、心臓は早鐘を打っている。

 悪夢だ。いつもの悪夢だ。別に驚く必要はない。いつもの事なのだから、もう慣れっこだ。


「あぁ……ホテルかのぅ…………」


 周りには見慣れぬ光景が広がっていた。いつも寝泊まりしている安宿ではない。品のいい調度品が飾られ、細かい模様の付いた壁紙が張られている。高いホテルの一室だ。


 そうだ、そうだ。わらわはイリスティナの借りているホテルに寝泊まりすることになったのだった。護衛という意味であれば、冒険者たちが大勢いるこのホテルの方がやり易いという事になって、わらわにも1部屋与えられることになった。


 ふぅ……と、1つため息を吐く。

 身を落ち着かせる。荒くなっている呼吸を整え、早くなっている脈拍を抑える。悪夢を見た後はいつもこうである。くらくらする頭を、時間をかけて正常に戻していく。


 1杯の酒でも飲もうか。

 外はまだ暗く、時計を見るとまだ10時過ぎだった。そうだ、夕飯を食べた後ひと眠りをしたのだった。流石は高級ホテル、飯は美味しく、更には流石王女、いくら食べても王女から経費が出るということならば腹一杯になるまで食べなきゃ嘘ってものだ。

 高級な食事を冒険者たちがイノシシの様に貪るのだから、多分食事代だけでもとんでもない料金になっていると思われる。


 …………姫様は大変だな。


「すみません、大きな声が聞こえたのですが、大丈夫でしょうか……?」


 そんな事を考えていると、扉がコンコンとノックされ、今まさに(ふところ)を心配していたその人の声がした。

 姫様が扉越しにわらわに声を掛けていた。


「……あぁ、心配するな。少し寝ぼけていただけじゃ」

「そうですか。少し失礼してもよろしいですか?」

「あぁ。酒もあるぞ」


 姫様が部屋に入ってきて、わらわはグラスを2つ取り出したっぷりとワインを注いだ。


「わらわの持ってた安酒じゃけどな。姫様の口には合わんかもしれん」

「あら?私は安酒だって好きですよ?よく友達と飲むものですよ」

「まさか」


 一国のお姫様が品質の悪い酒など飲むはずがない。ただの冗談だろう。

 わらわ達は「乾杯」と軽くグラスを交わし、ガラスのぶつかる高い音がした。


「メルセデス様、1つ伺っても宜しいですか?」

「なんじゃ?『叡智』の情報を探りに来ているのかの?それは依頼の報酬じゃぞ?」

「そ、そそ、そんなことないですよ……?ただ、会話を楽しもうとお、思っただけで……」


 姫様の目が泳いだ。


「…………お主、一国の姫じゃろ。考えがそんな顔に出て良いのか?」

「う゛っ…………」


 姫様は汗を流す。痛いところを突かれた、みたいな顔をしている。

 なんじゃ、この姫様。大丈夫なのか?


「……王族ならば権謀術数とかあるじゃろうて……やっていけているているのか?姫様?」

「あ゛ー……騙し合いとか、正直苦手なんですよね…………その場を丸く収めることとかはやってやれないことはないのですが、相手の裏を突くとか、苦手でしてね……」

「そんなんじゃ苦労するじゃろ?」

「元々、権謀術数とか好きじゃないので出来る限り距離を置いてますね。あ、でも、他の兄弟は大好きのようで、よく私を取り込もうと声を掛けられるんです」

「大変じゃのう」


 安酒を一気に呷るわらわと違って、姫様は優雅な佇まいで上品に酒を口にしている。彼女が飲むとこの酒も上等な一級品に見えるから不思議だ。

 しかし、姫様はにこやかに笑っているが、それで大丈夫なのか?


「しつこい時は少し殺気を込めて追い返しますよ。私の兄弟、ほとんど殺気になんて触れて来なかったのですぐにびびってしまうんですよね」

「そんなんで良いのか?」


 というか、この嫋やかな姫様が殺気を出す?殺気なんて出せるのか?出せたとしても、凄く弱々しい殺気の様な気がする。


「しかし、それは冒険者やマフィアの手口じゃ。お姫様が真似するでない」

「…………やっぱり私、冒険者に毒されているんですかね……?前にもそんな事言われましたし…………自分ではそんなつもりないのですが……」


 そう言って姫様はがっくりと肩を落とした。

 所作の一つ一つは洗練されていて長年の育ちの良さがありありと分かる程なのに、言ってることは少し俗っぽい。


「お主は……少し変わってるの…………」

「……それも最近、よく言われるんですよね…………どうしましょう…………」

「冒険者との付き合いを減らすことじゃな」

「なんと…………」


 彼女の落ち込む姿につい苦笑してしまう。王族とはこんなにも付き合いやすいものだったのだろうか?


