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琴音さんとの出会い

7月14日 菜緒なおちゃんと緩和ケア病棟の見学と説明を受けに行く。


「うわっ!すごい、ホテルみたい」


私が小声でそう言うと、菜緒なおちゃんも小さく頷いた。入口の自動ドアが開いた瞬間、そこが病院内と感じないほど素敵な空間に変わったのだ。ただ、入口にナースセンターがあるので、現実には病院なんだと思い知らされるが……


家族が泊れる部屋や一般の人が入れるお風呂などもあり、もちろん病室は全て個室。私達はその中のひとつの病室に案内された。病室と言うよりは部屋と呼んだ方が相応しいかも知れない。


「凄い!ベットがホテルみたいなやつだ。テレビのモニターが天井に取り付けられてるよー」


「うん、ソファもフカフカだね。どこかのブランドなのかな?」


私達はココが病院であることを一時忘れてしまっていた。それくらい病室とは思えない空間だったのだ。


「ここでは患者さんもご家族の方にも快適に過ごして頂けるよう、色々工夫しているんですよ」


師長の小松さんはニッコリ笑って病棟内を案内してくれ、最後に一番奥にある専用ラウンジに連れて行ってくれた。


(す、すごい!これまたホテルのラウンジみたいだ)


綺麗に並べられた本棚の中には童話や小説などがあり、所々に観葉植物やランプなどの可愛らしい雑貨が置かれ、ゆったりとしたソファセットがいくつかありホテルのロビーみたい。奥の方には可愛らしいテーブル、まるでcafeのようだ。


「こちらに共同で使えるキッチンがあります」


カフェの様な空間の奥には素敵なシステムキッチンが設置されていて、食器も鍋も全て揃っている。


「患者さんの食べたいものをご家族が作って差し上げれるように、どなたでも利用できます」


と話していると……


娘さんとお母さんだろうか?一組の親子がキッチンに入ってきた。車椅子に乗っている女の人は私達とそう変わらない年齢に見えた、まだ二十代だろう。可愛いピンクの帽子を頭からすっぽりかぶり、やせ細った手足の先がチラリと見えていて、嫌でもその人が今どういう状況であるのか一目でわかった。


その親子は私達を見てニッコリと微笑んで「こんにちは」と明るく声をかけてくれた。


「あ、こんにちは……」


私と菜緒なおちゃんは慌てて頭を下げる。


「こんにちは。あら?琴音さん、今日はメロンジュースかな?いいなぁ♪」


小松師長さんは車椅子の女の人の横にしゃがんで、その頬に手を当てながら少しお茶目な感じでそう微笑んだ。横にいるお母さんも琴音さんと呼ばれた人も師長さんも笑っている。「やだもぅ、師長さんったら!」なんて冗談も言い合ってる…


(この女の人はもうすぐ死んじゃう……)


私と菜緒なおちゃんは、その親子にどう接していいのかわからず、ただ立ち尽くしていただけだった。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


私達は、笑いながら冗談を言い合っている三人を複雑な気持ちで見つめていた。だってあの女の子はもうすぐ天国に逝ってしまうんだよね?それが本人もお母さん分かってるんだよね?なのにあんなに明るい笑顔で笑っているなんて……


「じゃまたねー」小松師長さんは琴音さんにそう言って、私達に向き直り「行きましょうか」と目で合図をした。私達は小さく頷いてから、どんな顔していいか分からないながらもその親子に頭を下げて師長さんの後に続いて歩き出す。


