まだ逝かないで!
元気が出るお薬?の点滴をした後のお兄ちゃんは、顔に色もあり少しだけ元気に見える。でもそれは見えるだけであって本当は歩く事もままならず、いつもダルそうで痛そうに顔をしかめていた。痛み止めの薬を飲んでもすぐに効果は切れてしまうようだった。ガンによる痛みはどれほどのものなのか……計り知れない。
気力だけではもう動くこともできなくなり、当然仕事は源さんに頼りきりだった。
(もう限界だ、みんなも気付いているだろう。これ以上隠すことはできない)
今日こそはみんなに言わなければ、7月に入って急に悪くなり出した頃から私は毎日そう考えていたが、言い出せずにいた。そんなある日の夕方、現場から戻ったみんなが私を待ち構えていた。
「みんな今日もお疲れ様、一日無事で何よりでした。えっと社長からの伝言は……」
いつものように話し出した時だった。
「お嬢さん」
源さんが真剣な顔つきで私を見つめた。周りを見るとみんな口を一文字に結んで、その顔は見た事もないくらい真剣な顔つきだった。
「お嬢さん、話してくれませんか?社長のこと」
「源さん……」
「社長に口止めされてるんでしょうが、それでも話してくれませんか?」
何も言えずに下を向いてしまう、みんなに話したい!だけど……
下を向き、黙ったままの私の肩にそっと手を乗せて源さんは優しく話し出した。
「わかりました。じゃここからは先代の時からココで世話になっているワシからの助言として社長に伝えてもらえませんか?」
「はい」
「ここにいる10人全員の生活は社長が背負っているんです。社長の身体は一人だけのものではないと言う事を忘れないでほしい。そして、最後までワシらの社長であり続けてくれと、そう伝えてください」
「源さん……」
「ワシらは自分たちの生活がどうこう言っているわけじゃないです、そんなもんはどうとでもなります。ただ最後までワシらの社長であり続けてほしいと願っているんです。慕ってついてきたコイツ等の事を考えてやって欲しいんです」
「お嬢さん。俺ら……俺ら社長が大好きだからココまでついてきたんです。会社がどうこう言ってんじゃねぇっす!だから……だからっ!」
テツ君はそこまで言うと、ちくしょう!ちくしょう!と言いながら目に涙をいっぱいためて、それを腕でごしごし擦って。ほかのみんなも下を向き「社長……」って言いながらすすり泣いていた。
(みんな、わかってるんだ……)
お兄ちゃんは私からその話を聞いて「そうか」と言って天を仰いだ、そしてその眼には涙が見えたような気がした。そして次の日の夜、源さんとお兄ちゃんと私とで話し合いがもたれたのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「という訳だ源さん、黙ってて悪かった」
「そうですか……酷な事をお伺いします。今後はどうお考えですか?社長の事だ、何も考えてないわけじゃないでしょう」
「皆の事は責任を持って次の職場を探す。というより○○組の社長にはうちの会社そっくり受け入れてもらえるよう話はつけてある、あとは皆の意向をきいて最終的に決めようと思っていた」
私はこの話をずっと前に火葬場の横を通った時に聞いていた。自分がいなくなった時は○○組の社長を頼れと、そのための話はつけてあるからと……
「お嬢さんはどうお考えですか?」
「私は、できればお父さんとお兄ちゃんが頑張ってきたこの会社を皆で続けていきたい」
「茉緒、お前はもう何も心配しなくていいんだ、達郎君のとこに嫁に行け」
お兄ちゃんは微笑みながら私の頭を撫でた。
「お兄ちゃん?わたし続けたい!だけど女の私が一人で頑張っても皆に迷惑かけるだけかも知れないと思うと、○○組を頼った方がいいのかなと思うし、正直分からない。それに今そこまで考えられないよ」
「社長、ワシらは最後までこの一之瀬建設の社員でいたいんです。これはみな同じ気持ちだと思います」
「源さん……ありがとな、茉緒もありがとな」
「私が、私がもう少ししっかりしていれば、ちゃんと跡を継げるのに……」