「なんだか、こう……ああするとこの家が少し有利になるとか、こうなると私達の家が少し不利になるとか、そういう貴族の行いが大事だって分かっているんですけど…………なんだか最近、それが重箱の隅を突く様に小さい事のように思えるのですよね。

 風が吹けば一発で飛んで行ってしまうような…………」

「あぁ…………」


 その考えは分かる。痛い程によく分かる。


「それも……冒険者達の考え方じゃな…………いつ死んでしまうか分からぬ故、『将来の為』という考え方が薄くなる。即物的なものを大事にしてしまう傾向にあるのじゃ」

「確かに、貴族の方が細かい事を仰っていると、『それドラゴンの前でも同じこと言えるんですか?』って思いますね」

「………………」


 お主の方こそドラゴンの前になんて立ったこと無かろうに…………思わず自分の眉が寄ってしまうのを感じる。

 ワインを喉に流し込む。


「だからわらわも即物的なものは大好きじゃ。特に酒と男は最高じゃな。あれらは1晩で最高の気分にさせてくれる」

「…………また淫らな話ですか……少し自重為された方がよろしいのでは…………?」

「……んん?……また?……姫様にはわらわが男遊びを好きなこと、話してなかった筈じゃが…………」

「あ!いえ!なんでもない!なんでもないです……!言葉の綾みたいなものですよ……!」

「んんー……?」


 なんかちょこちょこおかしいのぅ?このお姫様?

 姫様は誤魔化す様に安物のワインをぐいと一気飲みした。おぉ……意外にもいい呑みっぷり…………


「でも私、日々の積み重ねは大事だと思うんですよ」

「おぉ、話を逸らした」

「だって毎日の訓練が無ければ強くなれませんし、強くなれないという事は仕事中に死んでしまうという事です。冒険者の皆さまは荒くれ物が多いですが、日々の訓練に関してはストイックな方々が多いですよ?

 逆に言ってしまえば、毎日の訓練を怠っている冒険者の方々はランクも低いですね」

「…………やたら冒険者の事情に詳しいのぅ?姫様?」

「た、たまたまです!たまたま……っ!」


 姫様は汗を垂らしながら、赤くなる頬に片手を当て、もう片方の手をぶんぶんと振った。

 …………この子、ほんと、権謀術数の溢れている王宮で暮らせているのじゃろうか……心配になってくるのぅ…………


「積み重ねが大事……のぅ…………」

「どうかしましたか?」

「……いや、わらわには出来ない考え方じゃ。わらわも……いつ死ぬか分からぬ身じゃしの…………」


 そうだ。『叡智』に追われるということは、そういう事なのだ。


「何を弱気なことを言っているのですか。貴女は私たちが守りますよ。もっと、どんと構えていて下さいな」

「ははは……期待しとるぞ…………?」

「お任せください!」


 姫様は綺麗で、そして明るさに満ちた笑顔を見せた。とても清々しい笑顔が目の前にあり、それがわらわには眩し過ぎた。眩し過ぎて少し苦しくなった。

 何とか頑張ってわらわも笑顔を返した。多分外から見たら歪んだ笑顔だったのだろう。


 元気な笑顔と共に彼女は2人のグラスにワインを注いだ。おかわりということは、本当に姫様は安酒を呑める口なのだ。わらわを前にした体面だけの姿だと思っていたのだが、そんなことは無いようで、姫様はまた安酒を口にした。

 姫様に酒を注がせてしまったことをしまったと思う位には、わらわはこの姫様に好感を覚えていた。


「おぉい、メルセデス……昨日借りたもの返しに来…………」


 そんな時、この部屋の扉が開く音がした。

 ノックもしない無作法な輩が扉を開けたことが察せられる。扉が開き、焦げ茶色の頭をした男が姿を現し、何故だか驚きに目を見開いた。


「……あら?クラッグ様?メルセデス様に何か御用ですか?」


 わらわの中で血が不味いと評価を得ているクラッグがこの部屋に現れた。


「…………なんで女狐がこの部屋に居やがんだ……」

「そう睨まずともよいではありませんか」


 クラッグはむくれて口を尖らせた。なんじゃ?姫様とクラッグは仲が悪いのかの?

