緩和ケア病棟へ入院
7月30日入院。病室に案内され荷物を片付けたりしていると?
「失礼します、一之瀬さんを担当させて頂く浜崎です。宜しくお願いします」
これまた綺麗な優しそうな看護師さんが入ってきた。
「兄貴、いいなぁ。この病院はマジ綺麗な人がいっぱいだなぁ」
うふふ♪と微笑みながら浜崎さんは、お兄ちゃんの血圧を測ったり熱を測ったり問診をしたり。
「痛みは今どのレベルですか?」
「3かな?でも大丈夫です」
「3ですね、我慢しないでくださいね?いいんですよ、痛いってちゃんと私達に伝えてください」
『白衣の天使』と言う言葉はこの人の為にあるんじゃないかと思うくらい優しい微笑み。この病棟の看護師さんは師長さんをはじめ、皆いつでもニコニコしている。決して困った顔や慌てた顔を見せない。
(徹底した教育を受けてる、プロ中のプロなんだろうな…)
「いまお茶を用意しますね、何がよろしいですか?」
「はぁっ!?」
私は思わず間抜けな声を出してしまった。だってココ病院だよ?Caféじゃないよ?びっくりした顔で浜崎さんを見つめていると『コーヒーか紅茶・ジュース・お茶、何でもいいですよ』って微笑んでるし。これは何か注文しなければならないのか?
「じゃ、あの紅茶でお願いします」
浜崎さんは「ちょっと待っててくださいね」と、これまた最上の微笑み返しで病室を出て行った。
「お、お兄ちゃんっ、ココってお茶まででてくるよー!」
「おぅ、すげーな。あははっ!」
お兄ちゃんもびっくりした顔をして笑った。久しぶりに聞いたお兄ちゃんの豪快な笑い声だった。何だかそれだけで嬉しくなった。そして白衣の天使が運んできたCaféさながらのお茶を飲みながら、渡された献立表をみて私達はまたひと騒ぎ。
「ちょっと、お兄ちゃん!夕飯のバリエ豊富だよ。和食・洋食の好きな方を選んでいいんだって」
「マジかよ!姉ちゃんすげーぞ!ステーキもある」
菜緒ちゃんと健太郎が献立表を見ながらこれまたひと騒ぎ。
「うそ、アルコールまである。ココって病院だよね?」
献立表を見て私も思わず目を疑った。だって飲み物のところにワインとか日本酒とか書いてあるんだもの。病院内でアルコールなんて考えられないよね?
食事は家族の分まで頼めるようになっていたので4人揃って夕食をとった。病室での病院食だったが、そんな事を思わせない空間と素敵な器に盛られた美味しい料理。お兄ちゃんは少しだけ夕食を口に入れてくれた。ステーキもほんの少しだけど食べてくれた。ただそれだけのことが私達は嬉しかった。そして笑いあった。自分らしさを保ちながら最後の時間を家族と悔いなく過ごす。改めて緩和ケアの素晴らしさを感じたのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
夕食後、疲れがてたのか?痛みも酷くなってきたので点滴で薬を入れた。そのためにウトウトして意識もなくなってくる。痛みを止めるために薬を身体に入れると?痛みは和らぐけど眠ってしまい私達と話はできなくなる。
(それでも、お兄ちゃんが苦しまないならそれでいい……)
私はそっと病室をでてラウンジに行った。
(あれ?あの隅っこのソファに座っているのは琴音さんのお母さん?)
お母さんはソファに座って窓の外をじっと見ていた。
「こんばんは~♪」
そう声をかけようとしたが、私はハッと立ち止まり慌てて口を抑えた。窓の外をじっと見つめているその目からは涙が溢れ、頬を伝い、だけどそれを拭おうともせず、ただじっと窓の外を見ていたからだ。
そのまま立ち去ろうとしたら、お母さんが私に気付き、流れていた涙を手でそっとぬぐいながら言った。
「ごめんなさい、こんな所をみせちゃって」
「いえ……」
何と言っていいか分からなかった。お母さんは困っている私に「ココどうぞ」と自分の座っている横をポンポンと叩いた。
「今日入ったの?」
「はい」
「そう、琴音が喜ぶわ。また話相手になってくれるかしら?」
「もちろんです。もう友達ですもの」
私は敢えて笑った。ココで家族が泣いている理由はただひとつしかない。みんな誰にもみられないように泣いている。だけどそれを偶然みちゃった人は見なかったフリをしてあげる。
「もうね、立つこともできないの……」
お母さんはそう言って、また窓の外に目を向けた。
「そうですか……」
「だけど、茉緒さん達がいるってわかればココにきたがるわ。そして笑ってくれるわ」
そう言って無理に微笑んだ。その微笑みの奥にある辛さが、苦しさが、手に取るようにわかる。
「あのっ!私達に出来ることがあったら何でも言ってください」
「ありがとう。あなた達も辛いでしょう」
私は何も言えずに俯いた。苦しい、辛い、その言葉を口に出すのは簡単だけど、文字にするのは簡単だけど。心の底から魂のレベルで辛い苦しいと感じた時、何も感じなくなり、何も言えなくなるものなんだ…
「一緒に、最後まで……」
お母さんはそう言って私の肩を抱き寄せた。私は何も言わずにただ頷いて、琴音さんのお母さんの肩にもたれながら泣いた。どれくらい二人でそうしていただろう。
コトン♪
テーブルの上に湯気のたった、香りのよい紅茶が置かれた。顔をあげてみると小松師長さんが穏やかに微笑みながら、ハーブの香りのするホカホカのおしぼりを手渡してくれる。
「これを顔に乗せて、少しのあいだ目を瞑ってリラックスするといいですよ?」
「ありがとうございます」
「何かあったら何でも言ってくださいね?そのために私達はいるんですから」
ガンと向き合い、死と向き合う、そして必ず訪れる別れの恐怖と、不安と辛さと苦しさの中で、人の温もりと優しさも感じた、緩和ケア病棟、入院初日の夜は更けていったのだった。