そこまで言うと悔しいやら悲しいやらで、何が何だか分からなくなってポロポロ泣き出してしまった。と、いつからこの話を聞いていたのか?健太郎が襖をガラッと開けて入ってきて、お兄ちゃんの横にドカッと座って言った。
「あのさぁ、一之瀬家には次男の俺って存在がいるの忘れてねぇ?」
「えっ?」
「俺、辞表提出してあっからさ。まぁ引き継ぎの関係であと少し出社しなきゃなんねーけど」
「なんだと!なにバカなことやってんだっ!」
元気な頃に比べたらずっとずっと小さな声だったけど、お兄ちゃんは声を荒げて怒鳴った。立ち上がって健太郎の胸倉を掴んで投げ飛ばす勢いだった。
「バカな事じゃねぇよ、俺だって親父や兄貴が必死になって頑張ってきた会社を続けていきてぇんだよ。姉ちゃん一人じゃ頼りねぇし、だろ姉ちゃん?」
「そりゃそうだけど、そりゃ姉ちゃんは健太郎が継いでくれたら嬉しいよ。だけどせっかく一流企業に就職してお給料だって安泰なのに、今と同じお給料なんてウチじゃ払えないよ?」
「金じゃねーよ。むしろ下っ端から始めんだ、日雇いでいいさ。ってことで源さん?これからビシビシ鍛えてもらいますんで宜しく頼みます」
「健太郎、テメーなに勝手な事してんだ。自分が何したかわかってんのか!」
「わかってるよ……わかった上でした事だよ、兄貴」
健太郎はそう言って真っすぐお兄ちゃんを見つめた。お兄ちゃんも健太郎も無言で見つめ合ったまま静かな時間が過ぎていった。そしてその沈黙を破ったのはお兄ちゃんの優しい声色だった。
「源さん、コイツは俺以上に生意気で頭で物を考えるインテリ野郎です、ですが性根は腐ってません。図面を書かせたらプロですが現場がわかっちゃいねぇ、日雇いから始めて一人前にしてやってください。本来なら俺がやるべきとこなんですが、どうやらそこまでの時間は残ってねぇみたいなんで……頼んますっ!」
お兄ちゃんは源さんに健太郎を託した。こうしてお父さんとお兄ちゃんが守ってきた一之瀬建設は続投するという方向で動きだし、そして次の日の朝、みんなにそのことを伝えたのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
7月13日
昨日から健太郎が泊りの出張だったので、達郎が泊まりに来てくれていた。私一人の時に何かあったら困るからと、健太郎がいない時は必ず達郎が来てくれていたのだ。
その日の朝、いつものようにお兄ちゃんが起きてきた。
歩くのも辛そうで腰を抑えながらゆっくり歩き、ドサリと倒れるように茶の間の専用のいすに座る。立ったり座ったりが少しでも楽なようにと回転式のリクライニングの椅子を買った。今ではソコがお兄ちゃんの定位置となっている。
「お兄ちゃん、おはよう。いまお茶淹れるね~」
「…ぁぁ…」
(ん?何かいつもと違うような?)
チラッと様子を見たけど、痛そうにしているのとダルそうにしているのはいつもの事で、変に心配して騒ぐとお兄ちゃんはまた我慢をしてしまうので、私は何も言わずに茶の間を出てキッチンにお茶を淹れにいった。そして、お茶を淹れて持って行こうとした時だった。
ガターン!と何かが倒れるような大きな音が聞こえたので慌てて茶の間に行くと、お兄ちゃんが椅子から転げ落ちて床にうつぶせに倒れている。手足が小刻みに震え、痙攣していた。
「お兄ちゃんっ!!」
慌てて抱き上げると、お兄ちゃんは白目をむいて、口からは白い泡のようなものが出ていた。
「お兄ちゃんっ!お兄ちゃんっ、しっかりしてっ!」
騒ぎを聞きつけて達郎が駆け寄り、お兄ちゃんの様子を見るとすぐに病院に電話してくれた。
「お兄ちゃんっ!いやーっ!いやっ、逝かないでっ、まだ逝かないで!いやぁぁぁっ!」
まだ側にいてっ、まだ逝かないで!
泣きわめきながら兄の身体にすがりつく。
「茉緒っ、病院に連れてくぞ!」
「達郎っ!お兄ちゃんが、お兄ちゃんが死んじゃう!やだぁーっ、お兄ちゃん!やだよぉーっ!」
「大丈夫だ、落ち着けっ!お前がしっかりしてなくてどうすんだっ」
お兄ちゃん!お兄ちゃん!逝かないで…まだ逝かないで…