ナースセンター横の談話室みたいな所に入り、私と菜緒なおちゃんはようやくホッとしたのだった。


「何とも複雑な顔をしていらっしゃいますね?」


師長さんは少し苦笑気味に私達に微笑みかけた。


「はい…ちょっと、いえかなりびっくりしてしまって。すみません、あの方たちに失礼でした。お気を悪くされなかったでしょうか?」


「大丈夫ですよ」


頭では理解していた、ココがどういう所なのか。でも目の当たりに見たショックは大きかった。


「最初から喜んでココに来る人は数少ないです。だからこそちゃんと理解し納得してもらった上で入院して頂くんです」


緩和ケア病棟を利用するには、達郎が言っていたように本人であるお兄ちゃんが納得しないと入れないと言う事をまず説明される。


「ココではガンの治療はできません」


「……」


「痛みを和らげ苦痛をなくす為に出来るだけの事をします。何もしないわけではありません」


「はい」


「痛みを和らげるクスリ投与や放射線と最低限の点滴治療だけです。延命の措置もできません」


小松師長さんはおそらく臨床腫瘍科から私達に関する完璧な申し送りを受けているのだろう。この点を中心に詳しくそして誠実に説明してくれた。捉え方によってはとても冷酷な内容もあったが、師長さんは私達に誤解のないよう注意しながら思いやりある言葉で丁寧に説明してくれた。


「24時間いつでも会いにこれますし、ご家族の泊りも入退院も自由です」


「好きな時に入院して好きな時に自宅に帰っていいって事ですか?お医者様の指示ではなく?」


「そうです。もちろん部屋の数に限りがありますので緊急の場合を除いて、入院は予約制となりますが。最期は自宅でと仰られる方もおりますので、退院はご本人の意思でいつでもできます。私達はできるだけ患者さんご本人のお心を優先しています」


全ての説明を聞いて私の心は決まった。なおちゃんの顔を見ると?静かに頷いたので気持ちは同じだと言う事がわかった。そして私達は深々と頭を下げて言った。


「私達家族は緩和ケア病棟への入院を希望します。宜しくお願いします」


「ご家族のお気持ちはわかりました、藤岡Dr.には私から伝えておきます」


とその時、師長さんの携帯が鳴った。


「はい……ん?そう?わかりました。すぐ行きますと伝えてください」


先ほどのお母さんが、メロンジュースを作ったので師長さんと私達も一緒にどうですか?と聞いてきたらしい。


「ほんとは今の時点でこういうは事ダメなんだけど、あなた達なら大丈夫かな?」


あのお母さんが何故いま私達を呼んでくれたのか?そしていま師長さんが何を言いたいのか?私も菜緒なおちゃんも何となくわかった。


琴音さんのお母さんは、私達がココに来て説明をうけている理由を当然理解したはずだ。そして複雑な顔をした私達を見て今どういう状況なのか分かったのだろう。だから私達の心を癒そうとして、安心させようとして呼んでくれたんだと思う。そして、それはたぶん琴音さんも分かっている……


師長さんが『あなた達なら大丈夫かな?』と言ったのは、まだココにお兄ちゃんは入院していない。だから本当に納得してココにいるわけではない、そんな私達がこの病棟の患者や家族と接する。それは琴音さんやお母さんに対して私達が取り乱し変な対応をしないか?という感じの質問だろう。


「はい、もう大丈夫です。あの人の名前は琴音ことねさんって言うんですか?」


「そう、可愛い名前でしょ。一緒にいるのはお母さん」


師長さんはそれ以上の事は言わなかったけれど、名前さえわかればいい。そして私達はどうすればいいのか?私も菜緒なおちゃんもちゃんとわかっていた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「うっわー!美味しい!メロンのフレッシュなんて滅多に飲めないですもん、ありがとうございます」


「琴音がフルーツのフレッシュジュースが大好きでね、毎日作ってるのよ」


一緒にジュースを頂きながらたわいもない話をし笑い合った。琴音さんとは年も近かったのですぐに仲良くなり女子トークに花が咲いた。


だけど、その会話に未来形は一切ない。琴音さんにあるのは『いま生きている』という事だけだったから……


メロンジュースを琴音さんが飲めたのはほんの少しだった。飲んだと言うよりは舐めたに近い。そしてとても疲れた顔をして、しんどそうにフーッと身体を車いすの背もたれに預けた。


(ただジュースを飲むだけなのに、こんなにも大変そうに)


お兄ちゃんよりずっとずっと病状は重いように感じた。なのにお母さんはただ舐めるだけのジュースを毎日作っている、娘の好物のジュースを笑顔で作り続けている……


見ていられなかった。

だけど私達はこの現実をしっかり受けとめなきゃいけない。目を逸らしちゃいけないんだ。

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