 ……というか、この焦げ茶色の髪の男、姫様を女狐と呼んだのか?恐れ多い奴じゃ。


「なんじゃ。何の用じゃ、クラッグ」

「おう、昨日借りた本返すわ。大分世話になったよ」


 そう言ってクラッグが袋から取り出したのは…………

 わらわが昨日貸したエロ本だった。


「わあっ!驚いたっ!」

「痛えっ!」


 姫様は反射的にクラッグの頭を叩いていた。ばちーんといういい音が部屋に響いた。

 うむ。姫様の前で堂々と出すものじゃないのぅ。


「あのですね、貴方達はそういう卑猥な話しか出来ないのですか?流石に最近、品性を落とし過ぎですよ?」

「うるせぇ、お前に俺の何が分かるってんだよ」

「これでも割と分かっているつもりですよ」

「……?わけ分かんねえ…………」


 クラッグは納得できないという表情を浮かべながら、叩かれた頭を擦り、落とした本を拾ってわらわに返してきた。


「………………」

「……どうしたよ、メルセデス。受け取れよ」


 クラッグがその本をわらわに差し出してくるが、それを受け取る気にはなれなかった。


「……それは、お主にやろう」

「……ん?」

「わらわは定期的にそういう(たぐい)の本を処分しておるのじゃ。ほら、死んだ時に所持品からそういったものが出てくるの、恥ずかしいじゃろ?」

「あー…………それはわかるが…………」


 クラッグは差し出した本のやり場に困りながら、頭をポリポリと掻いていた。


「死んでまで恥をさらしたくないからのぅ。だからその本はお主に進呈しよう。

 自分がいつ死んでもいいように身辺整理をする。それが死を身近に置いた者の生き方ってものじゃ」

「へー…………」

「…………」


 わらわの言葉に姫様は小さな声を漏らしていた。


「………………」

「ん?どうしたのじゃ?クラッグ?」


 しかし、クラッグはほんの少し口を尖らせて不満そうにむくれていた。先程、姫様と顔を合わせた時と同じような顔をしていた。


「…………やっぱこの本、貰えねえわ」

「……は?」

「……ん!」

「…………な、なんじゃ……?」

「ん!」


 わらわは本を受け取ろうとしなかったが、クラッグは本を無理やりわらわの体に押し付け、強引に返却しようとしていた。

 な、なんなのじゃ…………?


「エロ本ごときでものを言いたくはねえけどさ…………」


 クラッグは口を尖らせながら言った。


「あんまそう簡単に色々と諦めんな」

「……え?」

「いざという時に足を動かす気力のねえ奴は、助けくても助けられねえぞ?」

「……え?…………え?」


 ついわらわは奴の差し出す本を受け取ってしまった。


「いいから持っとけ」


 そう言い残し、クラッグは要件を済ますとさっさと部屋の外へと向かっていった。


「…………あ、クラッグ様、もう戻られるのですか?一杯お酒でもいかがですか?」

「要らん。お前といると碌な目に合わん」


 クラッグは乱暴に扉を閉じ、部屋の外へと出ていった。

 少しの間静寂が部屋の中に流れる。変な焦げ茶は風の様にエロ本を届け、風のように去っていった。わらわは本を抱え、呆然とするしかなかった。


「…………なんだったんでしょうね?クラッグ様は……」

「な、なんじゃったんじゃろうな…………」


 いなくなった彼の背に目を向け、持っていた本を強く握ることしか出来なかった。

 姫様は訳が分からずきょとんとしていたが、あいつの言葉はわらわを動揺させていた。


 簡単に諦めるな……?気力の無い奴……?


 あいつに何が分かる……わらわの何が分かる…………

 あいつにわらわの何が分かるというのか…………


 窓から差し込む月明かりが少しだけワインの入ったグラスに差し込んでいた。


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