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眠ったまま

8月2日。

この日の朝から突然、お兄ちゃんのしゃっくりが止まらなくなった。


「ひっく……ぐっ!……ひっく!」


やせ細った身体がビクンビクンとしゃっくりのたびに揺れて、兄は苦しそうに顔を歪める。


「お兄ちゃん、お兄ちゃん!大丈夫?苦しいよね?いま先生呼ぶからね」


健常者の私達だってしゃくりが続けば苦しい。今の状態での兄のしゃっくりは相当な辛さのはずだ。ひっく!ひっく!そのたびに揺れる兄の身体をさすりながら、何もしてやれなくて涙が出てくる。


(神様、しゃっくりなら私に、私が代わりにしますから、兄にさせないで!もうやめて…)


「先生、止めてあげてください!先生!お願いします」


しゃっくりはガンが悪さをしている為に起こっているらしい。これを止めるために薬を使うのだが。先生がお兄ちゃんの様子を見ながら、静かに私達に振り返って言った。


「この薬を投与した場合……このまま、眠ったままになる可能性もあります」


(えっ、このままって?意識回復しないまま死んじゃうかも知れないってこと?)


顔を歪めて苦しそうにしゃっくりを続けている兄を見てから菜緒なおちゃんと健太郎を見ると、二人とも無言のまま辛そうに頷いた。


苦渋の決断だった。

このままさよならなんで嫌だ!でもお兄ちゃんの苦しみを考えると?何もせず「がんばれ!」と声をかけるだけなんて、ただ苦しませているだけなんて、そんなこと出来ない。


この部屋に医療機器は何もない。あるのは点滴だけ……

手術のあとに見聞きした『物言わぬ身体に繋がれた沢山のチューブや電子音』

私達は最終的にそれを望まなかった。

この静かな部屋でお兄ちゃんと最後の時を過ごすために『ココにきた』


穏やかに、運命に逆らわず、最後まで人として生きて逝くために……


『私たちはココにきたんだ』


ベットの上で苦しんでいる兄を見つめる、このまま「さよなら」かも知れない。この病棟に入院してからの穏やかな日々が脳裏に蘇る、私達は間違っていない、今これで「さよなら」だとしても……後悔はしない。私は自分にそう言い聞かせて、先生に頭を下げた。


「よろしくお願いします」


薬が投与されていく兄の身体に顔をすり寄せ、三人で泣きながら身体を撫でた。何時間もそのまま私達はお兄ちゃんの身体を摩りつづけていた。夕飯の時間になってもベットから動かない私達を師長さんが心配して何度も声を掛けてくれていた。


脈も血圧も安定してるから絶対に大丈夫!お兄さんはウトウトしてるだけで意識はあるかも知れない。だからちゃんと美味しい夕食を食べてるよって教えてあげましょう、声を掛けてあげましょう。そう言って夕飯を運んできてくれた。


「お姉ちゃん!これ食べよう!お兄ちゃん、今夜のおかずはね……」


菜緒なおちゃんが涙を流しながらニコッと笑って、眠っているお兄ちゃんにおかずの説明をしだした。


「今夜もまた高級料亭の玉手箱みたいな夕飯だぜ?兄貴これは冷酒が合うぞ」


健太郎も涙でグチャグチャな顔をゴシゴシと拭きながら、お兄ちゃんの顔を覗き込んでニカッと笑った。


私もそうしなきゃいけないのは分かっている、だけど私は……私は出来なかった。


泣いて泣いて、お兄ちゃんの身体にすがりながら、心の中で「逝かないで、まだ傍にいて」を繰り返していた。もう私の精神力は限界に近づいていた。と、その時だった。


『茉緒?俺はまだ逝かねぇよ、大丈夫だ。まだお前の傍にいる、だからメシ食え』


脳内に兄の声が聞こえてきた。


「お兄ちゃん?」


お兄ちゃんの顔を見たけど、ただ眠っているだけで起きた様子はない。キョトンとしながらお兄ちゃんの顔を撫で続けている私を不思議に思ったのだろう、二人が「どうしたの?」と不思議そうに首をかしげる。


「お兄ちゃんがね。大丈夫だからご飯食べなさいって、今……声が聞こえたの」


菜緒なおちゃんと健太郎が顔を見合わせてから、ウンウンと微笑んで言った。


「お姉ちゃんがそう言うならお兄ちゃんはもう大丈夫だ!安心してご飯食べよう?」


「あぁ姉貴は昔から俺達に聞こえないものが聞こえたり、感じたりする変な体質だからな。じゃもう大丈夫だ!よかったー」


それから私達は目を瞑っているお兄ちゃんに、美味しいご飯の説明をしながら、閉じている口にそっと運んで食べさせる真似をした。だからいつもと同じように4人で美味しい夕食をしっかり食べたんだ。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


眠ったままかと思われたお兄ちゃんは、夜中になってようやく目を覚ましてくれた。


「ん……」


身体を動かすことができないのか、目だけで私達を見回して、穏やかな顔で微笑んでくれた。


「お兄ちゃん!お兄ちゃん!起きたねっ、起きたねっ!よかった……」


お兄ちゃんの身体はもう放射線で痛みを止める事さえもできないほどボロボロになっていた。痛みを止めるための薬も、苦しみを抑える薬でさえ投与すればどうなるかわからない状態にまでなっていた。


(お兄ちゃん、まだ生きていて)


こう願うのは私の我儘なんだろうか……



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